【凍結中】その一握の気の迷いが、邪なものを生んだ(旧版)   作:矢柄

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鬱注意。


006

 

 

またあの音がする。甲高いサイレンのような、空からアイツが来る音だ。

 

 

「来るっ、伏せろ!」

 

「嫌だ…、嫌だぁぁぁ!!」

 

「馬鹿っ、塹壕から出るな!!」

 

 

王国軍の急降下爆撃機が目の前まで現れた。そうして爆弾を落としていく。特大の奴だ。障害物が無ければ半径百アージュにいる人間が殺傷されて動けなくなる。

 

塹壕を飛び出した奴はダメだな。そう思っている内に、そいつが俺たちの籠っている塹壕に―

 

 

 

 

 

「う…あ」

 

 

気絶していたようだ。周りの土砂が掘り返されて、俺たちは皆地面に這いつくばって横たわっている。おかしい。音が聞こえない。耳鳴りだけがやけにうるさい。

 

周囲を見渡してみれば何やら口を開けて苦悶の表情を浮かべる戦友たちがいた。俺は彼らに必死に大丈夫かと話しかけるが、彼らの声は全く聞こえない。

 

 

「大丈夫かっ? 今止血する!」

 

「ああっ、足が…足がぁぁぁ!!」

 

「俺の腕は何処だ? 腕…、腕…、おいっ! そいつは俺の腕だ!!」

 

「ママぁ!!」

 

「ひははははっ、死ぬんだっ。俺たちは死ぬんだっ」

 

「衛生兵! 衛生兵はどこだ!?」

 

 

血なまぐさい臭い。硝煙と血と鉄と泥の入り混じったクソのような臭いが充満している。見渡せば多くの者が体の一部を、あるいは半分を、頭を失って倒れている。

 

最悪だ。最悪だ。簡単な戦争のはずだったのに、どうしてこうなったのか?

 

ふと気づけば視界が暗くなってきた。あれおかしい。何が起きたのか? とにかく頭が割れるように痛くて、そして、そして?

 

あれ? かんがえがうまくまとまらない。おかしいにゃ。ふぁれ? ひゃれかたしゅけて。ああ、ああ、ひかりがにゃくなってゆく。

 

 

 

 

「高射砲旅団は何をしている!?」

 

「先ほどの攻撃で全滅しました。もはや我が軍には…」

 

「くそっ、上はどういうつもりだ!?」

 

 

彼は現在、王国との国境を守る軍。最前線の軍の総司令官だ。かの《鉄騎隊》にその身をおいた騎士を祖とする名家に生まれた彼だが、こうした重要な地位を得るのはもう少し先のはずだった。

 

今、不幸にも彼にそのお鉢が回ってきたのは、一週間前に前任者が解任されたからだ。これで5回は司令官が変わった数字になる。

 

前線は酷い状態だった。彼がぼやくのは高射砲についてであるが、これは初期型であるため仕方がない。彼には多くの悩みがある。

 

戦車が無い。兵が無い。弾が、食料が足りない。士気が落ちている。しかしその多くはここに来る前から分かり切っていたことなので、その事をいまさらどうこう言っても仕方が無かった。

 

 

「高射砲は役立たずだ! 数が足りない、弾が足りない、質が足りない、兵の錬度が足りない!」

 

「多くは領邦軍によって確保されているようですから」

 

 

リベール王国軍の爆撃は帝国全土に及んでいた。当然、有力な貴族たちの領地にある有力な工場や重要な橋にも爆弾は毎日落とされていた。

 

それ故に、帝国各地で高射砲の奪い合いが始まっていた。このため、前線に届く高射砲は供給される量より破壊される量の方が上回っていた。

 

その他の兵器もそうだ。侵攻軍が擁していた戦車はそのほとんどが破壊されたか鹵獲された。新しい戦車も供給されるが数が圧倒的に足りなかった。

 

それは重要な鉄道や橋が爆撃により寸断されたこと、大規模な工場や港、鉱山や基地が破壊されたからだった。

 

後方が目も当てられないなら、前線は目を覆うばかりだった。前線の指揮系統はもはやズタズタだ。

 

質の良いベテランの将兵の多くは既に土の中か、捕虜になっているか。あるいは病院に送り込まれていた。将兵は補充されてから、片っ端から死ぬか、怪我で後方に輸送された。

 

しかし逆に王国軍の錬度は高まっていた。士気も高く、統率がとれて、武装の質は圧倒的で、そして何よりも用兵が見事だった。

 

まるで全てが見透かされているかのように、自分たちの行動が全て裏目に出た。それはカシウス・ブライトという男の采配だったが、彼らにそれを知る由は無かった。

 

 

「このままでは負けるぞ! 我々が負けたら…」

 

「司令官! 王国軍の機甲部隊が現れました!」

 

「数は?」

 

「およそ100。武装飛空艇も10隻ほど伴っています!」

 

「司令官! 爆撃機が数百の規模でっ!」

 

「このままでは右翼が崩壊します!!」

 

「ああ…、私も解任されるようだな」

 

 

この日、国境に追い詰められた帝国侵攻軍が崩壊した。王国軍はそのまま帝国領内に侵入し、帝国への逆侵攻を行うための橋頭堡を築いた。

 

 

 

 

 

 

父が発案し計画した反攻作戦は、その芸術的ともいえる策謀によって成功を収めた。リベール国内の帝国軍はなす術もないまま壊滅した。

 

