学戦都市アスタリスク 『道化/切り札』と呼ばれた男 作:北斗七星
「凛……堂……」
少年の目の前で、一人の男が倒れていた。その片腕はありえない方向に捻じ曲がり、腹を穿つように空いた傷口からは止め処なく血が流れている。
「父……さん」
今にも泣き出しそうな顔の少年に心配するな、と笑いかけようとするが、出てきたのは笑顔ではなく、大量の血反吐だった。立ち上がって抱き締めてやろうとするも、血を流しすぎた体は全く言うことを聞かない。出来ることと言えば、這うことくらいのものだ。
「凜堂」
もう一度、少年の名を呼び、男は這って息子に近づき、その頭を乱暴に撫でた。口元を血で濡らしながらも、力強く少年に笑いかける。
「間違えるなよ。その力の使い方を……」
男の目から光が消え、力を失った手が地面へと落ちていく。
「父さん!!」
慌てて少年がその手を掴むも、その手が動く事は二度と無かった。
「……」
無言で目を開くと、見慣れない天井が視界一杯に広がっていた。数秒をかけて、その天井が星導館学園の男子寮のものだということを思い出しながら凜堂はベットから起き上がる。時計を確認してみると、午前四時丁度だった。
「随分と、懐かしい夢をみたもんだ」
ゴキゴキ、と全身の関節を鳴らしながら凜堂は寝る前に用意しておいた訓練用のシャツとジーンズに着替え始める。十歳になるかならないかの頃に始めた早朝訓練は凜堂にとって習慣となっており、そのためか、休日であろうとも凜堂はきっかり午前四時に目を覚ますようになっていた。
(良いか悪いかで言えば確実にいいことなんだろうけど、もちっとゆっくり眠りたいもんだな)
内心で苦笑していると、不意に夢の中の光景が脳裏を駆け巡る。
「親父。俺は間違えてないかな、力の使い方を……」
一瞬、センチメンタルな気分になるも、凜堂は強く頭を振ってそれを払いのけた。力を正しく使えているか使えてないか。それは過去に死んだ人物が決めることではなく、今を生きる凜堂自身が見定める事だ。
「しゃっ、行くか」
枕元に置いてある六本の鉄棒を腰のホルダーへと収める。例え、煌式武装の方が優れた武器であると分かっていても、凜堂は今まで自分が愛用してきたこの武器を手放すつもりは毛の先ほども無かった。
「行ってくるぜ、ジョー」
「……気付いてたのかよ」
部屋から出て行く凜堂の後ろ姿を片目だけ開いた状態で見送りながら英士郎は上半身を起こす。
「にしても、父さんか……」
凜堂が寝言で呟いていた言葉。それが何を意味するのか英士郎には分からなかったが、少なくともからかっていい類のものではないということだけは理解出来た。
「特待生殿にも色々とあんだな」
それが何なのか英士郎には分からないし、詮索するつもりも無かった。
「寝なおすか」
再びベットの上に横になり、英士郎は目を閉じる。程なくして、小さな寝息が聞こえ始めた。この後、ホームルーム開始寸前まで寝ていた英士郎を凜堂が叩き起こすのだが、それはまた別の話だ。
「ふわぁ~あ、全然寝たり無ぇ……」
「あんな遅刻確実の二度寝しといてまだ眠いのかお前」
大欠伸を噛み殺すこともせずに英士郎は教室へと入った。その後に呆れた表情の凜堂が続く。教室の中は大半の席は埋まっており、クラスメイト達は思い思いの場所で雑談に花を咲かせていた。これだけ見ると、普通の学校と何ら変わりの無い光景だった。
