矢澤にことのキャンパスライフ! 作:ゆいろう
夕方になると打ち上げが終了し、俺は西木野邸を後にした。
俺は今、コンビニの喫煙所で今日初めての一服をしていた。
さすがに他人の家で煙草を吸う訳にはいかず、今日一日ずっと我慢していたのだ。
紫煙を吐きながら、考えるのは今日来なかったにこの事。
さっきまでの打ち上げを、にこは風邪を引いて欠席していた。
にこのいない場で音ノ木坂アイドル研究部のメンバーと会うのは、ラブライブの日を含めて今日で二度目。
ラブライブの時はみんなライブに夢中だったが、今日はそういう訳にもいかない。
今日いたメンバーの中で俺がまともに喋れるのは希、絵里、ことりの三人ぐらいで、他のメンバーとは何度か顔を合わせただけだった。
向こうも気を遣って何度か俺に話しかけてくれたが、俺が年上という事もあってやはりどこか遠慮しているように見えた。
居心地が悪かったという訳ではないが、にこがいれば、もう少し居心地が良かったのしれない。
ふうっと紫煙を吐き出して、思考を一旦リセットする。
実を言うと、これからにこのお見舞いに行こうかどうか迷っていた。
今日の集まりに来れなかったほどだ、体調はあまり良くないのだろう。
にこを自分に置き換えて想像してみる。
浮かび上がったのは、高熱でうなされながら、一人っきりの部屋で寝込んでいる自分。
やばい……想像しただけで孤独感が一気に押し寄せてきた。
考えるのをやめ、煙草の火を消して灰皿へと放り込む。
「行くか、お見舞い」
そう決意すると、俺は若干足早になりながら、コンビニの中へと入った。
店員の元気な声に迎えられながら、何かお見舞いに良さそうな品はないかと店内を歩いていく。
とりあえず定番であるスポーツドリンクとのど飴をカゴに入れる。
他にも何かいいものが無いかと探していると、とあるものが置いてあった。
「リンゴか……」
俺がまだ小さい頃、風邪を引いて熱を出した時、母にリンゴを剥いてもらった。
ふと、そんな幼き日の記憶が蘇ってきた。
「……買っていくか」
リンゴを一つカゴに入れて、レジに向かい会計を済ませる。
俺はコンビニを後にして、にこの家へと向かった。
* * *
にこの住むマンションに着き、エレベーターで上がっていく。
一人でにこの家を訪ねるのは初めてだ。
エレベーターが目的の階に近づくにつれ、緊張も高まっていく。
エレベーターが止まり、扉が開く。
にこの家の前まで歩いていき、インターホンを押した。
すると中から、慌ただしい足音が聞こえてきた。
ガチャリと音がして、ドアが開くとそこには、
「あ、お兄さんだ! こんにちは!」
にこをそのまま一回り小さくしたような女の子――にこの妹、矢澤こころちゃん。
「こんにちは、こころちゃん。にこが風邪を引いたって聞いたんだけど、様子はどう?」
「えっ? お姉さまなら――」
こころちゃんが次の言葉を紡ごうとしたその時、家の中からドタバタと足音が聞こえてきた。
「ちょっ、虎太郎! 待ちなさい!」
「やだー」
玄関に向かって走ってくる虎太郎君と、それを追いかけるにこの姿が。
にこの様子は、いかにも元気そうで。
「あっ、譜也! 虎太郎捕まえて!」
「あ、ああ……」
にこにそう言われて、俺は反射的に玄関まで走ってきた虎太郎君を抱きかかえて捕まえる。
「ありがとう譜也! そのまま中に入ってきて」
「お、お邪魔します」
虎太郎君を抱きかかえたまま、俺はにこの家の中へと入っていく。
すると、俺の腕の中にいる虎太郎君が容赦ない一言を放った。
「くさい……」
その言葉を聞いたにこが、血相を変えてつめ寄って来た。
「譜也、今すぐ虎太郎を放しなさい」
言われてすぐさま虎太郎君を放す。
俺の腕から解放された虎太郎君は足早に家の中へと消えて行った。
にこは虎太郎君が家の中に戻ったのを確認すると、俺に近づいてきてクンクンと鼻で臭いを嗅いできた。
「ちょっ、何だよいきなり」
「黙ってなさい」
「……はい」
言葉を発するのを禁じられ、俺は大人しくにこに臭いを嗅がれる。
「譜也……アンタ、さっき煙草吸ったでしょ」
「……悪い、帰るわ」
「帰らなくていいから、ちょっとそこで待ってなさい」
帰ると言う俺の意思を無視して、にこは奥へと消えていく。
待ってろと言われてので大人しく待っていると、にこは手に何かを持って戻って来た。
よく見ると、それは消臭剤だ。
「ちょっとジッとしててよね」
そう言うとにこは俺に消臭剤を向け、シュッシュと吹きかけてくる。
「ちょっ、にこ、やめろって!」
「うるさいわね! 煙草なんか吸う譜也が悪いんでしょ! にこだけなら気にしないけど、ウチには妹達もいるんだから!」
「わ、悪かったって!」
「よし、これで大丈夫ね!」
「大丈夫じゃねえ……」
主に俺の心が。
俺をまるで悪臭みたいに消臭剤を遠慮なく向けやがって。
「上がっていいわよ」
「……お邪魔します」
家の中を進んでいき、リビングまでやって来る。
「譜也は妹達と遊んでて。にこは夕飯を作らないといけないから」
