悪魔の妖刀   作:背番号88

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55話

 関東大会の決勝戦、表彰式、その後もヒル魔さんが貸し切ったクルーズ船で船上祝賀パーティを開いて大盛り上がりで、大変だった。

 兎にも角にもくたくたで、家に帰って自分の部屋に入るやそのままバタンキューと眠りに落ちた。

 

 そして、翌日。

 

「ムッキャァアア、やっぱ体ベキベキMAX!」

「試合の次の日はいつも大変なことになるね……」

 

 セナ達は部室で、たらい桶で洗剤液に浸したユニフォームを手洗いしていた。

 マネージャーのまもりお姉ちゃん、それから手伝いの鈴音も洗ったみんなのユニフォームを部室前に一列で干している。

 

「私が全部洗っとくからいいのに、皆ゆっくり休んでて」

「いやその……なんか、自分でやりたいんだ」

 

 本日の朝練は休みで、練習は放課後。

 本来であれば、少しばかり寝坊してでも体を休めたいのに、このような雑事をしている。

 お世話焼きの幼馴染もそういってくれるが、これはセナらが望んでやっていること。

 

「王城戦は……進さんたちとの試合は、やっぱ特別だったから――」

 

 クリスマスボウル行きのチケットを争う決勝戦、だからだけではない。

 そうでなくても、セナが初めて敗れ、そして、本気でアメリカンフットボールを始める原点となった王城との試合は、特別意識する壁で、それを乗り越えることができた。その感慨は一晩経っても実感があるほどだ。

 

「終わったら洗濯物にポイってんじゃなくて、ついた汚れも全部、最後まで自分で診たいんだ」

 

 と言ってから、つい恥ずかしくなってセナは鼻下を指でこする。

 

「んっとうまく説明できないけど……てか、何かをうまく説明できたことなんてないんだけど……」

 

「……いや、わかるぜ、セナ」

 

 途中で弁明を始めてしまったセナだったが、理解を示すようにモン太が頷く。

 ユニフォームを洗いながら、一場面一場面を思い返す。

 王城戦だけではない、この関東大会での試合全てを。

 自分だけでなく、チームにとっても壁であった。

 一回戦の神龍寺戦も、栗田さん、ヒル魔さん、武蔵さんらにとっては因縁のある対戦相手だったはずだ。セナにとっての王城戦と同じように。

 そして――

 

(クリスマスボウル……けど、長門君にとっては、大和君との特別な試合でもある)

 

 ここにはいない長門君。

 決勝戦で進さんのタックルを何度となく受けたため、昨日の船上祝賀パーティを途中で抜けて、ヒル魔先輩と同じように病院の診察を受けに行き、そのまま酸素カプセルに入ったと聞いている。

 そんな彼にとって、全国大会決勝戦で対戦する、帝黒学園の大和猛は因縁ある相手。

 

(僕にとっても、かな)

 

 “アイシールド21”――交流戦で本物に相対した後も、烏滸がましくもこの称号を変えずにいるのはきっと、意識しているからだと自覚する。

 アメフトを始めたころは、つい弱気になれば頭の中に理想のヒーロー像(アイシールド21)を思い浮かべていたけれど、いつしかそういうのはなくなった。

 他人への騙りは、小心者の恐れを隠す仮面で、なりたい自分への憧れ……けど、本気でそうなりたいのなら、挑戦しなければならない。

 

 帝黒アレキサンダーズ。

 はたして、東京地区オールスターズでさえ勝てなかった頂点に、泥門デビルバッツの勝機はあるのか。

 