その原動力は怒りだったという。僅か半分にも満たないリベール王国軍の猛攻により、ボースとロレントの大地は帝国軍将兵の血で真っ赤に染まったと言われている。

 

特に軍用飛行艇の攻撃力は目を見張るものがあり、急降下爆撃機と共に多くの帝国軍将兵を屠った。帝国軍は将兵の命を直接刈り取る空爆の恐怖を自らの血を対価に学んだ。

 

わずか2か月ではまともな対空兵器の開発もままならず、迎撃手段が敵方にない以上、航空攻撃は最大効率で運用され続けた。

 

それは退却する敵に対しても執拗に行われ、帝国軍のおおよそほとんどの部隊が半壊に陥った。しかし、死んだ者は幸福な方だった。

 

多くのものが手足を失い深い障害を負った。そして、精神を病んだ者も多くいた。戦争神経症と呼ばれる精神の病の大きな原因はアベイユの急降下爆撃時に発する独特の風切り音だという。

 

そうして王国軍は反撃に移っている。帝国軍が踏み越えたハーケン門を逆に踏破し、帝国領内に足場を作ったのだ。

 

損耗の比率は圧倒的にこちらが有利で、王国軍の航空優勢は帝国軍の反撃も防御も完全に挫いていた。王国の民衆は今、逆襲をせよと復讐をせよと声高々に叫んでいる。

 

 

「戦争はまだ終わらないよ、お母さん」

 

 

墓石が立っていた。母の死に顔も見られなかった。ロレントは帝国軍によって略奪を受けたのだ。城壁を崩し、兵士が雪崩れ込んで、ロレントを凌辱した。

 

帝国軍は狂気に飲まれたかのように残虐だったという。それはモラルが高いと言われる黄金の軍馬の兵士とは思えない所業だった。

 

後に知ることになるが、一連の帝国軍の残虐な行為は航空爆撃を受け続けたことによる一種の戦争神経症が原因らしい。

 

過度のストレスにさらされたことで、規律の優れた帝国軍はモラルハザードをおこしていたのだ。その残虐な行為は目を覆うばかりだった。

 

時計塔は破壊され、家屋には火を付けられ、逃げ遅れた男は殺され、女は死ぬまで犯された。妊婦や10に満たない女児までもが強姦の対象となったという。

 

母もそういった手合いに襲われたそうだ。そのあまりにも酷い死体の状態に、とてもじゃないが子供の私には見せられなかったのだという。

 

空虚な気持ちが私の心を支配する。涙も出ない。母の残滓はどこにもなく、まるで遠い世界のよう。家は焼け落ちて何も残ってやしない。

 

ロレントで無事だった場所はどこにもない。七耀教会すらも破壊と略奪の対象となった。あまりにも酷い惨状に、まるで別世界に来たような感覚。

 

そういえば、お母さんのお腹の子供も死んでしまった。私の家族になるはずだった、私の弟か妹になるはずだった大切な命も奪われてしまった。

 

楽しみにしていたのに。可愛がってあげよう、たくさん遊ぼうと色々と考えていたのに。それも何かひどくむなしい。とても空虚な気分。

 

 

「エリッサ、ねぇエリッサ、エステルが来てくれたわよ。仇をとってくれたのよ」

 

「……ぁ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…」

 

「ねぇ、エリッサぁ、しっかりしてよぉ!」

 

 

近くの墓石にエリッサとティオとティオの両親がいた。エリッサの目には光が宿っていなかった。殺されたのだ。両親を殺された。

 

あんなに賑わっていた居酒屋アーベントは瓦礫の山になっていて、何も残ってやいなかった。彼女だけ生き残ったのだ。彼女の目の前で彼女の大切な人が死んだのだ。

 

そんな現実にエリッサの心は耐えきれなかった。エリッサはごめんなさいとうわ言のように繰り返すだけで、ティオの声も届かなかった。

 

ティオは泣きながらエリッサに話しかける。ティオの両親はそのいたましさに目を背けてしまっている。

 

 

これが、戦争か。

 

 

ふと笑いがこみあげてきた。馬鹿らしい。なんて愚か。なんて無様。私は何も分かっていなかった。何一つ分かってなんかいなかったのだ。

 

人殺しをする道具を作って、調子に乗って、おだてられて喜んでいた。なんて救いようのない、醜い生き物だろう。こんなんじゃ、お母さんに何て言えばいいんだろう。

 

エリッサの姿が虚しさと空虚な気持ちに拍車をかける。あまりにも全てが酷過ぎて、あまりにも何も残っていなくて、あまりにも多くが壊され過ぎて、それなに私には怒りすら湧いてこない。

 

憎しみも憤怒もなく、ただただ、全てが霞がかったよう。止めよう。今は正しいことをしよう。前も後ろも分からないけど、進まねば。

 

私はエリッサの前に行く。正しいことが何か分からない。これはどういう感情なのか。自分よりも不幸な人間を見て安心したいのか。

 

分からない。心が良くない方向に傾こうとしている。でも、放っておけない。そうだ、エリッサは友達だから。

 

 

「ねぇ、ティオ。エリッサのことは私に任せてもらえませんか?」

 

「エステル? 貴女は平気なの? レナさん、死んじゃったのに」

 

「実感が湧かないんです。でも、少しはエリッサのことも分かります。エリッサはお休みが必要なんです。七耀教会の神父様にお話を聞いてもらって、ちゃんとご飯を食べて、よく眠って、心を休ませてあげないといけません」

 

