――不思議な世界、素敵な世界、望めばなんだって叶う。
――だからわたしは生まれたの。あなたがそう、望んだから……。
『幻想の乙女 ダークアリスのつぶやき』
◆
王都郊外の深い森。その奥地に、幽霊屋敷と呼ばれる邸宅があった。
かつては貴族が居館として利用していた建造物だが、今となっては見る影もない。
客人を迎えるのは焼き荒らされた前庭。ガーデンテーブルに寄り添うリンゴの樹は黒く変色し、腐臭を撒き散らしている。
悪臭をかき分け進む来訪者は、やがて石壁へと到るだろう。
屋敷の外壁。
凄惨な外観が、踏み入れば無事では済まないと口伝える。
幽霊屋敷は親切にも、生物にとって最も理解しやすい“恐怖”という感情をあおり立て、迷い人に警鐘を鳴らしてくれるのだ。
屋敷にうながされるように踵を返した者らは皆、一様に青ざめた顔でこう語った。
『彼の館に住まう者は生者にあらず。生を騙る死者である』
そして窓の向こうに“見た”と、震える唇で先を紡ぐのだ。
伝説として語り継がれてきた、死者を操る術者――
それは磁器人形を思わせる白い肌に漆黒の衣装をまとう幼い少女。
幽霊屋敷に住まう彼女は動く人骨に囲まれ、狂ったように笑っていた、と。
二つに結わえられた金色の長髪。
幾重ものレースとフリルが飾り、ふわりと膨らんだドレス。
その衣装にうずめるように抱えられたぬいぐるみ。
……そんなものを気に留めた者は誰もいない。
カタカタと顎の骨を鳴らす二体の骸骨。
青白い光をまとうそれを
かくて噂は街々を駆け巡り、人里離れたその森を訪れる者は絶え果てた。
生を騙る死者の森。その屋敷に住まう少女は、今日も亡き人と言葉を交わす――
◆
闇に包まれる幽霊屋敷。
三階の書斎から見下ろす森には沈黙が落ちていて、葉擦れの音すら聞こえない。
鬱蒼と茂る木々から視線を上へ。遠い夜空には一羽の
「……ううん、大丈夫。ルナにはパパとママが居てくれるから、寂しくなんかないよ」
窓から視線を引きはがし、彼女はぎこちなく笑ってみせる。
丸くおおきな瞳が映すのは、書斎にたたずむ二体の骸骨。それはかつて少女の両親だったものである。
なめらかな人骨を青白い鬼火が照らしている。
およそ肉と呼べるものはこびりついておらず、衣服も身につけてはいない。
生前の面影を残すのは骨格と、擦りきれ傷んだ白髪のみだ。
( ……………… )
パパと呼ばれた骸骨は少女の髪を撫で、顎の骨を鳴らしてみせた。
ずらりと生えそろった歯は、その根元を隠す歯茎はおろか唇や頬すらもないため、異様に長く目に映る。
常人からすれば恐怖しか感じない
「パパもそう思ってくれてたんだ……嬉しい。ねぇ、ママは? ママはどう思ってるの?」
しなやかな金髪にからみつく白骨。細長い骨をやさしく退けて、ルナはもう一体の骸骨が座す机へと駆け寄った。
少女のドレスがふわりと浮く。
子ども特有の甲高い声の合間に響くは、羊皮紙をはしるペンの音。骸骨は日記をしたためているようだった。
「むー……?」
ママと呼ぶ骸骨はルナに向き直ることなく、手を動かし続けている。
ルナはその所作に若干の不満を感じたのかもしれない。頬を少しだけふくらませ、骸骨の
直後、少女は目にした一文に頬をほころばせることになる。
――ルナは、パパとママの世界いち。私たちを守ってくれる優しい子。
骸骨はインクが乾くのを待つことなく日記帳を閉じると、ルナの方へと向き直った。
パパと呼ばれたそれと同じように顎骨を鳴らし、浅くうなずく。
対する少女は一歩下がり、ドレスをくしゃりと握りしめた。
「そんなに褒められると恥ずかしいよ……」
( ルナは自慢の娘だよ )
窓際で佇んでいた父の骸骨が声帯を介さずにつぶやいた。