 

 ~~~

 

 

「がはは、さっそく地獄のスペシャルコーチ軍団のご到着だぞ!」

 

 

「スペシャル……」

「コーチ軍団??」

 

 放課後、溝六トレーナーが引き連れてきた面子に、一同は驚愕。

 

 

「ボケッとするなよ、セナ。“頂点”に挑もうってのに!」

「陸!?」

 

 

 颯爽と前に現れたのは、甲斐谷陸。

 陸だけでない、西部ワイルドガンマンズのキッド、鉄馬丈、バッファロー牛島もいる。いいや、西部だけでない。

 

 

「微力だけど協力するっちゅう話だよ。関東の蛙が、“頂点”を覆す様を見たいからね」

 

 

 白秋ダイナソーズの円子令司、峨王力哉、如月ヒロミ。

 

 

「この3週間、鬼しごいてやるから覚悟しとけよ」

 

 

 神龍寺ナーガの細川一休、山伏権太夫。

 

 

「トレーニングとて、全力で行かせてもらう」

 

 

 王城ホワイトナイツの進清十郎、桜庭春人、大田原誠、高見伊知郎、猪狩大吾、角屋敷吉海。

 

 

「あの交流戦で悔しい想いをしたのは、俺達もだからな」

「だから、お前らに託しておきてぇってこった」

「No.1になったからには、スマートじゃねぇ試合なんて許されねぇぞ」

「“誓約書”の件もあるが、俺達に勝ったその力が、“頂点”をも打倒し得るものか見てみたい」

 

 

 巨深ポセイドンの筧駿、水町健悟。

 柱谷ディアーズの山本鬼平。

 盤戸スパイダーズの佐々木コータロー。

 太陽スフィンクスの番場衛。

 等々。

 ぞろぞろと集まる豪華すぎる面子に、理解が追いつかない泥門一同。

 生憎とこの仕掛け人であるヒル魔は不在なので、一体全体どういうことやらと混乱するセナらに、キッドが一枚の紙を取り出して見せる。

 

「まぁ、用意周到だよホント……ヒル魔氏が大会前に回した誓約書だ」

 

 そこには、『どのチームが関東を制しても、他のチームは全国制覇に協力する』と書かれていた。

 

 いつの間に裏でそんなことをしていたのか。

 試合中だけにとどまらない盤外戦術に驚くが、しかし、そんな無茶なお願いを聞いて集まってくれたことにも驚く。

 

「打倒帝黒は、関東全体の悲願だ。そのような誓約書があろうとなかろうと力になれることなら手伝おう」

 

 と集ったのは強制されたからではないと訂正する高見に、その隣でひょっこり顔を出す水町。

 

「んー、カッコいいこと言ってっけどまとめっと、来シーズンまで俺らヒマだからってこと」

「言っちゃったウォオオイ!」

 

 

 兎にも角にも。

 オールスターにはオールスター。

 泥門デビルバッツを強化するために、各校のエースにして、ライバルたちが協力する。

 

 ・

 ・

 ・

 

 ――ゴバチィィン!!

 ギャラリーたちを震え上がらせる程の重い衝突音。

 

 栗田良寛が、コーチ役についた峨王力哉が構える練習器具(タックルダミー)へ思いっきりブチかました。

 クッションの表面が一撃で破裂するほどの威力だが、峨王はものともしない。壮絶な笑みを浮かべてさえいる。

 これを後ろから見守るのは、トレーナーの溝六。

 これまでであれば、ラインのタックルを受けてきたのは溝六だったが、もはやこの凄まじいタックルを受けるのは無理だ。

 

「栗田だけじゃねぇな」

 

 他のラインの面子もそうだ。

 小結大吉は、大田原誠と。

 十文字一輝は、バッファロー牛島と。

 黒木浩二は、水町健悟と

 戸叶庄三は、番場衛と。

 

 同レベルかそれ以上の相手とトレーニングを行っている。

 更には指南役として、基礎の山本鬼平、メンタルの山伏権太夫、ハンドテクニックの筧駿がついており、時には彼らも相手役に交代しながら文字通りに身体に叩き込んでいる。決勝戦での贖罪としてか、猪狩大吾はラインマン全般の雑用を請け負いながら、時には相手役に混ざったりもしていた。

 

「はああああああ!!」

「オラアアアアア!!

 

 突貫する猪狩を、十文字の右手が制する。先程、バッファロー牛島と繰り広げたような乱打戦の喧嘩殺法ではない、アメリカンフットボール選手のハンドテクニックを猪狩に試す。

 それに出だしの勢いを挫かれた猪狩だったが、野生の勘か、即座に体勢を立て直し、大きく振るった腕を十文字に叩き込む。

 ちっ、と舌打ちし、咄嗟に腕を盾にしたが、身体が弾かれ、後逸。その有様に、くそったれと愚痴をこぼす。

 

「あと3週間しかないっつうのに。これで帝黒に通用すっかよ」

 

 帝黒アレキサンダースは、全国からエース級が集ったチームだ。それに対して、自分ら泥門デビルバッツは大半がアメフトを始めて1年足らずのルーキー集団。

 

「だからって、足を引っ張る真似なんざ、できねぇ。負けて良い言い訳なんざ、ねぇんだ」

 

「十文字」

 

 息も整わずに次の相手を要求しようとする十文字を、指導役として後方から伺っていた筧が止める。

 

「三兄弟で一番器用なのはお前だ。『不良殺法』もだが、ハンドテクニックも最も形になっている」

 

 焦る十文字とは反対に、筧は感心していた。

 技術は一朝一夕で身に着けるものではないが、しかし基礎が出来上がっていればそれも短縮される。それも普段、手本となるような格上と相手して、見稽古してきているのだから猶更。

 それは十文字だけでなく、泥門全員に言えること。

 

「つっても、通用しないんじゃ意味がねぇだろ。少しは効いたみたいだが、長門にこういう技が通用したことはねーし」

 

「教えてすぐに実践できるもんでもねぇよ。第一、比較対象が間違ってる」

 

 呆れた様子を見せる筧に、十文字も息を深く吸ってから、話を聞く姿勢を取った。

 

「話に聞いてたが、お前らは普段、長門を相手にしていたようだが、あいつは帝黒のオールスター連中に入れてもぶっちぎるヤツだ。猪狩の突撃を抑えられたんなら、帝黒にも十分通用するレベルだ」

 

 『長門村正相手に通用する力を手に入れろ』

 筧からしても頭のおかしい、下手をすれば選手がブッ潰れるような『死の断崖』の目標設定。

 無知で無垢な井の中の蛙(ルーキー)であるが故に、大会前までは、長門を“チームに一人はいるエース級の選手”くらいの認識で挑んでいたんだろうが、実際はその想定の遥か上の無理難題級の怪物だ。

 アメフトを本気で取り組んで間もない時期に、認識を誤った怪物相手に何度も叩きのめされていれば、『自分はまだまだエース級には及ばない』という十文字らのズレた認識にも納得できよう。それで今まで潰れた人間がいないのは負けん気(メンタル)の強さか、はたまた、長門の指導(てかげん)が達者だったか。

 いずれにしても、泥門の選手たちの成長は著しい。

 

「水町っつう実例を見てきたから言える。お前らもまた進化している。とっくにルーキーなんて侮っていいような選手じゃねぇ――この関東を背負うに足る実力は備わってる」

 

 試合のたびに観戦していた筧が目を瞠るような成長を見せている。

 アメリカで名門校のエースを務めていた筧ですら、今の十文字は容易く相手できるような選手ではないのだ。少なくても水町と同じ――オールスターに選出されるレベルにあるだろう。

 だから、この要求も可能だと筧は判断している。

 

「実際、交流戦で帝黒の奴らとやり合ったから、お前が渡り合えるのはわかる。そして、大和のリベンジに燃えてるのは長門だけじゃない。あの敗戦から磨き上げた俺のハンドテクニックを、3週間でお前に叩き込む……!」

「はっ! 望むところだ!」

 

 

 十文字だけではない。小結、黒木、戸叶らもオールスター級の選手を相手に果敢に挑み、その教えを一身に受けている。

 その練習風景に、泥門のトレーナーは感慨深げに目を細める。

 

「この老体で連中しごけてた頃が懐かしいぜ。揃いも揃って実戦ぶっちぎりに育ちやがってよ……!」

 

 もちろん、前衛だけではない。後衛のコーチ役も豪華である。

 

「肉体は劣るけれども、非力でも使いどころを見誤らなければ勝機はあるよ」

「まあね。それにおたくの長所は(ここ)。ドイツの欧州リーグには超記憶症候群を活かした頭脳プレイで、相手の動きを先読みするっちゅうプロもいるし。――個人的に集めていた帝黒学園の資料、これを完全にインプットすれば、0kgの武器が手に入る」

 

「うん、よろしくお願いします!」

 

 洞察力に長けた雪光学には、円子令司と如月ヒロミの白秋組。

 

「誓約書のこともあったけど、なによりおたくのとこのエース――『妖刀』とか言っちゃって、そこ笑うとこ!? ――の宣戦布告に痺れたって感じじゃん。んで、もし帝黒戦で特訓した選手が活躍すれば、それに便乗して狼谷スペシャルコーチの名も全国に轟くって寸法! あははっ! 俺、調子こき過ぎる? ま、とにかく面倒見てやるよ。君、そこそこ長い足してるし素質あるじゃん。もちろん、俺には及ばないけどね!」

「確かに、泥門のエースはすごい。悔しいけど、長門の『卍デビルバットソード(おっぱいクラッシュ)』は、僕にも勝る威力だった。この岩重ガンジョーに勝った進を倒し、MVPに選ばれたのも納得。そんな彼のいる泥門デビルバッツは、帝黒に勝つかもしれないって期待できる。だけど、やっぱり師匠から究極武術を伝授された身として、その技がお披露目されないのはさみしい! 瀧夏彦君! 君は僕と近しい感性を持ってる! そして、僕にはない柔らかな肉体から新たな境地を見た! そう、その潜在能力、『御疲敗道(おっぱいどう)』で開花させてみないかい!」

 

「アハーハー!」

 

 スピードとパワーも一定以上の器用貧乏(オールマイティー)の瀧夏彦には、岬ウルブスの足長瞬足エースの狼谷大牙と茶土ストロングゴーレムの岩乗作りエースの岩重ガンジョーの目立ちたがり屋コンビ。

 陸上部の助っ人だけど、石丸哲生には、甲斐谷陸がついている。

 

 

 そして、何よりランとキャッチの二大エースについているのは……

 

 

「モン太、お前の相手が最も実力差がある」

 

 一切の配慮なく事実を告げるのは、細川一休。

 帝黒戦で雷門太郎が担当する相手は、本庄鷹。

 偉大な野球選手の一人息子にして、高校最長の跳躍力を誇る関西最強のレシーバー。

 

「交流戦の試合映像は見させてもらった。俺と同じくらい凄い鉄馬や桜庭がまともに勝負にならないくらいに、本庄鷹は鬼強い。つまり、今のモン太じゃコイツの相手にならない」

 

 一休は、絶対に勝てないとは決して口にしないが、それでも己の目で見定めた相手の力量を誤魔化しはしない。

 本庄鷹は、関東四強(じぶんら)よりも格上――関東で空中戦最強の長門村正と同等の超人だ。

 

「わかってるっす。けど、俺は本庄鷹に勝って、キャッチの神様だって超えて、No.1レシーバーになる……!」

 

 声に震え、一片の強がりが混じりながらも切った啖呵に、一休、それから他二人も目を細める。

 モン太は、関東四強に数えられながら、アメフトのボールに触れてまだ1年足らずのルーキーだ。

 3人と比較すれば足りないところが多いが、その分、伸びしろは存分にある。

 しかし、3週間しか時間がない以上は、我武者羅に猛特訓というわけにはいかない。目標が定まった今、伸ばすべき方向性を当人に自覚をさせる。

 

「だったら、本庄鷹に通用する武器はあるんだろうな」

 

「それは、キャッチ力っす」

 

「なら、お前はその鬼キャッチ力を活かすにはどうしなくちゃいけない」

 

「鷹よりも良い位置取りを確保すること、っス」

 

「それで、そのために必要なのはなんだ」

 

「ん、え、っと……」

 

 モン太は、考える。想像する。

 鷹は自分よりも足が速いし、ジャンプも高い。キャッチできる範囲が広い。そんな相手よりも先にキャッチするには、位置取りが必要。ここまでは正しいはず。ヒル魔先輩も限界点ギリギリを要求するパスを投げ込んでくるはずだ。

 その勝機を高めるのに必要な要素は何か。

 

 まずは、スピード。

 単純な脚の速さはもちろんだが、小回りさも必須だ。機敏に動ければ、相手を洞察して見つけたその裏をかくことができる。

 

 次に、高さ。

 本庄鷹の高さに敵わないが、それでも到達点の差を縮めれば、それだけ競り合いに持っていけるチャンスが増える。指先だけでも掠らせることさえできれば、相手のキャッチを防ぐこともできるはず。

 

 そして、パワー。

 本庄鷹はパワータイプのレシーバーではない。それはモン太も同じだが、スピードや高さと比較すれば、能力差が小さい要素だ。ギリギリの競り合いで、互角の状況を少しでも有利に持っていくには、鷹を上回るパワーが必要だ。

 

 そこまで思案をまとめたところで、モン太は口を開いた。

 

「鷹に少しでも迫れるスピード、高さと、それから押し退けるだけのパワー」

 

「それだけで足りるのか?」

 

「……いや」

 

 思考に過るのは、あの光景。

 

「……先を読んで動けるようになる、全体の流れを感じ取る嗅覚っつうのをもっと掴めれば……」

 

 これは鷹よりも、長門のことを意識して出た言葉だ。

 関東大会決勝で長門が見せた、傍観するしかなかった最後のプレイを思い出した

 本庄鷹と並ぶ壁、アメフトを始めてこれまでずっと目標としてきたライバルにしてチームメイトは、きっと自分よりも遥か先の景色を見ていた。

 だが、アレは才能のある者にしか許されない領域。フィールドの情報を余さず察知し、全体を俯瞰して先読みできる頭があるからこそできたもので――ボールを見ることしか能がない自分にできるものなのか。

 

「掴まなくっちゃ、俺はNo.1レシーバーに……――」

 

 言葉が、途切れた。

 才能なんてないからこそ余計に、直感的にわかるのだ。向き不向きは。

 だから、あれから寝不足になるくらい頭の中でプレイを思い返しても、どうあっても自分には当てはまらず、どうにもならない悔しさばかりがこみあげて、勝利できるビジョンは一切浮かんでこない。

 

「――畜生……っ! わかってる、わかってるんスよ! 俺は弱い……! たとえコンディションMAXで試合しても、まず実力が足りてない! 俺の能力を全部一段階は底上げしなくっちゃあ、勝負にならないっつうのに、こんな、ないものねだりして……俺に特別な才能なんてないのはわかってんのに……!」

 

「そうだ、残されてる時間は3週間、鬼無駄なことに費やす時間は1日もない」

 

 途中、息を止めるかのように詰まらせたモン太の口から吐き出される慟哭にも似たそれを、一休は無情に肯定する。

 足りないところを自覚させるのは上達への一歩だ。そして、モン太が選んだその道には険しい山々がある。その超えるべき山々(しれん)は、ここに用意され(あつまっ)ている。

 

「けど、自覚できたならそれでいい。それで、今言ったモン太に足りない要素をクリアさせるには、鬼過酷に扱き上げなくっちゃならないのはわかってるよな」

 

「うっす!」

 

 感覚派のモン太には実戦的に叩き込んだ方が覚えは良い。勝負しながら身体を鍛え、身体の動かし方を相対して見て盗ませる。そのためにもモン太の相手は、自分だけでは足りない。

 パンッと自分の頬を両手で挟み打って気合を入れ直したモン太が見据える視界には、3人の強敵手たちがいた。

 

 

「モン太、鬼本気で帝黒倒す気だろうから、とことん付き合ってやるよ。お前に不甲斐ないプレイされるとこっちまで舐められるからな」

 

「交流戦では負けたけど、本庄鷹の高さならよく知っている。俺と競り合えるレベルじゃなければ勝負の土俵にも上がれないぞ、モン太」

 

「指令は絶対だ、雷門太郎。何があろうと誰が相手だろうとレールから外れなければ、その先に必ず勝機はある」

 

 

 細川一休。

 桜庭春人。

 鉄馬丈。

 関東四強――モン太が尊敬する強敵手たちが、モン太の相手(コーチ)だ。

 

 

「それとモン太、お前に長門の真似事は鬼向いてない。――だから、お前は、“にらめっこ”を鬼極めろ」

 

 

 ~~~

 

 

「よよよろしくです……」

 

 

 小早川セナのマンツーマンコーチは、そのスピードに唯一ついていける男、進清十郎だ。

 トレーナー溝六が引いた角ばった8の字で行われるメニューは『四角(スクエア)ラン』。コース(ライン)上からはみ出ないようにひたすら追いかけっこするトレーニングだ。

 

(ひぃいい……昨日の決勝戦で、あんなに苦労して進さんを抜いたのに、これ何回闘えばいいんだろ……??)