「うん」

 

「王都の難民キャンプでは心が休まらないはずです。ツァイスには知り合いが沢山いますし、私のベッドで一緒に眠ることが出来ます。きっとその方が気も休まると思います」

 

 

ティオは両親を見上げた。パーゼル農園は完全に破壊されてしまって、彼らに帰る場所は残っていない。農園を再興するにしても、ティオのお父さんも徴兵されていて今すぐには無理だ。

 

彼らは王都や各地のキャンプに収容され、働ける者は工場に行くことになる。ティオのお母さんも同じだろう。彼らにエリッサの面倒をみる余裕は無いはずだ。

 

ティオの両親は頷いて、私にエリッサを任せるようにとティオに告げる。その表情はどこか罪悪感に満ちていたが、私は気にしないで下さいと彼らに断りを入れる。

 

誰もが苦しいのだ。だから、少しだけ余裕がある私が背負うのは当然の事。

 

 

「エリッサ、大丈夫です。私がエリッサを守ってあげます」

 

 

私はエリッサを抱きしめる。こういう場合、抱きしめるなどの身近な人間の温もりが大切なのだと<知識>は語る。

 

私はそれに従順に従ってエリッサの頭を撫でる。これが、私自身の心の安定を得るための行為だったことを知るのはもう少し後の事だ。

 

 

 

 

「エステル、大丈夫か?」

 

「あ、お父さ…大佐。お疲れ様です」

 

「父さんでいい。それよりもお前の事だ。酷い顔をしている。ちゃんと休んでいるのか?」

 

「はい、大丈夫です」

 

「そうか。既に戦争の行方は定まっている。もう、お前が頑張らなくてもいいんだぞ」

 

 

戦況はリベール王国に有利に傾いていた。設計された四発の爆撃機トルナードは帝国各地の要所を爆撃していた。王国内で殺すべき敵を失ったアベイユも積極的に国境をまたいで帝国南部地域を爆撃する。

 

帝国は高射砲や戦闘用飛行船を展開するものの、前時代的で不完全なそれらは戦闘機フォコンのロケット弾の餌食となっていた。

 

この頃のラインフォルト製の高射砲にはタイマーも近接信管もついておらず、ただ砲弾を打ち上げるだけのものでしかなかった。

 

それ故に命中率は非常に低く、高速で動き回る飛行機を捉えることなどできなかったのだ。それ故、戦争が始まってから半年、リベール王国の飛行機は帝国領を荒らしまわった。

 

この間に航空機の性能も上昇した。

 

小型1500馬力エンジンにより、改めて設計を見直したフォコンはその性能を飛躍的に高め、最大速度は5600 CE/hに達し、ロケット弾を4つも積載することが出来るようになった。

 

アベイユも同様で、1.8トリムの爆弾搭載量と3.7リジュ機関砲により猛威を振るうようになった。

 

 

「はい、ですが、何かしていないと落ち着かないというか」

 

「エステル、すまない。俺が、軍が不甲斐ないばかりに」

 

 

父が私を抱きしめる。私はなされるがままに父の胸に顔をうずめた。この人は悲しんでいる。傷ついている。

 

そうして、ゆっくりと離された。そうして、ぽんと頭に手の平を乗せられる。それに比べて私はどうだろう。母が死んで、その死を私は悲しんでいるのだろうか? 涙一つも流せてはいないのに。

 

 

「お父さん、私、泣けないんです。お母さんが、お腹の中の赤ちゃんがあんな風に死んじゃって、殺されちゃって、すごく悲しいはずなのに。私、変なんですかね? 私、やっぱり異常なんでしょうか?」

 

「違う。エステルはおかしな娘ではない。心がとても疲れているんだ。だから、自分が異常だとか、そんなことは言うな」

 

「お父さん…」

 

「少し休めエステル。お前に必要なのは時間だ」

 

「ダメですよ。前線ではまだたくさんの兵隊さんが戦っています。彼らのために出来ることをしないと」

 

 

クラスター爆弾や遠隔操作誘導爆弾の設計は佳境に入っている。サーモバリック爆薬の合成にも成功しており、これらは帝国への本格的な反攻作戦に運用される予定だ。

 

人を殺して、大切な人を殺される。それが戦争なのだろう。でも、何もしなければ、もっとたくさんの大切な人が殺されるのだ。それはあまりにも酷くて悲しい現実だった。

 

 

「行きますね、お父さん。私は大丈夫ですから、お父さんこそご自愛ください」

 

 

この時の私の背中は、父曰く幽鬼のようであったという。

 

 

 

 

「おかえりなさい、エステル」

 

「エリッサ、調子は大丈夫ですか?」

 

「うん。エステルのおかげだね」

 

「そうですか」

 

 

ツァイスに連れて行ったエリッサは、ラッセル家の私の部屋で療養することになった。昼間は教会で神父様やシスターのお世話になっている。

 

そのおかげか、エリッサは会話できるまでに回復した。しかし、彼女本来の優しい性格は、少し違ったものに変わってしまった。

 

 

「ふふふ、エステルは働き者だね。エステルが頑張ればもっとたくさんの帝国人が死ぬんだよね」

 

「…そうですね」

 

「でも、エステルが体を壊しちゃ元も子もないよね。ねぇ、お茶にしましょう。ほら、私、お茶淹れるの得意なんだから」

 

 

エリッサは私の腕に腕をからめて、テーブルへと案内する。エリッサは私と一緒にいるときは、私の体によく触れるようになった。

 