(ってか、あの担任相手に遅刻なんてやらかすアホがいたらそれはそれで見ものだけどな)
この少し後、そのアホを超えるバカが目の前に現れることを凜堂は知らない。
「よぉ、リースフェルト」
「……あぁ、お早う」
席に腰を下ろしながら隣に挨拶をすると、頬杖をしたままの体勢でユリスは言葉短く挨拶を返す。途端、クラスを支配していた喧騒がピタリと止む。
「お、おい、今の聞いたか……」
「お姫様が、挨拶した、だと……?」
「聞き間違い……じゃないよね?」
「あいつ、昨日といいどんな魔法を使いやがったんだ!?」
「いやいや。あのお姫様が偽者という可能性も無くはない」
一転してクラスメイト達はざわめき始める。挨拶を返しただけというのにこの反応。これだけでも普段から彼女がどんな立場にいて、どんな風に見られているか分かろうというものだ。
「し、失礼だな貴様ら! 私だって挨拶されれば返事くらいする!!」
顔を真っ赤にさせてユリスが宣言するが、喧騒が収まる気配は無い。
「日ごろの行いだな」
眦を吊り上げてユリスは凜堂を睨むが、当の本人は小さく笑いながらその視線を受け流す。
「ま、いい機会だ。こんな反応をされたくないんだったら、そのつんけんした性格を少しは直すことだな」
「余計なお世話だ! そもそも、私はつんけんなどしていないぞ!」
「え? 何それギャグ?」
噛み付いてくるユリスを凜堂はさらりとあしらっていた。転入して早々にユリスを手玉に取る凜堂を、クラスメイト達は畏敬の念を込めた目で見る。
と、そこで凜堂はあることに気付く。見れば、昨日は空席だった左隣の席が埋まっていた。青みがかった美しい髪の女子が机に突っ伏して穏かな寝息を立てている。
(転入生? いや、それはないか)
もし仮に転入生なのだとしたら昨日、凜堂と一緒に紹介されていた筈だ。そうされなかったということは元々このクラスにいた生徒で、昨日は偶々休んでいただけなのだろう。そろそろホームルームも始まる。ここはお隣として起こすべきなのか凜堂が悩んでいると、何の前触れも無くその女子が顔を上げた。ばっちりと視線が合う二人。
「……サーヤ?」
「……凜堂?」
二人が互いの名を口にするのはほぼ同時だった。
「ちょっと待てちょっと待て。いや、え、何でお前がここにいるんだ?」
彼にしては珍しく、酷く狼狽した様子で早口に捲くし立てる。間違いない。この目の前にいる無表情な少女は凜堂の幼馴染、沙々宮紗夜その人だった。驚きを禁じえず、絶句する凜堂の背後から子供のように目を輝かせた英士郎が身を乗り出してくる。
「何だ、凜堂。お前、沙々宮と知り合いなのか?」
「知り合いってか、何て言うか……古い友人、有体に言うと幼馴染だな」
幼馴染ぃ? と英士郎は眉を持ち上げながら凜堂と紗夜を交互に見比べた。
「幼馴染だったら、何でここの生徒だって知らなかったんだよ?」
「幼馴染って言っても、こいつが海外に越して以来だからな……六年ぶりくらいか?」
凜堂の問いに紗夜はこくりと頷く。その表情に変化の二文字は一切見られない。
「六年ぶりの再会にしちゃあ、反応薄すぎないか?」
「いや、んなこたぁ無い。これでもかなり驚いてるぞ。な、サーヤ?」
「……うん。ちょおびっくり」
少なくとも、英士郎には紗夜の表情の変化が全く分からなかった。この微妙という表現すら当て嵌まりそうに無い紗夜の無表情から機微を悟る凜堂。それは幼馴染だからなせることなのだろうか?
