矢澤にことのキャンパスライフ! 作:ゆいろう
「――にこッ!」
俺は走った。砂浜の上を全力疾走でにこに近付いていく。
「来ないでッ!!」
にこの悲痛な叫び。
だけど俺は止まらずに、にこのもとへ走っていく。
「――ッ!?」
するとにこは踵を返し、俺から逃げるように反対方向へと走り出した。
しかし、女の子の脚力だ。
いくら普段の練習で鍛えているからといっても、俺に敵うはずがない。
少しずつ、少しずつ、にことの距離が縮まっていく。
そして。
「にこッ!」
逃げていたにこの手を、捕まえた。
「やめて! 離して!」
「離さない! 絶対に離さない!」
手を掴まれたにこが暴れる。力ずくで俺の手を振りほどこうとするが、俺は絶対に離すまいとにこの手を強く握った。
やっと、やっと掴んだチャンスなんだ。
絶対に離してやるもんか。
「やめてよ! いや――ッ!」
「お、おい!? ちょっ、それは――」
「きゃあっ!」
暴れることで必死に抵抗するにこが、砂浜に足をとられバランスを崩す。
ここは海、浜辺の波打ち際。
バランスを崩したにこが海の方に倒れていく。
にこの手を強く握っていた俺も、にこに釣られて海の方に身体が傾いた。
そして。
激しい水の音と共に、俺達は海の中へと倒れた。
「ぷはっ……お、おいにこ、大丈夫か?」
ずぶ濡れになった身体を起こして、にこの安否を確認する。
繋いでいた手を引き寄せて、にこを起き上がらせた。起き上がったにこは、俺の手を振りほどく。
「はぁ、はぁ。アンタねぇ……何考えてんのよ!」
「……ごめん」
明らかな怒気を孕んだにこの声。俺には謝ることしかできない。
「大体ねぇ、もうにこの前に顔を見せないでって言ったじゃない!」
「……ごめん」
「なんで……なんでアンタが、ここにいるのよ!」
「……ごめん。でも、一つだけにこに伝えたい事があるんだ、聞いてくれ」
にこに伝えたい事がある。その為に俺はにこを探していたのだ。
にこは俺から顔を逸らし、小さくポツリと呟いた。
「……嫌、聞きたくない」
聞きたくない……か。これはどうやら、本格的に嫌われたのかもしれない。
だけど。
ここまで来て引き下がる訳にはいかない。
「そうか。なら俺は今から独り言を言う」
にこが聞かないと言うのなら、俺はどんな屁理屈を並べてでもにこに伝える。
「……そう、勝手にすれば」
呆れたようににこは言う。
それでは、勝手にさせてもらうとしよう。
「――俺は、にこが好きだ」
「ッ!?」
にこが俺の方を向いて、目を大きくした。
構わず、俺は続ける。
「これからもずっと一緒にいたいと思ってる。俺はにこが好きだから。だから、さっかは無神経な事を言って悪かった」
「……」
にこと一緒にいたいと思っていたのに、俺はその気持ちに気付かず、にこにアイドルになるよう言ってしまった。
そして、後悔した。
だから俺は後悔しないように、にこに想いを告げる。
「――矢澤にこさん、好きです。俺と付き合ってください」
にこに手を差し伸べる。
願うなら、その手をにこにとってほしい。
「……もう、遅いわよ」
にこは俺の手をとってはくれず、下を向いてそうポツリと漏らした。
「遅い……遅いのよ! なんであの時言ってくれなかったのよ! そうすればにこは迷う事なくアンタの手をとったのに! もう遅いのよ! プロになる話、さっき受けちゃったじゃない!」
にこは、泣いていた。
海水で顔も髪もびしょ濡れだが、にこは明らかに泣いていた。
「あの時、アンタの家でそう言ってくれたら、プロの誘いなんか断ってたのに! にこはアンタといる事を選んだのに!」
「――にこもアンタの事、好きなのに!」
「えっ?」
にこは、俺の事が好き?
「好きなの! 譜也が好きなの! 譜也が作ってくれる曲が好き! 譜也と一緒にいると楽しいのよ! にこも譜也とずっと一緒にいたいって、そう思ってたわよ!」
そんな……。
じゃあ、あの時にこが怒った理由って。
「でも、もう一緒にはいられない。だってにこは、プロのアイドルになるから」
俺と一緒にいたいと願っていたのに、プロになるよう俺が言ったから?
だとすれば俺は、なんて大きな間違いを犯したんだ。
俺が……俺のにこの為だと思い込んでいた言葉が、にこと一緒にいられるチャンスを失くしてしまった。
「だからもう、アンタと一緒にいる事どころか、会う事すらできないわ。にこはアンタが勧めてくれたプロのアイドルになる」
俺の言葉があったから、にこはプロのアイドルになる。それはにこにとっての夢であり、俺自身も望んだ事だった。
会えない事も覚悟していた。
だけど、その未来を想像したくなかった。
――にこと一緒にいたい。
その想いは、俺の想像を遥かに超えて強固だった。
「だからもう、アンタと会う事はないと思うわ。それじゃあ――さようなら、譜也」
俺に背を向けてにこは歩き出す。
差し伸べていた手を伸ばしても、届かない。
「待って! 待ってくれ、にこ!」
呼びかけても、にこは止まらない。
追いかけようとするが、足が思うように動かない。
もうにこに会えなくなるなんて、そんなのは御免だった。だが全ては、俺の引き起こした事態。
「待って、にこ! ……にこッ!」
考えろ。
考えるんだ。
プロになったにこと一緒にいられる方法を。
「――ッ!!」
ある。
これなら、にこと一緒にいる事ができる。
時間はかかるけど、不確定要素も多いけれど、これしかない。
「にこッ!」
さっきまで動かなかった足が動いた。
海から上がり、にこのもとへ走る。
「待ってくれ、にこ!」
にこは立ち止まってくれない。
にことの距離が縮まらない。
「俺も、俺もプロに! プロのソングライターになる!」
にこの足が止まった。
俺は全力で走り、にこに追いつく。
「だから……だから、それまで待っててくれないか?」
にこが振り向いて、俺と目が合う。
「本当に……? 本当に、プロのソングライターになる? プロになって、またにこに曲を作ってくれる?」
「ああ、絶対にプロになる。プロになって、またにこの曲を作る。時間はかかるかもしれない。でも、それでも待っててくれないか?」
「分かったわ、待っててあげる。だから、絶対にプロになって。約束よ」
「ああ、約束する」
俺は絶対にプロのソングライターになる。
再びにこに俺が作詞作曲した曲を歌ってもらう。
そうすれば、今までのように一緒にいられるはずだ。
「――でも、言葉だけじゃ足りないわ」
「えっ?」
「にこが譜也を信じて待っていられるように、誓いを頂戴」
にこが目を閉じる。
何をするべきなのかは明白だった。
にこに近づく。
愛おしいその顔に、ゆっくりと接近する。
そして俺達は。
夕焼け空の下、誓いを交わした。