こうして腕を絡めたり、手を握ったり、昔の彼女と違ってそういったスキンシップが激しくなっている。きっと内心は不安なのだろう。

 

思い出すのはツァイスに来て、初めてエリッサがいつもと違う感情を見せた時の事だ。その時は私と一緒にベッドで寝ていて、私はいつものように彼女を抱きしめていた。

 

虚ろなエリッサの瞳に私が映っていて、そして、いつものように唐突に泣き出したのだ。

 

彼女は両親を切なげに呼んで、泣いていた。私はただ彼女を抱きしめて背中をさする。夜になると彼女はこうして泣くのだ。

 

一人にしないでと、親を求めて泣くのだ。私はそんな彼女の鳴き声を聞いて、私はいつも悲しくなる。何もできない。何もできないのだ。

 

でもその日は少し違って、私には怒りが湧いてきた。どうしてエリッサがこんな目に合わなければいけないのか。

 

その理不尽がどうしても許せなくて、どうしようもなくて、そして、私は行き場のない怒りをついぶちまけてしまった。

 

 

「なんでっ、なんでこんなっ! 私はこんなことは望んでなかったのに!!」

 

 

強い口調。エリッサがびくりと反応する。怖がらせてしまったと後悔したが、その時エリッサは私の目をまっすぐに見ていた。

 

深い、深い、深淵を覗き込んだような気分。そうして彼女は「そっか」と呟いた。そして突然彼女は立ち上がって喚きだした。

 

 

「ああっ! 殺してやる! 殺してやる!! あいつら全員、殺してやる!!」

 

 

それは憎しみと憤怒と悲しみを混ぜこぜにした、どす黒い感情の津波だった。私はその感情の強さに飲み込まれ、唖然と彼女を眺めるしかなかった。

 

そうして、一通りエリッサは喚き終わると、ゆっくりと私を見た。彼女は笑っていた。月の光に濡れた彼女の笑みは、どこか狂気に染まっていた。

 

 

「私には殺せないの。でも、エステルは殺してくれるんだよね。素敵。ねぇ、エステル。あいつらをもっと殺して」

 

「あ、エリッサ?」

 

「あは、なんでこんな事に気付かなかったんだろう。エステル、ねえ、エステル、聞いてる?」

 

「なんで、こんな、こんなのは……」

 

「エステル? どうして泣いてるの?」

 

 

この日、母の死を聞いて以来ずっと涙を流さなかった私は初めて涙を流した。それはあまりにも酷過ぎた。そうして、心の中にあった色々なものが涙と一緒に湧き出してきた。

 

これが報いなのか。私への罰なのだろうか。なら、なぜ私に直接降りかからなかったのだろうか。

 

お母さんはきっと、多くの兵士にその憎しみをぶつけられて死んでしまった。お母さんのお腹の中の新しい命は無垢なまま光を見る前に理不尽な暴力によって死んでしまった。

 

エリッサの両親も同じように殺されて、エリッサもまたこんな風に壊れてしまった。私は何一つ傷ついてはいないのに。

 

人殺しに加担したのがいけなかったのだろうか? 武器を作らなければお母さんは死ななかったし、エリッサもこんな事にはならなかった?

 

理性は否と解答する。戦争である以上、人は死ぬのだと。お前が殺さなくても、戦争ならば相手が殺すだろう。だけれど、もしかしたら、私が何かをしたせいで帝国軍の憎しみを暴走させたのだとしたら。

 

 

「誰か…たすけて」

 

「エステル?」

 

 

私の声は誰にも届かなくて、エリッサは不思議そうに私を見るだけで。悔しさ、怒り、悲しみ、後悔、悪意。そういったモノがないまぜになって、涙が溢れた。

 

そうして私は一通りの涙を流して、そして思い知った。失ったモノは還ってこない。因果は巡る。<知識>と理性が冷徹にその正答を提供する。

 

 

「エリッサ、大丈夫です。私は大丈夫です。もう夜も遅いですから、今日は眠りましょう」

 

 

彼女の感情や心が回復し始めたのはそれが切っ掛けだった。今の彼女を支えているのは怒りで、憎しみで、復讐心だった。それでも、彼女は心を取り戻した。

 

ラッセル博士やエリカさんはいたましいものを見る表情で、しかし生きるためには必要な過程なのだと話してくれた。

 

私は彼女の復讐心を受け入れることにした。なんて救いようのない世界。エリッサが狂気に染まっていくのとは対照的に、私の心は透明になった。

 

母を失った悲しみは無くならない。でも、怒りは感じなくなった。憎しみも感じない。そういったもので、失ったモノは還ってこないと知っている。

 

だから、ただ、悲しいのだ。こんな世界がどうしようもなく。

 

そうして今日も私は人殺しの道具を作る。エリッサのような女の子を量産するだろう兵器を作る。心に占める感情は悲しみで、ただそれだけだった。

 

 

 

 

瓦礫の山に二人の青年が立っていた。一人は豪奢な服を着た金髪の青年、もう一人は黒髪の精悍な顔立ちの青年。

 

彼らがいた場所にはゼムリア大陸でも随一の豪華絢爛を誇った大宮殿が建っていた。だが、今はそれは跡形もなく崩れ、廃墟となっていた。

 

歴史的に著名な芸術家の作品である肖像画や彫像も、美麗な建築も調度品も全てが瓦礫の山に埋もれてしまった。

 