 

 時間の指定なく、とにかく走らされる、それも最強クラスの相手に追いつかれないように。

 プレッシャーに慣れない小心者(ビビリ)にとっては震え上がるようなメニューだが、その震えは目前の相手の真っ直ぐなまなざしに武者震いに変わる。

 

「宣告通り、トレーニングとて、全力で行くぞ、アイシールド21……!」

「はい……!!」

 

 そして、始まる全力の疾走と追走。

 直線ではない、直角にカットを切るコースを全く減速(ブレーキ)せずに常時4秒2の光速の世界で駆け回る二人に、補佐役として同行していた角屋敷吉海も目を見開いて驚きをあらわにする。

 

(進さんには、ちょっとでもスピードを緩めれば追いつかれる――けど、これ曲がりきっつ……!)

 

(全力のトップスピードでの90度ターン、四角形の厳しいコースがカットを切る脚力を鍛え抜く……!)

 

 互いに共に、人間の限界速40ヤード4秒2を維持。

 最速同士、セナと進のマンツーマンでなければ実現し得ない究極のトレーニング。

 これを続ければ、確実に走りの能力は向上する。

 

 ――それだけでいいのか。

 

 交流戦で負けた時、もっと自分にできることはなかったのかと考えたが、結局、明確な答えは思い浮かばなかった。

 あの“頂点”、帝黒学園に、この最大にして、唯一の長所(ぶき)はどこまで通用するのだろうか。

 関東大会を経て、あの時よりも成長していると自負しているが、“この偽りの仮面(アイシールド21)の本物”に追いつけているのだろうか。

 答えのない懊悩は膨らむばかりで、胸をざわつかせる。

 そんな雑念を感じ取ったのか、不意に足を止めた進。それに驚くセナだったが、進に合わせて走るのを止める。

 

「何を考えている、セナ」

 

 進は、セナの揺れる視線を見やってから、端的に問いかけた。

 己の苦悩を真っ直ぐ突いてくる言葉に戸惑ったが、セナは隠さずに吐露した。

 

「進さんは、僕の走りが……帝黒に通用すると思いますか?」

 

 少し言葉足らずな問いかけに、過小評価も過大評価もせず、進はありのままに評価を下す。

 

「選手として総合的には大和猛が上だが、走りにおいては、セナの方が完成度は高い」

 

 言外の部分――大和猛との比較をまず述べる。

 強靭な体格から猛進するパワーランや長い手で相手をいなすハンドテクニック。大和猛はセナには持ちえない手札を多く有するが、それでも己を抜いたセナの走りは紛れもなく本物だ。

 

「光速自在の走りで、“最適解”を駆け抜ければ、大和猛でも止める手段は限られる――だが、帝黒において非常に危険な相手は、大和猛だけではない。赤羽隼人がいる」

 

 大和猛と本庄鷹が今の帝黒の二大エースだが、進が危険視するのは、3人目のエース――赤羽隼人。

 昨年の東京地区大会準優勝した盤戸スパイダーズの中核であり、進を差し置いて、東京MVPに選出された赤目のエース。

 初めて相対した時の決勝戦は、7-6と王城が勝利したが、キック2本を許す……東京地区大会で唯一黄金世代の王城が失点した相手。更には、最終的には時間をかけて強引にタッチダウンを奪ったが、こちらの攻撃手段の悉くを潰され、非常にやりにくかった相手と記憶している。

 

「交流戦でもそうだったが、あの男は洞察力に長けている。白秋のマルコはマークした相手との一対一の駆け引きに集中し、僅かな隙も逃さないが、赤羽隼人はフィールド全体の情報を把握し、先を読んでいる」

 

 それは単純なセンスだけで成し得るものではない。

 対戦相手の資料をひたすら読み漁り、些細な癖までも目を付けているからこそ、高い精度の先読みを可能としている。

 ほぼ初見だった交流戦とは違い、情報を収集・分析される時間があり、泥門デビルバッツの情報は赤い目によって丸裸にされているだろう。

 対策を講じられていることは間違いなく、その研究した成果をチームへ浸透させる。

 大和猛や本庄鷹がずば抜けた個人技で、日本各地のエース級の選手が集った帝黒学園の“頂点”にあるが、赤羽隼人はその2人と比べると身体能力では一歩譲るもののスピードもパワーも非常に高くまとまっており、更には優れた知能でもって日本一のチーム(アレキサンダーズ)の組織力を一段階底上げさせている。無論、実力もエースに相応しいものがある。

 

「俺を抜いた“最適解(はしり)”は研究されているだろう。帝黒……赤羽隼人の先読みを超えるには、“最適解”を凌駕し、更なる高みに至るしかない」

 

