【凍結中】その一握の気の迷いが、邪なものを生んだ(旧版)   作:矢柄

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『第二の門番はここより西の海辺へ、翁が寄り添う旅人を守護せしサイクロプスに挑め。

怪盗B』

 

 

 

カードに書かれていたメッセージを読み解くために、高速道路《オトルト》を一路走り抜ける。カルデア丘陵を貫くトンネルを抜け、アイナ街道を左手に。

 

前方を走る車両は3年前にZCFが投入した高級車で、たしかセレナードとかいうセダンだ。良く目立つ鮮やかな赤のカラーリングと洗練されたデザインは男心をそそる。

 

ふと車窓から空を見上げれば、並走するように空をゆく一隻の武装飛行艇。あのシルエットは高速強襲揚陸艦アンティロープだろう。

 

ちょっとした火砲や対戦車ロケットにも耐える装甲を持つとか、3リジュガトリング砲を備えるとか、24人の完全武装の兵員を輸送するとか、まあ過剰戦力である。

 

あのガトリング砲が唸れば、自分たちはこの車体ごとミンチにされるわけだ。掠っただけで身体がまっぷたつになるだろう。ゾッとしない話だ。

 

そして、そんなモノを軍に護衛につけさせるようなVIPが目の前のセダンに乗っていると思うと、気軽な取材と思ってついて来た自分を呪いたくなった。

 

 

「ナイアル先輩、良かったんですか?」

 

「何がだ?」

 

「いや、その、空の魔女殿と同行だなんて」

 

「何言ってやがる、これはチャンスだろうが。猫の話題なんざ一時的なもんだが、あのお嬢さんとのコネは何十年と価値がでる。ここで機嫌を損ねるよりも、顔を繋ぐのが正解だ」

 

「はぁ…」

 

 

助手席でタバコを吸う先輩記者を横目に溜息をつく。ナイアル・バーンズ先輩は口も目付きも悪い男だが、記者としての勘は中々のもので、今ではウチのエースと言ってもいいほどの男だ。

 

こうした行動力と判断力がそういった評価を下すに至るスクープを生んできたのだろうが、たまに危ない橋を渡る事になるので同行するときはハラハラさせられることも多い。

 

まあ、楽しいのだけれども。

 

 

「9年だ。たった9年であのお嬢さんはこの国を変えちまった。他でもない、今ですら15にも満たない小娘がだ。異常っていうレベルの話じゃねぇ」

 

「まあ、確かにそうですが」

 

「これが良い方向かどうかなんてのは先の歴史家が判断することだが、この国の変化はもう止めようもねぇんだ。なら、そいつを引っ張ってるあのお嬢さんを見ずして、何がマスコミだって話だろう?」

 

「下手な事は書かないで下さいよ」

 

「わあってる。俺だってまだ死にたくはねぇさ」

 

 

相手は英雄だ。14歳の少女ではあるが、この国を帝国の侵略から守ったヒロインとして、民衆からの人気は絶大だ。加えて女王や政府、軍に深い繋がりを持っている大物でもある。

 

しかも、見栄えが良い。衆目に耐えうるほどに十分に可愛らしく、将来を感じさせる程に美しい。これで人気が出ないはずもなく、それは王族や人気歌手も真っ青なほど。

 

そんな彼女を新聞記者といったマスコミ関係者が放っておくはずもないのだが、いかんせん、王国軍情報部が彼女の情報について厳しい圧力をかけてくるので、下手な王族よりも扱いにくい。

 

手軽に扱うには彼女は機密情報の塊過ぎて下手に手を出せば火傷してしまうのだ。航空機関連や導力演算器関連だけでも、本当に10代の少女なのかと疑う程に発明と特許を有している。

 

さらに、最近では暗殺騒ぎがあったばかりで、彼女の周囲では常に軍が目を光らせている有様だ。あの時の情報部のピリピリとした空気は今でも思い出せる。

 

そして何より、政府や軍は彼女の英雄としてのイメージを維持する、あるいは盛り立てようとする方向に力を注いでいる。

 

美貌と才能を兼ね備え、それを国家のために捧げるヒロイン像は彼らにとって都合が良く、よって彼らは国民の規範としてこのイメージを利用している。

 

