工藤忍が北条加蓮と出会って、知り合ってから。
別に特段の長い期間があったわけではない。
すごく親しいという間柄でもなく、ちょうど同じ時期に入ったアイドル候補生の一人。本来ならば、互いに気にかけない程度の関係で終わっていたはずだ。
周りを見ている余裕なんてない。退路を断った自分には夢を叶える事以外、道は残されていなかった。
もしも、地元へと戻ったとして、待っているのは緩やかな絶望だ。
夢から覚めて、あの茫洋と過ごす日々に戻るのだけは絶対に避けたかった。
(絶対に、なる。いや、ならなくちゃいけない。そうでなきゃ、アタシは何のために家族を振り切って置き去りにしてきたんだ)
家族の反対を押し切って、夢を謳う未熟者。傍から見ると無謀の極みであろう。
通用すると口では言っていても、心中は不安で溢れ返っている。自分の取った選択肢は本当に正しいのか。もしかすると、後悔だけが残る間違ったものではないだろうか。
この夢の舞台の裏側はそんな不安で充満されている。
いつだって、後悔はついて回るし、決意は脆さを抱えていた。どんなに強がろうとも、まだ十六歳の少女に人生を懸けた決断というのは重すぎるものだ。
(何もしないで諦めるなんて、無理だよ。夢と一緒に心中できるなら、本望! 負けてたまるか!)
それでも、夢を追いたいと願った。
ずっとアイドルになるという夢だけを見て走り続けてきた。その為に、実家を出てまで不確かな夢へと手を伸ばした。
両親からは無理だと、諦めた方がいいと、散々に言われたものだ。
それぐらい、知っている。まだ成人に満たぬ年齢ながらも、聡明であった忍はその夢を追うには並大抵の努力では至らないことも、全て知っている。
だって、その夢は比類なき輝きだから。世界を魅了するキラキラ星。その世界に、工藤忍は憧れた。
例え、周りに何を言われようとも進みたいと願ってしまったのだから。
子供の時から、今に至るまで。夢は少しの色褪せも見せずに、自分を動かしている。あの日の想いは夢を知っている。本当の輝きを予感している。
だからこそ、アイドルへと焦がれ、少女達はステージへと夢を撒き散らすのだ。
いつか、心の底から最高だったと言える日まで。
悔いなんてもうないと満足するまで。あるいは、もう夢を追いかけることはできないと諦めるまで。
(同じだから、なのかなあ。アタシが加蓮ちゃんを見過ごせなかったのは)
本来ならば、工藤忍と北条加蓮は水と油で例えられるぐらい険悪な仲になるはずだった。
努力が嫌いで、斜に構えた態度。私はアイドルになれる器量がないから、と吐き捨てた少女の嘲りを、忍は許せない。
やればできることをやらない彼女を、軽蔑するのは当然の理である。
――――へたり込みながらも、立ち上がろうとする彼女の姿を偶然見なければ。
対外的にはやる気のない態度を取る癖に。同じレッスンではすぐに投げ出す癖に。
そんな加蓮が誰も見ていないところで黙々とレッスンを続ける姿に、自分は見惚れてしまった。
その両眼は夢を見ていた。諦めを混ぜながらも、踏み出したい、と。彼女もまた、“アイドル”に焦がれている。
(その姿が声をかけるのも忘れるぐらい強くて、かっこよくて……なんて恥ずかしいから絶対に教えないけど)
たった一人の時はふらふらになりながらレッスンを続ける彼女を見て、忍は自分の姿を恥じた。
そもそもの話、未熟者である自分が同じ夢を追う少女を評価するなど、思い上がりも甚だしい。
悶え苦しみ、ぐらぐらの姿勢でありながら、手を伸ばす加蓮を見て、やる気がないなど言えるはずがない。
(夢を抱えているのは、加蓮ちゃんだって同じなんだ。夢に殉ずる覚悟を持っているのは、アタシだけじゃない)