 

 ~~~

 

 

「勇敢なる帝黒戦士256名、と1人欠席やから……255名の諸君! 本日のミーティングは来るべき血戦――クリスマスボウルに向けて、泥門デビルバッツ対策会議を行う!」

 

 部員数200人以上、6軍まであるアレキサンダーズの選手全員が入れる帝黒学園の大評議会場にて、壇上から仕切るのは、亜麻の一枚布を左肩でピンでとめてベルトを締め、右肩をむき出しにするような格好で身に着けている平良呉二。

 帝黒学園中等部では一度も一軍に上がったことがなく、高等部でも飲酒事件などの問題行動もあって昇降格を繰り返しているが、高校3年生にして才能が開花した遅咲きの選手。ムードメーカーとしてこのような真面目な会議にちょっとしたお茶目を盛り込むくらいにノリの良いおちゃらけた性格をしているが、人望は厚く、満場一致で選出された帝黒アレキサンダーズの主将である。

 

(ううぅ……この一番前の席、居づらい……なんや偉そすぎて……)

 

 して、この評議会に参加する選手の席は、実力順に縦に並んでおり、最前列に座る選手が各ポジションのトップが座っている(一部空席有)。

 

「さって! 肝心のその泥門の資料なんやけども! ……前評判では王城の進がえらいごっついつうし、上がって来ると思とってから、あんまり集めてなかったんだけど、今日のために情報収集部隊のマッケンジー・ヒルさんが一晩で頑張ってくれました! ハイ皆拍手!」

 

「ったく、しっかりしとけ主将、主務らにあんまり迷惑かけんなや」

 

 少し大げさなくらいに手を叩く平良とそれに合わせて野次を飛ばしながらも拍手する安芸礼介(ラインマン)渡嘉敷織男(ラインマン)佐野ミコト(ワイドレシーバー)天間童次郎(ランニングバック)布袋福助(キッカー)ら筆頭選手。小泉花梨(クォーターバック)も控えめに拍手を送っていたが、舞台袖でプロジェクターを操作している黒淵メガネをかけた金髪の主務(マッケンジー)を見るや、『え? え?』と何故か驚くが、誰も気にされなかった。

 

「それじゃあ、各選手の解説を、赤羽先生にお願いしよか」

 

 ギャ~ン! とギターをかき鳴らして応じたのは、タイトエンド筆頭の席に座る赤羽隼人。

 2年生ながらアレキサンダーズの戦術家を任される赤羽が、フーと息を吐きながら、ギターを携えて壇上に上がる。途中、それに面白くないと噛みつくのは同じ2年生の安芸。

 

「今のギターのギュイィンはなんなんや? 意味あんのか。知性がどうのこうの言うとるが、アメフトは理屈だけで通用する競技じゃちゃうねんぞ」

 

「お前みたいな熱血だけで勝てるほど、アメフトは甘美な世界じゃない」

 

「あぁ!?」

 

「ほらほらケンカしない二人とも。毎度毎度ミーティングのたびにぶつかってちゃあ、一軍の選手として他に示しがつかんやろ。少しは仲良うならんか」

 

 言い争いの仲裁に入る平良に、赤羽はフーと溜め息を吐きながら、サングラスを直し、

 

「音楽性の違い、ってやつかな」

「わからんわ! アメフトに音楽性関係ないやろ!」

 

 処置なし、額に手をやる平良主将。

 赤羽と安芸は一軍を担っている二年生、次期チームの中心人物になるであろう二人の仲が悪いのは悩みのタネだったりする。

 赤羽としては熱血で短気な安芸の性格が誰かを思い起こさせるし、『チアリーダー美女軍団と付き合える』とスカウトに言われて帝黒学園に行くことを決めた安芸としてもルックスの良いモテる男でクールに気取ってる赤羽に敵意満々。互いに互いを無駄に格好つけだと批判し、慣れ合うことはない。まさに油と水だ。

 

(っつっても、あんま心配はしとらんけど)

 

 性格はとにかく、プレイの相性は良いし、互いに一軍の選手としてその実力は認め合ってる。

 40ヤード走4秒5のスピードを誇る、ラインマンの中では高校最速の安芸礼介と、高い知略と卓越したテクニックを有する赤羽隼人は一か月で一軍入りした逸材だ。高校3年になるまで燻っていた自分とは違う。そんな才能あふれる後輩が試合では息の合った連携を取るのだから頼もしいことこの上ない。

 さらにその下の一年生には一日で一軍入りした怪物クラスもいる以上、帝黒アレキサンダーズの不敗神話は向こう2年は揺るがないと考えているのは平良だけではない。

 

 とにかく、会議を進める。

 安芸も余計な茶々を入れずに赤羽の分析には耳を傾ける。

 舞台のスクリーンに最初に映し出されたのは、相手選手を圧し潰す泥門デビルバッツの重戦士。

 

「では、まずはライン、その中核(センター)の栗田良寛。白秋の峨王力哉を倒した彼は、力で敵う相手ではない。止めるには、最低でも2人は必要だが、癖は判り易い」

 

 攻略は可能だ、と栗田が活躍する場面を背景に言い切るその根拠は、赤羽が提唱し、チーム全体に浸透させた技。

 『蜘蛛の毒(スパイダー・ポイズン)

 相手がタックルに行くその瞬間、踏み込むために一瞬だけ重心が後ろに下がったタイミングに、すかさず押し込めばどんな巨漢が相手でも倒せる。

 そして、その肝要となる相手チーム全選手の“重心移動の癖”を、赤羽は膨大な資料を基に研究し、チームメイトらに教えている。

 

「スピードがない分、重心がすわった栗田を倒すのは一筋縄ではいかないが、動きは単調で重心は掴みやすい。それは実際に交流戦で相手をしたヘラクレスもわかっているんじゃないか」

 

「まあな。赤羽先生の言う通り、難しいこと考えずにゴリ押し一辺倒って感じでわかりやすいわ。駆け引きとかせえへんし、隠し事とかできない性格やなあれは」

 

「他のラインも同様だ。アメフトを始めてから1年足らずと聞いているが、それだけに癖が消し切れていない」

 

 栗田に続いて、スクリーンで映し出される十文字、黒木、戸叶、小結が活躍する場面。それぞれが相手選手を撃破するシーンだったが、紅の目はその弱点を暴く。

 

「それぞれの重心移動のタイミングについては今、渡した資料の通りだ。ギターピックで弦の鼓動を感じる時のように、相手の重心を腕で感じ取れれば、押し込むタイミングはわかるはずだ」

 

「いや、超わかりづらいたとえだし、それに渡された資料も楽譜とかわけわからんわ!」

 

 こめかみに青筋を立てた安芸がツッコミ、花梨は苦笑する。

 独自の世界観を持つ赤羽隼人の理論を解読するのは難しいが、正しい。資料については後程、一般人にも理解できるように書き直してもらうとしよう。

 ぱんぱんと手を叩いて場を収めると、仕切り役の平良は次の話題――後衛について移る。

 

「そんじゃ! 泥門の主戦力を紹介しよか……まずは、関東屈指のレシーバー、雷門太郎からや!」

 

『キャッチMA――X!!』

 

 最前列が空席のワイドレシーバー席の、最後列をちらと見やってから、平良が映像で見せるのは、雷門太郎のキャッチシーン。

 王城の桜庭春人と競り合いながら、高校最速の剛速球(デビルレーザーマグナム)を見事に掴み取った場面を切り取ったものだ。

 この見事なキャッチにはレシーバー魂に火が点くかと期待したのだが……意中の相手は、相も変わらず我関せずと読書にふけっている。

 

「エースレシーバーの雷門太郎。レシーバーとしては、関東でも5本の指に入る選手で、特にキャッチ力が秀でている。強引な競り合いとなった場合のボールの奪取率は、9割程。警戒が必要な相手だと考えるが――鷹、同じレシーバーとしての評価はどうだ?」

 

「敵ではない」

 

 赤羽から話を振られた帝黒のエースレシーバー――席順を無視して最後列に座していた本庄鷹は本の頁を閉じ、問いかけに対して端的に答えた。

 

「うちの親にも言われたが、クリスマスボウルで勝負となる相手は1人だけだ」

 

 眼中にないと言い放つ鷹。

 この不遜な発言を、平良と赤羽らは訂正しない。

 全国のエース級の選手が集った帝黒学園、その歴代1軍選手の中でもぶっちぎりの実力があるからこそ許される。

 

「さあて、お次はこの選手! 関東最速のランナー、大和とお揃いのアイシールド21を決めてる小早川セナ!」

 

 空気を切り替えるように平良が表示させた映像は、切れ味鋭い光速ランで王城の守備陣(フィールド)を切り抜ける場面。

 これに感嘆するのは高校最速のラインマン。

 

「相手のラインが面白いように振り回されとる。大和クンと同じくらいの速さとは聞いてるけど、滅茶苦茶すばしっこいヤツやな」

「大和も言っとったけど、スピードは大和と同等以上。走り回られたら捕まえんのは相当ムズい。交流戦で対峙したことがあったけど、あの時も苦労したし」

「そうそう、皆でどうにか包囲したところで、最後、ブチ破られたっけ」

 

 おいコラアキレス、と据わった目を向ける平良だったが、挑発混じりの批難を動じずに受ける赤羽。

 

「小早川セナは、成長している。映像を見る限り、交流戦よりさらに走りが磨きかかっている。だが、それも研究済みだ。無論、同じ手を通用させる気はない」

 

 走りのパターンを図式化した資料が配布される。

 ふん、と鼻をならす安芸だが、渡された資料にしっかりと目を通す。

 

「それと気ィつけんとあかんのは守備でもや。奇策大好きっ子の泥門だから、光速でクォーターバック……つまり花梨を、セナの特攻ブリッツで潰しに突っ込んでくるのは十分にあり得るで」

 

「は、はい! 気を付けます!」

「大丈夫や! そん時は俺がビシッと守ったるから!」

「いや、アキレスでは不安が残る。一軍の中でも確実に止めに入れるのは大和だけだ」

「なんやと赤羽! 俺では実力不足っちゅうんか!」

「40ヤード走4秒2のスピードは伊達ではない。大和以外で、誘導もなしに追いつける手合いではない」

「そんなんわかっとるわ! それでも誰が相手だろうと味方を守んのがラインの役目や!」

「クォーターバックの守りを固めるあまり、前線が手薄となれば、相手のラインに突破される危険性が高まる。『電撃突撃(ブリッツ)』には後衛、大和か俺が対応する」

「はぁ! 大和クンはともかく、お前に花梨を任せられるか! 俺より鈍足のくせに! っつうか、交流戦で強引にブチ破られたんは赤羽やろ!」

「さっきも言ったが同じ手を通用させる気はない。それに、その理論だと俺よりもひ弱なアキレスでは壁役が務まらないことになるが」

「なんやと!」

「ふ、二人とも落ち着いて――「いい加減にせんか!! ミーティング中は勝手に席を立つなアホウ!!「ぐへっ」」」

 

 席を立とうとした安芸の肩をがっちりと手で押さえてそのまま強引に腰を下ろさせてから、赤羽に睨みを利かす平良主将。

 火種となる話題を切り替えさせようと次の選手――最重要警戒選手を画面に映し出させる。

 

「いよいよ、本日のオオトリやで。泥門、いいや関東最強のエースにして、大和の幼馴染(ライバル)の長門村正! 交流戦で痛い目見た奴は多いだろうから言うまでもないけど、こいつがクリスマスボウルで最も警戒する選手や!」

 

 紹介に合わせて見せられたのは、決勝戦、王城のエースとの雌雄を決した瞬間。

 生で相対してるわけではないはず。記録映像として仲介したにもかかわらず、肌にひしひしと伝わってくる迫力。後列から息を呑む気配(おと)がちらほらと。

 狙い通りの反応だが、空気が重い。ただし、画面越しのプレッシャーに潰されるほど、この最前列に座する面子ではヤワではない。

 静まり返った会議場で、ほんの数秒、整理をつけさせるだけの間を与えてから、赤羽は口を開いた。

 

「泥門の選手は皆、何かしら武器となる一芸に秀でた、尖った能力値のものばかりだが、その中でただ一人、パワー、スピード、テクニック、その全てにおいてトップクラスの能力を有するパーフェクトプレイヤーだ」

 

「そりゃあ、別格の選手だってのはわかるけど、付け入る隙はないんか? 大和に攻略法を伝授しとったやろ、赤羽先生」

 

「あれは、大和だから実行できたものだ。そして、同じ手が二度も通用する程甘くはない。後出しで重心の移動を変えられる体術(すべ)もある。下手な小細工を仕掛ければかえってこちらの重心が掌握されるだろう」

 

「『蜘蛛の毒』のような搦め手が通じるような隙がないとか、厄介極まりないな。しかも、栗田よりは劣るけど、帝黒の選手全員よりもパワーは上」

 

「あと、格闘技にも秀でている。重心移動を偽装する体捌きもだが、拳の打ち方は武術を修得している者の動きだ」

 

 ラインの中核である平良が首筋を引きつらせ、帝黒の中でも肉弾戦(ボクシング)を得意とする渡嘉敷も眉間に皺を寄せながら見解を述べる。

 

至近距離(クロスレンジ)の間合いに迂闊に踏み入れば無事では済まない。原則、1対1でやり合うのは避けた方が賢明だろう」

 

 危険。全員の認識を重ね塗りするような総括に頷き同意を示す。

 しかし、その逃げ腰な戦略に、面白くない様を表に出すものもいる。

 

「なんやさっきから弱気の発言ばかり。戦術方針を立てる先生のくせに、皆の不安をあおるような真似ばかりでチームの士気を盛り下げることしかできへんのか」

 

「……ならば、アキレス、君から有意義な意見があるのならば伺いたい」

 

「去年の関東にも一人だけえらいゴッツイレゲエがおったけど、勝ったのは帝黒や」

 

 『百年に一度の天才』とも称される神龍寺ナーガの金剛阿含。

 途中で自分のチームメイトをしばき倒して勝手に退場(じめつ)したが、あの抜群のセンスと能力は、帝黒アレキサンダーズでも恐るべきものだった。

 しかし、クリスマスボウルを制したのは、帝黒アレキサンダーズだ。

 

「長門があのゴッツイレゲエと同じ怪物だとしても、帝黒は全員が強いチームで、それに加えて、今年は大和や鷹といったずば抜けて凄いのもおる。個人でブイブイ調子づかせようが、ワンマンチームにやられるほど“頂点”は伊達ではないんや!」

 

 ドンと胸を叩く安芸に、赤羽はサングラスの位置を直しながら、

 

「フー、“頂点”か。カタチを誇るのは俺の音楽性じゃない。だが、帝黒の一員であれば背負わなければならない称号だ」

 

 帝黒アレキサンダーズは、スカウト達が勧誘した全国でも選りすぐりの選手が集い、6軍まで存在する大所帯のチーム。完全実力主義の熾烈な争いを勝ち抜いて1軍の座についた者にはそれ相応の待遇が与えられている。

 全員個室のロッカールームに、コーチやトレーナー、2軍以下の選手からの手厚いサポート体制。

 そして、何よりの報酬が何かと問われれば、それは“誇り”だ。

 “頂点”帝黒アレキサンダーズの1軍として自分が闘っている、というその“誇り”こそが報酬なのだ。

 

「アキレス」

「なんや」

「お前と俺は心から音楽性が合わない」

「音楽やらなんやら知らんけど、合わないっちゅうんは心底同意するわ」

「だが、“頂点”のチームの一員としてあらんとするお前の誇りは、認めている。そして、俺も同じものを背負っているつもりだ」

「…………んなもん、わざわざ言わんでもわかっとる」

 

 そっぽを向く安芸に、やれやれと少し大仰に肩を竦める平良。

 そして、赤羽は壇上からチームの面々を一望しながら、断言する。

 

「泥門がワンマンチームであれば、帝黒の勝利は揺るぎない」

 

 ただし、それには一つ前提がある。

 『長門村正が、金剛阿含と同程度の選手である』という。

 その確認をするには、打ってつけの人物が、ちょうどここにいる。

 

「それで」

 

 会議室の隅。先からミーティングに合わせ、試合映像を切り替え、補佐をしていた主務……の風貌を装った人物に赤い眼差しは向けられた。

 

「これまでの会議について、どう思う? 是非とも意見を伺いたい――ヒル魔妖一(マッケンジー・ヒル)

 

 

