矢澤にことのキャンパスライフ! 作:ゆいろう
東京、アキバドーム。
今日ここで、いよいよ。
――ラブライブが、開催される。
* * *
8月の中旬。
夏の暑さに後押しされるように、アキバドーム周辺は熱気に包まれていた。
アイドルファンが待ちに待ちわびた第三回ラブライブ。その大学生部門――キャンパスアイドルの頂点を決める催しが、いよいよ開幕を迎えようとしていた。
出場グループの中には、俺が楽曲を提供している矢澤にこ。そして、にこの友人である希と絵里が『のぞえり』というグループ名で登場する。
にこの誕生日から三週間余りの時が経った。
その間、にこは夏休みに突入した大学構内で練習に励んでいた。
誕生日に渡した新曲。
それを今日という日に向けて、ひたすらに汗を流していた。
俺も時折練習を見に行っては、にこを茶化したりしたものだ。
そんな俺をにこは迷惑そうな態度を取りながらも、楽しそうな表情で迎えてくれた。
そんな時間を思い出しながら、俺はライブの開始時間よりも早くアキバドームにやって来ていた。
にこにライブ前、控え室に来るように言われたのだ。
俺の持つ入場券も、にこから貰った招待券というやつだ。俺の他にも希と絵里の二人と共に、音ノ木坂の後輩達を招待したらしい。
ドーム内。
警備員に招待券を見せ、関係者以外立ち入り禁止の通路を歩いていく。
初めて訪れる場所に加え、関係者以外立ち入り禁止という文句が相乗して、緊張しながら通路を歩いていく。
静寂の中に、俺の踏む足音だけが反響する。
まるで知らない土地で迷子になったような不安感に駆られる。
しばらく歩いていくと、控え室が並ぶ空間にやって来た。
その中の一つに『矢澤にこ様』という貼り紙がされた扉を見つける。
にこを様付けしてるのが何だかおかしくて軽く笑い声を零してしまう。
しかしそのおかげで、さっきまでの緊張が和らいだ。
俺よりこの扉の奥にいるにこの方が、何倍も緊張しているに違いない。
そう思うと、今度は緊張が完全に消え去った。
扉の前に立ち、一つ深呼吸をして、
コンコンコン。
ノックをするが、返事が無い。
「まだ来てないのか?」
いや、にこに限ってそんな事は無いだろう。
普段はいい加減なところもあるにこだが、アイドルに関する事には真剣そのもの。遅刻なんてあり得ないだろう。
そう思ってドアノブを回すと、案の定ガチャリと音がする。
「失礼します」
一応挨拶をして中に入っていく。
「にこー、来たぞー……お?」
目に飛び込んで来たのは、綺麗な肌色だった。
普段は二つに結んでいる髪を下ろしたいつもとは違う印象。下着だけを着用していて、今まさにことりの作った衣装に着替えようとしているのは、矢澤にこ。
「な、ななな何でアンタがいんのよ!?」
「何でって、お前が控え室に来いって言ったんだろ」
「それは、そうだったわね……」
にこが視線を宙に泳がす。
さては俺を呼んだ事、すっかり忘れていたな。
「ていうかさ、着替え中に見えるんだけど……」
「わ、分かってるならさっさと出て行きなさいよー!!」
「わ、悪いすぐに出る!」
にこが俺目掛けて色々な物を投げつける中俺は慌てて部屋から出て、扉を閉めることで飛んでくる物を防ぎきる。
「ふぅ……」
小さくため息を吐き、扉にもたれかかる。
よくよく考えると、ノックの返事が無いのに部屋に入ったのは完全に俺が悪い。
にこの下着姿を見る事になったが、中学生体型に欲情する程俺はロリコンじゃない。
それでもにこの気持ちを考えると、悪い事をしてしまったと申し訳なくなる。
しばらく反省しながら待っていると、内側から扉が開かれた。
「……勝手に入って悪かった」
にこの目を見て頭を下げる。
にこは嫌がっていたし、わざとではないとしても謝るのは当然だ。
「……入っていいわよ」
「お、おう」
目を細めて睨んでくるにこにたじろぎながら、言われた通り部屋の中へ入る。
控え室の中に入るが、さっきから気まずい雰囲気が漂っている。にこと二人でいてこんなに居心地が悪いと思うのはこれが初めてだ。
でも、それを作ったのは俺が原因なわけで。
「にこもアンタを呼んだの忘れてたし、今回は許してあげるわ」
「お、おう。ありがとう、ございます」
「言っとくけど、次は無いからね!」
にこに念押しされ、俺は次からはノックの返事があった後に扉を開けようと固く誓った。当たり前の事だけど。
