矢澤にことのキャンパスライフ! 作:ゆいろう
矢澤にこに曲を作ると約束して数日が立った。
にこの為に作る曲。つまりそれはアイドルソングになるわけだが、俺は今までアイドルソングを作った事がない。
何とかして彼女を大勢の人に見てもらおうとして、曲を作るなんて大口を叩いてはみたけど、今のところどうすればいいのか全くもって分からない。
精々、無数にあるアイドルソングを片っ端から聴いて勉強しているぐらいだ。
ヘッドホンから流れるどこのアイドルなのかも知らない曲を聴きながら、俺はこれから一限目の講義が行われる教室へと向かっている。
この前のように遅刻ギリギリに到着するのは避けて、時間に余裕を持って。
教室に辿り着く。腕時計で時間を確認すると、まだ講義が始まるまで20分も余裕があった。
教室にいるのは数人だけで、講義を受ける学生はほとんど来ていない。
窓側の後ろの方の席に座る。
窓から射し込む朝日が心地よく、まだ完全には覚醒していない体に眠気となって容赦無く降り注ぐ。
講義開始までまだ20分も時間がある。
講義が始まるまで寝ようと決意し、ヘッドホンから流れるどこかのアイドルソングを子守唄に、俺は短い眠りに就こうと机に上体を預けた。
それからどれ程の時間が経っただろうか。誰かが俺の肩を揺さぶって、俺を起こそうとしていた。
いい感じに眠れそうだったのに……いったいどこのどいつだ。
「ちょっと譜也、起きなさい」
ヘッドホン越しに誰かが何か言っているが、音楽が流れていてよく聴こえない。
「ちょっと、起きなさいってば」
右肩をゆさゆさと揺らされる。やめてくれ、俺はまだ眠っていたいんだ……。
すると、付けていたヘッドホンが突然外された。そこで俺は目を開けて、ヘッドホンを外した犯人を見た。
「やっと起きたわね」
矢澤にこ。
俺が曲を作ると約束したキャンパスアイドル。
腕時計を見る。まだ講義が始まるまで10分もの時間があったけど、仕方なく俺は体を起こした。
教室では教授が講義の準備をしていて、学生もちらほらと集まってきている。
「……なんだよ。まだ講義始まらないじゃないか」
「曲出来た?」
こっちの話を聞きやしない。
「そんなすぐに出来るわけないだろ」
「なによ。にこの為に曲作ってくれるって言ったくせに」
「作るとは言ったけど、そんな一瞬で出来るものじゃないんだよ。それにアイドルソングなんて作った事ないし」
「アイドルソング作った事ないの!? それでよくあんな大口を叩いたわね。でもそれは真姫ちゃんも同じよ」
「……真姫ちゃん?」
知らないその名前に俺は首を傾げる。
「μ'sの元メンバーよ、今は高校二年生。アンタ、μ'sの事調べたんじゃないの?」
「メンバーの名前まで覚えてねえよ。にこは別だけど」
「そ、そう。まぁアイドルの曲を作った事が無かった真姫ちゃんも作れたんだから、譜也も作れるわよ。期待してるからね」
「……そうだな。頑張るわ」
俺がそう言ったところで、教授が喋り出して講義が始まった。
睡眠を邪魔されて今まで意識していなかったが、にこは俺の隣の席に平然と座り、ノートをとって講義を受けている。
こうして見るといたって普通の大学生に見える彼女だけれど、アイドル特待生としてキャンパスアイドルやってるんだよなぁ。
「なによ、ジロジロ見て」
「……別に、何もないよ」
「講義に集中しなさい。あと、曲もちゃんと作るのよ」
どっちだよ……。
それっきり、にこは前を向いて講義に集中していた。俺は教授の話を聞いてノートをとりつつ、曲の事を考えながら講義を受けた。
* * *
昼休み。
俺は大学の食堂で一人ランチタイムと洒落込んでいた。大学に入って未だ友達が出来ていないので、何をするにしても基本一人でいる事が多い。
今日の講義もにこが俺の隣に座っていたけど、にことは友人というよりかは、ビジネスパートナーといった関係だ。
アイドルになりたいと願う彼女の為に曲を作る俺。そこに友情なんて存在しないし、そもそも出会ってからまだ1週間程しか経っていない。
というわけで今日も一人飯。あぁ……学食のカツ丼は美味いなぁ。
俺が一人でカツ丼を堪能していると、背後から複数の女性の会話が聞こえてきた。
「あっ、にこちゃんだー!」
「ねぇねぇ、お昼一緒に食べない?」
気になって後ろを振り向くと、二人の女性に矢澤にこが話しかけられていた。
「いいですよーっ」
「本当!!」
「にこちゃんありがとー!」
にこはアイドルモード(俺命名)の甘ったるい声で女性達の誘いを受ける。見た所、女性達はにこのファンのようだ。
にこと女性二人は俺の後ろのテーブルに座った。
「ねぇねぇ、アイドル部って部員どれ位いるの?」
女性の一人がにこに質問をする。
アイドル部とはにこの所属するサークル。そこに所属してアイドル活動をしている人達は、一般的ににキャンパスアイドルと呼ばれている。にこもその内の一人だ。
「んー、20人位にこっ」
「グループはどれ位あるのー?」
アイドル部の中にも、いくつかのアイドルグループが存在している。軽音部にバンドが複数あるのと同じだ。
「今は5つあるにこっ」
「にこちゃんは何ていうグループに入ってるのー?」
「にこは今、ソロで活動してるにこっ」
「ソロなんだ。なんかもったいないね」
「そうだよー、大学でもμ'sみたいなグループでやって欲しいなー」
μ's。
その言葉で女性達が矢澤にこではなくμ'sを望んでいる事が分かる。
やはりにこが言っていた通り、矢澤にこ本人を見ている人はいない。
「……」
「にこちゃん?」
「どうしたのー?」
後ろにいるのでにこの表情は見えない。きっと彼女は今、悔しさを押し殺しているのだろう。
「μ'sはあのメンバーだったからμ'sだったにこっ。だからにこは、今度はソロで頑張るにこっ」
「そうなんだー」
「頑張ってね。応援してるよー!」
なんと心のこもって無い応援だろうか。あー、カツ丼美味いなー。
「あ、にこちゃんのお弁当可愛いー!」
「本当だ、可愛いー!」
「自分で作ってるのー?」
これが俗に言う『可愛いって言う私可愛い』ってやつか。初めて聞いた。
それにしても、にこは学食ではなく弁当なのか。
「そうにこっ。にこが作ったお弁当にこっ」
しかも自分で作っているときた。最近のアイドルは料理も出来るのか……って、それはアイドル関係無いか。
「えーすごーい!」
「にこちゃん可愛いー!」
「ねぇねぇ、にこちゃんって一人暮らし?」
「にこは実家から通ってるにこっ」
「そうなんだー。どこに住んでるの?」
「アキバの近くにこっ」
「アキバ! アイドルっぽい!」
「そうだねー! アイドルっぽいー!」
アキバに住んでいる事がアイドルっぽいってどういう事だよ。頭の悪い会話に俺の頭が痛くなってくるわ。
思いも寄らぬ所でにこの実家情報を手に入れてしまったが、重要なのはそこでは無い。
秋葉原――通称、アキバ。
にこと会話している女性達がアイドルっぽいと称したように、そこはオタク文化の聖地でもある。もちろんアイドル関連の店も数多くあると耳にしている。
秋葉原に行けばアイドルソングについて何かヒントが得られるかもしれない。
そうだ、アキバに行こう。
というわけで俺は週末の休み、秋葉原に行こうと決意した。