私はしばらく泣いたあと、泣き腫れた目をこすりながらお兄さんに聞きました。
『お兄さんの名前は、なんていうの?』
その瞬間、お兄さんが固まりました。
お兄さんの顔は真っ青でとても苦しそうで。
息も出来ないほど苦しそうでした。
お兄さんは呼吸を落ち着かせながら教えてくれました。
『僕は...自分の名前が大嫌いなんだ...。呼ばれると、こんな風になってしまうから...だから、お兄さん、のままで呼んでもらいたいな』
『わ、分かった!お兄さん。だから、そんな苦しそう顔しないで?』
私は慌ててお兄さんの頬に手を当てながら答えました。
お兄さんは私の手を握りながらありがとう。メア。と言ってくれました。
『メアは、優しい子だね。』
『私は...ただお兄さんに笑ってほしかっただけだよ』
お兄さんは目を見開き、私に笑いかけてくれた。
『ありがとうメア。』
それからのお兄さんとの生活はまるで幸せな夢のようでした。
毎日美味しい食事にふかふかベッド。
殴られることもなく、好きなことを好きなだけできる。
そしてなにより私のことを『大切だ』と言ってくれたお兄さんと生活していることが、一番幸せだった。
『この夢が、覚めなきゃいいのに。』
『夢?』
私が無意識に呟いた言葉を、お兄さんは聞いていたみたいです。
『今こんなに幸せなのが夢みたいだから...これがもしも夢なら永遠に覚めなければいいのにな、って思ったの。』
お兄さんはとても真剣な顔で私の方へと向きました。
『メアは、自分がここにいて、僕と生活してるのが現実じゃなくて、すべて夢だと思っているのかい?...ほんとはまだ自分は、両親に囚われていると...思っているのかい?』
『ううん!例えばの話!...ほんとに幸せで夢みたいだけど、夢とは思ってないよ!』
お兄さんはほっとしたように笑いました。
『そっか。僕も、メアとの生活は幸せで、夢みたいだよ。』
『ほんと?迷惑じゃないの?』
『迷惑だなんてとんでもないよ。メアとの生活は楽しくて...僕はずっと一人暮らしだったから、家に誰かがいる温かみが...こんな幸せだなんて知らなかったな...』
そういってお兄さんは私を撫でてくれました。
お兄さんに撫でられるのは大好き。
優しくて、気持ちいい。
ふいに私の目は壁にかけてあるカレンダーに目がいきました。
『お兄さん。』
『ん?メア、どうしたの?』
『あのカレンダー、12月19日にだけ赤い丸が付いてるけど、なにかあるの?』
お兄さんはカレンダーを見ると、ひどく慌てた様子でした。
そして私の頭を撫でながら、上ずった声で言います。
『き、近所の...お祭りがあるんだ...メアと行こうと思って...印を付けておいたんだよ。』
私はそんなお兄さんの見え透いた嘘に、気づくことが出来ませんでした。
だって、優しいお兄さんは私に嘘なんてつかない。
私は心の底からそう信じていたからです。
『お祭り!!行きたい!お兄さんと行きたい!』
『そ、そうだね...2人で行こうか...メア。』
私の頭を撫でながらお兄さんは約束してくれました。
『お祭り...初めて行くお祭り...どんなものなんだろう...』
私の頭はそればかりでした。
その時のお兄さんの顔が真っ青だったことに、私は気づきませんでした。
この時私は考えてなどいなかったのです。
このお祭りが私とお兄さんとの関係を、変えていってしまうことをーーー。