だから、このイメージを汚すような記事には圧力がかかる。株主やスポンサーからの声を上の方々は中々無視できない。

 

流石に出版物の検閲は法律上の制約を受けており、その制約も諸外国の中では緩い方に入る。法律上において規定された事項以外の理由での検閲が禁止されているのだ。

 

例えば王族に対する誹謗中傷、個人情報保護に抵触するもの、国家の機密情報に指定されたものは制約を受ける。だが、国政に関する意見を紙面に載せる事にはほとんど規制がかからない。

 

エレボニア帝国などでは身分違いの恋なんてものをテーマに扱うだけで検閲が入るそうだから、政府や官僚への批判が堂々とできるこの国のメディアは恵まれているともいえた。

 

しかし、それでも政府や軍は先に述べたようなスポンサーなどを介した形で隠然とした影響力をメディアに行使できる。

 

特に軍情報部はスポンサーや株主たち、あるいは彼らに影響力を持つ議員らの、もしくはその身内の醜聞や弱みを握っているらしく、軍情報部からの干渉と思われる事は自分も何度か見たことがある。

 

この辺りは大きくカルバード共和国とは違うかもしれない。まあ、あの国も色々とあるので一概には言えない。

 

例えば政権上層の某教団関連の大規模な醜聞をすっぱ抜こうとした記者が、次の朝には川に浮いて流れていたという話は有名だ。

 

教団が各国の軍と遊撃士らによって一掃された後の話だっただけに、どう考えても共和国上層部がまっ黒なのだが事件は未だ解決していない。

 

話は逸れたが、エレボニア帝国のように露骨な干渉が無いため普段は意識することはないが、そもそもの話として、この国の王権は議会よりも強く、故にこの国で国権が民権を上回ることは当然なのだ。

 

今のようにウチの会社が自由に動けるのは、歴代の国王たちが開明的であらせられたからだ。だいいち、8年前の戦役の事を考えれば、記者の活動がもっと妨げられていてもおかしくはない。

 

負けていればエレボニア帝国のようにもっと露骨な干渉と検閲がなされていただろうし、今回のように勝っていても王が凡庸であったなら軍の権勢が増していたはずだ。

 

そうなればマスコミが軍からの干渉を受けざるを得ず、軍や政府に批判的な記事は一切紙面に載せることは出来なかっただろう。

 

 

「あのお嬢さんを持ち上げる形を維持しておけば、軍からの横槍は入らねぇさ。そもそも今回の件であのお嬢さんを批判する意味はねぇからな」

 

「頼みますよ。そういえば、彼女の後ろにいた二人の女の子なんですが、誰ですかね?」

 

「一人はラッセル博士の孫娘らしい。もう一人は知らんが、ティオ・プラトーっつー名前だそうだ」

 

「ラッセル博士の…ですか。可愛らしい女の子ですね」

 

「噂には聞いたことがある。何でも大層な頭の出来だそうだ。ラッセル家といいブライト家といい、この国は人材に恵まれてやがる」

 

「いい事じゃないですか」

 

「個人とか一つの家に才能が集まるのは後々厄介になるぞ。今はまだ本人たちが有能だからいいが、年取って保身に走り始めたら老害に早変わりだ。そうでなくても権威主義者の温床になるしな」

 

「そういうのは本人の前では言わないでくださいね」

 

「わーってるって」

 

 

ナイアル先輩はうっとうしそうに肩をすくめてそう返事をする。まあ、口が悪いが分別はある男なので大丈夫だろうとは思うが。

 

 

「それにしても、このカードのメッセージは何を指し示すんでしょうね?」

 

「西の海辺はアゼリア湾沿岸を指してるんだろうな。サイクロプスはあれだ、一つ目の巨人だが、それ以上はな。お嬢さんは分かったみたいだが」

 

「しかし、彼女も太っ腹ですね。メッセージの内容をラジオで報道することを許すなんて」

 

「言ってただろう? 元々ZCFは猫を宇宙船に乗せるような計画はなかったんだ。だから、ZCFはこの騒動がどう転ぼうが大した影響は無いと見てんだよ。後はあれだ。あのお嬢さんはこれが劇場型犯罪ってのを理解してるんだろう」

