艦これ ~The Splendid World~ 作:絹織糸
02話《吹雪》
−2052年12月10日−
「はぁ……」
伸幸は忙しかった。護衛艦乗りの都合で溜まりに溜まっていた有給を消化して1日休暇を取ったものの、同期の乗組員の遺族から電話がかかってきたり、久しぶりに帰宅して埃の舞う部屋を掃除したり、2日前の疲労もあいまって疲弊状態であった。
疲れすぎているのか、死んでいった艦長や乗組員の顔が浮かんできても、伸幸は泣くことはしなかった。
そして、何より気がかりなのは川内のことだ。
あの日攻撃を仕掛けてきた『敵艦』は確かに『人型』で、あの川内も軍艦の艤装を持った『人型』。両者ともに判明している事自体が少ないが、それでも共通点は決して、少なくはない。
――彼女もひょっとすると、敵なのだろうか……?
不穏な予測が脳裏をよぎる。もし仮にそうだったとして、敵側の勢力だったとして。
彼女は一体、何のためにここに来たのか。
彼女らは一体、何のために存在するのか。
彼女らは人間にとって、一体どういう存在なのか。
どれをとっても、しかしわからないことだらけだ。
「…………」
――酒でも飲むか。
しばらくぶりの自宅の冷蔵庫には何も入っていなかったので、伸幸はコンビニに買い物に行く為、家を出た。
家、といっても21歳の一人暮らし、小さなマンションの一室だが。
「……おっ」
声を出したのは伸幸ではなく、彼の部屋の玄関前の郵便受けに便を入れる一人の女性であった。
「伸幸くん、帰ってきてたんだね」
中井悠という名の彼女は伸幸と同じ歳の大学生で彼の隣の部屋に住んでおり、郵便配達のバイトをずっと続けている。
有事の際には何かと伸幸に便宜をはかる、頼れる隣人、というのが伸幸の中での彼女の印象である。
「久しぶり、中井さん」
そういうと、うー、と小さく唸り声をあげて彼女は唇を尖らせる。
「もー。折角帰ってきてるんなら挨拶くらいしてくれてもいいのに」
「色々忙しくって、さ……今日もバイト?」
「うん、でももう終わるところだよ。君の分だけ帰り際に届ければいいやって」
「だから私服なのか……」
コートとジーンズをまとい、ベレー帽を頭に乗せたその姿は、配達の仕事をするというのはいささか不適なものであった。
「そういう君こそどうしたの?」
「いや、ちょっとそこのコンビニまで」
ふうむ、と中井は人差し指を唇の下に当てる。
「じゃ、私もついてっていい?」
「まあ……いいけど」
「やったね。早速いこっか」
中井は伸幸に背を向けて、歩き出した。
そして時は少し進んで、帰り道。
二人の住む綾瀬市にあるマンションの階段のことだった。
「あ、そういえば」
中井は思い出したように、というか実際にある気になっていたことを思い出して、話しだす。
「さっきの手紙なんだけどさ、横須賀の基地からだったんだけど」
「そうなのか」
「うんうん。だから私は伸幸くんが佐世保かどこかに転属になるのかと思って本の一瞬哀しみに呑まれたんだよ」
「佐世保は流石に遠すぎるだろう」
――海自から手紙、か。
一体その内容がどういうものであるかについて、伸幸はおおよその察しがついていた。今後の配属先についてのことだった。
「転属って言葉は、あながち間違いではないのかもしれないな……」
「えー?なんで?なんかあったの?」
『しまゆき』が文字通り撃沈したことについては、その日のうちにニュースとなっていた。その見出しは『海上自衛隊の護衛艦、原因不明の大破』であったり、『日本の護衛艦が沈没。太平洋沖で砲戦か』であったりと、提供元によって情報が違っていて錯綜している様子が伺える。
そんな憶測と混じる偽の情報が飛び交う中で、多忙のためニュースをあまり見ることのない中井はその沈没について何も知らないのだった。
「ん……後で話すよ。手紙を見てからな」
「了解……ついでにうちで飲んでいく?」
「え?」