 ~~~

 

 

「ここだ」

 

 案内人に連れてこられたのは、スポーツジム。

 あの男がここに通い詰めるなど、関東大会前では思いもよらなかっただろう。鍛錬や努力と己は無縁、無駄とすら考えていたはずだ。

 だが、長門は案内人――金剛雲水の言を疑わなかった。

 

「案内、感謝する、金剛雲水。ここから先は俺一人で行こう」

 

「…………そうか」

 

 努めて表情に出さないようにしているが、雲水の顔には不安が滲んでいる。

 ヒル魔妖一から要請され、当人の長門村正の強い要望があるから案内を請け負ったが、目的の人物はこれを知らない。知られていれば、敬遠するかもしれなかったからだが、しかし、この要求に素直に従うとはとても思えない。約束なしの来訪、必ず、反感を買う。そして、不愉快な真似をした相手がどうしてきたのか、彼の不始末の一切を請け負ってきた雲水はその悲惨な末路を幾度となく見てきた。

 それでも、迷いの末に長門と会わせることとしたのは、彼が最強となるために必要だと考えたからである。

 そう、長門村正という男は、これまで彼が殴殺してきた有象無象とは一線を画する。

 

「事を穏便に済ませられる自信はない。ヒル魔先輩からは100%殺し合いになると言われているしな。しかし、お互いに利はあると思っている」

 

 ――金剛石を研磨できるのは、金剛石のみ。

 

(女遊びは相変わらずだが、それ以外の時間はトレーニングに費やしている。泥門戦以来、ずっと……)

 

 唯一の弱点だった“練習不足”が解消されたが、独力で到達できるよりも上の高みに至るには、敵足りえる者がいる。

 

「あらかじめヒル魔先輩が(毎度おなじみの脅迫手帳で)ここに話を通している。ジムの職員に頼めば、避難誘導をしてくれるはずだが、何かあったら救急車の手配をよろしく頼みます」

 

 ・

 ・

 ・

 

『――だが、軽いな』

 

 力だ。

 力がいる。

 超反応で捉えたが、力が不足した。ゴリ押しされて、二人がかりでなければ止められなかった。

 

『ケケケ、1対1(タイマン)でブッ殺すんじゃなかったのか』

 

 その事実を告げてきた哄笑が脳裏を掠める度に、あの日から忘れたことがない屈辱が一気に煮え滾る。

 認めるのは業腹だが、それは自分が勝てない土俵だ。勝てないとわかっている勝負に挑むのは愚か者の所業。

 だから、力をつけてきたが……まだだ。進と並んだ程度では、まだ及ばないと理解している。

 あの甘ちゃん野郎を殺すには、もっと力を――

 

 

「おはよう、金剛阿含」

 

 

 持ち上げていた140kgのベンチプレスを下ろす。

 気配(こえ)に反応し、視線を向けた。奴だ。甘ちゃん野郎(ながとむらまさ)だ。

 ベンチプレスを持ち上げるために仰向けになっていたが、こう野郎の顔を見上げる構図でいることに、一瞬、視界が赤く染まりかけるが、堪えた。

 視線を戻し、ベンチプレスのバーを握り締める。

 

「失せろ。トレーニングの邪魔だ」

 

「誓約書の話は聴いているはずだから、端的に要求を告げる。

 ――金剛阿含、俺の鍛錬に付き合ってもらいたい」

 

「カスが勝手にしたことなんざ知ったことじゃねぇ」

 

 軽蔑と敵意を隠さず、突き放すように吐き捨てる。

 周囲にあった人の気配が遠ざかっている。補助に付き添わせていた女も遠巻きに様子を窺っている。雲水に引っ張られる形で。

 思わず、舌打ちする。

 余計な真似をしやがって、とこめかみに血管が浮き出るが、ストレスの発生源は微塵も恐れる様子もなく、舐めた口をきいてくる。

 

「ふむ、お互いに利がある話だと思うんだが」

 

 こちらの威嚇の一切を無視して、プレゼンする。

 

「一人でトレーニングするよりも相手がいた方が効果的だ。なによりも、黒星をつけた俺とヤれる機会だぞ。誰にも邪魔されず、俺と1対1で存分にヤり合える。来年の大会まで負けっ放しのままで我慢できる性格ではないだろう?」

 

 その文句に、ベンチプレスを持ち上げようとした腕がピクリと止まる。

 わかっている。その話を切り出すのは、予想できていた。誓約書の話を持ち出された時、ワナワナと身体を震わせた。だが、それでもこの好機を見送った。

 それは賢い選択ではない、と冷徹な理性がそう判断し、暴走しかけた狂戦士の衝動を踏み止まらせた。

 

 しかし、この甘ちゃん野郎は、あの狡いカス(ひるま)の後輩。

 目的のためならば、平然と地雷を踏み抜く挑発を放ってくる。

 

 

「ああ、なるほど。そうか。まだ、俺に勝てる自信がないから、勝負から逃げるんだな」

 

 

 この台詞についにブチリ、と堪忍袋の緒が切れた音が脳裏に鳴った。

 想定はしていても許容できる範疇を逸脱しているので、外野(ギャラリー)たちが真っ青になるほどに明確にブチ切れている在り様だった。距離はある、一瞥すらくれていないのに、大の大人まで身体を強張らせている程の怒気だ。

 この予想された流れに、雲水が頬に汗を滲ませて、しかし、何も言わず。ここで喧嘩の仲裁をしようなどと割って入るような真似はしない。それは何よりも弟を侮辱する行為だと理解しているからこそ。

 

 ベンチプレスのバーから手を放し、ゆっくりと上体を起こす阿含。

 曝け出された暴虐の威を前にした長門は――

 関東大会を制した最強(No.1)として、ただ、笑みを浮かべる。

 

 

「あ゛~、折角、平和的に見逃してやってたっつうのに、そんなにも死に急ぎてぇのか。……最後通牒だ。失せろ。大事な試合に出られなくなっても知らねぇぞ」

 

「ヒル魔先輩を頼ることになるが多少の暴力沙汰はもみ消せるし、こちらも怪我をさせるつもりはない、と。――ああ、それとも俺が怪我するんじゃないかと遠慮しているのならそれこそ余計な心配だ。アンタより俺の方が強い」

 

「―――」

 

「何より、クリスマスボウルを優勝するためなら死ぬ気で強くなるし、死んでもクリスマスボウルに出る。情けは一切無用、こちらは覚悟をもって逆鱗に触れてるんだ。殺す気でかかって来い」

 

