記憶を拾うルナの旅   作:山なき鳥

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説く謎かけ

 

 エントランスホールを正面に見据える、一階と二階をつなぐ中階段。

 壁に掛けられた父母の肖像画が見下ろすそこで、ルナはしわがれた男の声を聞く。

 

「――久しぶりだね。可愛らしいお嬢さん」

 

「だれっ!?」

 

 聞き覚えのない音色に対し、少女は肩を跳ねあげた。

 抱いていたぬいぐるみをより強く引き寄せ、震える声で問いかける。

 同時に、声の主を追って目をはしらせた。

 

 鬼火を操り照らしてみるも、エントランスに人影を見あたらない。汚れた絨毯に散乱する壊れた調度品があるばかり。

 上階を支える石柱――その影になる死角を確認することはできないが、声の聞こえた位置からして関係がないだろう。

 少女はおそるおそるといったふうに手すりを掴んだ。金属製のひやりとした感触が腕を伝う。

 

「ここはルナと、パパとママの家なんだよ……。勝手に入ってきちゃ、だめなのに……」

 

 一歩、また一歩と、逃げ出したくなる感情を押さえつけて階段を下りてゆく。

 まだ年端もいかない少女である。両親の前では強がってみせたものの、怪異を前にして、怒りを恐怖が上回ってしまったのだ。

 彼女を突き動かすのは責任感、そして過去……守れなかった後悔である。

 くいしばられた歯から吐息が漏れる。荒い息。その緊張に対するは、再会を喜ぶような弾んだ声だった。

 

「はっはっは、そんなに顔をこわばらせる必要はないよ」

 

「……ッ誰なの、どこにいるの!?」

 

 恐怖が声を張り上げさせる。

 少女の黄金色(こがねいろ)の瞳は潤み、泣き出す手前であることが見て取れた。

 

「わしは“謎かけの芋虫”という。右手のそば、手すりの上を見てごらん」

 

「――きゃぁっ!?」

 

 少女は指示されるままに目を向け、声の主を見るなり悲鳴をあげた。

 そこにいたのは手のひらサイズの生物。上体はフロッグコートに身を包む老人、下半身は緑と白の、ぶんにょりとしたこぶ(・・)の連なり……芋虫の姿をした異形だった。

 

 手すりを離して後退――階段を踏み外した浮遊感が身を包み、刹那のあとに尻で固い感触を味わった。

 遅れてルナは、自分がしりもちをついたことを理解する。

 痛みよりも恥ずかしさが頬を染めさせた。

 

「すまないね。驚かせるつもりも、怖がらせるつもりもなかったんだ」

 

 小さな芋虫はフロッグコートの襟を正し、かぶっていたシルクハットを脱いで謝罪した。

 鬼火に照らされた緑と白のこぶ(・・)が、てらてらと光る。

 

 その紳士的な振る舞いに、少女は言葉の接ぎ穂を失った。

 彼は異形ではあるが蛮族――特に盗賊ではない。芋虫の体で何を盗み出せるものか。

 奇妙な姿形については、幽霊に囲まれて暮らすルナにとって()したる問題ではない。

 

 そっと息を吐く。

 驚愕の潮が退いたころ、少女は言葉を重ねようとして、取りやめた。

 

「…………」

 

 床に腰を下ろしたままの姿が、見下ろされる構図が落ち着かなく思えたのだ。

 今さらながらに動揺を隠すよう、彼女はゆっくりと立ち上がった。

 自らを“謎かけの芋虫”と称する彼は、そんな様子を茶化すでもなく告げる。

 

「君に聞きたいことがあるように、私も君に訊ねたいことがある。だが、驚かせてしまった詫びとして、ひとつだけ先に答えることにしよう」

 

「そっか……芋虫さんはやさしいんだね」

 

 確かめるようにルナはつぶやき、目をつむる。

 それから心のなかに居る二人へとささやきかけた。

 

「ねぇパパ、ママ、この芋虫さんをお友達にしようと思うんだけど、どうかな?」

 

( 少し変わった外見だけど、落ち着いた良い人じゃないか )

 

( ええ、ええ。明日はこの人も一緒に、四人でアップルパイを食べましょう )

 

 両親のお墨付きを得た少女は、弾けるような笑みを浮かべてまぶたを開く。

 そして芋虫のたたずむ手すりへと再び駆け寄ると、右手を大きく振り上げた。

 

