矢澤にことのキャンパスライフ! 作:ゆいろう
「アイドルになりたーーーーいっ!!」
誰もいない砂浜で、矢澤は叫んだ。
アイドルになりたいって、キミは大人気のキャンパスアイドルじゃないか。
分からない。何故彼女が大声でそう叫ぶのかが。ただ単純にプロのアイドルになりたいだけかもしれないが。
それでも俺は分からない。彼女が何を思いアイドルになりたいと願うのか。
ただ一つだけ、俺にも分かる事がある。
それは、矢澤が本気だという事。
本気でそう思っている。本気でアイドルになりたいと、叫んでいる。
現状に満足する事なく、より高みを目指す。その心からの言葉は、俺の心を激しく揺らした。
「はぁ、はぁ。あぁ、スッキリした」
叫び終わった矢澤は、波打ち際でくるりと振り返り、この場を後にしようと一歩踏み出そうとする。
が、一歩目を出したところでその歩みを止めた。
「あ、アンタ……何でここにいるのよ」
俺と矢澤の視線が、バッチリと合った。
「……やあ」
とりあえず挨拶をしておく。何事も挨拶は大事だからな。
すると矢澤は、高架下にいる俺の元へと走ってやって来て――
「よいしょぉぉぉぉ!!」
俺は投げ飛ばされた。
服を両手で掴まれて、背負い投げのように見事に投げられた。
「いってぇ……」
服に付いた砂を払いながら立ち上がる。
自分よりも小さい女の子に容赦無く投げ飛ばされるとか……情けねえ。
俺は投げ飛ばした張本人をキッと睨みつける。
「いきなり何すんだよ! 服が砂まみれじゃねぇか!」
立ち上がって服に付いた砂を払い落としながら、いきなり俺を投げ飛ばす柔道家矢澤に文句を言う。
「聞こえたわよね?」
「な、なんのことやら」
俺の言葉を無視してそう問いかける矢澤。無視された事に俺はとぼけてみせる。実際はハッキリと聞こえていたが。
「とぼけないで!」
「はい聞こえました」
矢澤は俺の嘘をあっさりと見抜く。そりゃあ、あれだけ大声で叫んでいれば聞こえる。
「忘れなさい! さっき聞いた事、今すぐ忘れなさい!」
矢澤は鬼の形相で忘れろと命じた。
その顔には怒り、焦り、羞恥が入り混じっている。
アイドルになりたいと彼女は言った。
入学したばかりなのにキャンパスアイドルとして人気を得ている彼女が、心からそう叫んだ。
それにはきっと、彼女なりの理由があるに違いない。単純にプロになりたいという事ではない、もっと別の何かが。
――だから俺は。
「忘れない。というか、忘れられない」
「なっ!?」
嫌がらせとかそういうのではなく、俺は本心でそう言った。
「なんでよ! 忘れなさいよ!」
「嫌だ、忘れない」
「いいから! とっとと忘れなさい!」
「無理だよ。忘れられない」
終わりの見えないやり取りに矢澤は苛ついたように頭を抱える。
「そもそもアイドルになりたいってどういう事なんだ? あれだけ人気があるのに」
単純な疑問。今まで思っていたそれを彼女に聞く。
「い、言うわけないでしょ!」
「なんでさ、君と俺の間柄じゃないか」
「どんな間柄よ!?」
「えーっと……入学式の日にぶつかった」
「それただの被害者と加害者よね!? しかもにこが加害者じゃない!」
「じゃあ……講義中にこっそり筆談した」
「アンタが急に隣に座ってくるからでしょ!」
「でも君から始めたよね?」
「それは確かにそうだけど……ああもう! さっきから何なのよアンタ!!」
何って、さっき言ったじゃないか。
「俺は君が何故、アイドルになりたいなんて叫んだのか。それが知りたい」
彼女の目をまっすぐに見て俺は言う。矢澤はひたすら向けられる俺の視線に耐えられず目を逸らした。
「いいわよ! そんなに知りたいなら教えてあげるわよ! 言っとくけど誰にも言っちゃダメだからね!」
矢澤はとうとう痺れを切らした。彼女の言葉に俺は頷いて、次の言葉を待つ。
「――ただ単純に、今のにこは自分の事を胸を張ってアイドルとは呼べない。それだけよ」
「……どういう事?」
張る胸が無いだろ、という言葉は今必要ないだろう。
矢澤は続ける。
「今にこが人気なのは、にこがμ’sの元メンバーだから。それはにこ自身の人気じゃない」
μ’sの元メンバー。それが今の矢澤人気に繋がっているという事だった。
「人気があるなら、それで良いんじゃないのか?」
アイドルは何より人気がある事が大事だと思う。そういう意味で、彼女の言っている事は矛盾していた。
「今はね。でもそれに頼って、いつまでも一人でμ’sの曲を踊っていれば、ファンは飽きてくるわ」
「それは――」
「みんなμ’sの曲を聴きに来ているのよ。矢澤にこを見に来たんじゃなくて、終わったはずのμ'sを求めている。ステージに立ったら分かるの」
その言葉に、俺は否定できなかった。最初μ’sを知らなかった俺は、入学式のライブの盛り上がりは矢澤自身が作り上げたものだと感じていた。
けれど。彼女に言われてμ’sを知り、それを踏まえて今の言葉を聞くと、嫌でもそう思ってしまった。
彼女は誰にも見られていない。ステージに立って歓声を浴びながら、彼女はずっと孤独を感じていたのだろう。
だから矢澤は、ここで叫んだ。
アイドルになりたいと。
「――でもね」
視線が合う。
「μ’sを知らないアンタに、にこのライブで感動したって言われて……嬉しかったわ。だから、ありがとう」
アイドルに礼を言われた。よくある社交辞令のようなものではなく、本心からの言葉。
彼女にとって、俺の言葉が救いのようなものになっていたと言うのなら、これほど嬉しい事はない。
あの時、彼女に伝えておいて本当に良かった。
ただ、俺だけじゃダメなんだ。
もっと沢山の人に彼女は見てもらうべきなんだ。μ’sの元メンバーではなく、矢澤にこ本人を。
その為に俺は――
「だったら、俺が君の曲を作る」
これが、君の為に俺が出来る事。
「……アンタ、曲作れるの?」
「聴いてみるか?」
矢澤は小さく頷く。
俺と矢澤は高架下の階段に隣り合って腰掛ける。バッグの中から音楽プレーヤーとヘッドホンを取り出して、それを渡す。
矢澤はヘッドホンを付けた。俺は音楽プレーヤーを操作して、自作の曲を再生する。
曲が流れ始めると、矢澤は黙り込んで真剣に曲に聴き入った。
およそ4分間の曲が終わると、矢澤はヘッドホンを外して俺を見た。
「なかなか良い曲ね」
「ありがとう。それで、どうする?」
判断はあくまで、彼女に委ねる。
暫く考え込んで、矢澤は――
「いいわ。アンタににこの曲を作らせてあげる」
「随分と上から目線な物言いだな。分かった、君の為に作らせてもらいますよ」
契約成立。
俺は彼女の為に曲を作る。
「ねえ。その“君”って呼ぶのやめてくれない?」
「わかったよ、矢澤」
「矢澤もダメよ。にこの事はにこって呼ぶこと、いいわね?」
「はいはい。――にこ」
「よろしい」
名前で呼ばれて彼女――にこは満足そうな笑みを浮かべた。
「それで、アンタの名前は?」
そういえば、まだ名乗っていなかった。
「
「そう。じゃあ譜也、これからよろしくね」
「ああ、よろしく」
夕焼け空の下。
俺と彼女は握手を交わした。