 

「劇場型…、つまり我々マスコミの動きも怪盗Bの手の平ってことですか」

 

「ああ。最初からマスコミがメッセージを報道するように仕込んでたようだしな。ウチが報道しなくても、《主催者》が手を回す可能性が高かったんだろう。それで、隠してると猫が返ってこなくなるぞとかな」

 

 

 

 

「なるほど。つまり、この騒動自体が陽動である可能性があるわけですね」

 

「はい。この件で多くの人間がマスコミに踊らされて動くはずです。それに紛れて何らかの目的を果たすつもりなのかもしれません」

 

「はぇ~~」

 

「なんというか、面倒くさいですね」

 

 

シニさんの運転する車に乗り、一路ルーアン地方へ。高速道路はルーアンまで伸びており、ボースからルーアンまでの物流の動脈を形成している。

 

移動速度自体は飛行船に敵わない部分もあるが、コスト自体は導力車物流の方が安価だ。特にリベールのような狭い国土では、飛行船の有利さは高速道路が貫通した時点で低くなっている。

 

それでも徒歩での移動を主とする人々にとっては、いまだ飛行船の便利さは失われていない。長距離ならば飛行機に速度で負けるが、快適さならば飛行機を凌駕している。

 

さて、今回の事件だが、怪盗Bの目的は何なのだろうかという推理大会を後部座席で繰り広げていた。ティオは表向き面倒くさそうにしているが、頭の中では色々と考えているのだろう。

 

 

「本当の目的っていったいなんなんだろう?」

 

「いや、ティータ、陽動かどうかはまだ決まってないんですが。でもそうですね。こういう場合は人混みを利用するのが常ですから。警備を混乱させると言う意味では、何枚目かのカードのメッセージが指し示すどこかで事を起こすのではないですか?」

 

 

木を隠すなら森の中。人間を隠すなら群衆の中が一番いい。捜索者は容易に相手を見失うが、逃げる側は容易に捜索者を見つけ出すことが出来る。

 

逃げる側は単純に潜めばいいだけだが、捜索者は群衆をかき分けながら、群衆に注意を向けなければならない。捜索者はそれだけで目立ってしまうのだ。

 

と、ここで試作型の携帯型導力通信機の呼び出し音。

 

 

「こちらエステル・ブライト。感度は規定範囲内ですね。ええ、見つかりましたか。とりあえず泳がせておきましょう。どちらにせよ想定範囲内ですし無理は禁物です。え、ああ、大丈夫ですよ危険はありませんから。では…」

 

「誰からですか?」

 

「軍です。まあ、仕事ということで」

 

「お姉ちゃん、何が見つかったの?」

 

「ふふ、秘密です」

 

「しかし、これだけの小型通信端末はエプスタインでも実用化されていないのでは?」

 

「試作はされていると思いますよ。第五世代戦術オーブメントの標準的な機能になるはずですから。来年ぐらいにはZCFでもプロトタイプの運用を開始しますし」

 

「第五世代かぁ。私も欲しいな」

 

「ん、難しいと思いますよ。初期不良を見つけていく必要がありますから」

 

「そっかぁ」

 

 

残念そうなティータ。ZCFが独自に開発した第五世代戦術オーブメント《ソルシエール》は順当にいけば1202年の秋頃には先行量産型が世に出ることとなる。

 

その目玉の1つは携帯型導力通信端末であり、通話だけでなくメールや画像・動画の遣り取りまでもを可能とする。

 

カメラ、ディスプレイ、マイクとスピーカーなどの小型化はZCFのお家芸と言ってもいい。集積回路の発展は大型導力演算器を指の上に乗るサイズにまで縮小することに成功している。

 

これはXの世界の携帯電話に限りなく近いもので、導力波の中継のための基地局を必要とすることも同様だが、リベール王国はそれほど大きくはないので手間ではない。

 

戦術オーブメントの機能をオミットした単純な導力通信端末としても販売予定であり、ビジネスやコミュニケーションを大きく変貌させる可能性を孕んでいる。

 