「久しぶりに会ったんだからさ、折角だし。こんな美少女に誘われて断れるわけないでしょー?」
「美少女、ね……」
何か不満でも、と不満げに言う中井。
「いや、そういう訳じゃ」
誤魔化すように伸幸は弁解する。脳内にあったのは川内のことだった。彼の川内に持った第一印象が『美少女』であったためだった。
彼女の安否についての不安と、彼女自体の存在についての疑問。わからないことだらけ、だ。
――今はそれを考えたって仕方がない。
――明日出勤してから確認してみたって、いいだろう。
余念を振り払って、伸幸は言う。
「じゃ、ご相伴に預かってあげようかな」
あはは、と笑う中井。
「なにそれ、ちょっと偉そうじゃない」
「偉いからな」
「下っ端のくせにー」
「お前だって変わらないじゃないか」
俺は水雷士だがお前も配達員だろ、と伸幸。
「ふーん。これはアイドルとしての広報活動の一環だもん」
「お前アイドルやってたのかよ」
真面目に驚いた伸幸がそう尋ねると、中井は手をバタバタと降って否定した。
「いやいや、冗談でしょ、冗談」
「そっか」
――性格としてはやっていても意外じゃないんだけどな。
伸幸はそう思ったが、なんとなく口には出さなかった。
と、そんな風に話してるうちに、階段を登りきり、直ぐに中井の部屋へと到着した。
「汚い家だけど、どうぞ上がって」
「お邪魔します」
伸幸は先程中井がポストに投函した手紙を取り、それから中に入った。
同じマンションに住んでいるということで、基本的には伸幸と中井の部屋の構造は変わらない。
「でも……整理されてるな」
「まあそりゃあお掃除はちゃんとしてるし、何より君と比べたらねー」
「何よりって……」
――って、おい。
「って、おい」
伸幸の心身がともに一体となった瞬間だった。
机のある寝部屋に入った途端に徐に下着にキャミソールとまで脱ぎ捨てた中井に伸幸はおもわず声を上げてしまった。
思惑目的だったら既に成功である。
「ん?どうしたの?」
「いや、それ……」
目を逸らす伸幸を見て、中井はにやりと微笑む。
「どうしたのかな?何考えてるのかな?」
「何って……高校生じゃねえんだから別に何もないさ」
平静を装う伸幸に、
「どーだか」
と中井は言う。
「君の職場ってさ、女の子とかいるの?」
「まあ、そりゃあいるさ」
募兵制度の自衛隊は全国から男女関係なく沢山の人間が集まる。海自の場合、女性が護衛艦乗りをすることもしばしばではあるものの、伸幸の搭乗していた『しまゆき』は、クルー約50人以上、全て男性だった。
――『はまゆき』の調理師は女性だったっけ。
と、そんなどうでもいいことを伸幸が考えていると、
「そういえば、さっきの手紙」
中井が言った。
「内容は何なの?」
「これか……」
ポケットからそれを取り出す伸幸。
「多分、艦が無くなったから、違う艦か部隊へ転属になるんだろうな」
「無くなった……って?」
「……お前、ニュースとか見てない?」
んー、と頭をかきつつ中井は言う。
「最近忙しくってあんまり見てないなあ。次の冬のオリンピックがうんたらみたいなのは知ってるけど」
「そうか……」
伸幸は2日前から始まる一連の流れについて、中井に語った。
勿論、川内のことは伏せて、だ。
「へぇ。そんなことが……大変だったねぇ」
と労うように言う中井。
「パンツにキャミソールで言われても哀しさを感じられないけどな」
「あはは。護衛艦乗りはやめないの?」
「やめようと思えばやめられるんだろうけどな。だが俺は水雷士だからな、他に行くアテなんてないだろ」
「そんなもんなのかなぁ……海自って他にどんな仕事があるの?」
「色々あるさ。訓練教官だったり地方隊で調理師をしたり、海自が扱う航空機だってある」
「ふう、ん」
とりあえず開けてみてよそれ、と中井。
「ん、わかった」
ビリビリ、と上を一思いに伸幸は切る。
「切り方雑すぎ」
と、苦笑する中井。
「……え?」