他者には届かない死者の声。だが、
重ねて母の骸骨からも同じ言葉がかけられる。
「えへへ……。なら、もっともっと褒めてもらえるようにがんばっちゃおっと!」
ルナは賛美の言葉に照れ笑いを浮かべながら、椅子に座らせていたぬいぐるみを手に取った。
シカを模した白いぬいぐるみである。それは昨年の冬、誕生日に母から送られた手作りの品だった。
ほのかにただよう林檎の甘い香り――生前の母と同じ香りにすがるように、少女はぬいぐるみへと顔をうずめる。
それからしばらく香りを楽しんだあと、ルナは顔を引き上げた。
「このお屋敷ね、とっても静かになっちゃったでしょ?」
窓際へと歩みながら澄んだ声で問いかける。
透きとおった音色が、闇にまどろんでいた森に
一陣の風が凪ぎ、
「メイドのセリエちゃんも、執事のヴィストくんも、庭師のカデナさんもいなくなっちゃった――」
視界の端ではためく髪を、ルナはなだめるように撫でつけた。
焼かれた薔薇園、煤けたガーデンテーブル、踏み荒らされた花壇……荒れ果てた前庭をまぶたの裏へとしまいこみ、「だからね」と彼女は継げる。
「新しいお友達を作って、ここに住んでもらおうと思うの。
パパとママは死んじゃったから一緒に居られる。これから作るお友達も、きっとそうだよね?」
( そうだね。みんな喜んでくれるはずだよ )
( ルナの良さをわかってくれる、心優しい子を友達に選びましょうね )
二体の骸骨はそう言って骨を鳴らした。
揺らめく鬼火が月光を押し退け、白骨と、少女の横顔を照らし出す。
そこには笑みが浮かんでいた。白い頬に朱を差し、興奮ぎみに彼女は続ける。
「ふふっ。ルナ……これからいっぱい、いーっぱい殺してくるよ! ルナが殺せばずっと一緒に居られるもの。もっと賑やかな方が、パパとママも嬉しいでしょ?」
( でも、ルナは人見知りだし、怖がりだし……。大丈夫かしら )
( 昨夜も、暗いのが怖いと言っていたからね )
肩骨をすくめる二者に対し、ルナは両のこぶしを固めて踏み出した。
「こ、怖くなんかないもんっ! 大丈夫だってば。ルナ、とっても強いんだから!」
息を荒げる少女に対し、骸骨は語らずに空洞となった眼窩を向ける。
かつては瞳の埋まっていた黒穴。そこに優しい視線を見出したルナは、頬の朱を耳にまで移ろわせ「もうっ!」と頬をふくらませてそっぽをむいた。
それは一年前――館が幽霊屋敷となり果てる前と変わらない穏やかな会話。何物にも代えがたく、何もかもを犠牲にして手に入れた、親と子のやり取りだった。
◆
やがて、月が空の中央へと至るころ。
目をこすりながらふらふらと立つルナに対し、二体の骸骨が向き直った。
( …………ルナ )
「んー……、なぁに?」
呼びかけると、間延びした声とともに少女が振り返る。
とろんとした寝ぼけまなこををしばらく見つめてから、父の骸骨は先を紡いだ。
( 今日はもう遅い。話の続きは明日にするとして、ベッドに向かうといい )
( 明日の朝はルナの大好きなアップルパイを焼きますからね。外のガーデンテーブルで、パパとママと三人で頂きましょう )
焼き朽ちた庭園を、その現実を骸骨の眼窩は映さない。
過去に失われた日々をなぞるように、母の骸骨は続ける。
彼らを操る、死を否定する少女――死霊術師の彼女は重いまぶたをこすりながら、
「……たのしみ。パパ、ママ、おやすみなさい……」
( ああ。おやすみ、ルナ )
( おやすみなさい。明日も、ルナにとって良い日でありますように )
「……うん。明日もまた、ね」
明日も変わらないということ。続く
左手に抱えるは形見のぬいぐるみ。右手を伸ばしてドアノブを回し、古い扉を押し開いたその時。