もう一つの機能が導力魔法に関するものだ。導力演算器の能力を活用し、一つの導力魔法を複数の戦術オーブメントによって並列処理しようというものだ。

 

これにより単独の戦術オーブメントでは実現不可能だった、複雑な現象を制御できるのではないかと考えられている。

 

これを《融合導力魔法(ユニゾン・アーツ)》と名付けているが、今のところ繊細すぎるオーブメント同士の同調にいくつかの問題が生じている。

 

外部からのあらゆる導力波や導力魔法による干渉がシャットアウトされた空間ならば、《ユニゾン・アーツ》は成功している。

 

つまり、そうでなければ成功率は目も当てられないほどに下がってしまうのだけれど。

 

ある素材を用いればこれらの問題は解決するのだが、その素材が貴重というか、高価というか、意味不明というか、機密の塊というか、とにかく難物過ぎて目下検討中。

 

このため、この機能が実装されるかは今のところ不透明だ。

 

 

「ところでエステルお姉ちゃん、このメッセージなんですけど…」

 

「海辺で見守るべき旅人は船です。船を見守る一つ目巨人といえば…」

 

「そっか、灯台だねっ」

 

「そして、翁が寄り添うですか」

 

「灯台守が老人なんでしょう。とはいえ、今ではほとんどの灯台が無人化されているんですがね」

 

「そうなんだ」

 

「では、探す数も限られてくると言う事ですか」

 

「ええ。ルーアンの市庁舎にその手の台帳があるはずですから、簡単に分かるはずです」

 

 

灯台の管理は運輸通信省の所管になるのだが、実際の管理は市役所内の国の出先機関が行っているはずだ。

 

そういう訳で私たちはルーアン市の市庁舎を目指す。

 

風光明媚で知られるルーアン地方は、カルデア丘陵を挟んで東に接するツァイスからトンネルを抜けた先にある。

 

リベール王国の西部をその行政区域とするルーアンは、アゼリア湾に沿うように∩の字を描いた様な形をしている。

 

北部にはクローネ山脈によってボース地方と接し、東にはエアレッテンを境にカルデア丘陵を挟んでツァイス地方と接する。西は外海と接し、帝国との主要航路が存在する。

 

∩の字の内側となるアゼリア湾は、見事な砂浜が広がる美しい浜辺があり、メーヴェ海道が湾に沿う。西の外海との海岸には岩壁と青い海のコントラストが素晴らしいマノリア間道がクローネ峠へと伸びる。

 

ツァイスからのカルデア隧道から北西へと伸びるアイナ街道とメーヴェ海道の接続点、ヴァレリア湖から西にアゼリア湾へとそそぐルビーヌ川の河口にルーアン市が存在する。

 

東から西へと流れるルビーヌ川の両岸にまたがる形でルーアン市は存在し、北部と南部に分かたれたこの都市は、かの有名な導力式跳ね橋《ラングランド大橋》によって渡されている。

 

北部《北街区》と南部《南街区》に分けられたルーアンは、古くから主に北街区に民家や商店、教会などの施設が集中し、南街区に港湾施設や上流階級の住居が存在するというように役割が分かれていた。

 

それは現在にまで引き継がれ、北側には歴史的な建物が、南部には更新の速い産業施設が集中することとなり、市政や街並みにもその影響が色濃く表れている。

 

つまり、港湾施設と高速道路の接続がなされている南街区は開発が急速に進み、今では高層建築が幾つも立ち並ぶ近代都市が形成されている。

 

対して北側は古都の景観を維持するために、建築物の高さ制限や外観に対する規制が厳しく設定されており、歴史ある白く優美な景観を残していた。

 

 

「橋を挟んで、随分と街並みが違いますね」

 

「でも、南側はビルが多いけど、素敵な形の建物もたくさんあるよ」

 

「ルーアン市の市長の方針のようですね。ルーアンを観光都市として発展させようとしているみたいです」

 

 

元々このルーアン地方の市長であるモーリス・ダルモアは観光産業に力を入れようと考えていたようだが、対して王国側はツァイスの急速な工業的発展による港湾施設の要求から港湾施設の拡大を望んだ。

 