開けて一番、目に飛び込んだその言葉に伸幸は拍子抜けした様子で声を上げた。
「どうしたの?」
「いや……」
濁す言葉に、中井は応える。
「君の仕事は色々シビアだしね。して欲しくないだろうし、あまり詮索はしないよ」
「これは……別に隠すほどのもんじゃないけど」
出張の辞令、と伸幸。
「明日から3日ほどちょっとした出張になる、らしい」
ん、そう言って中井は眉をひそめる。
「出張なの?転属じゃなくて?」
「そうみたいだな……あまり詳しいことは書かれていない」
――横須賀の方も詳細まで把握できていない事案、ということだろうか。
そうなると関係する事といえば、伸幸に思いつくものでただ一つ。川内の事である。
川内はその名前も、竣工も全て九州に縁がある。もし彼女が本物の軍艦の生まれ変わりのような存在なのだとすれば、なるほど彼女を佐世保まで連れて行くのは得策だ。
「…………」
――しかし。
――しかし、どうして俺が。
無名もいいところの伸幸がなぜこの度辞令を受けたのかは本人にこそ、わからない。
「はいはい、じゃあこの話は終わり!シリアスなのは嫌い!」
ぱんぱん、と手を叩いて中井は言った。
「話を振ったのはお前だろう……」
「だって中井ちゃんアイドルだもんね」
「アイドル関係ないし、しかも違うんだろう」
「夢だよ、夢。つれないなぁ」
「夢?」
「そう。アメリカンドリーム」
それこそ関係ないアメリカンドリームについて、伸幸はスルーする。
「アイドルになりたかったのか」
「小さい頃は本気で目指してた、かな。今でもちょっと憧れてはいるけどね」
「……そうか」
アイドル、と反芻する伸幸。
「アイドルはファンの前でパンツにキャミソールで立たないと思うけどな」
「いやいや、意外とそういうサービスは大切なんだよ?……そういうとなんか水っぽい商売に聞こえるけど」
というかファンって、と照れる様を見せる中井。
勢いでチューハイをぐいっと飲み干した。
「今からでもデビュー遅くないかなぁ。伸幸くんプロデュースしてよ」
「俺は護衛艦乗りだぞ」
「あはは」
中井は快活に笑う。酒が回ったようだった。
「そうねぇ、伸幸くんは私のファンだもんね」
「はいはい」
と、そんな風に。
この日は、悲劇の2日後に当たる今日は、会わず久しい隣人と仲良く過ごしたのであった。
−2052年12月11日−
翌日。
伸幸は朝早くから昨日の呑みの余韻であるところのちょっとした頭痛と戦いつつ、国内線のフライトで佐世保へと向かった。
「待っていたよ、河津二等海尉」
地方隊の港で伸幸を出迎えたのは、彼にしては大袈裟過ぎるとさえ思わせる一等海佐だった。
彼はVLS搭載のこんごう型イージス護衛艦『ひえい』の艦長を務めている。
「河津伸幸、横須賀より御訪問させて頂きます」
「よろしく。艦長とでも呼んでくれたまえ」
艦に乗っているわけでもないのに、そう言って彼は自己紹介をすませる。
伸幸は敬礼をする。
「彼女らはこちらだ。ついてきなさい」
優しそうな風貌の男性のあとを伸幸は歩く。
「君の……じゃない、君たちの話は聞いたよ。大変だっただろう」
敢えて複数形で現したのは、仲間を失った伸幸への気遣いだろう。
「君の体験したそれが、君のその時思った感情が、それが『戦争』というものだ。だが、僕らのような腐った老人は未だそんな体験はしたことがない。艦内のクルーが自分以外全員死んだだなんて、考えただけで想像を絶する苦痛だ」
艦長らしい言葉だ、と伸幸は感心する。
「そんな状況下でも、君はまだ続けるのかい?」
「……と申しますと」
「護衛艦乗りだよ、護衛艦乗り。あるいは、海自そのものでもいいかもしれない」
「……御容赦を。私は水雷士です」
「はっはっは。そうかい。君は僕の聞いていた以上に神経が太いようだ」
素晴らしい、と艦長。
「クルーが皆ダメコンへと避難する中、自分だけは艇を探し回ったそうじゃないか」
「……その通りです。ですが、決して仲間を見捨てたというわけでは」
