矢澤にことのキャンパスライフ! 作:ゆいろう
第1話
――春。それは出会いの季節。
今年も桜前線に異常はなく、ここ東京の桜も既に満開を迎えていた。短い時間の中で強く咲き誇る桃色の花弁を見ていると、自ずと気が引き締められる。
そんな春の象徴が左右に立ち並ぶ舗道を、初めてのスーツに袖を通し、ヘッドホンから流れる音楽を聴きながら俺――
一浪した末にやっとのこと合格した東京の私立大学。今日はその入学式だ。
大学へ向かう道すがら、同じ方向に歩いていく人がチラホラと見受けられる。緊張した面持ちの人、友人と談笑している人、期待に胸を膨らませている人、他にも様々な表情をした人がスーツを着こなし歩いている。
自分はどんな顔をしているのだろう。緊張しているのだろうか。それともこれから始まる
そんな事を考えながら歩いていると、急に体の左側から衝撃がした。その衝撃に思わずふらついてしまう。おそらく後ろから走ってきた人がぶつかって来たのだろう。ヘッドホンで耳を塞いでいたせいで、後ろからの足音に気が付かなかった。
ヘッドホンを外して首に引っかけ、ぶつかった人に目を向ける。
レディーススーツに身を包んだ、大学生にしてはやや小さめの体。艶やかな黒髪をリボンで結んだツインテール。そんな容姿もあって目の前の女性がどう見ても大学生に見えない。大学生というより中学生、女性というより少女といった感じだ。
「あの、大丈夫ですか?」
兎にも角にも、目の前で倒れこむ見た目中学生少女が心配なので声をかける。ツインテ中学生はヨロヨロと立ち上がり、のぞき込む俺の顔を見て一言。
「あんた、どこ見て歩いてんのよ!」
そう吐き捨てて少女は大学のある方に一目散に走って行った。
なんだよ、人が折角心配してやったのにあの言葉はないだろう。まるで当たり屋じゃないか。
大学の入学式の朝から嫌な目に遭った。大学生活はまだ始まってすらいないのに、当たり屋中学生(多分1コ下)に遭遇するとか……。俺の大学生活、これからどうなるんだろう。
* * *
大学内のホールにて行われている入学式は滞りなく進んでいった。強いて滞った点を挙げるなら学長の話がやたらと長い。朝早くから起きている俺からすると眠気がマッハだった。
いやだってさぁ、偉い人の話って無駄に長くて退屈じゃない? 高校生の頃も校長や教頭の話なんてものは眠たくて仕方がなかった。
退屈だった入学式も終わりが近づいてきた。今はサークルの紹介時間となっていて、その代表者が壇上に立って自分たちのサークルの魅力を言葉で伝えている。ダンス部や吹奏楽部などの文科系サークルは、壇上でパフォーマンスを披露したりした。
その中で俺が目当てにしていたサークルは軽音部だった。高校から音楽を始めた俺からすると、この大学の軽音部はかなり気になっている。
その軽音部は代表者の部活紹介だけで終わってしまったが、アットホームで明るい雰囲気だとその代表者は言っていた。
サークル紹介もいよいよ最後を迎えた。まだ紹介されていないサークル、それは――
『最後のサークルはアイドル部です。歌って頂くのは今年の"アイドル特待生"であるこの人! それではよろしくお願いします!』
アイドル特待生。アイドル最盛期とも言われている昨今において、大学側が新たに作り出した制度だ。そのほとんどが高校生の時にスクールアイドルとして実績を残していて、プロのアイドルを目指している。
壇上に現れたのは、煌びやかな衣装に身を包んだ黒髪ツインテールの一人の少女。俺はその人物に見覚えがあった。あれは……さっきぶつかった当たり屋中学生……!
「にっこにっこにー! この大学の"キャンパスアイドル"。矢澤にこにこ〜」
当たり屋少女の名前は『矢澤にこにこ』と言うようだ、ヘンな名前。
矢澤の登場に周りの奴らは盛り上がっている。その反応からすると彼女はかなりの有名人なようだ。しかし俺はアイドルとしての彼女を何も知らない。知っているのは、彼女がさっき俺とぶつかった当たり屋ツインテ中学生少女『矢澤にこにこ』という事だけ。
矢澤が言った『キャンパスアイドル』というのは、大学生のアマチュアアイドルの事。高校生がスクールアイドルなのに対し、いつしか大学生のアイドルを『キャンパスアイドル』と呼ぶようになっていた。
そういった事情はある程度知っている俺だが、アマチュアアイドルの中身については何も知らない。曲を聴いたりライブを見たりするのも、全てプロのものだからだ。
「今から歌うのは去年まで私がいたスクールアイドル、
――――START:DASH!!」
周囲からワッと歓声があがる。男女問わずほとんどの人が立ち上がって興奮した様子だ。彼ら彼女らの反応を見るに、この曲も相当有名な曲だと窺える。
イントロが流れ出す。ピアノ音で奏でられるそれは、始まりを告げる鐘のようで。
矢澤が歌い出す。クセのある可愛らしい歌声が、一つ一つ歌詞をなぞっていく。
――産毛だった小鳥たちも大きくなり、やがて大空に羽ばたいていく。
それはまるで、これから始まる大学生活の中で自分達が成長していくんだと言い聞かされてるような気がした。
* * *
「ありがとうございました!」
たった1曲、時間にしておよそ4分ほどの短いライブが終わった。ステージの中央に立つ矢澤は肩で息をしながら、満足げな笑顔を浮かべて手を振っている。
彼女の見せたライブに俺はいつの間にやら立ち上がっていて、言葉を失っていた。これでもかという程に『矢澤にこにこ』というアイドルを魅せつけられ、気が付けば心を鷲掴みにされていた。
熱い何かが全身を駆け巡っていく。それが感動だと理解するのにいささか時間がかかってしまった。
彼女に魅せられ初めて聴く曲、初めて見るダンス、初めて体験した感覚、初めて感動したアイドル。今目の前で行われた矢澤のパフォーマンスに、俺の初めてはことごとく奪われていった。
脳裏にはさっきまでのライブの様子がチラつき、曲と彼女の歌声が耳にこびり付いて離れない。俺はもうすっかり『矢澤にこにこ』のファンになっていた。
何なんだよアイツ……俺にぶつかってきたただの当たり屋ツインテ中学生少女かと思ったら、実はアイドルで。ライブに魅せられてファンになっちまうとか……本当に当たり屋みたいじゃないか。
4月の上旬。柔らかい日差しが降り注ぎ、満開の桜の香りが漂う中、目の前に突如現れたアイドルは知らず知らずのうちに俺の心を鷲掴みにしていった。
彼女と出会ったことで、これから俺の人生は大きく変わることになる。
――春。それは出会いの季節。