【凍結中】その一握の気の迷いが、邪なものを生んだ(旧版)   作:矢柄

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「申し訳ありません、ユン先生」

 

「後悔はないのだな、カシウス」

 

「はい」

 

 

凛とした空気が張り詰めるのは、板張りの東方風の建物の部屋。<知識>から供与される情報に照らし合わせるならば、ここは鍛錬を行うための道場だ。

 

父と私は目の前の老人と正座で向かい合っている。静かな大気の中、父は老人の確認に頷き応えた。

 

父は剣を置いた。そして遊撃士という新しい道を歩もうとしている。父からその事を打ち明けられた時、久しぶりに私と父は面と向かって話し合った。

 

多くの事。お母さんのこと。父が私に望むこと。私がこの先何をしたいか。剣の事についても話し合った。その中で、今回の『報告』のことを知ったのだ。

 

 

「いいだろう、好きにするがよい。じゃが、お主の娘は剣を学んでいるようじゃな」

 

「ええ。我が娘ながらなかなか、筋が良いです」

 

「深く透明な瞳をしておる。憎しみでもなく、怒りでもなく、静かな、しかし強い意志を感じる。とても齢七つの娘には見えんな」

 

「恐縮です」

 

 

目の前にいるのは父の剣の師である《剣仙》ユン・カーファイ。白髪と長く白い髭、そしてどこか超然とした雰囲気は確かに仙人を思わせる。

 

八葉一刀流を創始した大陸有数の剣士。父は剣を置くことを決めたことを、自らの師である彼に報告に来たのだ。

 

《剣仙》ユン・カーファイ。話によれば剣の道においては知らぬ者がいないという、最強の一角だという。私はせっかくだからと父に同行を願い出た。

 

ついでに剣の手解きをしてもらえないかという欲目が無かったわけではない。私は強くなりたかった。そのために《剣仙》とまで呼ばれた人間に会うことは良い経験になると思ったのだ。

 

 

「娘よ、名はエステルだったな」

 

「はい」

 

「剣を取れ。少しだけ付き合うが良い」

 

「ユン先生!?」

 

「お父さん、いいでしょうか」

 

「…分かった」

 

 

そうして、どういう訳か《剣仙》に私は挑むこととなる。父にもまったく届かない身で過ぎたことだろうが、これは得難い経験となるだろう。

 

私は対人戦をほとんど経験したことが無くて、ダンさんや父と手合せをする程度。まだまだ未熟で、全てにおいて浅いのだ。

 

 

「はぁ!」

 

「ふむ」

 

 

私の剣は簡単にいなされ、避けられ、まったく当たるというヴィジョンが見えない。圧倒的な実力差に、経験すら積めないのではないかというほど、まるで赤子の手をひねるような。

 

それでも、私はいくつもの最適の解を見出して、今できる私の最高の剣を振るう。

 

 

「なるほど、カシウスが筋が良いと言った事は真実か。これほどの才とは思わなかった」

 

「はぁ、はぁ」

 

「氣による増幅は長くは続かん。だが、その歳でよくそこまで練り上げたものだ。型も正しい。剣速も鋭い。頭も回る。カシウス、この娘は逸材じゃぞ」

 

「ぐっ…」

 

 

褒められてはいるが、しかしまだ目の前の老人は一切私に攻撃というモノを行っていない。剣でいなすだけ。

 

しかし、その歩法の在り方は画期的だ。重心移動、読み。全てにおいて圧倒的で美しく無駄がない。目の前の人物は剣において父を凌駕している。私は気合を入れて、再び剣を向ける。まだ足りない。

 

 

「ほう、まだ動けるか。負けず嫌いというわけではないな。その目、わしから技を盗む気じゃな」

 

「行きます!!」

 

 

そして、初めて彼が剣を振るう。速い。鋭い。そして重い。ごく自然な体勢から振るわれた剣の軌道は、まるで最初から決まっていたかのように私の剣を切り飛ばした。

 

斬ったのだ。鋼鉄の剣を、同じ鋼鉄の剣で。見惚れる。これが<剣仙>の技。剣の道の到達点にある男の剣。そして、彼の剣が私に突き付けられた。

 

 

「ほほう。まるで新しい玩具を見つけた童子のような目じゃな」

 

「すごいです! 完敗でした。今のは斬鉄というやつですか? どういう仕組みなんです? わたし、気になります!」

 