「ああ、いやいや、責めてるわけじゃあないよ。寧ろ賞賛したいと言っているんだ」
大きく手を振る艦長。お人好しのように見られるが、内面の実情はよく見えない。
――底知れぬ、だ。
「…………」
「勿論、水雷士、艦内の下っ端としての行動と鑑みれば、独断にチームワークの欠損と、最低の評価が与えられるだろう。もしそんな乗員が『ひえい』にいたら、僕が甲板まで引っ張りだしてぶん殴って小一時間ほど立たせるところだよ」
だが、と艦長。
「少々不快な思いをさせてしまったらすまないが、もし、だ。もし、君が水雷士でなく、下っ端でなく、僕と同じ艦長だったら」
「…………」
「もし河津くんが艦長で、真っ先にダメコンではなく内火艇まで駆けるように指示を出せる立場であったら」
「…………」
「もっと大勢の仲間を助ける事が可能だったのではないか?……と、僕はそんなことを考えるわけだ」
「……失礼ながら、仰りたいことがよくわかりません」
「わざとくどく言ってるんだ。そしてくどいついでにもう一つ」
扉の前で立ち止まり、指を立てて艦長は言う。
「君は出世に興味はないかね」
「出世……ですか。興味以前に、考えたこともありません」
「かもね。君は二等海尉に過ぎない。普通なら」
「……つまり」
「急かすねぇ」
「申し訳ありません」
「謝る必要はない。そうだな、つまるところ……いやらしく言ってみれば、君は出世をしてみたいか、という質問だ」
「昇格……ですか?」
「ああ。死亡後の2階級特進ってわけじゃあないがね。というか、それどころじゃない大昇進だ」
「詳しくはどれほど」
「ふっふっふっ」
怪しい笑みを浮かべ、艦長は言った。
「総司令官、なんてのはどうだい」
「河津さん!」
艦長の立ち止った部屋、そこが目的地だったということで、彼の指示で中へ入ると、川内がそこにはいた。
今日は前回伸幸が会った時のフリルのついた橙色の派手な服装ではなく、黄色いシャツに黒いジャージというラフなスタイルだった。
その両腕に主砲はついておらず、また両脚の魚雷発射管も見当たらない。外したのだろうか。
「すぐに会えたね」
「そう……だな」
予想はしてはいたものの、正直を言うとこの展開(佐世保への出張から始まる)にそもそも伸幸は驚愕していた。
そして、伸幸を驚かせ、惑わせる存在がそこには1人。
川内の隣に、また1人少女が座っていた。
川内や海自との関係もそうだが、何より伸幸は冬だのに『祭』と書かれた半被を着てさらには鉢巻まで巻いていることへの驚きを隠せなかった。
「あれは……?」
「えっと、あの」
自分のことを指されたと理解したのか、少女は立ち上がる。ポニーテールに黒髪をまとめているその容姿は川内よりもひとまわり幼い。
「特型駆逐艦、ふぶ、吹雪です」
「……ふぶ、ふぶきさん?」
「吹雪です……」
艦長は言った。
「この娘も、川内と同じだよ」
「……っ」
川内と同じ、存在。つまり、海の上を歩き、艤装を持っている、ということか。
「軍艦としての記憶、そして兵装を持つ少女ーー我々は彼女らを『艦娘』と呼ぶことに決めた」
「かん……むす、ですか」
「そうだ。ただし、艦娘の例は最近まで彼女ーー吹雪のしかいなかったので、総称が決まったのはつい昨日のことだがね」
「彼女……吹雪はいつからここに」
ふむ、と考える素振りの艦長。
「もうすぐ二年になるといったところか」
「二年……そんな前に」
彼女らーー艦娘の存在は、その時には既にあったというのか。
――二年前。そうだ。
吹雪と川内のとある共通点に、伸幸は早くから気づいた。二年前。伸幸の乗っていた護衛艦『しまゆき』と同型艦である『しらゆき』が、『しまゆき』と同じ様に原因不明の沈没をしたという事件が発生した。
「…………」
つまり、と伸幸は考える。
――つまり、艦娘が何かの影響で誕生するとしたら。
――それは護衛艦の沈没に起因する、ということなのだろうか?