 

 ~~~

 

 

「はあ??」

 

 意外な相手に話を向けた赤羽に、ポカンとする安芸。

 けれど、それは少数派で、安芸を除く最前列の面々は、赤羽の意図と偽主務の正体を察した。中には小泉のように言われるまでもなく勘付いた者もいる。

 

「フー……察しの鈍い者もいるようだから、こう言い直そう。

 そろそろスパイごっこ(おふざけ)はやめたらどうだ、ヒル魔妖一?」

 

 ここまで赤羽が部外者をつまみ出させずに看過した理由は、まず、隠す必要性がないこと。

 帝黒の作戦戦術(プレイブック)は、総数1000以上で、およそ考え得るアメフトの全てのプレイがある。

 『蜘蛛の毒』にしても交流戦で実演しているし、泥門側にも実行できる選手がいる以上、当然想定されるべき戦術で、しかし、その対策は一朝一夕で成せるものではない。

 

 そして、これは私情を含むところがあるが、ヒル魔妖一という人間を計るため。

 

 選手としての能力値は平凡の域を出ない凡人で、要注意人物として発表していないが、ヒル魔は、泥門の中で長門に並んで警戒すべき選手だと赤羽は認識しているし、この会議の最中も反応を探っていた。

 

「ケケケ」

 

 眇められた赤き双眸を見て、きっちり七三分けに整えていた髪を崩しながら壇上へ。

 度の入ってない伊達眼鏡を外せば、ようやく安芸が、あ、と正体を察した。

 

「ご指名が入ったとなれば応えなくっちゃあなぁ。それで何が訊きたい? ここまで会議に参加させてもらったんだから、こちらもとっておきの作戦(カード)のヒントでも出そうか?」

 

「それは結構だ、ヒル魔。君がクリスマスボウルまでの貴重な時間を割いてまで直に探りに来た理由は察している。

 ――泥門デビルバッツは、関東大会で全てのカードを出し切った」

 

 淡々と述べる赤羽。ヒル魔の笑みが微塵も揺らがないが、

 

「……ああ、細けえトリックプレーは別だがな」

 

「だが、泥門には個の力で試合を左右し得るエースがいる。――君は長門村正をどう動かすつもりだ?」

 

 帝黒が最も危険視する選手、それを指揮する悪魔に真っ向から問い質す。

 指揮官としての主義主張を知るには、その者が最も頼りとする主軸の扱いを見るのが適切だ。

 

 冷えた眼差しと相対しながら、ヒル魔はぐるんと首をひねった。その悪魔の視線の先にいた花梨は肩をビクンと跳ねさせる。

 

「そうだなぁ……。――まずは、投手をやらせる。糞チビと糞カタナの二枚で『電撃突撃』だ!」

 

「わ、わたしぃ!?」

 

「攻撃の起点となるクォーターバックを潰すのは鉄則だろう? まァ、女だからひよっちまうのが何人かいるだろうが、糞バカ共には本名小泉花梨()っつう()だと信じ込ませてあるから問題ねぇ」

 

「はい?? 小泉かりん、ろう?? へ、私、男?? なんっつう捏造した設定を広めてくれてるんです!? というか、交流戦で会うてるから私が女だとわかってくれてるはず……!」

 

「抜かりなく情報統制してる。うっかり漏らしそうな糞チビと糞デブには鉛玉で黙らせるっきゃねーが」

 

 ひぃ!? なんかこの人、エラい物騒やな!? と悲鳴を上げる花梨。

 口封じのためならば、仲間でも撃つ気満々なヒル魔にビビりまくる。

 

「ケケケ、躱すのは得意みてーだが、超スピードの糞チビとクロスレンジ最強の糞カタナに迫られて、逃げ切れたヤツはいねぇ。死にたくなかったら、とっととボールを捨てた方が賢明ってこった」

 

「んなことさせるわけないやろ! さっきも言うたが、花梨は俺(たち)が守る!」

 

 声を上げるのは、安芸。

 泥門の恐ろしい作戦(というよりヒル魔)に震える花梨を守らんとヒル魔を睨みつける。

 そんな真っ向から敵意をぶつけてくる安芸を見て、『バカ度 60%(参考 瀧夏彦:バカ度 100%)か』と呟き、面白そうに笑みを深めるヒル魔。

 

「本当に、糞カタナをテメーひとりで止められるのかぁ?」

 

「おう! いざってときはその身を盾にして仲間を庇うのが男、ラインマンや! 誰が相手だろうと花梨には指一本触れさせん!」

 

「そうかそうか。だが、それは甘ぇ。――糞カタナは、女を眼で殺せる女殺しだからな!」

 

「は、はあ!? なんや、それ! いくらなんでもあり得へんやろ! 嘘つくな!」

 

「嘘じゃねーよ。証拠映像もある。ご覧の通りだ」

 

 とパソコンを操作して、ヒル魔がプロジェクターに映し出したのは、とある女性(一応、顔にモザイクがかけられている)が、長門と一言二言会話した最中に、ポンと煙を噴いて髪がアフロになった瞬間だった。

 

「ほ、ほんまや!? 長門のヤツ、ホンマに眼で女の(かみ)()れんのか!?」

「いや、アキレス先輩、流石にアレは……というより、アレはあの娘が単に彼のこと……」

「い、いや、大丈夫や! あんな得体のしれない視線になんか晒させんよう俺が身代わりになったる! もし本当に髪を爆発させる力があっても、俺ならアフロになる心配はないからな!」

 

 と熱くなる安芸だったが、そこで会場に響く大笑い。

 その発生源は、お腹を抱える主将・平良である(一方で赤羽は頭に手を当てて、深く溜息を吐いていた)。

 

「だァーーははははッ! こんな使うかわからんネタも用意してるとはなぁ……おもろいやっちゃなァァ、ヒル魔!」

 

 選手のプレイ映像だけでなく、こんな面白ハプニング映像集まで取り揃えている用意周到なところとか、偽主務としてこの作戦会議に潜り込んだ手腕と度胸には、いっそのこと感心してしまう。

 

「気にすんな、アキレス。映像に映っとる女の子は単に長門にホの字のだけや」

「あぁ!? なんや長門モテんのか! けど、女の子って、あんな風にアフロになんのか??」

「あー、それはわからんけど、生憎、俺もアキレスも彼女とかいたことがないからなぁ」

「ひょ、ひょっとして、花梨もアフロになったことが……?」

「ありませんよ!?」

「ホンマにホンマ? たとえば俺と見つめ合ってるときとかに頭がポンって」

「しつこい男は嫌われんでアキレス」

 

 いかんいかん、話が脱線してしまった、と自分の頭を叩く平良。

 暴走する安芸を軽く拳骨して諫めてから、平良はヒル魔に言う。

 

 

「つか、他人の心配より自分の心配した方がええで。右腕、怪我したって聞いてるけど、完調しようがしまいがフィールドに出るなら、言い訳なし! ガンガン潰しに行くで。何せ、投手潰しは鉄則やからな」

 

 

 朗らかに笑ったまま。

 チームメイトらと会話した時のテンションで、ヒル魔に脅しめいた言葉を放つ。

 安芸と違い、敵愾心なんて微塵も発さない振る舞い。穏やかな気質だが、栗田良寛とは似て非なる、この男は敵と認識した相手に慈悲など与えない。その発言も脅しでも何でもなく、平良呉二にとっては普通のことだ。

 陽気で、しかし気味の悪い平良に、ヒル魔も目を細める。

 帝黒アレキサンダーズ・主将により、ヒル魔がかき乱した場の空気が鎮まると、赤羽が口を開いた。

 

「そうだったな。君に趣旨の定まらない問いを投げかけても、意味がない。ストレートに訊こうか、ヒル魔」

 

 赤羽がヒル魔から引き出したかったのは、机上の空論ではない。

 彼が巧妙に隠している、生の言葉(おと)だ。

 

 

「長門を大和と戦わせる気はあるのか?」

 

 

 大和猛と長門村正。

 帝黒と泥門のエース。互いにチームで群を抜いた実力と影響力を有する柱だ。

 両者を争わせれば、その勝敗は試合の趨勢を大きく決めることになるだろう。もし、長門が大和を倒すことがあれば、泥門は勢いづくだろうが、リスクが高い。逆に、長門が大和に倒されれば、泥門の勝機は一気に潰えることになる。

 指揮官であれば、自分と相手の切り札(エース)の実力差、ぶつけた時の勝率を計算し、戦術を立てているはずだ。

 赤羽から見ても、泥門の勝率は10%もないが、長門が大和に敗北し折れることがあれば更に勝率は1%以下にまで落ちるだろう。

 果たして、そのようなリスクを冒せるのか。

 

 ヒル魔はそこで、はー……と大げさなほど肩を落としながら、深く溜息を吐いてみせる。

 

「あー、エースのわがままはなるべく聞いてやりてぇところだが、交流戦で負けちまってるからなぁ」

 

「なんやエラい弱気な発言やな」

「大和に勝てる奴はおらん。司令塔として仲間を信じたあまりに策を誤るのはあってはならんからな」

 

 ――違う。

 少々訝しみながらも、その理想論を振りかざさずに現実を見た発言を受け入れる面々の中、赤羽は内心でそれを否定する。

 この天邪鬼で、定石から外れた奇襲を好む性格なのは知っている。ヒル魔妖一の口から出る言葉がウソか本音かを赤羽は聴き分けることはできない。

 しかし、ひとつ、確信を持っていることがある。

 

 

『――『60ヤードマグナム』っつうキッカーがどのチームにいるか知ってるかっ!』

 

 

 それはかつて盤戸に在籍していたころ。

 最後まで音楽性が合うことのなかった元チームメイトが語っていたキッカー。

 その一方的なライバル視は今でも耳に覚えているくらいにうるさく、噂だけが一人歩きする伝説のキッカーの正体を探るのに付き合わされたこともある。

 最初は断ろうとしたが人の良い先輩方に頼まれて、調べものに付き合わされることとなり、そして知った、泥門の事情。

 

 創部時のメンバーであったキッカーが、チームを離脱した。

 詳しい事情は不明だが、地区大会の1回戦以降、その男は出場しておらず、たった2人しか正式な部員のいないデビルバッツは昨年の試合全てを負け続けた。

 元チームメイトには『『60ヤードマグナム』なるキッカーは泥門にいた』とだけ報告したが、しかし、収集した情報から察するに、その男はチームを捨てたのだと結論づけ、これ以上の調査は打ち切った。

 別に珍しくもない話だ――己も傍からではかつてのチームを捨てていることになる。

 

 しかし、後に知る。

 件のキッカー・武蔵厳は、捨てたはずのチームに戻り、そして、その到来を泥門の指揮官・ヒル魔妖一は待ち続けていたことを。

 

 

「大和に勝てる可能性が低いから勝負は避ける――つったら、納得すんのかよ、糞赤目」

 

「フー……愚問だったな」

 

 

 ヒル魔の回答に、赤羽は首を振る。

 わざわざ面と向き合って問いかけるまでもないことだった。だが、ヒル魔妖一なる男を確認することができた。

 チームを離脱したキッカーを1年以上も待ち続けたこの男ならば、最強のエースがチームを勝利に導くと信じて作戦を立てるに違いない。

 

「それでその肝心の大和はどうしたんだ? ミーティングに不参加のようだが、風邪でも引いちまったのか?」

 

「いいや、大和はここにはいない。“忘れ物”を取りに行っている」

 

 

 ~~~

 

 

 パトリック・スペンサー。通称、パンサー。

 両親との離別と死別、貧しい家庭、絵に描いたような劣悪な環境にさらにはアポロ監督からのいわれなき冷遇。

 

『にっしっし! 大丈夫、アメフトやれるかもってだけで楽しいから。きっといつか認めてくれるってアポロさんが……!』

 

 その言葉通り、泥門戦で元NFL選手アポロの心を溶かし、彼の生涯を賭けるような徹底した技術指導の元、一気にスターダムへとのし上がる。

 

(フン、もう俺じゃトレーニング相手にもならんな)

 

 今まで天性の黒人のバネだけで走ってきたパンサーに、アポロ監督はそのテクニックを全て伝授した。

 

(俺をプロの世界からはじき出した天才モーガン――お前は奴をも超える逸材だ。そう信じている……!!)