だからこそ、口ではぶつくさと文句を言う加蓮を構うのだろう。
一人の時以外は本音を曝け出そうとしない加蓮がせめて、自分の前だけでも、と。
まだ自分達は進むことができる。忍も、加蓮も、まだ夢を追うことができる。
(それに、一応……ほんっとうに一応っ! 仲間だし)
ライバルとして。ファンとして。仲間として。
無様に這い蹲りながらも、輝きの向こう側を諦めないあの姿に、工藤忍は確かに見惚れたのだから。
「――いい加減起き上がりなよ。十分休んだでしょ」
「気分最悪」
「そんなの見たらわかる。けど、いつまでも休憩していたら駄目じゃん」
「それぐらいわかってますぅ。全く……やっぱ私は体力がないね。すーぐバテっちゃう」
ぐったりと横になりながら、加蓮は手をひらひらと振りながらそう答えた。
減らず口が叩ける余裕があるならば、気を使う必要はない。
ここ数度のやり取りで、加蓮の好調不調は何となくではあるが、理解できている。
気にかけすぎると、ひねくれ者の彼女はへそを曲げてしまうので、あまり注意を払えないけれど。
最低限、自分がかけれる注意はかけてあげたい。それぐらいの優しさを持つぐらいは許されてもいいはずだ。
「だったら、体力をつけなよ」
「できたら苦労しない」
「頑張れ」
「もっと具体的に。頑張れって言われただけで体力がつくならレッスンなんていらないでしょ」
「んー……マラソンとか?」
「絶対無理。間違いなく死ねる」
「でも、アイドルになったらそういう仕事が回ってくるかもよ」
「その時は丁重にお断りしますぅ~」
ああ言えばこう言う。屁理屈だらけのご同輩にもいい加減慣れてしまった。
彼女の口から吐き出される言葉は、自分を卑下するものばかりだ。その中にアイドルを嘲笑したり、忍自身のことを馬鹿にする内容は今まで一度もなかった。
(抱え込んじゃうのは加蓮ちゃんの悪い癖だよねぇ。ま、アタシも人のことが言える立場ではないけど)
自分のことが嫌いだから。努力でさえ満足に達成できない弱さが何よりも憎いから。
生まれ持った身体に関してはどう足掻こうとも変えられるものではない。
どれだけ神に媚び諂うことをしようとも。どれだけ生活習慣を変えて健康的な毎日を過ごそうとも。
病弱な身体と健康的な身体。その差を縮めるには隔絶的なものがある。
北条加蓮が馬鹿にしているのは、嫌いだと言っているのはきっと――。
「でもさ、レッスンをちゃんとこなせるぐらいの体力は必要でしょ」
「そうだね。私はそれさえも怪しいけど」
「だから、体力を付けなきゃってことじゃん」
「ダルい……」
「ほらほら、いつまでも休憩してないでレッスンに戻ろう」
それでも、彼女はまだ此処にいる。アイドルを目指す世界で藻掻き続けている。
夢を諦めないということは、尊い。絶対に叶う。努力をすればきっと。大切なのは気持ち。
お題目は並べ立てると無数にある。それは忍も加蓮も同じ、誰だって持っている欠片だ。
純粋で、綺麗で、誠実で、光り輝くもの。されど、残酷で、とても孤独なもの。
虫眼鏡で観察していないと見落としてしまいそうな小さな淀みはいつしか自分を食い破る。
物事には何だって限度がある。その限度が来た瞬間――きっと、“駄目”になる。
「少しでも前に進みたいのは加蓮ちゃんも一緒でしょ? なら、立ち止まってなんかいられないよ」
傷だらけのまま怯えてすくんで、美しさとも凛々しさとも無縁な疲れ果てた姿。
夢に敗れた敗残者としての未来。それらを蹴り飛ばして、進む覚悟はある。自分達はそうなりたくない。
「ねぇ、加蓮ちゃん」
「何? お説教なら耳を閉じるけど」
「違うから。第一、アタシはお説教できる程偉い立場じゃないからね。
