矢澤にことのキャンパスライフ! 作:ゆいろう
「お邪魔しまーす」
ドアを開けて、にこを家に招き入れる。邪魔するなら帰れと言いたいところだが、曲を聴くために来ているのでそう言うわけにもいかない。
大学から歩いて5分程度の場所にある二階建ての小さなアパート。その二階に俺はこの春から一人暮らしをしている。
「散らかってるけど、あまり気にしないでくれると助かる」
一言釘を刺しておく。あらかじめそう言っておく事で実際に見た時の衝撃を和らげたいところ。いや、マジで汚いから。
コクリと頷いたにこを奥の部屋へと案内する。
「うわ……本当に散らかってるわね」
「だから気にしないくれと言っただろ」
部屋の惨状を見たにこはあからさまに顔を歪めて呟いた。
床に散乱している漫画や雑誌。あたこちに脱ぎ捨てられた衣類。こたつ机の上に置かれた物の数々。
唯一無事な場所はというと、昨日まで作業をしていたパソコン机の上、大切なギター等の楽器が置かれた周辺の場所、就寝する為のベッドの上といった所。
八畳程度の広さがあるスペースは、数々の物に所狭しと埋め尽くされていた。自分でもよくここまで掃除しなかったと思う。
「こんな惨状じゃ曲を聴くに聴けないじゃない。まずは部屋を片付けるわよ!」
「別にこのままでいいだろ。生活は出来るんだから」
「にこが嫌なのよ! ほらさっさと片付けましょ。にこも手伝ってあげるから」
にこは長袖の服を肘の近くまで捲り、やる気満々な表情を見せる。なんでこんなに張り切ってるんだよ。
……仕方ない、やるか。
「はぁ。わかった、片付けるよ」
にこも手伝ってくれるという事だし。
幸い、見られて困るような物の類は置いていないはず。
「ちょっと譜也! なによこれ!?」
一際大きな声を上げて、にこは俺に問い詰めてきた。その手に持っているのは、ビールの空き缶と煙草の箱。
「アンタまだ未成年でしょ! こんな事したら駄目じゃない!」
心底怒っている口ぶりでにこは言う。やっぱり、俺の事を未成年だと思っているようだ。普通、大学一年生だったらまだ成人していないから、そう思うのも無理はない。
「いや、俺20歳だから」
「そんな見え見えの嘘ついたって駄目よ!」
「本当なんだって。ほら」
俺はにこに、浪人時代に取った自動車の免許証を見せる。それを見てにこは目を大きくした。
「嘘っ!? アンタ年上だったの!?」
「ああ。言ってなかったっけ?」
「聞いてないわよ! ていうか車の免許も持ってるの!?」
「1年浪人したからな。その時に取ったんだ」
へぇーとにこは感心した様子を見せる。しかし次の瞬間にはかぶりを振り、俺に向かって指をさした。
「それでもダメよ! 煙草なんて百害あって一利ないんだから!」
「お前は俺のオカンかよ……」
「なっ!? 誰がアンタのママですって!?」
「…………ママ?」
にこの口から出たその言葉を、俺はそのまま繰り返した。
「――ッ! お母さん!!」
にこは顔を赤くして言い直す。普段は母親の事をママと呼んでいるのだろうか。
今まではしっかりしている印象を受けていたから、そうだとしたら意外である。
「さ、さあ! 部屋を掃除するわよ!」
若干言葉に詰まりながら、 にこはそう催促して俺の部屋を片付けていく。
自ら進んで掃除をしてくれる彼女を見ると、部屋の主である俺が黙って見ているわけにもいかず、仕方なく掃除を始めた。
二人がかりで掃除をすると、散らかっていた部屋はものの30分程で見違えるほど綺麗になった。まさに劇的ビフォーアフター。
「ふぅ……だいぶ片付いたわね」
額にかいた汗を腕で拭いながら、にこは満足気な表情を浮かべた。その姿はまるで一仕事終えた職人のようにも見える。
「ありがとう。おかげで随分綺麗になったよ。結構掃除するの得意なんだな」
「当然よ、にこの掃除スキルを舐めてもらっちゃ困るわ」
ふふん。とにこは得意気に無い胸を張る。
でも実際、彼女がいなければここまで片付けるのにあと一時間はかかっていただろうし、にこが手伝わなければ掃除なんてしていないと思う。
「それじゃあにこは帰るわね。これからは小まめに掃除しなさいよ」
「ああ。わざわざ掃除手伝ってくれてありがとうな」
にこは踵を返して、部屋から出て行こうと一歩二歩と進んでいく。
小さな背中が遠ざかっていく。
本当、わざわざ俺の部屋を掃除しに来てくれたなんて、意外と良い奴だな。
…………あれ?
何か大事な事を忘れているような気がする。そもそも、にこは俺の部屋を掃除する為に来たんだっけ?
違う、そうじゃない。何かきっかけがあった筈だ。
あれは確か――
「お前、曲を聴きに来たんじゃないの?」
小さな背中に言葉を投げかける。にこは帰ろうとする足をピタリと止め、ゆっくりと振り向いた。
そして、足早に戻ってくる。
「そうよ、にこは曲を聴きに来たのよ! それをアンタは、にこに掃除だけ手伝わせて帰らそうとするなんて!」
「いや、お前が勝手に帰ろうとしたんだろ」
俺にそう言われて、にこはグッと言葉に詰まる。
「いいから、さっさと曲を聴かせなさい!」
「はいはい、分かったよ」
パソコンを起動させて、彼女の為に作った曲を再生した。
いかにもアイドルらしい曲が部屋に響き渡る。今まで俺が作ってきた曲と同様に、音声合成ソフトを使って簡単なボーカルを参考になるよう入れてある。
「へぇ……ボーカルまで入ってるのね。なかなか良い歌詞じゃない」
目を閉じ、耳を澄ませてにこは曲に聴き入っていた。真剣な表情を浮かべながら時々コクリと頷いて、一つ一つのメロディやフレーズを確かめている様子を見せる。
曲の再生が終わった。
にこは閉じていた目をゆっくりと開いて、真っ直ぐに俺を見つめる。
俺もまた、にこの目を真っ直ぐ見つめる。この曲を聴いて彼女がどういった判断を下すのか。結果がどうあれ、俺はそれを真摯に受け止めるつもりだ。
やがて、にこがゆっくりと口を開いた。
「いい曲ね。次のライブはこの曲を使うわ」
優しげに微笑んでにこは言う。
普段の少し荒っぽい口調とは違う、柔和で落ち着いた声色。
「――ありがとう」
ごくありふれた感謝の言葉。
大きくパッチリとした瞳で真っ直ぐに見つめられ、まるで吸い込まれるように目が離せない。
「……どういたしまして」
ずっと見ていると何だか気恥ずかしくなって、俺は彼女から目を逸らす。
「そうだ、これ。ちゃんとCDに入れておいたから」
曲を入れたCDをにこに渡す。
「ありがとう。明日からコーチと一緒に振り付け考えないと」
「ああ、頑張れよ」
「もちろんよ! 絶対にいいものにしてみせるんだから!」
力強く拳を握りしめ、にこは宣言した。