「しっかし、本当に久しぶりだな。変わりないか?」
こくりと頷く紗夜。その表情に一切の変化は無かった。
「にしても何にも変わってないな、お前。分かれた時とそっくりだ」
「……そんなことはない。ちゃんと、背も伸びた」
え? と凜堂は言葉を失いながら偶然の再会を果たした幼馴染を観察する。くりくりとした双眸にあどけない顔立ち。身長はあの分かれた日から全くと言っていいほど変わっていない。高校生と小学生、どっちに見える? と聞けば、百人中百人が小学生と答えるだろう。それほど、紗夜の身長は低かった。加えて、表情がぴくりとも動かないので、人形のようにさえ見える。
「うん、びっくりするほど変わってないな」
「……凜堂が大きくなりすぎただけ」
いやまぁ確かに結構背ぇ伸びたけどよ、と苦笑しながら凜堂は頬を膨らませる紗夜を撫でる。凜堂の背が伸びたことを差し引いても、やはり紗夜は小さい。
「でも大丈夫。私の予定では来年の今くらいには今の凜堂くらいになってる。凜堂もまだ大きくなるだろうから、丁度釣り合いが取れる」
ふんす、と鼻を鳴らしながら紗夜は胸を張る。しかし悲しいかな。その言動には驚くほど説得力が無かった。
「どう頑張りゃ一年でそこまで伸びるんだよ。話は変わるけど、おじさん達は元気か?」
紗夜の父親は落星工学の科学者(それも煌式武装一筋)で、紗夜が引っ越したのもその仕事が関係している。凜堂の問いに紗夜は少しげんなりした表情を浮かべた。やはり、これも凜堂じゃないと分からないレベルの変化だった。
「……元気すぎ。もう少し、テンションを下げて欲しい」
「相変わらずみたいだな。創一おじさんは」
凜堂は子供の頃、紗夜の家で遊んでいた時のことを思い返す。閉め切られた研究室から間断なく聞こえていた爆裂音に機械音、そして本能的な恐怖を呼び覚ます高笑い。その様はマッドサイエンティストと呼ぶに相応しいものだった。研究者としてはかなり優秀らしいが、性格に難があるということで仕事先を転々としていたらしい。
(あの人の場合、性格に難があるというより、エキセントリック過ぎるんだよなぁ)
もしくは時代の先を行っていると言うべきか。どちらにしろ、変人である事に変りは無かった。と、そこで凜堂は何故、紗夜が
「サーヤ。もしかしてお前、創一おじさんに煌式武装の宣伝をして来いって言われて来たのか?」
頷きながら紗夜は制服のホルダーから煌式武装の発動体を取り出す。それはグリップ型の発動体で、紗夜が起動させると一瞬で大型の自動拳銃に姿を変えた。その動作は洗練されており、かなり手馴れていることが分かった。
「お父さんの作った銃、宣伝して来いって」
「確かにここで有名になりゃ、宣伝効果は絶大だからな。実際、ここの運営をやってる統合企業財体も半分くらいはそれが目的だろうしな」
ふぅん、と英士郎の説明に頷きながら凜堂は紗夜を見る。やはり、一貫しての無表情だった。
「お前はそれでいいのか?」
「うん。私には私の目的があったし」
けろりと頷く紗夜。そうか、と言ったきり、凜堂はそれ以上そのことに触れなかった。紗夜が覚悟を決めているのなら、過度な干渉は余計なお世話にしかならないだろう。
「ほう。で、その目的というのは?」
「それは秘密。でも、その目的の半分はもう……」
言葉を止め、紗夜は凜堂をちらっと見た。それだけで英士郎は紗夜の目的の半分を察したらしい。にやりとその口元を邪悪に歪めた。
「だったら油断しない方がいいぜ、沙々宮。そいつ、転入早々にお姫様に粉かけてたからな」
「……それは実に興味深い。凜堂、詳しく聞かせて欲しい」
紗夜の瞳が僅かに輝いたかと思うと、凜堂の喉元に銃口が突きつけられていた。一切の無駄を排除した、実に手馴れた動作だ。きっと、引き金を引く時も一瞬だろう。