「貪欲。悪くない、悪くないな娘よ。カシウス、決めたぞ。この娘、しばし預からせてもらおう」

 

 

どういう訳か私はユン先生に気に入られ、彼に弟子入りすることになる。ユン先生はリベールにやってきて、私に八葉一刀流を叩き込んでやると言っていた。

 

父は困ったように笑って肩をすくめていた。でも、私は嬉しい。これで強くなれる。最強に近づける。

 

 

 

 

ユン先生は父が剣を置いて、ダンさんに棒術を習い始めていることに不満があるようだが、その分を私を鍛えることで発散させるようだ。

 

最近の鍛錬で私の剣の腕はめきめきと上達している。まあ、ユン先生には全くかなわないのだけれど。

 

 

「しぃっ!」

 

「うむ、型は完璧じゃな」

 

「五の型<残月>ですね」

 

 

抜刀術を基本とした型「残月」。ユン先生がやると、抜刀から納刀までの一連の流れが本当に目視できない。

 

父も修めているらしく、見た目も派手でカッコいいが抜刀術というのはそこまで実戦的ではないように思える。そうして何度か指導を受けて小休止。

 

 

「して、カシウスは遊撃士を目指すか」

 

「そのようです。父子家庭の親のくせに日雇いの仕事とかどうかしています」

 

「その割には怒っていないようじゃが?」

 

「あの人が楽しく生きられればそれで。お母さんが死んだときの、お父さんは酷かったですから」

 

 

それに、もしかしたら遊撃士という仕事はむしろ父にとって天職かもしれない。もともと軍の枠には収まらない性格の人だし、視野の広さも洞察力も交渉術も個人的な戦闘能力も群を抜いている。

 

そういった優れた慧眼とコミュニケーション能力は、魔獣退治や人間関係のトラブル、国際的な案件を扱う遊撃士にとっては不可欠な能力だ。

 

 

「お主はどうなんじゃ? 母を失った悲しみはカシウス以上じゃろう」

 

「死に顔も見れませんでした。お腹の子供にも結局会えませんでした。でも、エリッサがそれ以上にひどい状態だったので、逆に冷静になれたのかもしれません」

 

「あの娘か」

 

 

ユン先生と私は木陰で模造剣を振っているエリッサに視線を向ける。最近は心も回復してきたのか、明るい笑顔も見せるようになった。今では私の真似をしてユン先生に剣の指導を受けている。

 

そんな彼女もエレボニア帝国が絡むとその様相は一変する。彼女を生かしていたのは復讐心だったが、今はどうなのだろうか。

 

 

「狂気を感じるな。危うい。あの娘は親を殺されたのか」

 

「はい。もともとは少し心配性で、でも明るくて、可愛らしい子だったんです。でも、戦役でロレントが蹂躙されてから、心が病気になってしまいました。うわ言みたいにごめんなさいってしか言わなくて」

 

「今はだいぶん回復したようじゃな。だが、あの娘が嬉々として振る剣の先にあるモノは人間のように思える」

 

「無茶な事をするといけないと、言い聞かせてはいますが」

 

「お主の言葉になら耳を貸すじゃろうな。相当、お主に執着しているように見える」

 

「依存に近いのだと思います。でも、今はそれで構いません。彼女はあまりにもたくさんを奪われてしまったから。まだたくさんを無償で与えられなければならない歳です」

 

 

まだ6歳だ。ようやく七耀学校に通う年齢。親から無償の愛情を注がれる時期。それを目の前で奪われて、愛情を失ってしまった。

 

エリカさんたちもそれが分かっていて、エリッサを可愛がってくれる。あと10年はこのままでいい。独り立ちはもっと先で構わないだろう。

 

 

「お主もさして変わらん年齢じゃろうに」

 

「早熟ですので」

 

「それだけでは無さそうじゃがな。…お主は強い」

 

「まだまだです。私は力が欲しい。私の周りのものを全部抱えてこぼさないだけの力が」

 

「人間一人の力には限界があるぞ」

 

「分かっています。頭では分かっています。お父さんもいますし、ラッセル博士やエリカさんやダンさんも頼りになります。それでも、私自身を研鑽しない理由にはならないです」

 

 

ヒトは一人では何もできない。そういった哲学のようなものが《知識》から提供される。それは知識と言うよりも常識と言うべきもの。

 