このため、南側は国の資金投入による大規模なウォーターフロントとしての開発が行なわれ、市長の意向を酌んだうえで観光産業への影響を考慮して、出来うる限り優美な街並みを維持した形での開発が行なわれた。

 

 

「映画の街っていうイメージが強いけどね」

 

「あの風景は映画館で見た事がありますね」

 

「風景が綺麗ですから、映画のロケにもよく使われるみたいですね」

 

 

北側は古い町並みを生かした時代劇などが、南側ではアーバンライフと現代的な恋愛や活劇を描く絵が撮れる。

 

なので、映画ファンたちがそういった映画のシーンの風景を求めて観光がてらに集まってくるらしい。映画産業は私が半ば主導した部分はあるが、今ではすっかりこの街の主要産業となっていた。

 

シニさんの運転で車が市庁舎へと入っていく。かつては市長の私邸であるダルモア邸が市庁舎として使われていたが、業務量の増大のせいでここでも専用の市庁舎が立てられることになった。

 

市庁舎はちょっとした宮殿のような佇まいで、エルベ離宮によく似た佇まいをしている。シンメトリーに作られた豪華な景観。中庭には噴水公園が作られていて、市民の憩いの場として解放されている。

 

よく手入れされた植樹と、中世期を彷彿とさせる大理石を用いた彫像や銅像。敷き詰められているのは質のいいタイルで、幾何学模様を模した柄を作り出している。

 

ルーアンに投下された復興資金と開発補助金の多くが港湾施設や道路などのインフラに費やされたが、こういった市庁舎にもかなり用いられたらしい。

 

まあ、確かに行政を円滑に進めるには十分な規模と設備のある市庁舎が必要になるし、観光都市としての側面を重要視するルーアンにとって市庁舎の外観を見栄え良くするのは必要だったのだろう。

 

市庁舎に車を近づけると、上級と思われる職員たちが一列に並んで出迎えをしていて、奥にはダルモア市長が笑顔で会釈をしてきた。

 

なんというか、仰々しい。

 

 

「ようこそルーアンへ、エステル・ブライト博士」

 

「お久しぶりですダルモア市長。直接出迎えていただかなくても良かったのに」

 

「いえいえ、貴女が来るとなれば、いてもたってもいられませんから」

 

 

秘書と思われる爽やかな?笑みを張り付けた青年が車のドアを開け、促されるままに車を降りてそのまま市長と握手。ダルモア市長は柔和な笑顔で私を迎える。

 

モーリス・ダルモアという人物は、かつては侯爵という地位にあった大貴族であり、90年前の貴族制廃止に伴いその身分を失ったものの、今では地元の名士としての立場を得ている。

 

かつてより有していた資産は莫大であり、例えば南街区に有するダルモア氏の邸宅は、かつてはその一部を市庁舎として機能させていたほどで、その規模も中々のものらしい。

 

 

「怪盗Bが現れたとか」

 

「ええ。とはいえ、盗まれたのは猫一匹です。私が動いているのも、どちらかと言えば個人的な我がままみたいなものです」

 

「いえいえ、ZCFの威光に泥を塗りかねない案件と聞き及んでいます。今やZCFはリベール王国の顔とでもいうべき存在、簡単に傷をつけて良い評判ではありますまい」

 

「そう言っていただけると幸いです」

 

「はは。ここで立ち話と言うのもなんです。応接室へ案内しましょう」

 

 

そうしてそのまま市長に案内される形で私たちは庁舎の中に入った。

 

 

 

 

「立派なところだったね」

 

「どれだけミラをかけたんでしょうか?」

 

「必要経費として認められたみたいですけどね」

 

 

必要な情報を得て、私たちは一路マノリア方面へと向かう。市庁舎でティータはツァイスではあまり目にしない貴族趣味の建物にあっけにとられていたようだ。

 

庁舎内はダルモア氏の好みを反映して貴族趣味で統一されていて、床や壁面、階段は大理石で飾られ、赤絨毯が敷かれ、シャンデリアや磁器の壺のような高級感を醸し出す調度品が置かれていた。

 

2階の応接間も案の定、草木をイメージした模様をあしらう高価な壁紙、大きなソファや重厚な木製のテーブルなどが置かれた豪奢な部屋となっていた。

 