「おいサーヤ。話をしようってんならまずはその物騒なもんを片付けろ。ってかジョー! 手前、テキトー吹き込んでじゃねぇぞ! こう見えて、こいつかなり過激なんだぞ!!」
「おら、さっさと席つけ。ホームルーム始めっぞ」
その時、タイミングを計ったように匡子が眠そうな顔で教室に入ってきた。引きずるようにして持っている釘バットの釘がタイル状の床を擦り、非常に耳障りな音を奏でていた。
「おらそこ、教室の中で得物振り回すな、って沙々宮じゃねぇか」
「……お早うございます」
「お前、昨日何で休みやがった? 聞くだけ聞いてやるから言ってみな」
教壇の上に仁王立ちする匡子に沙夜は淡々と答えた。
「……寝坊」
「はっはっは~、そうか、寝坊か……」
刹那、匡子の手から放たれたチョークが紗夜の額を直撃する。
「……痛い」
「これで何回目だと思ってんだお前!! 次やったら、こっちだからな?」
匡子は軽く釘バットを持ち上げて見せた。依然として無表情だが、目尻に涙を浮べながら紗夜はこくこくと頷く。流石に釘バットは怖いらしい。
「サーヤ。その寝坊癖、まだ治ってなかったのか?」
「……お布団には勝てない」
本当、全然変わってねぇなぁ、と苦笑いしながら凜堂はチョークが命中して赤くなった紗夜の額を撫でる。紗夜は凜堂の手を拒むことなく、寧ろご満悦のようだ。そんな二人のやり取りを、ユリスは何とも複雑そうな顔で見ていた。
「ふむ。こんなもの……か?」
放課後、ユリスは手洗いの鏡の前で髪型や服装を正していた。彼女のこの行動とこの後、凜堂に学園内を案内することは何の関係も無い。と、彼女は声を大にしてそう言うだろう。
(そうだ、これは礼儀の問題だ)
そう自分に言い聞かせ、ユリスは化粧室から出て教室へと戻る。教室の中に生徒は残っておらず、紗夜と楽しげに話をしている凜堂がいるだけだった。
今朝の二人のやり取りを間近で見ていたので、ユリスも二人が幼馴染だということは把握していた。それが数年ぶりに再会したのだから、話に花が咲くのも理解できる。なのに、ユリスは何故か落ち着かなかった。
「こほん。高良、準備はいいか?」
わざとらしく咳払いしながら二人の間に割って入る。
「ん。あぁ、そうだな。よろしく頼むぜ、リースフェルト」
「や、約束は約束だからな。仕方なくだ、仕方なく」
仏頂面を作りながらそっぽを向くも、ユリスの目はしっかりと凜堂を見ていた。最初に出会った時と変わらない、飄々とした顔だ。あの時、本当にユリスを助けた者と同一人物なのか疑いたくなるレベルだ。
(って、私は何を思い出しているんだ!?)
頭をぶんぶんと振って、胸中に湧いたよく分からない感情を振り払う。
「……約束?」
「ちょっと色々あってな。今日はリースフェルトに学園内を案内してもらう事になってんだ」
「……色々? もしかして、朝、夜吹の言ってたことと関係が」
「い、色々は色々だ。沙々宮には関係ないことだ」
ユリスが素っ気無く言うが、紗夜は全く納得してないようだ。その証拠に、不満げに眉を顰めている。
「では、行くぞ」
「オーライ。んじゃサーヤ、また明日」
ユリスについて教室を出ようとする凜堂の袖を紗夜は掴んで引き止めた。
「サーヤ?」
「……だったら、私が凜堂を案内する」
「な、何だとっ!?」
いきなりの発言にユリスは驚いた様子で振り返る。凜堂も意外そうに眉を持ち上げていた。
「案内くらい、私にも出来る。リースフェルトが『仕方なく』やる必要は全くない」
「申し出はありがたいが、生憎、私は一度交わした約束を反故にするつもりはない」