確かに人間一人の限界はあるし、種として人類は群れること、社会を形成することで生存競争を生き残ってきた以上、その原則から人間はずれることが出来ない。

 

だが、それを前提とすれば個人のできることはたくさんあるのだ。そもそも集団もまた個の集合であり、個が動かなければ集団もまた動かない。

 

そして人間の強みは集団でありながら、強烈な個を保有することだ。特定の個人が歴史を大きく動かすことはままにある。

 

フランスのナポレオンしかり、アメリカのリンカーンしかり、共産主義を生み出したマルクス、ナチスを率いたヒトラー。良きにしろ悪きにしろ、個が時代の原動力になることは歴史が示している。

 

 

「わしが見たところ、今、この国はお主を中心にして回っている」

 

「過剰な評価です」

 

「ふふ、そうかな? 女王に意見したのじゃろう?」

 

「なんのことですか?」

 

「巷では噂になっておる」

 

 

講和条約が結ばれた後、論功行賞が王国において行われた。爆撃機で最も多くの戦車を撃破したエースパイロット、優れた指揮で帝国軍を撃破した士官。多くの人間に勲章が与えられる。

 

その中でも、反攻作戦の総指揮をとったモルガン将軍、全ての作戦の立案にて主導的な役割を果たしたお父さん、そして飛行機と兵器の発明と設計を行った私の功績は類を見ないものとして評価された。

 

『救国の英雄』『神童』『女神に祝福された娘』。笑ってしまうが、マスコミからはそんな渾名まで頂いてしまった。

 

母を失った事さえ、悲劇のヒロインとしてのスパイスとして私の逸話となった。そんなものは本当は欲しくなかった。お母さんが生きていればそれだけで良かったのに。

 

それでも、これからの事を考えればその過分な評価は役に立った。莫大な報奨金によって家の再建は始まっている。

 

元通りの家を再建しようかと父さんと話し合ったが、個人的に研究も行いたい私の意見が取り入れられて、二人で住むには少し大きすぎる家が出来そうだ。

 

そして、私は女王陛下に直接個人的に謁見する機会を得た。アリシア女王陛下自らが、私に個人的に会いたいと打診なされたのだ。

 

私にとってそれは都合がよかった。私個人には限界がある。でも、もう二度とこのような悲劇を起こしたくない。そのためには、この国には強くなってもらわなければならない。

 

私はこの国を強化するための試案を用意して謁見に臨んだ。

 

 

 

 

王城は美しく優美だ。青い湖に浮かぶ白亜の城。中に入れば、壁には植物の蔦や花をモチーフにした文様が彫刻されており、品のいい色の紅い絨毯が回廊の真ん中に敷かれている。

 

季節の花々を飾った花瓶は高価なものだろう。要所要所に青い色調の国章が刺繍されたタペストリーが掲げられている。

 

私を案内してくれるのは、メイド頭のヒルダ夫人という女性だ。厳しそうな雰囲気を持つ壮年の女性で、アリシア女王陛下の身の回りの世話を任されているらしい。

 

実際は見た目よりも柔らかい人当たりで、私にも優しくしてくれた。私みたいな小娘をエステル殿という敬称で呼ぶのはちょっと慣れないけれど。

 

荷物検査についても便宜を図ってくれて、自ら私の持ち込んだ書類を見聞したみたいだ。こういったことが失礼にあたるかどうか聞いてみたが、陛下に確認を取ってくれてOKが出たらしい。

 

神童という肩書もこういう時には役に立つ。やろうとしていることがある意味において不敬に当たるだけに、資料の持ち込みができるとは思わなかった。

 

屋上に案内されると、その空中庭園の美しさに息をのむ。それは口語では表現できないような美麗さ。いくつものテラスを重ねたような構造は<知識>にあるパムッカレの石灰棚を思わせる。

 

真珠のような純白の棚に、芝や樹木が植わっており、それはお伽噺や創作の物語に登場する幻想的なお城のよう。

 

 

「しばしお待ちください」

 

「はい」

 

 

女王宮の前の赤絨毯の上でしばらく待つ。

 

門の前には親衛隊の隊員が守っていて、その制服は緑色の乱調な陸軍のそれとは違って制服のデザインはカッコいい。白隼の翼をイメージした羽飾りのついた青い帽子を頭に乗せていて、垢抜けた感じ。

 

しばらくすると、準備が整ったようでヒルダ夫人が現れる。女王宮は広く、二階に女王陛下の私室があるらしい。

 