 

 パンサーは高校1年生にして、10億人に1人の『光速破り』に至った。

 しかし、アポロ監督は懸念する。パンサーが全米高校アメフト界のトップランナーのひとりに連ねるには、まだ経験が足りない。

 そう、今度、NASAシャトルズが対戦する全米随一のチーム・ノートルダム大付属には、トップランナーでもある最強のクォーターバック――クリフォード・D・ルイスがいる。

 クリフォードと勝負するには、現役を退いた己では練習相手には不足。少なくとも、クリフォードと同じ光速の脚を持つ強者と鎬を削ることができれば、一番弟子(パンサー)を更に成長させることができただろうに。

 

 クソッ!

 トップランナーは、生まれついてのアスリートである黒人が大半だ。

 だが、これまでの黒人差別が祟って、アポロ監督に紹介できる相手がいない。

 憧れの恩師とのマンツーマンコーチに満足しているパンサーとは裏腹に、内心忸怩たる思いを抱えていたアポロ監督のもとに、その話が舞い込んだ。

 

 

「『帝黒アレキサンダーズ、大和猛です。この度は急なお願いを引き受けてくださり、ありがとうございます。短い期間ですが、NASAシャトルズとの練習への参加、よろしくお願いします!』」

 

 

 帝黒学園は日本で最もアメリカンフットボールに力を注いでおり、そのエースともなれば学園が総力を挙げて、どんな無茶な望み(わがまま)でも実現させる。

 そして、この2週間の超短期アメフト招待留学を即日に実行できたのは、幸いにもNASA高等学校が日米との交流に積極的であることも理由に挙げられる。

 『月間アメフト杯』での一件で、日本の選手との交流が良い刺激になると首脳陣は考えており、この話を監督のレオナルド・アポロに持ってきたところ、二つ返事で受諾されて今に至る。

 

「『ふーん、この前試合した泥門じゃないのか』」

「『でも、確か帝黒学園って、日本で最も強いアメフトチームだったはずだよ』」

 

 日本からアメフト選手が来る! と聞いて、最初、わくわくした。

 日本で己を負かした相手――小早川セナ、長門村正、進清十郎でないことに、少しがっかりした気持ちはあったが、その落胆はすぐに解消された。

 

 脚が、疼く。

 対峙し、その立ち振る舞いを観察すれば、この大和猛なる選手が強者であることが直感的にわかる。

 だが、それだけではない。

 走り屋としての本能が刺激されるこの感覚は、小早川セナと対決した以来……――いや、もっと前だ!

 

 

「『久しぶりだね、パンサー』」

 

 

 そう、彼の試合、その洗練された走りに刺激され、暴走してしまった。

 今はアイシールドを装着していないが、間違いない。あの時のノートルダム大付属のアイシールド21だ!

 

「『よろしく、大和猛! 去年のノートルダム大付属との試合を見てから、ずっと勝負したかったよ!』」

「『はは、そのことについてはあまり公言はできないけれど、俺も君にリベンジがしたかったよ、パンサー』」

「『リベンジ?』」

 

 大和猛が、大事なクリスマスボウルに向けてのミーティングを不参加してまでNASAシャトルズの練習に参加した目的は、パンサーだ。

 交流戦では勝利したが紙一重、最大のライバル・長門村正とは互角だった。

 しかし、関東大会での激戦、対戦校のエースとの闘争を経て、長門は更に成長している。

 一方で、関西大会で帝黒アレキサンダーズは大して苦戦することなく、全国大会決勝行きを決めた。東西交流戦以上の死闘がなく、強敵との経験値の差がついていることを大和は危惧した。

 だからこそ、己を倒し得る存在、いいや、格上との勝負を欲した。

 そして、これはライバルとの決戦に臨むために必要な雪辱戦(ぎしき)でもある。

 

 非公式ながらも、パンサーに敗れて、時代最強走者の称号(アイシールド21)を剥奪された。

 このことは大和自身、納得している。今の己にアイシールドを付ける資格はないと。

 だが、あの東西交流戦において、互いに無敗であることを誓った最強の好敵手を前に、アイシールドをつけられなかった――敗北した己の姿をさらしたことをこの上なく恥じた。

 

 だからこそ、約束の舞台(クリスマスボウル)には、彼に対するに相応しい最強として、堂々と相まみえたかった。

 そうでなくては、数多の苦難と試練を超えて約束を守り抜いた長門に合わせる顔がない。

 

 

「『“忘れ物(アイシールド)”を獲りに来た。――パンサー、全米一のトップランナーである君に俺は勝つ!!』」

 