「……凜堂も嫌々案内されるよりも、私に案内してもらったほうがいいはず」
「だ、誰も嫌々案内するなど言っていない! そもそも、沙々宮は今年入学してきたばかりだろう! その点、私は中等部の時からここにいる。どちらが案内に相応しいかは論ずるまでもないだろう」
睨み合うユリスと紗夜。二人の間で火花が散っているのを幻視したのは凜堂の気のせいではないはずだ。
「あの、お二人さん?」
「高良! お前はどっちに案内して欲しい!?」
「……私だよね?」
突如、話の矛先を向けられ、え゛、と凜堂は凍りついた。そして、その一瞬の隙を突くように近づいてきた金色の影が一つ。
「そういうことでしたら、私が一番の適任ということになりますね」
「うぉっ!? 今度はお前かロディア」
凜堂の肩からひょっこり頭を覗かせたのはクローディアだった。両腕を凜堂に回し、グラマーな胸を背中で押し潰すように抱きついている。
「「……」」
一層、表情が険しくなる二人。
「ユリスは中等部三年からの転入ですが、私は一年生の時からいますもの」
「……誰?」
「クローディア。何故、お前がここにいる?」
「ロディア。当たってる、背中に当たってるんだが」
「こういう時は当ててるのよ、と言うんでしたっけ? それにしても皆さん、つれませんね。私も混ぜて欲しかったんですが」
「……嫌」
「却下だ」
即答とは正しくこのことを言うのだろう。二人が言い切るのに一秒とかからなかった。
「それは残念。では、用件だけ済ましていきましょう」
凜堂に引っ付いたまま、クローディアはゴソゴソと何かを取り出す。クローディアが動くたびに背中に押し付けられた胸が形を変え、凜堂に至福の時間を与えていた。
「あの、ロディアさん? 探し物なら俺から離れてやればいいんじゃ」
凜堂が言い切る前にクローディアは取り出したものを凜堂の眼前に差し出す。書類の束だった。
「先日、お話した
「あぁ、そのことか」
随分、早いんだな、と独りごちりながら凜堂は書類を受け取った。びっしりと細かい文字で埋められたものが十枚以上。これを読むのは骨が折れそうだ。
「多いんだな」
「一応、統合企業財体のものですから。そこら辺はきっちりしませんと。まぁ、形式上のものなので、そこまで深く考えずにさらさらっと流してください」
「凜堂知ってるよ。そういう風にすると、大概後になって後悔するって」
しっかりと読んでおこう、と誓う凜堂であった。
「そんなものをわざわざ生徒会長が持って来るなんて、我が校の生徒会はさぞ暇なのだろうな」
「えぇ。皆さん、とってもいい子ですから。私達も楽をさせてもらってます」
ユリスの皮肉をクローディアは笑顔で流す。仮にこの二人が口論を始めたら、ユリスに軍配が上がることは永遠にないだろう。
「……あの時も普通に話してたけどよ。リースフェルトとロディアって友達なのか?」
「断じて違う!!」
「そうですよ」
どっちやねん、と対極の返答に凜堂は呆れ返っていた。
「あらら、冷たいですわね」
「ウィーンの
ウィーンのオペラ座舞踏会とは、欧州最大の舞踏会のことだ。さらっとこんな言葉が出てくる辺り、やはりこの二人はいいとこのお嬢様なのだと実感させられる。
「用が済んだのならさっさと帰れ」
「しっしっ」
「ふふっ、御機嫌よう。今日は譲りますが、明日は私が凜堂を独占させてもらいますので悪しからず。では凜堂、また明日」
「おう。明日な」
ようやく凜堂から離れると、優雅に一礼してクローディアは教室から出て行った。クローディアが出て行った扉を、ユリスと紗夜は不愉快そうに見ていた。紗夜に至っては、腰のホルダーに手を伸ばしている。
「全くあの女狐。少し胸が大きいからって調子に乗りおって。あんなのただの脂肪の塊だ。将来、垂れるぞ」