今は多くの軍人がこれを掘り返して回収しようとしているが、どの程度が無事に戻ってくるのかは全く分からなかった。

 

 

「まったく酷いものだね、ミュラー。これが恥知らずの代償だよ」

 

「リベールがここまで強いとは思わなかった」

 

「王国軍の士気は高い。逆に帝国軍の士気はどん底だ。兵士は空に怯えて塹壕から動かないらしい」

 

「負傷者が山のように増えている。戦争神経症を患った者もだ。帝国軍はしばらく動けなくなるな」

 

「飛行機はすごいね。あんなに恐ろしい兵器だとは思いもしなかった」

 

「王国の反攻作戦も見事だったな。あれほどの軍略。帝国はリベールを甘く見過ぎた」

 

「負けだね。いや、完敗だ。親父殿も頭を痛めているだろう」

 

「いくぞ。ここにいても仕方あるまい」

 

「ああ、全くだ。しかし、リベールか。落ち着いたら一度は行ってみたいものだね」

 

 

二人は瓦礫を一瞥してからその場を去る。王族もいくらかは死んでいたが、戦争の原因を知ってしまえば憎しみよりも呆れが生まれた。

 

帝国はこれから苦境に陥るだろう。多くのインフラや生産基盤が破壊された。臣民の生活にも支障が出るレベルにまで帝国内の経済はダメージを受け始めた。

 

それでも市街地への爆撃が行われないのは白い隼の誇り高さ故か。王国のロレントやボースでの帝国軍の蛮行を考えれば、それが行われてもおかしくは無かった。

 

もし、貴族の領内の重要な都市に爆弾が降りそそげば、貴族たちはリベールを恐れて帝国から離反しかねなかっただろう。

 

純粋な市民や農民の死者はそこまで多くない。だが、戦場に連れていかれた数十万を超える男たち、そして重要な工場で働く熟練工などの死は帝国の復興に大きな影を残すだろう。

 

賠償金は皇室の膨大な財産から多くが供出されるが、開戦に関わった貴族の他、多くの主戦派の貴族が取り潰しにあって、財産が没収されて補填されるだろう。

 

 

「本当に、この国は問題だらけだよミュラー」

 

 

放蕩皇子の金色の髪が風に揺られた。

 

 

 

 

戦争はようやく終わろうとしていた。

 

ダムを破壊し、工場を破壊し、橋を破壊し、港を、城を、軍の基地を破壊した。帝国軍は激しく抵抗するが、兵器の質の差はどうにも埋められなかった。

 

高度100セルジュ以上の高度から行われる戦略爆撃に対して帝国はなんら迎撃の手段を持ちえなかったのだ。

 

根拠地を叩くため帝国軍の精鋭がハーケン門を目指したが、それも空からの攻撃には無力だった。

 

空から軍の移動はすぐさま察知され、アベイユの急降下爆撃や双発の戦術爆撃機オラージュに捕捉されて、集結する前に部隊は溶けて消えてしまう。

 

飛行機の根拠地を攻めようとしても、飛行場は王国本土を本拠としておりハーケン門を越えねばならず、破壊工作を行おうにも最精鋭が守っている。

 

民間人も全て敵ではゲリラコマンドも上手くいくはずもない。そして相手は天才カシウス・ブライト。帝国軍の作戦は失敗を繰り返した。

 

帝国軍は半壊していた。軍事基地の多くが爆撃にさらされており、多くの要塞も巨大な航空爆弾によって破砕されてしまった。

 

戦車を始めとした軍用車両は軒並みスクラップにされ、兵器どころか軍用レーションを供給する工場の多くが破壊されて、兵站すらおぼつかない状態に陥っていた。

 

さらに生産基盤とインフラが破壊されたせいで帝国の民衆の生活は圧迫されるようになり、国民の不満が高まりつつあった。

 

ここで各地の不穏分子が動き出し、四大貴族と呼ばれる封建領主たちもまた独自の行動に出ようとしていた。

 

そして、カルバード共和国は弱った帝国を横あいから殴りつけようと戦時体制に入ろうとしていた。

 

王国軍はハーケン門を越えて、帝国南部地域に進出を始めた。爆撃機と軍用飛行艇の前に敵は無く、戦略爆撃によって補給を断たれた帝国軍は敗走を続けた。

 

アベイユの急降下爆撃が行われると帝国軍の兵士の士気は一瞬で崩壊して壊走し始める始末だった。王国軍は快進撃を続けて、旧都セントアークを陥落させ、帝国の穀倉地帯を占領下におこうとしていた。

 

もはや戦いの趨勢は決していた。どの国もリベール王国の勝利は動かないと考えた。

 

既に多くの国がリベールに勝利をもたらした飛行機に熱い視線を送っており、その技術を得るためにリベール側に加担するようになっていた。

 

そして止めとして、私たちの元に一つの情報が飛び込んできた。この戦争が起こった真相である。

 

全てはハーメルと呼ばれる村で起きた悲劇に端を発する。ハーメルはリベール王国とエレボニア帝国の国境近くにある帝国南部のちいさな村だった。

 

だがある時、この村が突如現れた謎の武装集団によって襲撃を受ける。それは一方的な虐殺と言っても良いものだった。

 

男は殺され、女は性的暴行を受けた後に殺されたという。事件後の帝国の調査により、襲撃者たちはリベール王国軍制式の導力銃を使用していたことが判明した。

 

これを受けてエレボニア帝国はリベール王国に対して宣戦布告を行ったというのが話の流れだ。だがここにはもう一つの真相が隠されていた。

 