「吹雪」
「はっ、はい!」
「お前はどうしてここにいるんだ?」
「最初は私、神奈川あたりの海を彷徨っていたんですが……沈没した艦を捜索する護衛艦に見つかり、ここへ送られたんです」
「なるほど……」
「ここには彼女専用の密閉式の演習場が作られたんだ」
と、艦長。
「演習場……?」
伸幸がそう尋ねると、
「彼女らもまた、軍艦だ、ということさ」
例のくどい言い回しで彼は応える。
「河津くん見ていきなよ、射撃演習」
そう誘うのは川内だった。
「ね、いいでしょ、艦長」
どうやら彼は少なくともこの場にいる全員に艦長と呼ばせているようだ。
「ふむ……」
少し考え込んでから、にこりと艦長は笑う。
「いいだろう。30分後に艤装を装備して演習場へと来い。いいな?」
「15分で十分だよ」
「15分は十分ではなく15分だ。では15分で支度したまえ」
「へへーん、夜戦だ!」
――まだ昼だが。
高速で駆けていった川内の背中に伸幸は苦笑しつつ突っ込みを入れた。
「吹雪、お前もだ」
「了解いたしました、艦長」
川内の後を追う吹雪。
「……艦長。差し支えなければ、ひとつ御質問をさせていただいてもよろしいでしょうか」
「何かね」
「どうして吹雪は半被を?」
「……結構似合うだろう」
「…………」
変人極まっているな、と伸幸は思った。
そして演習場。一言で表すならば「海上に立する家」。その規模こそ400メートル平方と広いものの、外から見た造りは完全に海の家の木造のそれである。中は全ては使う予定も無さそうだが200メートル四方で4分割されており、演習用の艦娘用ゴム弾を利用して的を狙うのが射撃演習。
「色々吹雪の為に整備がされているんだな……」
「もう彼女が日の目を見ないで二年だ。それくらいの優遇はされて当然だよ」
伸幸の独り言に、艦長は答えた。
「我々は彼女らの存在を究極的なまでに機密にしている。国外はおろか、国内の同業者でさえその存在を知らない人間もしばしばだ。河津くんはラッキーだね……おっと、この言い方は良くないな」
失礼、と艦長。
「いえ、それは構いませんが……」
「ん?何か質問か?吹雪達ならあと10分程で来るぞ」
「はい。彼女らーー艦娘は自身の持つ特殊な艤装を扱えるのですよね。では、それなら」
「それなら」
「その事には一体どのような意味合いがあるのでしょうか」
「なんというか、くどいというか、遠回しな聞き方だねぇ」
――それは艦長だ。
「君は全てのものに存在する意義や意味合いを求めるのかね」
「……川内も吹雪も、元は人間によって造られた船です。それらが戦争の為に存在したように、その記憶を持つ彼女らにも、その存在理由があるのではないでしょうか」
「……ふむ。鋭いね。鋭くて隙がないから揚げ足取りでもさせてもらうが、軍艦をかつて世界が戦争へと引っ張り出したのは、軍艦が強いからだ。存在理由ではなく、ある用途にしかすぎない」
「……では」
伸幸は言う。
「彼女らの存在理由、あるいは用途はーーかつて『しらゆき』を撃沈し、そしてつい先日『しまゆき』も同様に沈めた『敵』への対抗策、ということなのでしょうか」
「…………」
いやはや、と艦長は帽子を脱ぐ。
「やっぱり経験者ってのもあるんだろうが、鋭いね。……そうだ。その通りだよ」
真剣な眼差しで伸幸を見つめ、肯定する。
「だが、まだ……彼女らを人として扱うのなら、教育が足りていない。そして兵器として扱うというならば、未完成、というところだ」
「…………」
「それと、今までは実戦に出そうにも出せなかったんだよ」
「と、申し上げますと」
――つまり、今は違うということか?
