矢澤にことのキャンパスライフ!   作:ゆいろう

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第2話

 

 

 入学式とその後のサークル紹介が終了となり、今日の行事は全て終了したことになる。しかし終わったからといって今すぐに帰ろうとする新入生は少ない。

 俺達新入生がホールから出ると、そこには血眼になって新入生を取り込もうとするサークルの先輩達が待ち受けていた。必死になってビラを配るその姿には狂気すら感じてしまう。

 

 

 鬼の勧誘活動をなんとか掻い潜る。そこから人の流れに沿って歩みを進めると広場のような場所に出てきた。そこでは各サークルが長机を並べてサークルの紹介や勧誘をしていた。

 

 

 その中に軽音部のブースを見つける。そこに向かって歩いていると、ホールの方向から馬鹿デカい歓声が聞こえてきた。

 何事かと思って視線を向けると、ホールの入口からスーツ姿の『矢澤にこにこ』が出てくるところで、彼女は大勢の人達に囲まれていた。

 

 

「にこちゃーん!」

「こっち向いてー!」

「握手してください!」

「サイン書いて!」

「にっこにっこにーやって!」

 

 

 矢澤を取り囲む人達はそれぞれ好き放題な要求をする。あれだけの人達が出待ちをするなんてすごいな、まるで芸能人みたいだ。

 

 

 

「みんなごめんね~。にこ、これから用事があってすぐ行かなくちゃいけないの~」

 

 

 

 そう言って人混みを掻い潜っていく当たり屋中学生。笑顔を絶やさず出待ちにも対応するそのプロ根性に感服だ。それとも、あれが彼女の本当の姿なのだろうか。

 いや、俺は騙されないぞ。俺にぶつかった時のアイツは口が悪かった。自分からぶつかっておいて『どこ見て歩いてんのよ!』なんて言う奴だからな。まさに当たり屋。金を請求されなかっただけマシである。

 

 

 そんな出来事もあったりしたが、俺は矢澤にどうしても伝えたい事があった。ぶつかった事に対する謝罪の要求ではない。

 

 

 

 

 彼女が見せた感動的なライブ。そのライブに俺は感動した。ただ一言、ライブを見せてくれた礼を言いたいが為。

 

 

 

 

 そうと決めた俺は軽音部の勧誘から抜け出して、一人帰ろうとする矢澤の後を追うため駆け出した。おそらく中学校以来の全力疾走。

 こんなに夢中になれる何かが彼女のライブにはあったという事。

 

 

 

 矢澤の背中が見えてくる。ぶつかった時以来の至近距離。

 

 

 

 

 

「――あのっ、矢澤にこにこさん!」

 

 

 

 

 

 

 その小さな背中に向かって声をかける。俺の声が届いたのか矢澤はその場で立ち止まり、ゆっくりと振り返った。

 

 

 

「にこにこじゃないわよ!」

 

 

 

「じゃあ……当たり屋中学生?」

「中学生じゃないわよ! それに当たり屋って何なの!?」

「いや、今朝ぶつかってきたじゃん」

「ああ、あれアンタだったの。……全く何よ矢澤にこにこって、失礼ね。にこの名前は矢澤にこよ、ちゃんと覚えなさい! それで何? にこ忙しいんだけど」

 

 

 名前を間違えられて矢澤は憤る。ええ、俺ずっと勘違いしてたの? いや仕方ないだろ、さっきのライブで自分の事を『矢澤にこにこ~』って言ってたんだから。

『矢澤にこ』だな、よし覚えた。

 

 

 矢澤にこの低く気怠そうな声、めんどくさそうに眉をひそめた顔。ああやっぱり、こっちが彼女の本性だったんだ。伊達に当たり屋をしていないという事か。

 出待ちの人達との対応の差に変な感動を覚えつつ、俺は彼女に想いを伝えようと1歩前に踏み出した。

 

 

 

「わ、悪い。えっと、あのっ。さっきのライブ、すごい感動した。ありがとう」

 