実はハーメル村の襲撃は帝国の主戦派による自作自演であったことが判明したのだ。この事は帝国とリベール王国の上層部の知るところとなる。これは帝国にとってあまりにも大きな問題となった。

 

つまり帝国は自らの国民を虐殺して、あまつさえその罪を何の落ち度もないリベール王国に押し付け、それを口実に侵略しようとした。

 

対外的にはそう思われても仕方のない真相がそこにはあった。そしてさらに悪いことに、意気揚々と侵略したのはいいが、逆にボロボロに負けてしまったのだ。

 

これが表ざたになれば、エレボニア帝国の威信どころか皇室の権威すら失墜するだろう。革命が起こっても仕方のない状況だ。

 

あまりにも酷い顛末。死んだ者たちが、兵士たちの献身が浮かばれない、絶望的な真相。帝国にとっては国家の屋台骨が揺るぎかねない事態となっていた。

 

 

「これは…、こんな理由で、お母さんやエリッサの両親は殺されたのですか?」

 

「呆れてものが言えんの」

 

「最悪ね」

 

「それで、女王陛下はどのようになさるおつもりか?」

 

「現在、帝国の使者が必死の弁明を行っているらしいな」

 

 

アリシア女王陛下は真相を明らかにすべきだと考えているらしいが、真相が公表されればエレボニア帝国は崩壊してしまうかもしれない。

 

そして何より、リベール王国には頭の痛い問題が明確になりつつあった。すなわち、借金である。

 

今回の戦争でリベール王国は莫大な戦費を必要とした。それらはカルバード共和国を始めとした多くの国々に国債を購入してもらうことで賄っていたのだ。

 

リベールの優勢が確認されると国債は飛ぶように売れ、そして王国は大盤振る舞いで国債を発行した。そして、ボースやロレントの復興にかかる資金も要する。

 

故に、リベール王国は今回の戦争において莫大な賠償金を得る必要があったのだ。そのためには早く戦争を終わらせる必要がある。

 

帝国は真相を隠したい。リベール王国ははやく戦争を終わらせて賠償金を得たい。両国の意見は微妙に噛み合おうとしていた。帝国が賠償金の上乗せを提案したのだ。

 

その額はエレボニア帝国の国家予算の5倍。それが帝国の皇室から支払われることが先方から通達されたのだ。

 

その金額は途方もない額で、リベール王国が発行した国債の金額など吹いて飛ぶような、そういう表現が的確な金額だった。

 

これにより王国上層部は女王の意向を無視して、帝国の提案に乗るべきという意見が台頭する。

 

リベール王国の大半の人間からすれば、帝国の小さな村落の名誉などどうでもいいことであり、帝国が正式に謝罪し、賠償金を払い、永世的な不可侵条約を結ぶことが出来れば万々歳なのだ。

 

それは国益に確かに適っており、感情論で帝国の威信を失墜させても得るものは少なかった。

 

 

「そして真相はミラに埋もれるわけですか」

 

「最低の結末じゃがな」

 

「女王陛下はなんとおっしゃっているの?」

 

「提案を飲む方向で動いていらっしゃる」

 

 

本当にどうしようもない結末だ。地獄の沙汰もミラ次第。だが、一方でそれが好都合であることが分かる。

 

莫大な賠償金があれば、リベール王国のさらなる工業化を推し進めることが出来るだろう。それは、より大きな産業基盤を生み出すことにつながり、そしてより大きな計画を実行できる力を得ることになる。

 

超音速機だって作れるだろう。人工衛星を軌道に投入できるかもしれない。あるいは月にまで手が届くかもしれない。

 

それは最初に見た大きな夢で、希望だった。今それを望むことが許されるかは分からないが、しかしそれは、リベール王国がもっと大きな力を手に入れるチャンスでもあった。

 

 

「二度と、こんな事が起きないようにしないといけません」

 

「……ああ、そうじゃな」

 

 

世界は理不尽に満ちている。一部の身勝手な人間たちの思惑で戦争が起こり得ることを<知識>は語る。ああ、だから戦争は無くならないのだ。どうすればこんなことが起こらなくなるのか。

 

別に世界から戦争を撲滅しようだなんて大層な事は考えていない。ただ、この国が、身の回りの大切な人たちがそんな理不尽に巻き込まれるのは嫌だ。

 

なら、どうすればいいのか。リベール王国はなぜ戦争に巻き込まれたのか。そう。リベールは小国だから舐められたのだ。だからこんな悲劇が起きた。

 

もっと大きな力を持っていれば、リベール王国は侵略されなかった。ハーメルの襲撃も戦争も起きなかった。

 

お母さんも殺されなかった。エリッサの両親も殺されなかった。ロレントもあんな風にならなかった。エリッサもおかしくならなかった。変わらない日常が壊れたりしなかった。

 

殺されたり、殺したり、そんな事をせずにすんだ。全ては力が足りなかったからだ。力が無ければ何も守れない。だから私は、

 

 

力が欲しい。

 

 

 

 

 

 

七耀歴1193年4月。リベール王国王都グランセルの郊外に建つエルベ離宮において、リベール王国とエレボニア帝国の間で講和条約が結ばれた。

 

帝国は王国に対して帝国国家予算の5倍に相当する賠償金を支払うとともに王国に謝罪し、99年間の相互不可侵条約を結ぶことになる。

 