ちなみに一階にはクローディア姫の部屋があるらしい。本名クローディア・フォン・アウスレーゼは私と同い年の女王陛下の孫娘と聞いている。

 

 

「陛下、失礼します。エステル殿をお連れいたしました」

 

「ご苦労様でした。どうぞ入って頂いて」

 

「かしこまりました」

 

 

扉の奥から優しげな女性の声が聞こえる。アリシア・フォン・アウスレーゼ。リベール王国第26代女王アリシア2世。私はそのまま部屋に通される。

 

壮年の女性。品のある落ち着いた、かつては美人であった人が良い年の取り方をしたような。青みがかった髪を後ろで纏め、青を基調としたドレス、大粒の翠曜石をあしらったアクセサリー。

 

 

「ようこそいらっしゃいましたね、エステルさん」

 

「またお目にかかれて光栄です陛下」

 

 

彼女は窓のそばに立っており、優しい声で私に話しかけた。その横には私と同じぐらいの短いショートヘアーの青い髪の少女が立っていた。

 

淡い若草色のドレスを着た彼女は、陛下の後ろに半分隠れて私をじっと見ている。なるほど、彼女がクローディア姫か。

 

 

「クローディア殿下、お初にお目にかかります。エステル・ブライトと申します」

 

「あ…、はい。初めまして」

 

 

にこやかに笑顔で挨拶すると、お姫様はおずおずと私に挨拶を返してくれた。ものすごく可愛らしい少女だ。美人さん。

 

王族というのは美形というのが決まっているのかと言うほどに、彼女は可憐で美しい。将来はとんでもない美女になるだろうことは請け合いだ。

 

 

「ふふ、さあ来なさいクローゼ。エステルさん、大したおもてなしはできませんが、お茶にいたしましょうか」

 

「は、はい。おばあさま」

 

 

私達は女王陛下の部屋にある趣味の良いテーブルの席につく。カップにソーサーにポット。全てが丁寧で繊細に作られた品だ。あまり詳しくない私でも、ぱっと見でその品質の高さがわかるほど。

 

陛下は丁寧な手つきで自らお茶を用意してくれる。メイドにさせないのかと首をかしげていると、紅茶を淹れるのは趣味なのだと女王陛下は微笑む。

 

 

「貴女には一度、こうやって個人的にお会いしたかったのです」

 

「光栄です。ですが、どうして?」

 

「貴女がカシウス殿の一人娘だからですよ。カシウス殿は私の亡き息子、この子の父親であるユーディスの友人でした」

 

「父とですか?」

 

「ええ、士官学校からの学友だったのです。親友と、そういった仲だったようです」

 

 

それは初耳だ。

 

王太子ユーディスはその美貌と才に恵まれた国民にも人気だった王子様だったらしいが、クローディア姫が生まれた翌年の1187年、カルバード共和国の領海にて客船エルテナ号の海難事故に巻き込まれ、夫妻ともども逝去されてしまった。姫一人を残して。

 

 

「此度の戦でも彼の活躍は聞いています。もちろん貴女の活躍も。ですがこれほどまでに国に尽くしてくれた貴方たち親子から、この戦争は大切なものを奪ってしまった」

 

「……そうですね。ですが、失ったのは私達だけではありません」

 

「ええ。それも全て私が至らない女王だったばかりに…です。貴方たちにはどうお詫びをすれば良いのかわからないほど。貴方たちの功には不足ながらも金銭によって報いましたが、貴方たちが失ったものに、どんな報いをすればよいのか。いいえ、そんなことは出来ないのでしょうね」

 

「陛下、母が死んだのは陛下のせいでは…」

 

「いいえ。どんな言い訳をしようとも、国の責任は私にあります。でなければ、私はただの飾り物でしかありません。私は女王ですから。王ゆえに非情な判断をせねばならない事もありますが、しかしそれで全てが許されてしまうかは別の話なのです」

 

 

良い女王様だ。小国の王にはもったいないほどの人格者。母のようでありながら、しかし誇り高い。

 

外交手腕や内政手腕から為政者としては突出していると言われていたが、会って分かるが、その毅然としながらも慈悲にあふれた姿勢はある意味においては美しいと表現すべきだ。

 

 

「ならば、僭越ながら我がままを聞いていただけますか?」

 

「我がままですか?」

 

「はい。1つは、クローディア殿下とお友達になりたいのです」

 