「『深海棲艦』ーー君の言う『敵』を、我々は便宜上そう呼ぶことにした。深海棲艦は、我が海上自衛隊が誇るあらゆるレーダーに反応しない。つまりこれはどういうことかわかるか」
「……索敵が不可能になります」
つい3日前の記憶を伸幸は思い出す。何もない筈のレーダーの範囲内に、突然出現した謎の物体。
「その通りだよ。しかも彼女らが本当に深海棲艦に対し有効だなんて誰一人としてわかっていない。そんな状況下で、吹雪を一人、或いは単艦で哨戒のために航行させるだなんて、とんでもない」
「では、今は」
「川内、と言ったかーー彼女の持つ艤装吹雪と比べ豊富だ。さすが今は存在しない巡洋艦、とでも言うか」
「……水上偵察機、ですか」
「おいおい、上官の台詞を先取りとは随分と図太いことをするじゃないか」
まあ、仕方ないな、と艦長は笑う。
「そう、あの時代でも旧式ではあったが、偵察機ーー彼女らのもつそれなら、深海棲艦に対する索敵が有効かもしれないのだよ」
結局はまだあくまで可能性だが、と艦長。
「あとは、倫理観の問題だな」
川内も吹雪も、容姿としては人間の少女そのままである。彼女らを実戦に出すことについて、抵抗があるというのは、当然のことなのかもしれない。
「ただでさえ戦争アレルギーの国なんだ、日本は。そんな国民意識じゃあアメリカ様の助けがないと北との問題ひとつさえ解決を図れないというのをわかっていて、そのアメリカの武力でさえ追い出したがるような国だからね」
そんな国がもし艦娘を実戦に出すことになった場合、どうなるかなんて見なくたって瞭然だ、と艦長は吐き捨てる。
「だからまあ、彼女らの存在を公表し、正式に海自へと取り込むというのはまだまだ先の話になるだろうな。艦娘がどのようにして艤装を扱うのかについては、これからご覧あれ、だ」
そう言ってすぐ、歩道でない海側の扉から、川内と吹雪が入った。水上をアイススケートのように滑っている。
「今日は戦闘訓練を行ってもらう」
って叫んで、と艦長は伸幸に具す。
「私がですか?」
「後々の為にもね」
よくわからないまま、伸幸は言われた通りのことを伝令した。すると直後、屋内を4分割していた仕切りが大きな機械音を立てて海中へと沈んでいった。艦長がなにか操作をしたようだ。
「わーい!夜戦だー!」
「まだ真昼間だぞ」
伸幸は叫ぶ。
「吹雪ちゃんには負けないからね!」
「私はここでもう一年以上訓練しているんです。昨日きたばっかりの川内さんには絶対に負けませんから!」
意気込む彼女らを見て、伸幸が一言。
「彼女達、仲がいいんですね」
「そりゃあそうだろう。川内と吹雪はかつて同じ部隊に所属していたんだから」
なるほど、と伸幸。
同じ部隊、というのは第三水雷戦隊、通称『三水戦』のことを指している。
吹雪と川内はそれぞれ建物の違う端へと移動した。
「砲戦を5分間行った後雷撃戦を行う。開始と終了の合図はこちらの笛で行う」
って言って、と再び艦長、そしてそれに従う伸幸。
「では……戦闘開始!」
「砲雷撃戦、用意!」
川内はそう叫ぶと同時に、砲撃を開始した。
「当たりませんっ!」
弾速は早い。だが精度が悪いのか、吹雪の回避が上手なのかあるいは両方か、吹雪はそれを躱した。ゴム弾は壁に衝突し、そのまま落下する。
「丈夫な壁ですね……」
「衝撃を吸収できるよう特殊に作ってあるのさ」
吹雪は直進したまま砲撃を開始しない。
――射程の問題か。
基本的には口径の大きなもののほうが射程は伸びる。
「そこだっ!」
川内は右弦に走らせつつ、向かってくる吹雪へと弾を発射する。その距離およそ250メートル。
「っ!」
避けきれず、腹部の辺りに弾が当たる。
「でも……ここからならっ!」
反撃に吹雪は砲撃を開始した。その数二発。
そのうち一発を川内の脚を掠めた。
「……あの」
「なんだ、河津くん」
「……どうして彼女達はスカートを履いているのでしょう」
「あれが正装らしいんだ、吹雪曰くだが」
「…………」
「僕も一つ疑問があってだな」
「なんでしょう」
「半年ほど前吹雪に砲戦の軌道計算について尋ねたんだが、彼女は全くそれを理解していなかった」