 

 ~~~

 

 

 流石に、強い。

 長門は脇腹を摩りながら、そんな感想をいだく。

 関東大会で試合した時は練習不足があったが、それもほとんど解消されつつある。錆を落としたその実力は、なるほど、才能が随一であるという評判にも納得できる。

 『神速』――秒間に刻む行動の密度、その圧縮された時間感覚は他にはない強みだ。

 もしも、鍛錬を欠かさずにしていれば、最強(No.1)になり得たかもしれない。

 

 

「百の努力を重ねてきた相手を、『百年に一度の天才』は圧倒してきたんだろう。だが、千の努力であればどうだ? 努力が才能の想定を凌駕することは、とうの昔から実証されているよな」

 

 

 雲水は、その光景に目を瞠る。

 長門の前で、阿含(おとうと)が倒れ伏しているその結果は、予想はしていても想像が甘かった。

 

『死ね、甘ちゃん野郎が!』

 

 猛然と迫り、手刀を繰り出した阿含に、長門の掌打が迎撃。軌道を見切り、掌で受けて、そのまま押し切らんとする怪物の打撃、神速の天才は咄嗟に手刀の右腕を左手で支えて堪える。構わず、捩じり込み、強引に突き崩そうとした長門の脇腹に、衝撃。蹴りだ。アメリカンフットボールでは反則な行為だが、これはルール無用の喧嘩。

 

『この程度で俺を倒せると考えているのなら、アンタの方が甘い』

 

 反則行為に不意を打たれたか?

 いいや、これがルール無用の争いであることは承知している。ただ、これ以上の一撃(峨王と進)をこの身体は知っていた。金剛阿含は徹底して鍛え直したが、長門村正もまた強くなっている。強敵手との死闘に練磨した心身は、この程度は受け切れると判断したまで。

 肋骨をへし折らんと容赦なく見舞った蹴撃。実際に何人も沈めてきた暴力を食らいながら、長門は止まらない。盾の如き阿含の両腕を、槍の如き突きでぶち抜いた右手が、その胸倉を捉える。まずい、と逃れようとするが、蹴り放った脚を長門の左腕が抱え込んだ。

 そして、怪獣のアギトの如き万力の握力で胸倉を掴まれながら、阿含は床に思い切り叩きつけらた。

 

 

 同じ相手に二度も惨敗を喫するなど、弟のはらわたは煮えくり返っていることだろう。

 だが、打ちのめされたダメージは軽いものではないし、すぐに起き上がることは無理だ。五体が回復するまでは大人しく休むか、とそんな雲水の想定(しんぱい)を跳ね除ける。

 10秒も負けたまま(テンカウント)など、許せない。

 呼吸も整わぬまま、震える腕で身体を起こす阿含に、雲水は息を呑む。屈服することを容易に受け入れた己を自嘲する。

 泥門との試合で、それを後悔したのにもかかわらず、また……――いいや、まだだ。

 

 

「あんたは、来ないのか、金剛雲水」

 

 

 な……――

 すぐに返答ができなかった。

 阿含も驚きに充血した眼を大きく見開いている。

 まさか己を無視して、愚兄に意識を向けるなんて、これまでなかった。その逆はあり得ても。

 

 雲水もそれを自覚している。

 天才達の邪魔をせぬように黒子に徹しようとした自分を、何故?

 

「何をそんなに疑問に思う? 無自覚なのか?」

 

「何を、言ってる……?」

 

「気持ちを抑えきれていない、裡に野心を煮え滾らせた目を向けられては、こちらも無視できないぞ」

 

 後悔を噛み締め、それでも真っ直ぐに視線を通す雲水に、長門は引き寄せられた。

 

MVP(No.1)となった時に挑戦を受けて立つと宣言したからな。対決したいのなら、かかってこい」

 

 俺が? 長門に?

 たった今、雲水にとっての最強(おとうと)を倒した男に挑むなんて、愚かなことだ。挑むまでもない。そんなの結果はわかり切ってるだろうに。二人の間に割って入り、無様を晒すなどみっともないにもほどがある。

 

「ふざ、けるな……っ! 俺を無視して、雲子カスと遊ぼうとすんじゃねぇ!」

「別にアンタのことを無視しようというわけではないし、遊ぶ気もない。挑まれれば、真剣に応じるまで」

 

 燃料を投下された阿含の憤怒を受けても、長門の意志は変わらず、雲水への視線を外さない。

 しかし、未だに一歩踏み出せない雲水は、阿含を一瞥するや、悪魔の囁きに抵抗する僧侶のように目を瞑ろうとして、

 

「目を閉ざすな。俺は金剛阿含の兄にではなく、金剛雲水という男に話しかけている。オスに許されたその権利を使うかどうかは個人の自由だが……今のアンタは、どうにも不自由に見えて仕方がない」

 

 だが、それを許さない。

 かつて振り払い、しかし振り切れない、己に深く根差した後悔の念。これまでずっと押し殺されてきた復讐とばかりに裡で荒れ狂い、制御不能の衝動と成り果てたところで、悪魔の指針が示された。

 

「最強を夢見ていたんなら、他人(おとうと)任せではなく、己の手で叶えなければ決して満足することはないぞ」

 

 深呼吸。

 そして、金剛雲水は、一歩踏み出す。踏み出せなかったその重い一歩を踏み込んだ反動で止まらず、更に加速した二歩目三歩目――

 

「長門、お前に挑ませてもらう……!」

「ああ、殺す気で来い」

 

 阿含の驚愕が更新される。

 諦観し停滞した愚兄の再起に、止める術をなくしたかのように阿含は眼を見開いたまま動けず。そして、雲水はそんな阿含に目を逸らすことなく、エゴに従うままに最強へ駆けた。

 

 ・

 ・

 ・

 

「―――」

 

 倒れてる弟を無視して、全力でタックルをかまして――真っ向から受けて立った『妖刀』がそれを斬り伏せた。

 阿含と同様に叩きのめされ、青天となった雲水は、すぐに立ち上がり、また挑む。息を整えないまま、普段の平静さなどかなぐり捨てたように、長門に挑みにかかり……最後は、燃料切れとなって気を失った。

 

 あ゛ー……

 わかっていた。わかり切っていた。わかり切っていたことだったんだろうに。

 この3分の闘争を邪魔せずにただ見ていた阿含は既に回復している。だが、沸騰した怒りの念は鎮火しつつある。己以上に無様を晒した愚兄に、かえって冷静にさせられた。

 そんな中、軽く切らした息を整えている長門へ、視線は向けないまま阿含は問う。

 

「……テメーは、何でカス共に付き合ってる」

 

 金剛阿含には、理解できない振る舞いだ。

 強者であれば、弱者を屈服させ、力の差を思い知らせる、気に入らなければ潰すのが当然だ。

 だが、長門村正は、自身よりも劣る狡いだけのカス(ヒル魔)に従っている。己を打倒し得る実力がありながら。その理解不能な在り方が、ただただ許せない。

 

「そうだな。それに答える前に言っておくが、俺はアンタの強さに対する姿勢には、共感している」

 

 合わせるように、長門も阿含へ視線を向けないまま、ただ、同じ方向を向いたまま口を開いた。

 

「去年のクリスマスボウル、アンタは試合を途中で投げたが……あんな怖気づいた態度を見せられてはイラついても仕方ないだろうな」

 

 神龍寺ナーガのガード・仏野東大は、帝黒の防衛に阻まれ抑え込まれる阿含に、勝ち目がないとビビった。ビビってしまい、そして、壁としての役目も果たせずにあっさりと倒される。

 そんな無様を見せられては殴り倒す気持ちもわからなくはない。

 長門もまた、途中で勝手にやる気をなくされて、怒りを覚えたことがある。

 

「ただ、まあ……見切りをつけるのが早いとも思ったがな」

 

「あ゛あ゛?」

 

「試合の途中で折れるのは腹が立つ。だが、折れたままでいるとは限らない。仏野東大、だったか。アンタに殴り飛ばされ、その結果、最大の勝機を失ったチームは試合に負けた。自身の不甲斐なさのせいで決戦の舞台を台無しとしたともとれる。トラウマにもなったことだろう。だがそれでも、神龍寺でアメフトを続けている。折れても立ち上がれるのであれば、俺は信じられる」

 

 長門はデビルバッツの一人一人を思い起こしながら言葉を紡ぐ

 

「問いの答えだが、俺は、アイツらとやるアメフトが面白いからだ。そして、ひとつ訂正するが、泥門デビルバッツにカスはいない。最初はビビリだったり、サボり魔だったり、目立ちたがり屋だったりと個性派揃いの奴らが集まったが、同じ地獄を経験し、共に苦難を乗り越え、今では夢を共有できる仲間だと断言できる。クリスマスボウル、途中でビビるのもいるかもしれないが、アイツらは折れたままでは終わらない」

 

「…………わかんねぇ。あのカス同様、テメーらの言ってることはわかんねぇ」

 

 理解できない、相容れないと打ち切ろうとする阿含だが、長門は会話を止めない。

 

「アンタと先輩たちとの因縁は話には聞いている。思うところはあったが、実を言うとあまり恨んではいない。栗田先輩の特待生の件についても元々栗田先輩が普通に勉学に励んでいれば神龍寺学園に入れていた。ご実家もお寺さんであるのに、仏教系の高校に進学できなかったのは、当人にも問題がある」

 

 進学できていれば、アンタらとは先輩後輩の関係になったのかもな、と冗談を交えて、

 

「だから、もっとも思うのは、残念ではある。先輩たちとアメフトをやれれば、アンタもアメフトを楽しめただろうに」

 

「あぁ゛~~!? あんなカス共とやれねぇから、神龍寺から弾いたんだろうが頭沸いてんのか甘ちゃん野郎!」

 

「少なくとも、ヒル魔先輩は、金剛阿含を理解している。理解できないことがあってもそれで関係を終わらせはしないし、その才能を腐らせる真似はしなかった」

 

 話にならない。

 これ以上、甘ったれた台詞を聞いていられるかと立つ阿含。この場を去ろうとする阿含の背中へ長門はまだ説得を諦めず、言葉を投げる。

 

「俺が、その証明だ」

 

「あ゛~、甘ちゃんのテメーが何を証明するっつうんだ」

 

「まだ理解できないようだからひとつ訊こうか。

 ――エースの扱いが下手糞な指揮官のチームに、アンタは負けたのか」

 

 

 阿含は何も言い返せず、黙りこくった。

 その様子を、雲水は目を瞑ったまま感じ取った。

 少し前に意識が浮上し、そのまま彼らの会話を聴いていた。

 

(……阿含は、相手の言葉が的外れなら適当に肯定して鼻で笑う)

 

 弟の性格を雲水は熟知している。

 長門の問いかけ……肯定も否定もできない文句は、認め難くても認めざるをえないのだと。

 

 

「それじゃあ、色々と話が長くなったが、本題に戻ろうか」

 

 足を止め、こちらへ向き直った、ようやく話を聞く姿勢になった阿含と改めて長門は相対する。

 

「金剛阿含、アンタにクリスマスボウルに向けての特訓に付き合ってもらいたいが、他の親切な面々と違って、ボランティアをしてくれるような性格ではないだろう。ヒル魔先輩からもアンタと交渉するには、金か女が手っ取り早いと聞いている」

 

「テメーは何を用意してきたっつうんだ?」

 

「まず、女はなしだ。女性の知人はいるが、このような取引に使いたくはない。となると、もう一つの金になるが」

 

「ククク、カスに頼んで大金をかき集めてきたのか?」

 

「いいや、金剛阿含を特訓相手と指名したのは俺の我儘である以上、他人に迷惑をかけるつもりはない。だから、俺が出す」

 

「あ゛あ゛!? 学生の小遣い程度で俺を動かせるとでも思ってんのか甘ちゃん野郎!」

 

「いいや。金剛阿含、俺はアンタを評価している。俺の可能性を引き出すには是が非でもその力が必要だ。だったら、その評価に見合うだけの報酬を差し出すべきだと考えて、思い付いた」

 

 と長門は持ってきた鞄から1枚の用紙を取り出す。

 

「しかしながら、これはまだ用意できていない。相談したヒル魔先輩からも爆笑されたが、コレならば、金剛阿含を落とせるとお墨付きを得た」

 

「何を言ってやがる?」

 

「つまり、出世払いになるんだが」

 

 そういって、長門は用紙――既に己の署名がされた契約書を阿含へ差し出した。

 

 

「俺がNFLのチームに入った時の契約金を全額、アンタに渡す」

 

 

 予想だにしなかった解答に、『神速』の頭脳が数瞬停止したが、眼前に提示された契約書は本物。

 冗談かと笑い飛ばそうとしたが、しかし、こちらを見据えるその眼差しに口を噤まされる。

 

「実は夏合宿でアメリカに行って、トライアウトを受けたことがあってな。それがきっかけで今でも向こうのスカウトから話が来ている」

 

 と続けて、名刺。NFLのアメフトチーム……『サンアントニオアルマジロズ』の名称が記されたそれを見せられる。

 

「本気か、テメー」

 

「契約書のことか? それともプロのアメリカンフットボール選手になることか? どれのことを指しているのかわからないが、その二つとも本気だ」

 

 天賦の超人と認識していたが、これはもはや狂人の域で、しかし、“本気”という言葉に込められた熱量を見誤らない。

 

「俺は、交流戦で猛に負けた。そんな俺をデビルバッツ……アイツらは、エースだと信じている。だったら、その期待に応えるのがエースだ。そして何より、俺個人も負けっ放しでいるのは、趣味じゃないし、猛との約束(たいけつ)だ。クリスマスボウルに向けて、俺の出せる全て注ぎ込んででも闘争の純度を極限まで高めてたい」

 

 犬歯を剥いて語るその双眸に、燃え滾る焔が垣間見える。

 己を負かした相手が見せる、オスとしての闘争本能。負けたままではいられないと血気に逸る様……そこだけは、理解を示せた。

 

「とはいえ、これはまだ白紙も同然の話だ。俺がNFL(プロ)入りする見込みがないと思うのなら、この話は蹴ってもらっても構わない」

 

 とそこで一歩引いてみせる長門。

 相手の思案のための時間を兼ねて一旦小休止を設ける。見せていた契約書を戻そうとし――たが、掻っ攫われた。

 長門もその判断速度に少し驚き、すぐに愉快気に笑う。それに契約書を(うけと)った阿含は殺意を剥き出しにして睨みつける。

 

「タダ働きにさせたら、ブチ殺す」

 

「損をさせるつもりは一切ない。少なくともこの特訓で退屈はさせないことは保証できる」

 

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