「まあ」

 

 

ぶっちゃければ、王族とコネが欲しいとかそういう当初の目論見があったのだけれど。

 

姫のお父さんである亡き王太子が父の友人だったという話を聞いて、そしてお姫様本人に会って、気が変わったのだ。

 

まだおずおずとして気の小さそうな、特権階級特有の変なプライドを持たない花のようなお姫様を見て、ちょっと友達になりたいと思ってしまった。

 

 

「クローディア、どうします?」

 

「え、あの?」

 

「クローディア殿下、私とお友達になってもらえませんか?」

 

 

手を差し伸べる。ちょっと卑怯かもしれない。女王陛下は私の言葉に一瞬だけ目を丸くしたものの、手を差し伸べる私の様子を暖かく微笑みながら見守っている。

 

お姫様はおずおずと手を伸ばし、そして私の瞳をまっすぐに見た。可愛らしい。なんという可愛らしさ。守ってあげたくなるような。

 

 

「どうして私なんかと?」

 

「お友達になりたいのに理由なんて必要ないでしょう。きっとそれは衝動なのです。つながりたい、話したい、知りたい、手を取り合って歩きたい。ヒトとはそういう生き物ですから、きっと友達を求めるんです。…でもそうですね、強いて言えば、殿下が可愛らしかったからでしょうか? クローディア殿下、貴女はとても美しい」

 

「あ…、私なんかでいいんですか?」

 

「はい、ぜひ」

 

 

クローディア殿下はぽおっと頬を赤らめて、そして微笑んで私の手を取った。

 

 

「分かりました、エステルさま。どうか私とお友達になってください」

 

「エステルと、呼び捨てで構いません。さま付けはちょっと他人行儀です」

 

「え、えっと、じゃあ、エステルさん」

 

「まあ、いいでしょうクローディア殿下」

 

「あ、あの、私もっ」

 

「?」

 

「クローゼと呼んでください」

 

「クローゼですか?」

 

「はい。クローディアの頭と、アウスレーゼの最後を一緒にした…」

 

「愛称ですね。分かりました、これからはクローゼと呼ばせていただきます」

 

「エステルさん。お友達ってどうすればいいのか…」

 

「クローゼ。最初は名前を呼ぶだけでいいのです。名前の交換が、人と人とのつながりの始まりなんです」

 

「じゃあ、あの、エステルさん」

 

「何ですかクローゼ」

 

「エステルさん」

 

「クローゼ」

 

「エステルさん」

 

「クローゼ」

 

 

手を握り合い、名前を呼び合う。そしてクスクスと笑いあう。何だろう、この子可愛い。なんという可愛い生き物だろう。

 

《知識》曰く、この衝動こそが『萌』なのだという。恐ろしい。これが『萌』。多くの大きなお友達を暗黒面に引きずり込む概念。

 

なるほど、これは暗黒面(ロリコン)か。そうしてしばらく見つめ合い、名前を呼び合っていると女王陛下がクスリと笑った。

 

 

「まるで、クローディアを口説いているみたいですね」

 

「なら、手の甲にキスをするべきでしょうか?」

 

「えっ? えっ?」

 

 

ちょっとした女王陛下と私のお茶目にクローディア殿下が目を白黒とする。楽しい。美少女の色々な表情を見るのはこの上なく楽しい。

 

どうやら、彼女と友達になったのは大正解のようだ。とは言っても、相手はお姫様でそんなに頻繁には会えないだろうけど。

 

 

「本当に、貴女をよんで良かった。今そう思います。エステルさん」

 

「私もです陛下。クローゼとお友達になれただけでも、お城に来た甲斐がありました」

 

「ということは、他にも我がままがあるのですね」

 

「はい。本当はそれが本題だったのですが、思わぬ収穫がありました」

 

「ふふ、いいでしょう。もう一つの我がまま、話してくれませんか?」

 

「はい。僭越ながら、こちらを」

 

 

私は鞄から紙の束を取り出す。その表紙には『リベール王国の産業基盤強化のための五ヶ年計画』と銘打たれていた。私はこれから女王陛下に政策を献策しようというのだ。

 

恐れ多いことだが、決めたことだ。素案ではあるが、帝国からの莫大な賠償金を使って行うリベール王国の重工業化政策の試案である。

 

 

「リベール王国の産業基盤強化のための五ヶ年計画ですか」

 