「……同感」
これが持たざる者の嫉妬という奴なのだろうか? と、思わないでもない凜堂だったが、その言葉がどんな結末をもたらすかは容易に想像できたので、何も言わなかった。
「んじゃ、そろそろ行こうぜ。案内は二人でやってくれよ」
「二人で?」
「……」
凜堂の申し出に二人の少女は互いの顔を見合った後、仕方ないと言いたげに肩を竦めた。とりあえず、教室の中で炎と銃弾が乱舞する、なんて凄まじい事にはならずに済んだようだ。
かくして、凜堂はユリスと紗夜の二人に星導館学園を案内してもらう事になったのだが……。
「ここはクラブ棟だ。うちのクラブは一部を除いてそこまで活発に活動はしてないが、報道系のクラブに文句を言うのならここに足を運ぶことになるだろうな」
「……なるほど」
「ここは委員会センター。福利厚生に関する要望、申請はここを通す必要がある」
「……そうだったのか」
「食堂は……既に夜吹と一緒に行っているか。一応、学園内にはカフェテリアを含めて七箇所の食事処がある。その日の気分で食べる場所を変えるのも一興だろう」
「……初めて知った」
「……沙々宮。私はお前を案内していた訳ではないんだぞ?」
中庭のベンチで一休みしながら、ユリスはいちいち自分の説明に頷いていた紗夜に向かって言った。対して、紗夜は胸を張ってみせる。
「……私、方向音痴だから」
「それで何故、自分が案内するなんて言えたんだ?」
「えへん」
「褒めてないぞ、サーヤ」
紗夜の頭を小突きながら凜堂はユリスに頭を下げた。
「悪かったな、リースフェルト。こいつが超絶的な方向音痴だってこと、すっかり忘れてた」
「い、いや、別にお前が謝る必要はないだろ」
いきなり謝罪され、ユリスは慌てて両手を振る。本来、謝るべきは紗夜なのだが、当の本人はけろりとした顔をしていた。
(しかし、サーヤ、か)
ふと、ユリスは目の前でふざけ合っている二人を見た。
「方向音痴まで昔のままとか本当に変わらないな、サーヤ。もしかしてあれか? あの時、分かれたお前がそのままタイムスリップしてここに来てんじゃねぇか?」
「……そんなことはない。ちゃんと私も成長している」
「ほぅ、具体的にどの辺りが?」
「……どこだろう?」
「俺に聞くなよ……」
幼馴染というだけあり、とても仲が良さそうだ。
(しかし、沙々宮と夜吹はともかく、何故クローディアまであだ名で呼ばれているんだ!?)
百歩譲って英士郎はまだ分かる。凜堂と同じ部屋なのだから、仲良くなる機会はそれなりにあっただろう。しかし、クローディアは別だ。凜堂とクローディアの接点といえば、昨日の決闘を中断させた時と、最後の転入手続きを済ませた時だけだ。あだ名で呼び合うほど、親しくなる時間は無かったはず。
(私だけ苗字なのは……不公平ではないか)
そう、不公平なだけだ。クローディアがあだ名で呼ばれているなら自分も、流石に最初からあだ名はきついだろうが、名前で呼ぶくらいは構わないはずだ。決して、嫉妬ではない。そう自分に言い聞かせながらユリスは口を開こうとするが、
「飲み物買ってくっけど、リースフェルト、お前は何がいい?」
「え、飲み物? そ、そうだな、では冷たい紅茶を頼む」
「あいよ」
「私は」
「りんごジュースだろ? 濃縮還元してないやつ」
流石、凜堂。分かってる、と紗夜は自動販売機に向かって行く凜堂の後ろ姿に親指を立てた。凜堂は近くにある噴水を回り込むようにして高等部校舎へと走っていった。
「あ、高良! ここからなら中等部校舎にある自販機のほうが近いぞ……遅かったか」
ユリスが思い出した時には既に凜堂の姿は無かった。小さくため息を吐きながらユリスがベンチに腰を下ろすと、不意に紗夜が口を開いた。
