学戦都市アスタリスク 『道化/切り札』と呼ばれた男 作:北斗七星
部屋に戻った凜堂は何をするでもなく、ベットに寝転がったまま天井を眺めていた。部屋の中に英士郎の姿はなく、凜堂はただ一人、暗くなり始めた部屋の中で一人唇を噛み締めていた。
「……くそ」
小さく悪態を吐く。同時に目尻から溢れた涙がもみあげ部分の髪を濡らした。
「結局、俺はあの日から一歩も前に進めてないのか……」
次こそは大切な人を護り抜くと決めた。単純にそうしたいと思っていたし、そうすれば弱い自分を変えられると思っていたから。だが、現実は違った。誰かを護りたいという願い自体、凜堂が家族を失ったあの日から変わっていないという動かぬ証拠なのだ。
強くはなれているのだろ、間違いなく。でも、変われてはいなかった。
「何がお前を護りたい、だ」
サイラスを退けたあの日、ユリスに大それたことを言っていた自分を張り倒したい気分だった。彼女を護るなんておこがましいにも程がある。自分こそがユリスに護られているというのに。ユリスと共に戦い、彼女の夢を手伝うことで自分はユリスを護っているのだと思い込んだ。そうやって自分が幼く弱かった時とは違うと己自身に言い聞かせていた。
「俺は、何も変わっちゃいない。手前の弱さを棚に上げて、世界に喚いているクソガキだ……」
弱い、弱い、弱すぎる。自分自身の心の脆弱さに凜堂は穴があったら入りたい気持ちだった。
こんな情けない男がどうして気高く生きるユリスの隣に立てようか。
「俺は……ユーリに相応しくない」
「……それは凜堂が決めることじゃない。リースフェルトが決めること」
突如、独白に割り込んできた声に驚き、凜堂は跳ね起きた。きょろきょろと室内を見回すが、当然人影などない。ならば外かと、凜堂は窓へと目を向ける。窓の外に気配があった。声の主はそこにいるのは間違いない。
しかし、どこか聞き覚えのある声だ。そう、幼き時から何度となく聞いたあの子の声。
「やっ」
「サーヤ、やっぱりお前か!?」
窓枠からひょこりと顔を出したのは昔と変わらぬ姿の幼馴染だった。紗夜は躊躇など一切することなく、身軽な動きで部屋の中に入って来た。
「壁を伝って男子の部屋に来るというのも中々スリルがあって面白かった」
「いや、そんなスポーツみたいな感想抱かれても反応に困るというか……」
物珍しそうに部屋の中を見ている紗夜に凜堂は困ったように頭を掻いた。というのも、男子寮も女子寮と同じで原則的に異性が入ってはいけないのだ。この前の綺凛のように正規の手続きを踏んで、応接室といった場所で話すというならばともかく、こんな誰かの部屋に外部から侵入するなど言語道断と言わざるを得ない。
「あの、サーヤ。お前が知ってるかどうか分かんないけど、女子寮と違くて男子寮は侵入を手引きしたと考えられる男子が罰を受けるんだ。だから、この状況だと罰せられるの俺になるんだけど」
「知ってる。バレなければ全て問題ない」
力強く親指を立てる紗夜に凜堂は諦めるしかなかった。とりあえず、と紗夜はハンカチを取り出すと、凜堂へと差し出した。
「これ。目が赤くなってる」
「え? あ、あぁ、サンキュー」
紗夜の指摘に凜堂は慌ててハンカチを受け取り、乱暴に目元を拭い始めた。最初こそ威勢よく手を動かしていたが、勢いはどんどん失われていき、やがては完全に止まってしまった。
「サーヤ、俺……」
ゆっくりとハンカチを下ろす。ハンカチの影から現れた目尻に涙を浮かべる凜堂を前に紗夜は表情を変えず、凜堂のベットに腰を下ろした。
「座って話そう」