もしもの話がしたいだけ。もしもだよ、お互い、ほんっっっとうに運良くだよ? アタシ達の両方がデビューしたら、さ」
わだかまっている不確かな先行きを打ち消すように、忍が明るく言葉を投げかける。
こういう負の感情に対して、彼女は異常な程に鋭い。昔、病院を入退院した繰り返しで色々と見た経験からなのか。
それとも、元来の性格からか。いや、両方だろう、と忍は心中で吐き捨てて続きの言葉を紡いでいく。
「すごくキラキラしたステージで、一緒に、勝負、したい。アタシは加蓮ちゃんと戦いたい」
「…………ふぅん」
今の自分達が言うには過ぎた願望であろう。デビューもしてないひよっこの少女達が口裏を合わせるには少し、気が早い。
「忍にしては悪くないかもね、その提案」
しかし。しかし、だ。それは、夢のような御伽噺。ライバルであり、ファンであり、仲間である少女と夢を競い合えたら。
きっとその未来は、素敵で輝きの向こう側と称せるものだろう。
北条加蓮はその夢を嘲笑わない。
嘲笑わないだけの価値があると認めたからこそ、ほんの少しだけ。
頑張ってみようかと思ってしまったから。
△
「――という感じがずっと続く」
「青春かよ、若者かよ。ああ、若者だったな、お前。普段の態度、枯れてっからな」
「ひっど。北条加蓮ちゃん、絶賛十代の若者だから。カリスマJKだから」
「カリスマぁ? お前のどこがカリスマだよ、アホ抜かせ。城ヶ崎姉妹に謝れ」
結局、何だかんだの腐れ縁。
北条加蓮と工藤忍はそういう関係であるらしい。
プロデューサーとしては適度な距離を保ちつつ気兼ねない態度を取れる少女が加蓮の近くにいることは大変望ましかった。
加えて、噂を聞く限りでは工藤忍は真面目にアイドルを突き進む少女だ。
加蓮にとって、いい刺激となり得る存在である。
むしろ、加蓮が忍にとって悪影響を及ぼすのではないかと心配するぐらいだ。
なにせ、プロデューサーに好き好き発言を常にしているアイドルを手本にできる訳がない。
「まあ、工藤がお前にとっていい存在だってことがわかっただけで十分だ。ま、末永く付き合っていけよ」
「私はプロデューサーさんと墓の中まで一緒になるけどね」
「重すぎる告白はやめろって! 胃薬飲みたくなるやつだからな、マジで」
加蓮は、自分よりも彼女と仲良くなるべきなのだ。
こんなろくでなしに好意を抱いたってどうしようもないし、そもそもの話である。
プロデューサーは北条加蓮に好かれるような人間ではない。
だって、プロデューサーは――。
「まあ、今日の告白もお断りするとして」
「いや、そんな軽く流さないでよ」
「告白回数数えてみろよ、お前。そろそろ、返事を貰えないレベルだからな」
これ以上、語るべき言葉はない。
北条加蓮とプロデューサーは平行線のままだ。
願えるならば、いつの日か。抱いた恋を切り替えて別の方向性に向けてほしいものだが、その日はまだ先であろう。
△
それは、アイドル達が鎬を削る一世一代の戦いを彩る舞台であった。
それは、アイドルにとっては比類なき輝きを浴びる結果であった。
成長した彼女達にはお互いファンも大勢ついており、かつての少女二人が願った舞台、勝負に相応しいものだ。
「いやぁ、忍。私、待ちくたびれちゃったんだけど?」
「はいはいいつもの軽口ご苦労様。アタシだって本当はもっと早く加蓮ちゃんに追いつきたかったよ」
「はぁ~~、私からすると遅すぎるんだけど。世間も見る目がないなあ、忍にスポットライトを当てないなんて」
「そういうことを素で言っちゃうかなあ! あのアンニュイで素直って言う言葉を何処かに置き忘れてきた北条加蓮は何処に行ったのさ」
「そりゃもう、色々とね~。忍に対しては素直に言った方がからかいがあるかな~って」