「わかった」
さっきの出来事の手前、にこの頼みは断れない。
「譜也、その袋は何なの?」
するとにこが俺の手に持つビニール袋に気が付いたようだ。
俺もにこの家にやって来てから、その存在をすっかり忘れていた。
「風邪引いたって聞いたから、お見舞いに色々買って来たんだよ。ほら」
袋ごとにこに渡すと、にこはバツが悪そうにしながらも受け取った。
きっと、にこは風邪を引いていないのだろう。
実際に会ってみると、何となくだけど分かる。
でも、きっと何か事情があるのだろうと思い、俺は何も聞かない事にした。
「せっかくだから、譜也も夕飯食べていきなさい。ハンバーグよ?」
突然、にこからそんな提案をされる。
「いいのか?」
「わざわざお見舞いに来てくれたからね。その代わり、妹達の相手をお願い」
「わかった。そういえば、お母さんはいないのか?」
せっかくなので、夕飯を御馳走になることにした。
それと同時に、にこの母親の姿が見えないのを疑問に思っていたので、にこに尋ねる。
「ママなら仕事で、今日は夜遅くまで帰ってこないわ」
「それじゃあにこは夕飯作るから、妹達と遊んでて」
そう言ってにこはキッチンに向かい、エプロンをして料理を始める。
俺はにこに言われたように、料理が出来るまでにこの妹達と遊ぶのであった。
* * *
夕飯のハンバーグを御馳走になり、食後に俺の買ってきたリンゴを食べると、にこの妹達は仲良く風呂に入って行った。
食卓には俺とにこの二人きり。
二人で食器を洗い終えた後、俺たちは食卓に向かい合って座っていた。
何でも、にこが話したい事があるそうだ。
しかし、にこは中々口を開かない。
そしてようやく、にこが重たい口を開いた。
「まずは、今日の打ち上げに行かなくてごめんなさい。分かってるとは思うけど、風邪っていうのは嘘よ」
薄々感づいてはいたが、やはり風邪を引いたというのは嘘だったようだ。
「どうして嘘吐いてまで来なかったんだ?」
それだけが、どうしても分からない。
これまでにこと過ごしてきて分かるのは、彼女はこういう嘘を吐く人間ではないという事。
「妹達の面倒を見るため……っていうのは建前ね。本音を言うと、行きたくなかったのよ」
「行きたくなかった? どうして?」
理由を更に追求しようとすると、にこは一瞬躊躇いながらも、口を開いた。
「にこは、アイドルになりたい。だから、μ’sの事は忘れるべきなのよ」
発想が飛躍しすぎていて、到底理解できなかった。
でも、そう語るにこの表情は思い詰めているほど真剣で。
「……どうしてそう思うんだ?」
だからまずは、そう思う根拠を聞くしかなかった。
「……希と絵里に負けたのは、にこの中にまだμ’sの力を借りたいっていう甘えがあったからだと思うの。だから、みんなのいる場所に行きたくなかった」
真っ直ぐに俺の目を捉え、にこは言う。
希と絵里に負けた要因を、にこはそのように考えていた。
でも、それは――
「それは違う。にこが負けたのは、俺の曲がダメだったからだ」
俺は素人だからアイドルの事はよく分からないが、ラブライブで見せたにこのパフォーマンスは、希と絵里に比べても負けてはいなかった。
身内贔屓かもしれないが、にこが上だったとすら思っている。
だから、負けた要因があったとすれば、それは曲を作った人の違いしかない。
「違う! 譜也の曲は、希たちの曲と同じ位良かった! 負けたのは、にこ自身の弱さが原因なの! 未だμ’sに頼っていたいっていう、にこの弱さが……!」
「……μ’sに頼るのはダメな事なのか?」
「そうよ! にこはμ’sのにこじゃない、一人の矢澤にことしてアイドルになりたいの! だから――!」
悲痛なほどに思いを吐露するにこ。
思えば、最初からそうだった。
にこは最初から、μ’sの矢澤にこではなく、一人の矢澤にことしてアイドルになる事を望んでいた。
「だから、譜也。もうにこの為に曲を作らなくていいわ」
あまりにも唐突すぎる言葉に、俺は開いた口が塞がらなかった。
「どうして、どうしてそうなるんだよ……!」
理不尽すぎる言葉。
俺の都合を無視して一人でそう決めつけるにこに、気が付けば怒りが沸いていた。
「もうにこの為に、曲を作る時間を割かなくていいって言ってるの。これ以上アンタの時間を、にこが奪うのは良くないから」
「そんな事ない! 俺は、俺がやりたいからにこの曲を――」
「譜也と過ごした時間は楽しかったわ。でもこれ以上一緒にいると、その楽しさに甘えてしまいそうなの。そうしたらにこは、また弱くなってしまうわ」
弱くなってしまう。
にこは強くなりたい――アイドルになりたいと強く願っているのだ。
これ以上俺といると、アイドルになれない。
にこがそう思っているなら――
「――本当に、それでいいんだな?」
にこの答えは――
「ええ、今までありがとう」
躊躇いを見せず、にこはそう答えた。
「……分かった。夕飯、ご馳走様。……じゃあな」
最後にそう言って、俺はにこの家を後にした。