観光都市として、『彼らの心の中にある』古き良き時代のリベール王国の姿を再現しようとする市長の理想像だろう。まあ、観光資源としては《有り》と判断されて助成金が下りている。

 

まあ、その時代における大変な無駄遣いが後世において観光資源となり、善政を敷いた統治者よりも有名になることは良くある。

 

 

「それはそうとして、次はバレンヌ灯台ですか」

 

「古い導力式灯台なんだよね」

 

「旧式の装置がいまだ現役なんだそうですよ。改築しようという話もあるみたいなんですけどね」

 

「ほとんどの灯台は自動化されていると聞きましたが?」

 

「導力通信と演算器を組み合わせて、市庁舎の管理センターで制御しているんです。保守管理に常に人を置いておく必要もありませんから」

 

 

しかしながら、バレンヌ灯台では灯台守が現役で、本人がいまだ意欲があることと、新たに装置などを入れて改修するよりも今のまま維持した方が安上がりだったことが現状維持となった理由だそうだ。

 

とはいえ、灯台守の男性は高齢で、いつかは改修工事を行う必要がある。まあ、古い機械はそれはそれで産業遺産として保存しても良いかも知れないが。

 

さて、ルーアン市からは高速道路が伸びていないので、メーヴェ海道を行くことになる。とはいえ、装甲車両の迅速な展開のために道は舗装されており、振動は少ない。

 

特にルーアンからマノリア村までの道程には集落や漁港、別荘地が点在しており、これらを結ぶためにバスが運行しているので、この海道の舗装は重要だったとの事。

 

マノリア村は見事な白い花を咲かせるマグノリアと呼ばれる木蓮が有名で、花の季節になればツァイスからも多くの観光客が訪れ、バスを利用するらしい。

 

潮騒と海の香りが素敵な、のどかな佇まいのマノリア村を抜けてさらに西へ、外海を望むマノリア間道へと車は進む。

 

外海はアゼリア湾とは趣が違い、少しばかり荒々しく、白波が岩壁に打ち付け岩を洗う光景は世界の果てを想起させて中々に美しい。

 

マノリア間道を南に、アゼリア湾と外界を隔てる半島は先細る岬だ。しばらく進むと灯台が遠くに現れた。バネンヌ灯台。岬の端にてリベールとエレボニアを結ぶ航路を見守るランドマークだ。

 

石造りの重厚な塔は近世リベール王国の建築様式を受け継ぎ、絶海の海と空の境界にそびえる苔むした姿は堂々として見栄えが良い。観光するために足をのばす価値はあるだろう。

 

だが、何やらここにも人だかりが出来ている。まあ、メッセージはラジオ放送されていたし、老人が住む灯台と暗号が分かれば、ここだと地元の人々は頭に思い浮かぶのだろう。

 

灯台の前の扉で老人が大きな声で怒鳴りちらしている。

 

 

「かーっ! おぬし等さっさと何処かへいかんか! 灯台は遊び場ではないんじゃぞ!!」

 

「いいじゃないか、ちょっと見せてもらうぐらい」

 

「アントワーヌちゃんの命がかかってるんですっ」

 

 

老人を取り囲む10人近くの老若男女、老人はおそらく灯台守のフォクトさんだろう。そして周りの有象無象はラジオで伝えられたメッセージを解いた人たちに違いない。

 

 

「どうしますかエステルさん?」

 

「話を聞かないとどうにもですね」

 

 

私達は車を降りて扉の前へ。すると群衆の中の私の顔を知る数人が、私を指さして名前を呼ぶ。人に指さすのはどうかと思います正直。

 

 

「おぬしらは…」

 

「こんにちはフォクトさん。私はエステル・ブライトです」

 

「ほう、おぬしが…」

 

 

名前が売れると言うのも、たまには役に立つ。フォクト老人は話を聞いてくれる感じとなり、私はいくつかの誇張を交えて事情を説明する。

 

まあ、ZCFの事情だとか、これを放置しておくとさらに野次馬が増えていくとかそんな話である。

 

そうして灯台に入る事を許可してくれた彼に先導されて、私たちは灯台を登る事となった。

 