その時、森に奇妙な鳥の声が轟いた。
声を皮切りに異変は連続した。
噴き出るように現れた厚い雲が月を隠し、広がる空を覆い尽くす。
闇が質量を持ったかのように深く淀む。言い知れぬ不安が少女の鼓動を早め、呼吸を常よりも荒くさせる。
「――――ッ!?」
階下で靴音が響いた。石床を穿つヒールの音色……おそらくはエントランスより届いたものだろう。
真夜中の客人である。それは少女に対し一年前の悪夢を、取り巻く全てを一変させた事件を思い起こさせた。
( ……あら。お客さまかしら? こんな時間なのに…… )
母の骸骨は過去をなぞるように歩み出す。
少女は白骨に、在りし日の母の姿を重ねて
「だめ……ママ、だめ……」
その日の夜も、こんな淀んだ闇が満ちていた。
切迫したノックの音が屋敷に響いたことを覚えている。
血の通った肉体を持っていたころの母は、音に応じるように玄関扉を開ける、開けてしまった。
直後、その背から角のように
母は刺されたのだ。前庭を背に仁王立つ、返り血を浴びながら嗤う盗賊に。
――外見も中身もご立派な家じゃねぇの……。いいねぇ、羨ましいね。俺らにも分けてくれよぉ!
下卑た笑みだった。醜悪な声だった。その背後からは数多の足音が迫ってきていた。
恐怖よりも混乱が、悲しみよりも嫌悪が先行した結果、ルナは呼吸の仕方すらも忘れて立ち尽くした。
一瞬の忘我。それを解いたのは、父の猛る声だった。
――貴様、よくも妻を……!!
硬直から解き放たれたルナが次に見たのは、斬り伏せられた父の姿。
鮮血が石床を濡らす。
腹部をかばうようにうずくまる父に駆け寄るが手は届かない。幼い体は、盗賊の無造作な蹴りに吹き飛ばされていた。
石床を跳ね、壁へと打ちつけられる肢体。強制的に吐きだされる肺の空気、経験したことのない激痛、混乱の合間より漏れ出る恐怖。
それでも声を上げなかったのは何故だろう。どうして自分だけが今も生きているのだろう。
ルナは今日に至るまで何度となく思い出そうとしてきたが、先の記憶はまるで霞がかかったように判然としなかった。
だが、理解していることもある。
すべては一年前。あの夜、招かれざる客人によって変えられてしまったのだ。
ルナは首を振って現実へと意識を寄り戻すと、立ち尽くす二体の骸骨に手を伸ばした。
「パパ、ママ、だめだからね! 私のなかを出てきちゃだめだからね……!」
刹那、白骨が少女の体に吸い込まれるように溶け消える。
それは
書斎より骸骨の姿は失せ、青白い鬼火だけが少女の
( ルナ、危険があったらすぐにパパを呼ぶんだよ )
( 怪我をするようなことはいけませんからね )
心に直接語りかけるような声がした。
死の、その瞬間を覚えていない彼らの緊張感は薄い。対する少女は、緊張にこわばった表情でこくりとうなずく。
首筋を細く汗が伝った。
口のなかの唾をありったけかき集めて飲みこんで、開いた扉の向こうへと身を送る。
「……許さない。パパとママを傷つけるなんて、そんなこと……もう絶対にゆるさないんだから!!」
少女は自らを奮い立たせるように叫び、屋敷へと舞い込んだ異物を取り除くために駆け出した。
回廊の、血が染みた絨毯を蹴るように走る。
割れ窓の外では木々がざわめいていた。
暗闇の夜。来訪者によって幸せが失われてしまう恐怖が、ぬいぐるみを抱く腕に強い力を籠めさせた。
白い布地が引き絞られ、首の縫合部が悲鳴を上げるが気にしない。気に留める余裕はない。
回廊のくぼみ、階段を一段飛ばしで駆け下りて、やがて一階へと差しかかるころ。
玄関を正面に見据える中階段にて、ルナは侵入者の声を聞いた。