無言で頷き、凜堂は紗夜の隣に座る。俺、と再び口を開くが、そこから先が出てこない。凜堂が何も言えないでいると、紗夜が僅かに腕を伸ばして凜堂の頭を撫で始めた。突如、頭に感じた感触に凜堂は体をビクリと震わせたが、紗夜の優しい手つきに凜堂の視界が滲んでいく。
「俺、俺……」
たどたどしく、今にも泣き出しそうな子供のように頼りない声で凜堂は話し出した。
「俺は、あの日から何一つとして変わってない。強くなれば、大切な人を護れるようになれば、誰も助けられなかった弱い自分から変われると思った。でも、違った。大切な人を護りたいって願いが、何も成長できてないって証だ……俺がこんな風に弱っちいからユーリにも迷惑かけちまった」
「それは違う」
力強く紗夜は言い切る。
「リースフェルトは凜堂のことを迷惑に思ってなんかいない。そうだったら、私に凜堂のことを励まして欲しいなんて連絡して来ないはず」
だから、紗夜は規則を破るかもしれないという危険をガン無視して男子寮に潜入し、凜堂の元まで来たのだ。
「ユーリが?」
「うん。私はリースフェルトを誤解してたみたい。頭の硬い奴だと思ってたけど、思いやりのあるいい奴だった。凜堂のこと、凄く心配してた。自分が傷つけてしまったって」
「そんな……ユーリは何も悪くない。悪いのは俺なのに」
「何で凜堂が悪いの?」
紗夜の問いの意味が分からず、凜堂は数秒の間固まっていた。
「何でって、それは俺が弱いから」
「何で弱いのが悪いの?」
どうにか答えようとすると、紗夜が被せるように次の問いを投げかけてきた。何でって、と口籠る凜堂。
「ユーリに迷惑かけちまうから」
「さっきも言ったけど、リースフェルトはそんなこと思ってない。凜堂がそう思ってるだけ。そもそも、凜堂は大切なことを忘れている」
「大切なこと?」
コクリと頷く紗夜。
「凜堂が弱くても、昔と何も変わってなかったとしてもリースフェルトや綺凛の助けになったことは変えようがない」
紗夜の言葉は落雷のように凜堂を打った。彼女の言っていることは紛れもない事実だ。もし、凜堂がいなければユリスはサイラスの姦計に陥れられ、グランドスラムを達成するという夢の第一歩から躓くことになっていただろう。綺凛にしても同じだ。凜堂が彼女の背中を押していなければ、今でも彼女は刀藤鋼一郎の手駒のままだった筈だ。
「誰かの助けになる。それは悪いこと?」
「そんなことは、ないと思う」
「だったら大丈夫。それが出来る凜堂は何も悪くない」
(無い)胸を張って、紗夜は断言する。何だか無理やり丸め込まれているような気がしなくもなく、でもとまだ何かを言おうとする凜堂を紗夜は真っ直ぐに見つめた。澄んだ双眸に射抜かれ、凜堂は言葉を失う。
「それに今の凜堂はらしくない。何時もなら、こんなにうじうじ悩んだりしないで変わろうと努力するはず」
そうやって凜堂は生きてきた。家族を失った時も弱い自分を嫌い、強くなろうと決め、そして実際に強くなった。まだ、年端もいかぬ子供の頃に出来たのだ。今の凜堂に出来ないなんて道理はない。
「変われていないなら、今から変わればいい。凜堂だったら絶対に出来る」
「な、んで……何でそう言い切ってくれるんだ、サーヤ?」
根拠など欠片もない、無責任さすら感じられる紗夜の断言に凜堂は戸惑いながら訊ねる。
「それは単純。たった一つの単純な答え。私が凜堂を信じてるから」
ただそれだけだ。それ以外の理由などないし、必要も無かった。
「……そっか」
たっぷりと時間をかけて凜堂は紗夜の言葉を噛み締めた。空虚に思えた自分の体に優しく暖かい何かが染み込んでいくような気分だ。もう一度、凜堂はそうかと頷く。頬を小さな雫が伝い落ちていった。
「俺みたいな情けない奴のことを信じてくれる人がいるのか」