「はい。陛下、私は今回の戦争の根本的な理由はリベールの国力の小ささによるものだと思っています」

 

「確かにそうでしょう。帝国の主戦派の暴走があったとはいえ、その理由もまたリベールが組み易いと考えたから」

 

「今回は飛行機という兵器の力もあって勝利することが出来ました。しかし、根本的にリベール王国は小さな国です。帝国も共和国もいずれは強力な空軍を設立するはずです。今のリベール王国になら勝てないと思っていても、それが10年後、20年後となれば状況は変わってきます。彼らが十分に自信を取り戻したとき、彼らが復讐戦を挑まないなどと誰が言えるでしょう? それに、失われた航空機のいくつかは帝国に回収されてしまいました」

 

 

飛行機はその防御力の低さゆえに、高射砲による被害を受けることもあり、またトラブルによっても帝国領に墜落するものがあった。

 

それは全体の数からいえば微々たるものだが、帝国にとっては宝石よりも価値のある金塊に勝る技術の塊だった。早晩、彼らはこれをコピーするだろう。

 

 

「ですが、リベール王国が小国であることは宿命です」

 

「はい。ですから、産業を、工業力を大きくします。リベール王国との貿易が大きくなればなるほど、リベール王国の作る物品が彼らにとって必要不可欠になるまで相互依存が深まればどうなるでしょう?」

 

 

貿易による相互依存が深まれば深まるほど、どの国も好き好んでリベール王国との関係を悪いものにはしたくなくなるはずだ。

 

戦車や飛行船を動かすのにリベール王国の作る部品が必要ならば、王国そのものの戦略的価値は飛躍的に高まり、敵対的な態度をとりにくくなる。

 

 

「それが、この計画の本質ですか?」

 

「一部は…です。導力革命後の国力の指標はもはや人口や兵の強さでは測れなくなりました。その力の源泉は工業力です。工業力の奪い合い、潰し合いが戦争の重要な目標へと変わりました」

 

「貴女の提唱した戦略爆撃がそれですね」

 

「はい。国家の強さはその技術力と工業力に依存するようになります。私の考えでは、正面戦力が最低限でも、技術力と工業力が圧倒的に高まれば、将来は戦争をしかけられることすらなくなるでしょう」

 

 

すでに投射手段は存在する。あとはアレが完成してしまえば、たとえ兵力や正面装備で勝っていても戦争はできなくなる。

 

そして、アレの開発には時間と莫大な工業力が必要だ。世界でもごく一部しか配備できないアレは、この世界においても同様の示威効果をもたらしてくれるだろう。

 

 

「外交と国防の両面で国を守る。そのためには工業力が必要という事ですか」

 

「陛下の巧みな外交は知っております。ですが、それでも戦争は避けられなかった。私は二度とリベール王国が戦争に巻き込まれない、そんな国にしたいのです」

 

「私は諸国家の協力のもとに平和を維持したいと考えているのですが…」

 

「それも一つの道でしょう。しかし、どれだけ平和を願っても、それを許さない時勢が生まれる可能性を考慮すべきです」

 

 

Xのいた世界におけるナチスドイツとソビエト連邦によるポーランド分割、バルト三国の併合、冬戦争、ベネルクス三国への侵攻。

 

南米ではしばしば米国主導によるクーデターによって彼らの都合のよい政権が樹立された。協調的な国際情勢では女王の言うそういった外交も可能だが、時代がそれを許さない時もある。

 

 

「試案のおおむねには賛成です。ですが、急速な工業化は負の面を生み出すでしょう」

 

「そうですね。おそらく、貧富の格差は拡大すると思います。出来うる限り歪でない発展を目指すべきですが、零れ落ちる民も多くいるでしょう。また、環境破壊についても考慮すべきです。ミストヴァルトの森林資源の維持も必要ですし、ヴァレリア湖の水質保全にも力を入れる必要があります」

 

 

国民の所得は飛躍的に増大するだろう。だが、こうして国が急速に発展すれば、かならず多くの富を得る者と、貧しいままの者が現れる。

 

貧富の格差は社会不安の原因になるかもしれない。労働力を低賃金で酷使することにもなるだろう。労使の関係に関する法整備は必要だ。

 

環境破壊は重要なテーマでもある。導力器は石油や石炭などの化石燃料を燃やさないので大気汚染にはつながりにくいが、それでも大量の需要が発生する紙は森林を急速に消費するだろう。