「……つまり全部勘でやっているということでしょうか」
「だろうな……本当に不思議だよ」
川内は吹雪から距離を取りつつ砲撃を行っているが、多くは避けられてしまうため、命中精度の高い吹雪の方が一歩優勢だ。
――そろそろ5分か。
「砲撃戦終了、雷撃戦開始!」
伸幸のその合図と同時に模擬弾の空の魚雷を各艦が装填した。
――吹雪は三連装の発射管が二基、それに対して川内は四連装の発射管が二基、か。
「雷撃戦については川内の方に分があるな」
伸幸と同じことを思ったのか、艦長はそう言った。
「発射管の数もあるが、川内のそれは酸素魚雷専用のものだ」
「酸素魚雷、ですか」
「水雷士の河津くんならわかるだろう」
「ええ、まあ」
魚雷の頭部には高速スクリューとエンジンがあり、そのスクリューの回転で内部の圧力を上げ、中に入ってる気体を押し出して魚雷は進む。戦前の魚雷はその燃料として高圧の圧縮空気が使われていたが、技術が進むにつれ戦時中から現代においては圧縮された酸素が用いられている。
空気ではなく酸素を利用するメリットはいくつかある。まず、空気と違って水に溶けやすい気体という点。泡が水面に出なくなるため、隠密性が上がり、弾道が視認されにくくなる。また、燃料効率が良いーー即ち、航続距離が長い。長距離戦に置いて優位を取れる。
二隻の間は概算で200メートルを越える。
「たが、射程に関しては今回の場合、どちらにも分はない、か……」
「そのとおりだな」
と、艦長は頷く。
「対戦中の長魚雷は航続距離が10キロを越える。現在彼女らが使う小さなものでも、キロという範囲はぎりぎり、射程に収まる」
おそらくそれは吹雪の実験データによる物なのだろう。伸幸はなるほど、と頷いた。
話が終わったと同時に、勝負も付いた。
爆発音。入り口近くの伸幸らの元にまで生暖かい爆風が届く。
「…………」
「…………」
――物凄い威力だ。これなら魚雷が小さくても、相手が人型なら充分、いや過剰に効果的だろう。
と、これだけならば伸幸はとてもよい実験データを取れたと満足することができるわけなのだが。
だが、しかし。
これをもろに喰らった方は大変だ。
有り体に言って大惨事であろう。
「……あの」
「何だ」
「訓練用の魚雷って、これほどまでに強力な物を使うのでしょうか。というか、強力というか、火薬が入ってていいものなのでしょうか」
『しまゆき』に搭載されていた対潜水艦用短魚雷の試験利用時の実戦演習では、中身は空の物を使用していた、と伸幸は思い出す。
「……いいわけないだろう。恐らくは、川内が所持していた魚雷のそれをそのまま使ってしまった、というところだな」
「…………」
硝煙が薄くなると二隻の影が見えてくる。伸幸と艦長、双方にとって決着の行方は見ることもなく一目瞭然だったが。
「うぅー……」
伸幸は目を剥いた。薄暗い煙幕から視認できる吹雪のその姿だった。表現が痩躯とまでは言わずともその矮躯らしからぬーー否。たとえ矮躯でなくとも、先程の爆発に多少の損傷で耐えうる身体など存在しない、はずだ。
――ましてや、無出血だなんて。
まるで大した痛痒を感じさせないような、少し唇を尖らせ唸る様子の吹雪。服もスカートも焼き切れたかの様にボロボロになっていた。しかし、その肌に関しては火傷と擦傷、いずれもごく軽度のものだけが見受けられる。
一方で川内に関しては、爆風の所為か少しだけ髪が乱れてしまってはいるものの、砲撃戦以外で出来たもののほかは傷が見受けられない。
――そもそも、あの弾速を生身で体感して軽傷、どころかほぼ無傷な時点で、まあなるほど人間離れしている、か。
「川内さんー……ちょっとは斟酌してくださいよぉ」
「それはちょっと難しいかな」
不慮の事故だし、と川内。
「ほら曳航、曳航」
二隻は肩を組んで伸幸らの元まで進む。
「どうだった?伸幸さん」
笑顔で川内は尋ねる。罪悪感はないのだろうか、と伸幸は考えたが、口には出さない。
「……次からは自身の兵装について、具に確認してくれよ」
「いやーあははー」
「そんな放埒に笑ってないでください」
吹雪が川内を制する。