「うん、信じてる。きっと、リースフェルトも綺凛も……後、生徒会長も。だから凜堂」
紗夜は伸ばした両腕を凜堂の首に回し、胸元へと抱き寄せた。
「泣かないで、笑って。私が信じる凜堂は何時だって笑ってた」
飄々と笑いながら、自分の信念を胸に決然と歩んでいく。それが紗夜が信じる高良凜堂の姿だ。分かった、と凜堂は紗夜の胸の中でゆっくりと頷く。
「俺のことを信じてくれるお前や、皆のために笑ってみるよ」
「それでこそ私の凜堂」
満足そうに笑い、紗夜はゆっくりとした動きで凜堂を撫でる。凜堂も紗夜から離れようとはせず、穏やかで心地よい時間を享受した。明日の試合、頑張れなんてことは言わない。何故なら、彼女は凜堂達が勝つと信じて疑っていないからだ。
それも当然だろう。何せ、彼女の信じる幼馴染は世界で一番強くて、世界で一番格好いいヒーローなのだから。
「……よし」
シリウスドーム控え室前。凜堂は気合いを入れて控え室の中へと足を踏み入れた。中では既にユリスが待っていた。座って待っているような気分ではなかったらしく、控え室の中を歩き回っていたユリスは凜堂の姿を認めるとすぐに駆け寄って来た。
「凜堂! その、大丈夫なのか?」
ユリスの問いに若干の弱々しさを含ませながらも、普段通りの雲みたいな笑顔で応じる。
「おうさ。ま、元気一杯夢一杯とは言えないけど、あの性悪双子の性根を叩き直すくらいは出来るだろうよ」
軽軽と笑っていたが、凜堂は表情を引き締めて深々と頭を下げた。
「ユーリ、すまん。俺が変に感傷的になってたせいで貴重な時間を無駄にしちまった」
「あ、謝るな! 悪いのは私だ。お前の気持ちを考えず、あんなことを言ってしまった。思慮が浅いとしか言い様がない。凜堂、本当にすまない」
凜堂以上に深々と、申し訳なさそうにユリスは頭を下げた。そんなこと、と言おうとして凜堂は口を噤む。今までの付き合いから考えて、ここで凜堂が何か言ってもユリスは自分が悪いと言い続けるだろう。
「そっか。だったら、ユーリ。一つ頼みがあるんだけど、聞いてくれるか?」
「何だ?」
「俺のこと、信じてくれ」
昨日、紗夜のお蔭である程度立ち直った凜堂だったが、それでも自分のことを信じるのは無理そうだった。でも、紗夜やユリス。自分にとって、大切な人が信じてくれる『高良凜堂』ならば信じられそうだった。
「そ、そんなk……」
そんなこと、と言いかけてユリスは慌てて口を閉じる。ユリスにしてみれば相棒である凜堂を信じることなど当たり前のことなのだが、今の凜堂にとっては信じられることこそが最も重要なことなのだ。表情を真剣なものにし、ユリスははっきりと頷いた。
「分かった、凜堂。私はお前を信じる。だから、お前は私を信じろ。私が信じるお前を信じろ」
「……あぁ、それなら、大丈夫そうだ」
その後、試合が始まるまでの数時間、二人は黎兄妹の対策を話し合った。過去の映像と宋達の忠告から黎兄妹の人となりを予測し、それを元に作戦を考える。試合開始数分前と、時間的にギリギリだったがどうにか作戦を詰めることが出来た。
「そろそろか。では、行くぞ」
「っしゃ。頑張りましょうねっと」
立ち上がり、二人揃って控え室を出る。
「凜堂」
ステージの入場ゲートへと歩を進めていく中、足を止めたユリスが凜堂を呼び止めた。何じゃい? と振り返った凜堂に何かを言おうとしてユリスは口を開くが、結局は何も言わなかった。
「すまん、何でも無い」
「? そうかい」
再び歩き始める二人。真っ直ぐ前を見ながら歩を進める凜堂は気付かなかった。横にいるユリスの顔がほんのりと赤く染まっていることに。
(言える訳ないだろうが……!)