 

多くの重工業は大量の水を必要とし、その排水は多くの汚染物質を含むとともに、高い水温で周辺水域の生態系にダメージを与えるだろう。

 

労働力の急速な需要拡大は移民の流入をもたらすだろう。試案にはノーザンブリア自治区からの労働力募集を掲げているが、共和国方面、東方からの移民が発生するはずだ。

 

共和国にはマフィア組織が蔓延っているらしく、そのような勢力が国内にて力をつければ、移民と共に社会不安を増大する要因にもなる。

 

 

「これを一人で考えたのですか?」

 

「ラッセル博士やエリカ博士、お父さんにもすこしだけ手伝ってもらいましたが、大部分は私の案です」

 

「原子力というのは?」

 

「新しい物理学の研究施設です。導力とは全く異なる、新しい力を生み出すでしょう。詳しくはこのページに書いてあります。ですが、これについてはあまり外国に知られないようにすべきですね」

 

「どのようなモノになるのです?」

 

「完成すれば、いかなる導力兵器よりも強力な爆弾が生み出せます。実用化に関しては陛下におまかせしますが、いずれ大国と呼ばれる国はどの国もこれに類するものを造り上げようとするでしょう。導力革命とはそういう未来を確実にもたらすはずです」

 

「…分かりました。大臣たちに話してみましょう」

 

「ありがとうございます」

 

 

私の案はいくつかの修正を経てから、実際に実行に移されることになる。こうして、リベール王国の急速な変化が始まることになる。それは諸国にとって衝撃的な結果を生み出す原動力となった。

 

 

 

 

その人はお祖母さまに呼ばれてやってきた。顔も覚えていないお父様のご友人の娘さんで、その友人の方も、そして娘さんも国の英雄なのだそうだ。

 

飛行機を作った天才。神童、女神から祝福された娘。しかも、私と同い年なのだという。

 

お姫様という肩書以外は何の変哲もない私。それに比べて、国家の英雄で、頭が良くて、国民のみなさんに尊敬される同い年の女の子。

 

まったく釣り合わない。どんな人だろう。興味はあったが、怖くもあった。会えばきっと打ちのめされてしまいそうだから。

 

そうしてその人はヒルダ夫人に連れられて、お祖母さまの部屋に入ってきた。本当に私と変わらない年頃。

 

ツーサイドアップで纏めた栗色の長い髪、熱された金属のような赤色の瞳、可愛らしい容姿なのにもかかわらず毅然とした態度。私は思わずお祖母さまの後ろに隠れてしまう。

 

そうしてその人はお祖母さまと平然と受け答えをして、そしてその後、驚いたことに私に瞳を向けた。お祖母さまのドレスを掴む手に力が入ってしまう。

 

でも、その人は満面の笑みを浮かべて、私の名前を呼んだ。綺麗な、透き通った笑顔。少しだけ緊張が取れたような気がした。

 

そうしてお祖母さまはその人をテーブルに呼んで、そして大好きなお茶を用意する。私はお祖母さまのお茶が大好きだ。

 

その人は振る舞われたお茶を一口飲んで、少しびっくりしたような表情をして、美味しいと笑顔で応える。お祖母さまも嬉しそうで、私も少しだけ誇らしい。

 

そうしてお祖母さまとその人のお話が始まった。お祖母さまはその人に深く謝罪をしたのだ。どうやらその人は、今回の戦争でお母様を失われたらしい。

 

彼女ら親子のおかげで戦争に勝ったのに、その人たちは大切なものを失った。何もお返しができないことに、お祖母さまは悲しい顔をなされていた。

 

その人はお祖母さまは悪くないと言った。私もそう思う。悪いのは帝国で、お祖母さまは何も悪くないのだ。

 

それでも、お祖母さまは頑として自分が悪いことを譲らなかった。でも、そんなお祖母さまにその人は言ったのだ。

 

 

「ならば、僭越ながら我がままを聞いていただけますか?」

 

 

少しずうずうしいなと思ってしまったが、でもそれは当然かもしれないとも思った。その人は英雄で、お祖母さまに褒賞を求める権利があるからだ。

 

何もできなかった私には、その事にどんな言葉を差し挟めるというのだろう。だけど、その人の次の言葉は私をすごく驚かせる。

 

 

「クローディア殿下とお友達になりたいのです」

 

 

その人は真顔でそう言いのけた。

 