「……リースフェルト、もう一度聞きたい」
「何をだ?」
「何故、リースフェルトが凜堂を案内するに到ったかその経緯について」
「お前も意外としつこいな……まぁ、減るものでもないし答えてやる。私はあいつに借りが出来た。それでその借りを返すために学園を案内することになった。それだけのことだ」
「借り?」
一瞬、口篭ってからユリスは答えた。
「決闘で助けられた」
「……決闘? 何で凜堂がリースフェルトと決闘を?」
流石にそれはプライバシーに関わるので答えなかった。紗夜は暫くの間、凜堂が決闘? と首を傾げていたが、すぐに別の疑問を見つけた。
「……決闘の結果は?」
「途中で邪魔が入った故、不成立だ」
再び紗夜は不思議そうに首を捻った。
「……それはおかしい」
「おかしい、とは?」
「凜堂と戦って、リースフェルトが負けるはずがない」
予想もしなかった紗夜の言葉にユリスは目を白黒させた。冗談、という訳では無さそうだ。その証拠に紗夜の目は真剣そのものだった。
「いや、そんなことはないぞ。邪魔が入るまで、あいつは私と互角に戦っていた。それも、結果がどうなるか分からないほどにな」
気付けば、ユリスは凜堂を弁護するような事を口走っていた。そのことに誰よりも驚いたのはユリス本人だった。
自分と戦った相手が弱いと思われているのが許せない? 少なくとも、ユリスが無意識の内にそんなことを吐露した理由はそれだけではなかった。更にユリスは言葉を紡ごうとするが、それは紗夜の次の台詞で止められることになる。
「だって、凜堂は本気で戦ってないから」
「……何だと?」
大きく目を見開き、言葉を失うユリスに構わず紗夜は先を続けた。
「リースフェルトは強い。少なくとも、私と同じくらいには。だったら、本気じゃない凜堂に勝てないほど弱く無いはず」
まさか、と思いつつ、ユリスは心当たりがあることに気付く。決闘の最中、終始余裕を見せていた凜堂。そして、不意打ちからユリスを助ける時に見せた別人のような動き。
(私を相手にして本気を出さなかった? 何故、そんなことを……)
ユリスの脳内で疑問がぐるぐると渦巻く。しかし、それについて深く考える時間は無さそうだ。不意にユリスは目を鋭くさせると、反射的にベンチから離れていた。それとほぼ同時に乾いた音を立てて、数本の光の矢がベンチに突き刺さる。昨日の決闘で凜堂が防いだものと同じものだ。
(どこから!?)
ユリスが矢の飛んできた方へ視線を向ける。すると、噴水の中から黒ずくめの格好をした襲撃者が顔を覗かせていた。その手には矢を放ったであろうクロスボウ型の煌式武装が握られている。
「また不意打ちか。芸の無い」
嘲笑しながらユリスは
「(ここで捕えさせてもらう!)咲き誇れ、
ユリスの声に呼応して現れた炎の槍は不届き者を刺し貫かんと襲撃者へ飛び掛った。だがそれは間に飛び込んできた黒い影に防がれることになる。
「新手……それも私の炎を防ぐだと!?」
それは襲撃者と同じ黒ずくめの格好をしていた。噴水に潜んでいたずんぐりしている方と比べると、かなりがっしりとした体系をしており、巨大な斧の煌式武装を盾のように構えている。ユリスにはその姿に嫌というほど見覚えがあった。
(まさか……いや、ないな。あいつは直進しか出来ないが、こんな腐った真似をするような奴ではない)
ユリスが目まぐるしく思考を巡らしていたその時、
「……どーん」
周囲一帯を震わす重低音が響いたかと思うと、大男が天を舞っていた。十数メートルも打ち上げられ、そのままきりもみ落下して頭から地面に突っ込む。ピクリとも動かなくなった。
「……は?」