「ねぇ、芋虫さん。ルナのお友だちになってくれる?」

 

「……それが君の“聞きたいこと”かな?」

 

「うんっ!」

 

 シルクハットにフロッグコート。

 老紳士のような振る舞いをする芋虫は、しわが刻まれた頬をゆるめながら、

 

「ああ、喜んで」

 

 親愛をにじませる声で快諾した。

 細められた小さな瞳。そこには、振り上げられたルナのこぶしが映っている。

 

「やったぁ! じゃあ、芋虫さんのこと――」

 

 息を継げ、言葉を継げる。

 少女は満ちる高揚の命ずるまま、

 

「殺すね!!」

 

 振り上げた右手を、芋虫の頭部へと叩きつけた。

 

 飛び散る体液を予感した。

 やわらかな感触のなか、ところどころある硬さへと想いを馳せた。

 死の、その先に続く永遠を夢想した。

 

「…………あれ?」

 

 ――だが、振り下ろしたこぶしは何者も捉えてはいなかった。

 

「はっはっは、こっちだよ。姿かたちが変わっても、お転婆なところは変わらないようだね」

 

「――――ッ!?」

 

 空ぶった手を見つめていたルナは、声を追って振り返る。

 芋虫は反対側の手すりに立ち、どこからか取り出した煙管(キセル)をくゆらせていた。

 回避の予兆は感じられなかった。何の予備動作もなく、彼は一瞬の間に窮地を脱したのだ。

 

「表を好けば裏に近付き、裏を好けば表に近付く。求む場所に(いた)れぬかのが世界というものだ」

 

「……意味わかんない。ねぇ、芋虫さんはどうしてお友だちになってくれないの?」

 

 芋虫の言葉は真理を解く観念かもしれないし、己を殺すことは不可能であるという暗喩(あんゆ)なのかもしれない。

 しかしながら、ルナにとって言葉の意味なんてどうでもいいことだった。

 大切なのは友だちになってくれるか、否か。先の回答の真偽のみ。

 静かな怒りが満ちてゆく。少女の背後、青白い鬼火が燃え盛った。

 

「ルナ、嘘つきは嫌いだよ」

 

「……君は、その手で殺して、蘇らせなければ共に生きることができない。そう考えているんだね」

 

 芋虫は煙管から口を離し、桃色の煙を吐きながらうなずいた。

 こぶの連なり、やわらかな胴がもぞりと動く。

 ルナもまた首をたてに振り、続けた。

 

「命はね、とっても壊れやすいの。あたまはかんたんに潰れちゃうし、手足も、ぽろってもげちゃうの」

 

 彼女の声は絞り出したかのように掠れていて、聞く者の耳に悲しみを口伝える。

 確かな経験が裏付ける真実。人の身のもろさを説く少女は、「だから」と継げた。

 

「壊れないようにしないといけないの。……お別れするのは、もういやだから」

 

「……そうかもしれないな」

 

 芋虫はあごをさすり、それから煙管をコートの内へとしまい込んだ。

 煙の代わりに、彼は反論を口に含める。

 

「でもね、わしらは違うよ。人ではないからね」

 

 それは芋虫にとってのユーモアだったのかもしれない。

 彼は人外の胴を指さし、明るい口調で続けた。

 

「わしはどう思われようと、君のことを友であると考えている。現在(いま)も未来も、過去からずっと、な」

 

 過去、その言葉が耳に引っ掛かったらしい。

 ルナは眉をひそめ、小さな唇を開いた。

 

「どうして芋虫さんは、ルナのことを昔から知っているふうに言うの?」

 

「さあて、どうだろう。わしは君の質問に答えた。今度は君が答える番だ」

 

 苦笑まじりにはぐらかしながら、芋虫は右手を差し出して問う。

 

「わしからの質問はたったひとつ。――君は、誰なんだい?」

 

「……ルナは、ルナだよ?」

 

 ルナは質問から外れた回答であると気付きながらも、そう答えるより他がなかった。

 問いの真意を(はか)るには、彼女は幼すぎたのだ。

 しかしながら、外れた回答であると理解する洞察力。間違いを恐れながらも口をつぐまない精神力は、見上げたものである。

 芋虫もルナを聡明であると評しているようで、言葉をわかりやすく噛み砕かなかった。

 

「いいや、名前を聞いているわけじゃないんだ。名とは他と区切り、世界から個を隔てる記号に過ぎない」

 