 

「そう、あれは20年ほど前の話じゃった。わしがまだ漁師をしていた頃の話じゃ」

 

「はぁ」

 

「灯台っちゅうのは、海の男にとっては最後の命綱でな。わしも嵐の海で何度も命を救われたもんじゃ」

 

「はぁ」

 

 

途中でどういう訳かフォクト老人の身の上話が始まり、収拾がつかなくなり、私はティータとティオに助けを求める視線を向けるも、彼女ら二人は苦笑いするだけ。酷い。

 

仕方がないので、カード探しはこの二人とメイユイさん、そしてリベール通信の人達に任せる事にする。シニさんは下で車の番。

 

 

「スクアロの奴が作る海鮮おじやは最高でな。おぬしも一度食べに行くといい」

 

「はぁ」

 

「料理には酒がつきものじゃが、わしはアゼリア・ロゼに目がなくての。辛口アンチョビと一緒にやるのがなんともいえん」

 

「はぁ」

 

「そう、あれは10年以上も前の話じゃが…」

 

「はぁ」

 

 

いつ終わるともしれない長話。次々と脱線していく取り留めもない話題。私の魂はエクトプラズムとなって口からもれだそうとしていた。

 

そんな時、

 

 

「はわっ!?」

 

「ああっ!?」

 

 

二人の幼女の悲鳴が。何かトラブルかと私は跳ねるように飛び上がり、光源とレンズへと続く外のバルコニーへと飛び出した。

 

 

「どうかしましたか!?」

 

「あ、あの、カードが下に落ちちゃって…」

 

「はぁ…」

 

 

安心して溜息を吐く。誰かが下に落下したのかと思ったが、誰も怪我などはしていないようだ。メイユイさんが不手際に謝ってくるが、まあ、誰にでも失敗はあるし、致命的なものでもない。

 

 

「海には?」

 

「いえ、陸の方です」

 

 

なら安心ということで、フォクト老人に別れを告げてカードを探しに灯台を降りる。誰かに拾われたかもしれないと、人手を分けて探そうとすると、

 

 

「は? 男の子が持っていった?」

 

「帽子を被った、5、6歳ぐらいの男の子だったかなぁ?」

 

 

再びハプニングである。どうやら下に落ちたカードの入った封筒を、赤毛の帽子を被った幼い男の子が持って行ってしまったらしい。

 

 

「どこの男の子でしょうね…?」

 

「あの、エステルさん」

 

「ティオ?」

 

「私なら、分かると思います」

 

 

ティオが私を見上げる。無表情に見えても、どこか意志のようなものを見せる彼女。おそらく、彼女の植え付けられた能力を用いるのだろう。

 

 

「いいんですか?」

 

「はい」

 

 

私の確認に、水色がかった色素の薄い髪の色の少女はコクリと控えめに頷いた。

 

 

 






名前は出ていませんがギルバート初登場。まあ、綺麗なギルバートなんて出しても面白くないですが。

035話でした。

なんとなくリベール王国の面積を計算してみた。以前に香港とか札幌市程度ではないかという計算をしたけれども、今回はより詳細に。

距離の目安としてツァイス―エルモ温泉間の距離を採用。
ツァイスより東に165セルジュ、南に228セルジュという記述より、公式地図の縮尺を計算。取り尽くし法により面積を計算した。

結果は≪27,000平方キロメートル≫ほど。これはイタリアのシチリア島やアフリカのルワンダよりも少し大きいという結果になる。

ただし、ヴェルテ橋―ボース間420セルジュを基準とすると6万km^2を超えたり、ロレント―ヴェルテ橋間172セルジュを基準とすると1万km^2程度になったりと公式の地図自体が微妙に信用ならない。

どうでもいいけど、ロレント―ボース間592セルジュ、つまり60kmをエステルとヨシュア、シェラザードは半日で踏破している。

魔獣をぶちのめしながら、関所での手続きもやって半日。明るいうちに到着。その日の内に市長と会談…。8時間と考えれば…、あいつらフルマラソンでもしてるのだろうか?

さすが遊撃士は鍛え方が違うでぇ。


036話の投稿は22日金曜日の予定です。


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