この一連の戦争が、1年間継続したことから一年戦役と呼ばれることとなり、そして帝国の侵略理由は「不幸な誤解から生じた過ち」という曖昧な声明に締めくくられた。

 

そして、帝国南部の国境近くに村で起こった悲劇は、土砂崩れによる自然災害として処理されることになる。

 

 

「エステル、なんで戦争終わっちゃったの? まだ全員殺してないよ?」

 

「エリッサ、みんな殺すなんてできないんですよ」

 

「なんで? どうして? あいつら、私のお父さんとお母さんと、それにレナさんも殺したんだよ」

 

「普通のヒトが人間を殺すには免罪符が必要なんですよ。そして、帝国人を直接殺すのは私達じゃないんです」

 

 

人間が人間を殺すという行動には理由が必要だ。理由のない殺人が出来るのは、病んだ人間か、倫理が破綻しているか、心の何かが欠けた人間ぐらいだ。

 

兵士には兵士の免罪符があって、死刑執行人には彼らなりの免罪符が存在する。それ無しで人を殺し続けると、人間は心がおかしくなってしまう。

 

 

「そして、免罪符を持っていても、やっぱり人を殺すのは大変なことなんです」

 

「分からないよエステル」

 

「今は分からなくていいです。でも、私たちの復讐を誰かに代わってしてもらうのはおかしいでしょう?」

 

「…うん」

 

「それに、エリッサのお父さんやお母さんを殺した兵士も、私のお母さんを殺した兵士も、私の作った兵器で死んじゃいました。これ以上は天秤がつり合いません。女神さまも許してはくれません」

 

「でも、やっぱり許せないよ。憎いよ」

 

「かまいません。でも、もう充分なんです。殺すのも殺されるのも。それに、エリッサのお父さんもお母さんも、エリッサが幸せになってくれるのを願っているはずです」

 

「そんなの…、分からないじゃない」

 

「私は願っていますよ。エリッサが幸せになって欲しい、もっと楽しいことで笑ってほしいって」

 

 

私はエリッサを抱きしめる。エリッサははにかんで、「ごまかさないで」と小さな声で言った。私はクスリと笑ってエリッサの頭を撫でて、彼女を離す。

 

 

「それに、現実的な話をすると、人をたくさん殺すにはお金がたくさん必要になるのです」

 

「お、お金?」

 

「はい。爆弾一つにもすごくお金がかかっています。弾丸一つだってタダじゃないんです。人を一人殺すならナイフ一本で十分ですが、1000人、1万人殺すとなれば途方もないお金が必要になります。リベールは小さな国なので、そのお金を払うことが出来ないんです」

 

「む、難しいんだね」

 

「はい。それに、戦争は終わってしまいました。だから、もう帝国の人を勝手に殺したら、犯罪者として捕まってしまいます。これでは、たくさん殺せても百人程度にしかならないでしょう」

 

「むー」

 

「だから、我慢してください。彼らを許せなんて言いません。憎んで、憎み続けてもかまいません。でも、無茶な事とか、犯罪とかはしないでください。私はエリッサの味方で、エリッサに幸せになって欲しいんです」

 

「エステル?」

 

「エリッサは私が守ります。約束ですよ」

 

「う、うん」

 

 

そうして、エリッサは顔を赤らめて頷いた。そう、守る。守るのだ。私の大好きな人を守りたい。

 

お父さんや、ラッセル博士や、エリカさんや、ダンさんや、ティータちゃんや、エリッサや、ティオを守りたい。守るための力が欲しい。どんな理不尽からも彼らを守れる力が欲しい。

 

お母さんのように、失ってしまわないように。最強が欲しい。

 

 

 

 

「エステル、あーん」

 

「あむ」

 

「なんだか、可愛らしくて微笑ましいけど、不安になる光景だわ」

 

「うむ、女同士の友情は良く分からんのお」

 

 

最近、エリッサのスキンシップが激しい。ベッドではいつも抱き付いてくるし、お風呂ではなんだか怪しい手つきで私の体を洗ってくる。

 

一緒に歩くときは腕を組んでくるし、ご飯のときはこのようにアーンをしてくる。拒否するとすごく悲しそうな顔をするので容認している。どうしてこうなった。

 

 

「ふふ、エステル、美味しい?」

 

「はい」

 

「このオムレツは私特製なんだから」

 

「知ってます。エリッサの料理はおいしいですね」

 

「やあん♪ エステルったらっ」

 

「……。不安なのはエステルちゃんまで最近色気づいてきたというか…」

 

「そういえば、雰囲気がかわったような気がするの」

 

「気のせいだと思うんだけど、お洒落に目覚めたみたいなのよ。髪とか服に気を使いだしたというか…。この二人、本当に大丈夫なんでしょうね」

 

 

話は変わるが、最近、私は女の子らしいことに気をかけている。エリッサに聞いたり、エリカさんに尋ねたりして。作法や仕草も勉強すべきだろう。

 

その辺り、エリカさんは微妙に役に立たなさそうで教師が必要だ。そう、これは今となっては大切な約束だから。

 

父さんは、ロレントの家が焼けてしまってからはラッセル家にもあまり来なくなった。軍の方が忙しいのもあるが、それだけではない。彼は重要な事を決めたのだ。

 

彼は女王陛下からの受勲と軍における准将という役職を約束されながら、それら全てを辞した。そして、軍から離れることを決めたのだ。彼は軍における清算に忙しいのだ。

 

 

「今日はお父さんの最後のお勤めですね」

 