 

 

 ライブをしていた張本人を前に目を合わせられずアスファルトに転がる小石を見つめながら言ってしまう。しかも緊張してかなり短い言葉になってしまった。

 本当はもっと伝えたい事があったのに、上手く伝えられなかった自分が恥ずかしい。

 

 

 何はともあれ俺の一方通行な想いを伝える事は出来た。緊張が少しだけ解けた俺は、視線を上げて目の前の彼女を見る。

 

 

 俺の言葉を聞いた矢澤は、何とも言えない複雑な表情を浮かべていた。喜びでも悲しみでもないそんな顔を彼女がする事に驚く。そして、俺はその表情に見覚えがあった。

 

 

 悔しさ、自分への怒り。今彼女に付きまとっている感情はそういう類のものだ。なぜならそういう時、俺も似たような顔をしているから。

 

 

 

 

「アンタもどうせアレなんでしょ。私が元μ’s(ミューズ)だから近づいて来たんでしょ? そういうの、やめてよね」

 

 

 

 

 矢澤は小さい声だがハッキリと拒絶の言葉を口にする。ライブでも言っていた『μ’s』という言葉。おそらく高校時代に彼女が在籍していたスクールアイドルなんだろうけど、生憎と俺はその存在を知らない。

 

 

 だから、思っていた事がつい口を滑ってしまった。

 

 

「μ’sって何? 石鹸?」

「はぁ!? アンタμ’sを知らないの!?」

「ああ、全くと言っていい程知らない。君の口ぶりから君がやっていたスクールアイドルの名前って事は想像できるけど」

「じゃあアンタは、にこが元μ’sって事を知らないで近づいて来たの!?」

「そういう事になるな」

 

 

 そんなにμ’sの元メンバーというのは知名度が高いのか。全く知らない俺って、もしかして流行に乗り遅れてる?

 

 

「嬉しいけど、なんか腹立つわね。アンタ、にこのファンならμ’sの事ちゃんと勉強しておきなさい!」

「アッ、ハイ」

「いい? ちゃんと勉強するのよ、ネットに動画があるはずだから全部見るのよ!」

「お、おう……」

 

 

 有無を言わせない剣幕で、矢澤は人差し指で俺を指してそう言った。言いたいことを言って満足したのか、矢澤は足早にその場を去っていった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 その後、広場でやっているサークル勧誘に戻る気になれず、俺はそのまま帰宅した。

 大学から徒歩で5分程度の場所に建つ小さなアパート。家賃も都内の中ではそこそこ安く、田舎から上京して来た身としてはこの上ない物件だった。

 

 

 スーツから部屋着に着替え、合格祝いに新しく買ってもらったデスクトップパソコンを立ち上げる。そしてとある動画投稿サイトを開く。目的は矢澤が言っていたμ’sの動画を見るためだ。

 

 

 μ’sで検索をかけると様々な動画がヒットした。正直ありすぎてどれから見ればいいのか分からない。

 とりあえず、一番上に出てきた『START:DASH!!』という動画を見てみよう。

 

 

 再生ボタンをクリックし、動画が始まる。聴いたことのあるイントロ。

 これは……矢澤が今日のライブで使用した曲だ。そして舞台上で踊りだす3人の女の子、その中に矢澤の姿は無かった。

 

 

 あれ? μ’sって矢澤がいたグループじゃないの?

 

 

 疑問を抱いたまま『START:DASH!!』の動画を見終えて、次は『これからのsomeday』という動画を再生する。

 

 

 踊っているのは7人の女の子、その中に矢澤にこの姿もあった。

 

 

 それ以降に見た動画からは更に2人の女の子が加わって、矢澤を含めた9人が映っていた。

 

 

 

 

 

 9人の女神――――

 

 

 

 

 

 

 

「……μ’s。矢澤のいたスクールアイドル」

 

 

 

 μ’sの輪の中にいる彼女は、今日見せたライブの何倍も、強く光り輝いていた。

 

 

 

  

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