爆風が荒々しく吹き荒ぶ中、ユリスは呆然としながら大男に銃撃を叩き込んだ紗夜へと視線を向ける。その手には紗夜よりも遥かに大きい銃が握られていた。
「……沙々宮。それは何だ?」
「三十八式煌型擲弾銃ヘルネクラウム」
即ち。
「グレネードランチャーか!?」
頷きながら紗夜は噴水へと銃口を定めた。
「……バースト」
銃身が微かに輝き、マナダイトが光を増していく。急激に高まった星辰力が集中していく。
「
噴水の中の襲撃者が慌てて逃げ出そうとするが、時既に遅し、だ。
「……どどーん」
可愛らしくも覇気が全く無い掛け声と共に放たれた光弾は襲撃者を直撃。鼓膜を叩き破らんばかりの音を響かせながら襲撃者を噴水諸共に吹き飛ばす。
ぽっかりと開いた穴から覗いた基底部分が狂ったように水を噴射し、シャワーのように撒き散らしていた。
「大した威力だ」
噴出す水が雨のように降り注ぐ中、ユリスは素直に紗夜の流星闘技の威力を賞賛した。範囲はユリスの『
「高良の言うとおり、過激だな、お前は」
「……むむ」
ユリスの言葉に応じず、紗夜は僅かに眉根を曇らせた。不思議に思ったユリスがその視線を追うと、さっきまで地面の上に転がっていた大男の姿が無かった。紗夜の流星闘技で噴水ごとぶっ飛ばされた方も、軽やかな身のこなしで木々の間へと消えていく。
「随分と丈夫な連中だな」
「……びっくり」
「何じゃこりゃあ!?」
不意に驚きの声が上がる。二人が声のした方を向くと、高等部校舎から走ってくる凜堂の姿が見えた。
「おい、一体全体何が起こった!? ばかでかい音がしたと思って来てみりゃ噴水が消し飛んでるし」
凜堂の問いに顔を見合わせる二人。そして同時に頷く。
「色々あったんだ。な、沙々宮」
「……そう、色々あった」
「どんな色々だよ?」
凜堂が問うも、二人は乾いたような笑みを浮かべながらいなすだけだった。
「よぅ分からんが、このままじゃまずいだろ。とりあえず……」
唐突に凜堂が無言になる。そして制服の上着を脱いだかと思うと、ユリスにそれを差し出した。
「羽織れ」
言葉短く言う。
「は? いや、いきなりそんなことを言われても」
「いいから着ろ。自分が今どんな格好をしてるか分かってるのか?」
と、そこまで聞いたところでユリスは理解する。周囲一帯は紗夜がぶっ壊した噴水から放たれる水で水浸しになっている。当然、その水を二人は浴びてるわけで、生地の薄い夏服が透けて豪いことになっていた。
「み、見るな! 見たらただじゃ済まさんぞ!?」
「だからこれ羽織れって言ってんだろ!」
ユリスは凜堂の手から引っ手繰るように制服を受け取ると、肩にマントのように被せた。これで幾分かマシになるだろう。
「……スケスケ。これはエロい」
「アホなこと言ってないでお前もこれ着ろサーヤ、ってお前下着どうした!?」
脱いだシャツを手渡そうとしながら凜堂は慌てて紗夜から目を逸らす。ずぶ濡れなのはユリスと一緒だ。ただ、致命的に違う部分が一つ。
「……悲しいけど、私にはまだ必要ない」
「そういう問題じゃねぇだろ……リースフェルト、サーヤを頼む! 俺はタオルか何か持ってくっから」
「わ、分かった!」
半ば無理矢理、紗夜にシャツを着させ、凜堂は駆け出していく。その後ろ姿を見送りながら、俄かにユリスの胸中である疑問が生まれた。
「なぁ、沙々宮」
「……何?」
「あいつ、高良は本気で戦わないと言っていたな。あいつは何時、本気で戦うんだ?」
「……何で、そんなことを?」
「べ、別に他意はない。気になっただけだ」
「ふぅん……凜堂が本気で戦う時。それは……」
さて、次はいよいよ、純星煌式武装ですな。やっと少しはオリジナル要素が出せそうだ。
では、次回。