「カシウスさん、どうして軍を辞めるの?」

 

「思うところがあったのでしょう」

 

 

エリッサは首をひねるが、まあ分からないでもない。母を、自分の妻を守れなかったのだ。軍人は守る者であり、そして父は一番大切なものを守れなかった。

 

国を守ることは出来たが、一人の女性を守れなかった。何より、母は妊娠していたのだ。二つの命を守れなかった。

 

もし父が軍人じゃなかったなら、結果は違っていたのだろうか? 父ほどの剣の使い手ならどんな敵だってやっつけられただろう。

 

そんな仮定は意味のないものだけれど、母の死はカシウス・ブライトにどんな変化をもたらしたのか。後でじっくりと話し合った方がいいだろう。父は強いが、だからといって傷つかないわけがないのだ。

 

 

「エリッサも、私も、お父さんも、この戦争でたくさん傷ついたのです。だからきっと、お休みが必要なんですよ」

 

「そう…だね」

 

「そういえばエリカさん、ダンさんの調子はどうなんですか?」

 

「良くないわね。遊撃士は続けられないみたい」

 

 

ダンさんは戦役の最中に大けがを負ってしまい、その後遺症のせいで身体を上手く動かせなくなってしまったらしい。

 

それは日常生活にはほとんど支障が無いレベルのものだが、魔獣を相手にする遊撃士のような危険な仕事では致命的な問題になりかねないらしい。

 

 

「今は必死に勉強しているわ。技師になって、私を手伝うんですって」

 

「いいですね。ダンさんは理想の旦那さんです」

 

「そうじゃの、エリカには勿体ないわい」

 

「なんですってこのクソジジィ!!」

 

「まんま、じいじ、けんかだめ」

 

 

ラッセル家は今日も騒がしい。そしてティータは相変わらず可愛い。ティータかわいいよティータ。

 

 

「そういえば、先日お主の書いた論文なんじゃが」

 

「何か問題がありました?」

 

「いや。じゃが、あれは…」

 

「私も見たわ。とんでもない理論よあれ。確かに空間が曲がるのは知られているけど、あれが事実なら、あの理論はとんでもない発見よ」

 

「昔から温めていた理論なんです。上手くまとまったので論文にしたんですけどね」

 

「あの論文は革命を起こすぞい。あるいは、導力の謎にもせまるかもしれん」

 

「オーバーですよ」

 

 

七耀歴1193年夏。私は一つの論文を発表した。『一般相対性理論』。<知識>においては最高峰の天才が辿りついた、世界の真理の一端だ。

 

そして、それは禁断の力に通じる道だ。第三の火。これは、私がそれをこの世界に持ち込むことの決意表明でもあった。

 

 

 





おや、エリッサの様子が…。

第6話でした。


今回は七耀石と導力器について。

七耀石(セプチウム)は舞台となるこの世界独特の鉱物で、その性質と色によって七種に分類されています。古くから宝石や神秘の象徴として珍重されていたこの鉱物ですが、C・エプスタイン博士により発明された導力器(オーブメント)の基幹的な素材になることから重要性が飛躍的に高まったとのこと。

七耀石は導力を時間と共に自然に蓄積するという性質があり、七耀石同士の相互作用をエンジンとして、自ら蓄積する導力を出力として利用し、歯車などの機械装置によって七耀石同士の干渉を調整することで魔法のような現象を生み出すことができます。これを利用したのが導力器です。

導力器は原動機として、あるいは銃弾を加速するための装置として、あるいは反重力を発生させる機関として利用されるだけでなく、戦術オーブメントとよばれる『導力魔法(オーバル・アーツ)』を発動させる懐中式の機械にすら応用されています。

導力器に使用するのは宝石としての価値を持たない七耀石の欠片(セピス)を加工して作られる結晶回路(クォーツ)です。セピスや七耀石は大陸各地の鉱山で採掘され、市場に供給されます。また、魔獣と呼ばれるこの世界の生物には七耀石を収集する性質があるようです。

作者の勝手な考察ですが、生物が七耀石を集める性質は、この世界の生物にとって七耀石が重要な栄養源になっていることを示します。これは魔獣と呼ばれる地球の生物とは一線を画す魔法や特殊な能力を行使する生物の、その特別な能力の基盤となるからだと考察されます。

原作の描写では魔獣を倒すことで、主人公たちは魔獣から七耀石の欠片(セピス)を採取し、そしてセピスを店舗や銀行で換金して現金を手にします。また、魚までもがセピスを飲み込んでいることが描写されています。これは七耀石の生態系における循環が起こっている可能性を示唆する証拠でしょう。

作者の勝手な考察ですが、まず植物が土壌中の粒子レベルの七耀石を回収し、蓄積。これを草食動物が食べて蓄積。さらに肉食動物が食べて蓄積。動物が死ねば七耀石は土に戻され植物が再び…。というサイクルが予想されます。あるいは岩石に含まれる七耀石を直接摂取する様な行動を行うかもしれません。

また、どうやらこの世界の大深度地下には七耀石の大規模な鉱脈、七耀脈があるようで、これらはこの世界の地殻変動などに大きな影響を与えているようです。七耀脈の変動によって温泉の温度が異常に上がったり、地震が起きたりする現象が原作でも描写されています。

さて、この七耀石には前述にある通り7種類存在することが確認されています。それらには属性が存在し、導力をエネルギーに変換する際の形態が異なることが示唆されています。七耀石の種類についてはまた今度ということで。




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