矢澤にことのキャンパスライフ! 作:ゆいろう
にこが俺の家を出ていってから、どうやって過ごしていたのかよく覚えていない。
にこの気持ちは考えても考えても分からないままだった。だけどにこは、俺に自身の気持ちを汲み取ってほしかったと言った。
結局にこの気持ちというものの答えは出てこない。だけど、にこと口論になってしまった原因は俺にあるのだろう。
後悔ばかりが募る。
もっと気の利いた言葉を言うべきだったのだろうか。だとしたら、俺はにこに何と言えば良かったのだろう。
考えても正答に辿り着けない。答えを導き出すには、にこの気持ちを理解する必要があるのだろう。
そんな事を考えながら、気が付けば時刻は夕方になっていた。
窓の外は少しずつ橙色に染まっていき、にこが去ってから随分と時間が経った事を実感する。
進んだ時計の針を巻き戻す事はできない。
どれだけ後悔しても、どれだけ戻りたいと願っても、時計の針は待ってくれない。
それでも願ってしまう。
今日のにことの時間をやり直したいと。
正解は分からない、上手く出来る自身もない。だけど、今のまま離れ離れになる事だけは許せなかった。
ふと、どこからか音が鳴り響いている事に気がつく。
その音の正体を探す。
それは、電話の着信音だった。
「――にこ!」
にこからの着信だと断定した俺は、通話先を確認もせず慌てて電話に出た。
『もう、譜也君。ウチはにこっちやないで』
電話口から聞こえてきたのは、にことは違う声だった。
特徴的な関西弁。
「……希か」
東條希だった。
『正解。電話かけてきたんがウチでごめんな』
「いや、それは……すまん」
にこだと思って電話に出てしまい、希には失礼な事をしてしまった。
よくよく考えてみれば、あの喧嘩別れをした後のにこが、俺に電話をかけてくる筈がない。
それでも、淡い期待を抱かずにはいられなかった。ほんの僅かな可能性を期待せずには、いられなかった。
「それで、電話かけてきてどうしたんだ?」
『そうやなぁ……譜也君、ウチが電話してきた事に何か心当たりない?』
「何だよそれ。さっぱり分からない」
希が俺に電話をする理由なんて、希にしか分からない筈だ。俺に心当たりなんて何一つない。
『――にこっちの事や』
ドキリと心臓が跳ねる。
にこの名前を聞いただけで、身体が反射的にそう反応した。
『にこっち、プロになるらしいやん。譜也君も聞いてるよね?』
「……ああ。さっき会って話をした」
『そうなんや。ウチはついさっきにこっちから電話で聞いてな』
にこから電話があったのか。
それもそうか。にこにとって希はμ’sで共に頑張ってきた仲間だ。プロになる報告はするに決まっている。きっと他のメンバー達にも、にこは伝えたのだろう。
『譜也君。にこっち、泣いてたで?』
「――ッ!?」
にこが泣いていたと、希から聞かされる。
やっぱり家を出ていく時、にこは泣いていた。
そうさせたのが俺である事は明白だ。
「……そうか」
きっと希はにこを泣かせた俺を責めるために電話をしてきたのだろう。
『譜也君、ウチは今譜也君に怒ってる』
やっぱり、思った通りだった。
だけど、俺に言い訳をする権利はない。
にこを泣かせた罪を、受け入れるしかなかった。
『ウチと約束したよね? にこっちを幸せにするって』
そう、約束した。
数日前に希の告白を断ったあの日、希は俺に最後のお願いという形でにこの幸せを俺に願った。
だけど。にこの幸せ、それは――
「それは、にこがプロのアイドルになる事が、にこにとって一番の幸せだろう。ずっと前からの夢なんだから。このままプロにならずに俺の作る曲を歌うより、プロの誘いを受けた方が幸せに決まってる」
俺の作る曲を歌っている間、にこは幸せへと続く階段を上っている途中だ。
一方プロになる事は、幸せのへと続く階段を登りきった事を意味する。
どちらがにこにとって幸せかなんて、考えるまでもない。
『譜也君、それにこっちに言ったん?』
「ああ、言ったよ」
それが、にこの幸せになるのだから。
夢を叶えるチャンスがあるのなら、掴まなくてどうする。みすみす逃してしまえば、もう次は訪れないかもしれない。
そんな言葉をにこにかけた。
だけどにこは激昂し、涙を流して去っていった。
『――譜也君のバカ!』
一際大きな叱責を希から浴びせられる。
「な、何だよ。俺が何か間違った事を言ったか?」
間違っていない。
間違っていない筈だ。
俺はにこの幸せのため、にこの事を思ってプロになるよう進言した。
その事が正しいと思っている。
だけど、希は――
『間違いとか正解とか、ウチには分からない。でも、一つだけウチにも分かる事がある』
希にも分かる事。
それは、俺には分からない事なのだろうか。
『それは、譜也君が嘘をついてるって事』
嘘ついていると希は言う。
その矛先を俺は早合点していた。
「俺は、今希に言った事に嘘なんかついて――」
『ウチにやない、にこっちでもない。譜也君は、譜也君自身の気持ちに嘘をついてる』
それが自分にも分かる事だと、希は俺が嘘をついていると、そう断言する。
「俺自身の、気持ち……?」
俺自身の気持ち。それは明白だ。
俺はにこの事が好き。
その気持ちに嘘なんて――
――違う。
にこと喧嘩別れして、後悔した。
想いを伝えられずに、後悔した。
もうにこと会う事すら叶わないのだと、後悔した。
一緒にいられないのだと、後悔した。
――俺は、にこと一緒にいたいと願っている?
――にこが夢を叶えてプロになる事と同じ位、にこと一緒にいる事を願っている?
『にこっちのことを第一に考えて行動するのはカッコいいけど、自分の気持ちに嘘ついてまで、譜也君自身を犠牲にしてまで行動するのは、カッコ悪いで?』
「……」
俺はにこの事を想うばかりに、自分の気持ちを押し殺してというのか。
そうだとすると、何と醜くて滑稽なんだろう。
『それと、この前言った最後のお願い。ウチの言葉不足で上手く伝えられなかったみたいやから、もう一度言わせてな?』
最後のお願い。
俺にフラれた時のそれを、希は言い直した。
『――にこっちと一緒に、幸せになって』
それは、俺とにこが同時に幸せになってほしいという願い。
俺を好きだと言った女の子が。
俺にフラれた女の子が。
優しくて他人思いの魅力的な女の子が。
俺に叶えてほしい、ただ一つの願い。
「希……」
『ウチの好きな男の子とウチの親友。二人の幸せを願うのは当然やん?』
希は本当に魅力的な女性だ。
俺がにこの知らない状況で希と出会っていたら、俺はきっと希の事を好きになっていただろう。
だけど俺は、にこの事が好き。
『さてと。ウチから言ってあげられるのはここまで。あとは譜也君自身が、にこっちと一緒に幸せになる方法を考えてな』
「希……ありがとう」
希には、いくら感謝しても足りないだろう。
それ位、俺は希の言葉に救われた。
『ええって事よ。それじゃあ譜也君、頑張ってね』
「ああ。頑張って、にこと幸せになってみせる」
電話が切られた。
にこと一緒に幸せになってほしい。
それは希から託された願いで、俺自身が最も叶えたいと願うものだった。
それを叶えるためには何をするべきか。
答えは決まっていた。
正解か不正解かは分からないけど、それが俺にできる全てである事は変わらない。
俺はスマホを操作し、にこに電話をかけた。