心の中でユリスは小さく毒づく。素面で、それも面と向かい合って言える訳がない。護ってくれると言ってくれたあの日からお前を信じなかったことなんて一度もない、と。
「相変わらずテンション爆上げって感じだな」
ステージへと入場する自分たちを出迎えた実況のお姉さんのパワフルな声、観客たちの雷鳴の如き喝采。そして乱舞するステージライトに凜堂はステージ中央に足を進めながら目を細める。
「『
試合に出る当事者たちよりも、見る側の方が気力十分だというのもおかしな話だ。素っ気なく答えるユリスにそうね、と返しながら凜堂は実況の声に意識を傾ける。彼女の言うところによれば、既に他の準々決勝の試合は終了しており、凜堂達の試合が準決勝に進出する最後の一組を決めるものになるそうだ。
「サーヤとリンも無事に勝ったことだし、ここで俺らが躓くわけにもいかんわなっと」
組んだ両手を伸ばして体を解す。現在、ベスト4に駒を進めているのは星導館の紗夜と綺凛。聖ガラードワースの正騎士コンビ。そしてアルルカントのアルディ、リムシィの機械人形組だ。この試合で勝った方がガラードワースのペアと戦うことになる。
「さってさて。じゃあ、気合い入れて頑張りますか~」
「そう思うのなら、もっと腹から声を出せ」
間延びした調子の凜堂にユリスは軽く嘆息する。どこか呆れた表情を作るユリスだったが、内心では平常運転の凜堂にホッとしていた。試合になったらな、と肩を竦めた凜堂が前方を見やる。ユリスがその視線を追うと、反対側の入場ゲートから入って来た黎兄妹こと黎沈雲と黎沈華が歩み寄ってきていた。
「初めまして。『
「私たちは」
「
それは重畳、と薄い笑みを浮かべる二人にユリスは警戒を解かなかった。見れば見れるほど、似通っている彼らの容姿に驚かずにはいられない。
「双子というより鏡だな」
「まぁ、そう見えるのも無理はないかな」
「時々、私たちはおふざけで入れ替わることがあるが、気付けるのは師だけ」
ユリスの率直な感想に黎兄妹はそう返した。まぁいい、とユリスは鋭い視線を二人に浴びせる。
「それで何の用だ?」
「いえ、先日のことで少々お詫びをしなければと」
「私たちの同輩が無様な姿を晒してしまったので」
「「同じ師につく者として謝罪をと」」
交互に喋ったり同時に口を開いたり。目を閉じていたらどっちが喋っているのか全く分からないだろう。
「同輩というと宋と羅のことか。別段、連中が無様だとは私は思わんがな」
いやいや、と沈雲は大げさに首を振る。
「『
「だからあの二人じゃ見せられない世界を見せてあげるわ」
「「星仙術の深奥をね」」
言葉に込めた宋と羅への不遜すぎる態度。そして自分と相棒に向けられる舐め切った目。分かり切っていたことだが、ユリスは改めて確信する。自分はこの双子が大嫌いだと。
「そうか。なら、とりあえずは楽しみにしておこう。なぁ、凜堂」
「……あ、ごめん。欠片も聞いてなかった。今朝の星座占いが思い出せなくてさ」
で、何の話やい? と小首を傾げる凜堂に双子の表情が一瞬だけだが引き攣った。何も言わずに踵を返して戻っていくが、多少なりとも怒りを覚えているのは明白だ。
「星座占いを思い出していたって、もう少しマシな理由は無かったのか?」
「あんな連中、あれくらいの態度で十分だろうよ。話戻すけど、ユーリはどうだった、星座占い?」
先の会話が双子の仕掛けの一つだとは分かり切っていた。だからこそ、凜堂は真面目に取り合わなかった。ユリスもそのことを分かっていたので、それ以上は何も言わない。
「まぁいい。我々は勝ちを取りに行くだけだ。ちなみに星座占いだが、一位だったぞ」
「お、幸先いいんじゃない?」
「占いなど欠片も信じていないくせによくそんなことが言えたものだな」
運命なんてものは自分の手で自分の都合の良い様にするもの。高良凜堂とはそういう人間だ。まぁね、と薄く笑って見せながら凜堂は右目へと意識を集中する。一瞬、ヘルガの警告が頭を過ぎるが、無視しして
「禍つ瞳は天仰ぎ、禍つ刃は雲を斬る。星を護るは双魔なり!」
解放の瞬間、凜堂の意識にざらついた何かが触れてきた。驚きながらも凜堂は頭を振ってその何かを意識から弾き飛ばした。体内に湧き上がった星辰力が溢れ出し、マグマのように吹き上がる。ステージ天井にまで届きそうな黒い光柱がそそり立った。
『おっと、出ました! 高良選手の毎度お馴染みパフォーマンスです! ……実際のところどうなんでしょう、チャムさん。あれってパフォーマンスなんですかね?』
『詳しいことは本人たちが何も言ってくれないので分からないっすけど、無限の瞳の力を開放すると自然にあぁなっちゃうんだと思うっす。無限なんて大層な
『言われてみればそうですね。さ~てさて、そうこうしている内に試合開始の時刻となりました! 果たして勝利の女神の微笑みを手にするのはどちらなのか!』
『『
戦いが始まった。