舞台裏でスタンバイをしている二人の少女の表情に翳りはない。
北条加蓮はにやついた笑みを浮かべ、工藤忍はげんなりとした表情でため息をついているものの口元は三日月に曲がり喜びが隠しきれていない。
端的に言えば、あの約束から今に至るまで彼女達は諦めなかった。
努力を続け、泣き言をいいながらも、真っ直ぐにアイドルへと焦点を強く合わせた。その結果がこの舞台である。
それは正当な報酬であり、彼女達が求めた輝きの向こう側だ。
「アタシは、加蓮ちゃんが先に行ってからずっと追いかけてきた」
「知ってるよ。私だって忍には負けたくないから、必死に走ってきた。後ろを振り向いたのなんて、数え切れないしね」
先にアイドルとして花開いたのは加蓮の方だった。夢へ向かって飛び立つ少女の姿を見て、忍は足踏みを続けるしかなかった。
テレビの中で活躍する姿を見て、全くの嫉妬を覚えなかったと言えば嘘になる。
「ねぇ、加蓮ちゃん。アタシが途中で諦めるって事は考えなかったわけ?」
「ないない、欠片もない。私の一人勝ちを認めて諦めちゃう忍なんて忍じゃないから。血涙流しても追いかけてくるでしょ」
「うっわ、そこまでアタシのこと負けず嫌いだって思ってるの。そこまでじゃないよ、あくまで平均だよ」
「忍も面白い冗談を言えるようになったんだね。候補生時代は冗談が通じない堅物娘だったのに」
「人格を他の人と取り替えたとしか思えない加蓮ちゃんよりはマシだよ。昔の加蓮ちゃんを今のファンに見せたいぐらい」
「うーわー、そういうこと言うんだ、ひっどーい。人の心がないとしか思えなーいっ」
だから、その嘘さえも糧にして、忍はレッスンに励んだ。
加蓮の言う通り、諦めたくなかったから。ファンとして、ライバルとして、仲間として、そして何よりも、工藤忍という存在を貫く為に。
諦観も不屈も、ありとあらゆる想いを燃やして追いつこう。アイドルを尊ぶその果てに。共に並び立てる者でいたいと、強く、ただ強く願った。
忍は前を見ることをやめなかった。必ず追い付く、と。終われないと宣言して想いの熱を燃焼させた。
「アタシは加蓮ちゃんが他の人のことを気にしてるとは思ってなかった。自分は自分、他人なんてどうでもいいって」
「いやいや、すごく気にするよ。プロデューサーさんにファンの皆、その他諸々。
特に忍に対しては目がぎょぎょーってなるぐらいだし」
「……まあ、その表現は置いておいて。そこまで気にされちゃあ、アタシも後ろにはいられないね」
まだだ、と。何度も数え切れないぐらいに、その三文字を叫び続けて、右手を伸ばした。
加蓮へと、輝きの向こう側へと。あるいは、自分の限界へと。そうした結果、忍は此処にいる。
「今度はアタシが加蓮ちゃんの前を走るから。今日のライブがまずその手始め」
「上等。まあ最終的には、勝つのは私だし好きに言えばいいよ」
アイドルになってからも、それは変わらない。互いに手を伸ばして、勝ち取って、輝きがくすむまで走り続ける。両者共に、絶対に口にはしないけれど、思っているから。
ファンであり、ライバルであり、親友でもあるから。
△
あの時からプロデューサーが変わったことはただ一つ。
妥協を覚えたこと。
北条加蓮が変わったことはただ一つ。
不屈を覚えたこと。
そして、二人が変わっていないことはただ一つ。
それは、“世界で一番、自分が嫌いなこと”。
【工藤忍】
努力と根性系アイドル。青森から遠路はるばる来た挑戦者。
悪化していた家族関係も今は良くなっており、心身共に充実している。
加蓮とはそれなりに連絡も取っているが、彼女の惚気話は基本的にスルー。
どうしてこうなっちゃったのかなぁと遠い目をしている。
北条加蓮のファンであり、ライバルであり、親友。