今までパーティなどで私の友達になりたいと近づいてくる子はいた。だけれど、その子たちは皆、私がお祖母さまの孫だからという理由で、その子の親の命令で近づいてくる子ばかりだった。

 

私は引っ込み思案で、そんな子たちの手を取ることは出来なかった。

 

でも、その人は満面の笑みで私に手を差し伸べる。太陽のようだと私は思った。こんなにも気持ちの良い笑顔を見たのは久しぶりで、私はつい問うてしまう。

 

どうして私なんかと友達になりたいのか。私には何も特別なモノなんてないのに。ただ、お姫様なだけなのに。だけどその人は答える。

 

 

「お友達になりたいのに理由なんて必要ないでしょう。きっとそれは衝動なのです。つながりたい、話したい、知りたい、手を取り合って歩きたい。ヒトとはそういう生き物ですから、きっと友達を求めるんです。…でもそうですね、強いて言えば、殿下が可愛らしかったからでしょうか? クローディア殿下、貴女はとても美しい」

 

 

胸が高鳴った。とても綺麗な言葉。急に頬が熱くなった。そして知るのだ。これがこの人が言う『衝動』なのだろう。

 

こんな気分は初めてで、こんな感情は初めてで、私は迷わず思った。私はこのヒトとお友達になりたいと。この女の子とお話してみたい、彼女のことをもっと知りたい。

 

 

「エステルさん…」

 

 

名前を呼んだ。呼んでもらった。手紙を書くことを約束した。また会ってくれると言ってくれた。こんな気持ちは初めてで、なんだかふわふわとした、楽しい、幸せな気分になった。

 

 

 





あ…ありのまま今起こったことを話すぜ! 「俺は女王陛下との謁見のプロットを書いていると思ったら、いつのまにかエステルがお姫様を口説いていた」

な…何を言っているのか分からねーと思うが、俺も何をしたのか分からなかった…。頭がどうにかなりそうだった…。誤字だとか脱字だとか、そんなチャチなもんじゃあねえ。もっと恐ろしい物の片鱗を見た気がするぜ。

第7話でした。

おかしい。リベールの工業化フラグを描こうと思ったら、百合的展開が発生していた。孤児院? 姫君は避難しなかったので、そんなフラグは立ちませんでした。

戦争があまりにもリベール優位に進んだ影響です。原作ではレイストン要塞とグランセル以外はほぼ占領されましたし。原作乖離がはなはだしくなってきましたね。

幼馴染 → エステル ← お姫様

ここにセシリア姫まで混ざるのか。胸熱…、いや、わけがわからないよ。


<五か年計画試案>

テティス海沿岸工業地帯の建設。大規模な港湾施設、製鉄所、化学コンビナート、造船所など
カルデア丘陵トンネルの掘削
ボース―ルーアン間を結ぶヴァレリア湖東周りの片道三車線高速道路『オトルト』の建設
大規模な飛行機用ツァイス国際空港の建設
導力ネットワークケーブル網の敷設および上下水道の整備
ボース・ロレントの計画都市整備
ラジオ放送局の開設および中継塔の建設
ロレントの大規模農場設立のための補助金制度
マルガ鉱山の近代化改修。鉱山開発補助金
グランセルおよびツァイスにおける地下鉄メトロの建設
廃棄物処理施設の建設
ロケット打ち上げ施設の建設
原子力研究施設の建設
バスの運行
自動車工場の建設
大規模飛行船建造ドックおよび空港施設の建設
飛行機工場の建設
土木機械・農業機械工場の設立
家庭用導力器製品工場への補助
先端技術研究への補助金増加(導力演算器、航空機、飛行船、エンジン、新素材、工作機械など)
次世代戦術オーブメントの開発研究
潜水艦の研究
企業融資のための開発銀行の設立。およびコンサルタント事業部の設立
優良企業への税制優遇
義務教育法、労働基本法、工業排水規制法、森林保護法、廃棄物処理法等の法整備
義務教育のための学校の設立(七耀教会との協力の元)
ツァイス工科大学の設立および奨学金制度の導入
高度医療のための病院を5大都市に設立(レミフェリア公国との協力により)
ハーケン門の要塞化
ノーザンブリア自治州での大規模な出稼ぎ労働者募集
王国軍情報部の設立。公安部門、諜報部門、情報解析部門を中心とする
政策立案研究のためのシンクタンクの設立
王立空軍の設立




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