矢澤にことのキャンパスライフ! 作:ゆいろう
俺の家ににこが突然押しかけた。
現在、彼女は俺の家でシャワーを浴びて濡れた体を温めている。
……どうしてこうなった。
いや、単に俺が断らなかっただけなんだけど。
一度決めた事は曲げようとしない性格のにこ。そうなると俺が妥協するしかなかった。
「はぁ……」
ため息と共に紫煙を吐き出す。
にこが浴室に消えてからベランダに出てタバコを吸い始め、かれこれこれで3本目。
部屋と浴室は多少離れているとはいえ、同じ空間でにこがシャワーを浴びていると居心地が良くない。
色々と気になって仕方がないし、下手すると変な想像をしかねない。
こうしてベランダに出ることで、窓を挟んで部屋とは隔離された事になる。
ベランダでにこを待っている間は何もできないので、こうして煙草を吸っているというわけだ。
「はぁ……」
肺まで深く吸い込んだ紫煙を吐き出す。メンソールの香りが乱れそうな心を落ち着かせるようだ。
まったく。俺の役割はにこの曲を作る事であって、決して身の回りの世話をすることでも、勉強を教える事でもない。
ましてはシャワーを貸すなんて……本当、どうしてこうなった。
土砂降りの雨が降り続く。
アスファルトに打ちつける雨音をBGMに、右手に持った煙草を吸い込む。
「ふーっ」
紫煙を吐き出し、灰皿に灰を落とす。
「譜也ー! あがったわよー!」
部屋の中からにこの声が聞こえた。
煙草を灰皿に押し付け火を消して、俺は部屋の中に戻った。
「ちょっと、どこ行ってたのよ!」
いつもの練習着に着替えたにこ。
着替えがあるというのは本当だったみたいだ。
「どこって、ベランダに出てたんだよ」
「ベランダ? なんでそんなとこ……って臭っ! さては煙草吸ってたわね」
「……いいだろ別に」
にこがシャワーを浴びている間、部屋にいるのはどうにも居心地が悪かったんだから。
「よくないわよ! 煙草なんて吸っても体を悪くするだけなのよ!」
「別にいいだろ、俺の体なんだから。にこが気にする事じゃない」
俺がそう言うと、にこは不服そうな顔をしながらため息を一つ吐いた。
「まぁいいわ。それよりドライヤー貸して。髪乾かしたいのよ」
「そこにあるから、お好きにどうぞ」
「そう。ありがと」
ドライヤーがある場所を指差す。
にこはドライヤーを手に取り、髪を乾かし始めた。
「ていうかにこ。お前、もう少し警戒とかした方がいいんじゃないのか?」
「警戒? 何に?」
いつものツインテールとは違い下ろした髪を温風に靡かせながら、素っ頓狂な表情をするにこ。
こいつ……何の事がまるっきり分かっちゃいない。
「いいか。俺は男でお前は女。そういう事にもう少し危機感を持てと言ってるんだ」
するとにこは合点がいったように「あぁ」と言った。
「何、警戒してほしいの?」
にこはニヤニヤと意味ありげな視線を俺に向けてくる。
ダメだこいつ、全然分かってない。
「そうじゃなくてだな……俺だから良かったものの、そんなホイホイと男の家に上がるなって話。ましてやシャワーを借りるなんて」
ていうか俺、なんでにこの保護者みたいな説教してるんだろう。
「そんな事分かってるわよ。他の男の家になんて、そう易々と上がるわけないでしょ。譜也だから、にこは信頼してるってわけ」
「にこ……」
そうか。お前は俺を信頼して。
「だって、譜也ってヘタレでしょ?」
「誰がヘタレか!?」
信頼って、俺がヘタレだから襲ってこないだろうっていう事ですかにこさん。
「ヘタレじゃない。俺は中学生体型には興味がないだけだ」
「アンタ……最っ低ね」
一段と低い声でにこはそう言い、侮蔑の目で俺を見てくる。おいやめろ、それは人に向けていい目じゃない。
「言っとけ。ほら、勉強始めるぞ」
髪を乾かし終えたにこは、こたつ机の俺の横に腰を下ろす。
英語のテキストを広げ、それぞれ問題を解いていく。特に会話も無く、ペンを走らせる音とテキストを捲る音だけがする。
問題を解いていくと時々、横から視線を感じる。横目で見ると、にこがチラチラと俺の様子を窺っているようだ。
テキストと俺を交互に見つめる。その間、右手に持つペンは止まったままだった。
「どうした、分からないところでもあったか?」
「ば、バッカじゃないの! にこに解けない問題なんてないんだから!」
「そうか」
止めていたペンを再び走らせ、問題をスラスラと解いていく。
なるべく自力で解いた方が理解が深まると思っているので、助けを求められない限り俺は手助けをしない。
その間もにこは、俺とテキストを交互に見つめていた。
「変な意地張ってないで、素直に教えて下さいって言ったらどうなんだ?」
「だ、誰がアンタなんかに……!」
「分からない所があるんだろ、どこだよ」
「くっ……譜也のくせに」
悔しそうに唇を噛みながらも、それからのにこはここが分からないと素直に言うようになった。
俺はそこをにこに教える。一人で勉強するのも悪くないが、折角二人いるんだから協力した方がいいに決まっている。
それから1時間程にこに教えながらの勉強をして、キリのいい所まで終える事ができた。
「そうだ、にこ」
「なによ急に、どうしたの」
すっかり勉強の手が止まった俺は、ある事をふと思い出した。
「南が寂しがってたぞ。最近会ってないそうじゃないか」
先日、にこの衣装を作ってもらう為、秋葉原で南と落ち合った。
その時、南から零れた一言。
「ことりが?」
「あぁ、たまには顔を見せてやれ」
俺がしている事は、余計なお節介なのかもしれない。それでも、南の気持ちは伝えるべきだと思った。
俺に嫉妬しているとまで言った南。よっぽどにこの事が好きなんだと思う。
小さくて可愛らしい見た目のにこだけど、意外としっかりしていて頼りになりそうだ。μ’sの後輩からは慕われているのだろう。
「そうね。テストが終わったら、みんなのところに行って顔を見せてあげるわ」
「うん、それがいいよ」
深々と、懐かしむようににこは呟いた。
思い出に浸っているのだろうか、後ろ手をついて天井を見上げている。
「さて、そろそろ帰ろうかしら」
そう言ってにこは立ち上がる。
「今日はありがとう、助かったわ」
「どういたしまして、俺もおかけで勉強が捗ったよ」
ずぶ濡れになって急に来て、シャワーを貸せなんて言った時はどうしたものかと思ったけど。
立ち上がって帰ろうとするにこを、玄関までついて行き見送る。
「ねぇ、明日も勉強教えてくれる?」
「あぁ、いいぞ。ほら、傘」
ビニール傘をにこに手渡す。
もともと傘を借りに来たのに、成り行きで今まで勉強をしていた。
外はまだ雨が降っている、傘は必須だ。
「ありがと、じゃあ、また明日ね」
「あぁ、また明日」
そう言ってにこは帰っていった。
さて、もう少しだけ勉強するとしようか。