プロローグ
―――悲しい夢だった。
光り輝く龍と黒い靄で覆われた“ナニカ”が戦っている。
二体の戦いの影響で周りは酷い有り様だ。大地は抉れ、海は荒れ、天は陽の光を通さぬ黒い雲で覆われていた。
『―――――――ッ!』
『……―――――――。――――――――!』
龍と“ナニカ”は話しているようだが声は聞こえない。
ただ、これだけは分かる。“ナニカ”は憎しみや悲しみ、苦しみの負の感情で溢れかえっていた。
やがて、龍と“ナニカ”の何度目かの衝突によって激しい閃光が生まれる。視界が眩しい光に覆われて、気が付けば
「……変な夢……」
一人の少年がそんなことを呟きながら目を覚ました。
黒い髪に青空のような色の瞳の少年だ。見た目で言うと年頃は5歳くらいだろう。
「まあ、なんでもいいや。士織を起こさないと」
夢のことはうすぼんやりとしか覚えていない彼は寝ぼけ眼を擦りながら、隣に横たわる人物―――少年が士織と呼んだ少女の体を揺すった。軽く揺すっても彼女が起きないことをわかっている少年は、少し強めに起こした。
「うにゅ……もう朝……?」
「うん、朝だよ」
「眠いよ……」
士織は少年と違い、すぐには頭が動かないようだ。
「そっかぁ……。でも眠い。あと―――」
「5分くらいならいいよ」
現在時刻は6時ちょうど。一般的な子供が起きるにしては随分早い時間だろう。
少年は時計を見て、今日は予定はあるが時間には大分余裕があること思い返して、もう少し寝てもいいと告げた。
「―――5年寝かせて」
だが、士織は少年の予想を遥かに超えた答えを出してきた。
「それは無理だからっ」
「むぅ~。じゃあ、キスしてくれたら起きる」
「キス?」
士織の言ったキスのことが心当たりがない少年は首を傾げた。キスが何なのかはよくわからないが、それで士織が起きるのなら安いものだと考えた少年はキスについて聞いた。
「口と口をチューってくっつけるの。絵本で王子様のキスでお姫様が起きた話があったからやってみたい」
「けど、俺、王子様じゃないし、士織もお姫様じゃないよ?」
「細かいことはいいのっ、早くキスしてっ」
急かす士織は、少年の頭を両手で逃げられないようにがっちりと固定し、目を瞑って自分の唇を突き出していた。
「はいはい、わかったよ」
起きてるじゃんか……、と思いながら適当な返事を返して、少年もゆっくりと自分の唇を士織の唇に運んでいく。二人の物理的な距離が徐々に縮まってゆく。そして、二人はキスを―――することはなかった。
「お二人とも朝ですよ」
「―――っ!」
メイド服姿の女性が二人の部屋に入って来たことで士織が慌てて少年から離れたのだ。
「……? 士織、キスはいいの?」
「い、いいの!」
少年が疑問に思って尋ねたが、士織は両手を振って誤魔化した。
「朝ご飯をご用意してあります。着替えて下に来てくださいね」
『はーい、シオンさん』
メイド服の女性―――シオンに手を上げて返事を返せば、彼女からは優しい微笑みが零れた。先に下に向かったシオンを追いかけるように素早く着替えを済ませた二人は、食事の並んだ席に着いた。
全員が揃ったことを確認したシオンが手を合わせるのを真似て少年と士織も手を合わせる。
『いただきます』
いつもと変わらない、異形や異能の存在なんてない平和な日常が始まった。
だが、少年―――