「……」
にこの姿を見る。
以前にも見たことりの作った衣装に身を包み、メイクもばっちり決まっている。
さっきまで下ろされていた黒髪は、いつものツインテールに結ばれていた。
俺が誕生日にプレゼントした、青色のリボンを使って。
「リボン、使ってくれたんだな」
「あぁこれ? 折角アンタがプレゼントしてくれたんだし、何よりにこも曲に合ってると思ったからね」
饒舌にそう語るにこ。
俺のプレゼントしたものを使ってくれている。その事実だけで俺は胸にこみ上げてくるものがあった。
「まぁ、気に入ってくれたようで何よりだ」
「アンタにしては、中々良いセンスよ」
滅多に出ないにこからの真っ直ぐな褒め言葉、ありがたく受け取っておこう。
「そういえば順番、一番最初だな」
ライブの登場順。
にこはトップバッターだった。
「ふん、にこに相応しい役目ね」
不遜な態度。緊張とかしてないのだろうか。
聞こうかと迷ったが、ここで緊張してるのかと聞いて変に意識させてしまっては良くないと思い踏みとどまる。
「のぞえりはトリだったな」
「良いじゃない、にこで始まり希と絵里が締めくくる――最高のライブにしてあげるわ!」
希と絵里はトリ――一番最後となっている。
正直かなり作為が働いてると思うような構成だが、やはりアイドルというのは強運なのだろうか。
「その様子なら安心だな、頑張れよ」
「当然よ! 初っ端から会場を盛り上げてみせるわ!」
拳を握り締め、自信満々といった表情でにこは言う。
勝つとか負けるとか、そういう事よりも会場を盛り上げるという言葉が何ともにこらしくて安心する。
「それじゃあ、俺はそろそろ行くわ」
そう言って部屋を出ようとする。
すると――
「――譜也!」
背後からにこに呼び止められ、足を止める。
振り返って、にこを見る。
「……ううん、やっぱり何でもないわ」
「何だよ、気になるじゃないか」
わざわざ呼び止めたのだから、何でもないなんて事はないだろう。
「じゃあ、ライブが終わってから言うわ」
「おう、分かった。じゃあ、客席で見てるから」
そんなやり取りを終えて、俺はにこの控え室を後にした。
* * *
にこの控え室を出て、俺は指定された客席へと向かった。
にこから貰った招待券だけあって、ステージからかなり近く見やすい場所だ。
ステージはアキバドームの後方、野球のバックスクリーン近くに設置されていた。
そこから扇状に広がっていくように客席がある。正直かなりの人数が収容出来るだろう。
アマチュアアイドルのライブに随分と大掛かりなステージが用意されたと思うが、今やそれだけ“ラブライブ!”は国民的行事となっている。
座席に腰掛け、改めてステージを見る。
賑やかな装飾が施された広大な舞台上。これからここでキャンパスアイドル達が――にこがライブをする。
身近な人がこの上に立つ事を想像すると、中々に壮観で胸に込み上げてくるものがある。
「あ、譜也さん!」
一際高い声がした。
振り向くとそこにはことりを含め音ノ木坂のアイドル研究部が勢揃いだった。
「譜也さん、こんにちは!」
「あぁ、こんにちは、ことり」
ペコリと頭を下げ挨拶をすることり。それに倣って俺も反射的に会釈をする。
「もうすぐ始まりますね、にこちゃんの出番!」
「そうだな、何だか俺まで緊張してきた」
そんな会話をしながら、ことりは俺の隣に座る。他の人達もそれぞれ自由に座席に腰掛けた。
まぁこの中だとことりと一番交流があるから、隣に彼女が座ってくれたのは助かる。
ドーム内は既に満員で、観客達はライブが始まるのを今か今かと待ちわびているような様子でいた。
「みんな、先輩のライブを見に来たんだな」
「勿論ですよ! みんなにこちゃんと絵里ちゃん、希ちゃんの事が大好きですから!」
胸を張ってことりは答える。
迷いの無い言葉に、真っ直ぐな瞳。
「本当、愛されてるよなぁ」
こんなに多くの後輩に慕われて、にこも嬉しいだろう。
にこはああ見えて世話好きというか、面倒見のいい性格をしているから、ことり達が慕う気持ちはとても良く分かる。
「譜也さん、そろそろ始まりますよ!」
ことりが言ったその瞬間、場内の照明が暗転した。
キャンパスアイドル達のラブライブ。
その開幕を告げるブザーが、騒つくドーム内に響き渡った。