「区切り、隔てる……」

 

 難解な言葉を舌うえでころがし、時間をかけて喉奥へと呑み下す。

 芋虫は少女が理解するのに十分な時間をあけてから続けた。

 

「私が問うているのは本質なんだ。分かるかね? ルナ、というたった二音では、君のすべてを表現するには足らないのだよ」

 

「わかんない……ルナは、ルナ。パパとママの子どもで、子ども、で……」

 

 徐々に色を失ってゆく唇が、震える声を送り出す。

 本質と言われたルナは、自身を構成する情報を整理して伝えようとした。

 情報とは記憶、すなわち過去である。

 だが、過去の軌跡は(もや)に覆われているかのように判然とせず、まとめようにも糸口を見つけることすらできなかった。

 

 母のアップルパイがおいしかったことは覚えている。

 でも、具体的な味は? 口に含んで最初に感じたのは甘みか、酸味か、それとも焦げたリンゴの香ばしさか。

 記憶を手繰れど、それらを思い出すことはできなかった。

 

 メイドや執事、庭師がいたことは覚えている。

 しかし、彼らの人柄や外見を思い出すことはできない。

 かろうじで思い出せるのは名前だけ。けれども芋虫は、名前は本質を表さないと言っていた。

 

「わかんない……わかんない、わかんないッ!!」

 

 記憶が虫に食い荒らされたように欠けている。その気持ち悪さが、おぞましさが、喉奥より絶叫を呼び起こす。

 優しかった父母と使用人に囲まれて育った屋敷。

 その優しかったと印象付けるエピーソードが、片手の指を畳みきるほども思い出せない。

 対して肉の体を失った父母との日々は鮮明で、あいまいな過去の日々との差に愕然とさせられる。

 

 優しかった。

 同じフレーズばかりが自己暗示のように繰り返される。

 なかみのない虚ろな響きが恐ろしくて、少女はより幼い子供のように首を振って拒絶した。

 たった一年なのだ。取り巻く環境が形を変えたのは、生まれてから過ごしてきた年月の十分の一でしかないはずなのである。

 

「なのに、どうして……? どうして思い出せないの……?」

 

 掠れた声に応ずるように、心の内に声が響く。

 

( 思い出さなくていいんだよ、ルナ )

 

( ええ。辛いことはすべて忘れてしまいなさい )

 

 しかしながら彼らの言葉は、自覚した違和感をかき消すには足りなかった。

 

 少女は覚えているのだ。

 

 朝露に濡れる前庭のバラを覚えている。

 母からぬいぐるみを貰った日のことも覚えている。

 髪を撫でてくれた父の手、その力強さも覚えている。

 それら全てが心ない者らの手によって、一度壊されてしまったことも含めて。

 

 覚えている。だがしかし、全てに具体性がないのである。

 庭に咲く花々を見て、自分が何を感じたのか。

 ぬいぐるみを受け取ったときの感情がわからない。喜んだはず、というのは憶測だ。

 頭を撫でてくれた父の手、その温度はどうだろう。ルナはそっと自分の頭に手を乗せるが、そこに答えは残されていなかった。

 

 混乱と恐怖に顔をゆがめるルナ。

 口を閉ざし、彼女を見やっていた芋虫は悲しげな瞳を隠すように、シルクハットを深くかぶりなおした。

 

「抜け落ちた記憶。封じられた過去。知らぬ力。それはこれから生涯を懸け、君が解くことになる謎かけだ」

 

「ルナは……ルナは、誰なの?」

 

「それを答えられるのは、きっと君だけだよ」

 

 眼前の芋虫からは答えを得られないと知り、少女はうつむいて歯の根を噛む。

 静寂のなか、鼻をすする音ばかりが際立っていた。

 

「一階の衣裳部屋に来るといい。そこに答えはないけれど、足掛かりになるものは用意されているから」

 

 芋虫は懐にしまっていた煙管を取り出し、しばらく指でもてあそんでから顔を上げる。

 火をつけようとはしなかった。

 その動作は少女の呼吸が落ち着くまでの時間つぶしだったのかもしれない。

 

「また会おう、ルナ。わしらの古き友人よ」

 

 ささやくように言い残して、芋虫はどこかに行ってしまった。

 鬼火に照らされる金属製の手すり。そこに彼の痕跡は残されていない。

 投げられた謎だけが、頭蓋の内へと取り残された。

 

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