「艦長さん……私ちょっと入渠してきますね」
「ああ、了解だ」
そう言って、危うい足取りで吹雪は演習場を出て行く。
「……入渠、ですか」
「端的に言うと風呂だな。気になるようだったらまあ、覗け」
「なんと不躾な言いつけでしょうか……」
「川内。ついでにお前も行ってきなさい」
「はーい」
川内の出て行くのを見送ってから、艦長は再び口を開いた。
「さて……河津くん」
どう思う、と彼。
「どう思う……ですか。それは少々、遠回しな質問な気がします」
「それは僕の持ち技なんだよ」
「でしょうね。……正直なところ、彼女らの身体能力の高さは舌を巻くほどです。海上で真っ向から対人戦ができる。主砲という武器を扱える。魚雷という兵器を運用できる。加えて、あの艦でいえば装甲なのでしょうかーー防御力の高さ。どの点においても、人間離れしているというかーー」
――いや。人間離れしているのなんて、最初から分かっていたことだ。
改めて感じたことはそうではあるが、厳密にはそれではない。そう伸幸は考えた。
「人らしくない、か」
「…………」
答えに近いものを言ったのは艦長だった。
「それについてはそう感じるのも仕方はないよ。オリンピックだとか世界大会だとか、最早その程度の言葉で飾り例えられるほどのシロモノじゃないんだ、あの子達ーー艦娘という存在は。だから、だからこそ、君はどう感じたか」
「…………」
「河津くん。今の姿を目にしてなお、
、、、、、、、、、、、、
――艦娘を人として扱えるのか。
それとも、否か」
彼女らは一体全体人か軍艦か、或いはどちらでもないなにかなのだろうか。
伸幸の中で渦巻いていたその疑問にひとまず自身が出したその答えを、伸幸は述べる。
「……彼女達は、人みたいな、軍艦みたいな、どっちつかずのハーフみたいなものなのでしょう。悪く言えば、なり損ない」
「……ほう。意外と言い回しが辛辣だな」
「別に、辛くもないでしょう。逆に言えば、そんなどちらともとれない成り損ないという表現が似合う彼女らは、非常に人間的であるとさえ、感じられますよ」
なるほどな、と艦長。
「では、艦娘は人間か」
「偏に断定することはかないません。ですが、彼女達があくまで人間的であるのなら」
その容姿が、その声が、その言葉が、その感情が。
「人間的であるのならばーー人間と扱って対応してあげればいいのではないでしょうか」
人は人です、何が人かはよくわかりませんが。そう伸幸。
「はっはっ……これは一本取られたかな」
君を頼んで正解だったよ、と軽快に艦長は笑う。
「はい?」
「さっき言っただろう、総司令官、と」
そういえば、と伸幸は少し前の会話を記憶に戻す。
「総司令官……私が幕僚長にでもなるのでしょうか」
冗談半分どころか冗談全部で伸幸は訊ねたつもりだったのだが、艦長は神妙な面持ちだった。
「まあ、近くて遠からずだな」
「それじゃあただ近いだけですが……」
「総司令官といってもまあ、君の異動する舞台での呼称みたいなものだよ」
「異動、ですか」
正直なところ、伸幸が異動の命令を受けるのは当然で、その覚悟も十二分にしていた。しかし異動先での役職が総司令官とは、どういうことなのだろうか。
「提督、でもいいな。河津くん」
「……はい」
改めて名前を呼んで、艦長は言う。
「君はこれから艦娘を管理し治める鎮守府で、その長として勤めてもらおうと思うんだ」
「鎮守府……?」
「然り。だから、総司令官。或いは提督、だ。どうかね。総司令官の具体的な海自においての階級はまだ決まってはいないが、そう悪くはないだろう。僕より上、なんてことも十分考えられる。給料も悪くない。どうかね」
艦娘達を束ねる。つまり、彼女らとずっとずっと密接に関わることとなる。先述の質問は、だからそういう意味だったのか、と伸幸はひとりでに納得する。
「……慎んでお引き受けします」
もう関わることはないとばかり思っていた川内達と、段々と、淡々と近づいていくのは、皮肉ではなくとも、皮肉的な話だな、と伸幸は思ったのであった。
――まあ、確かに、悪くはないが。
こうして、河津伸幸の護衛艦乗りとしての人生はひとまず区切られたのであった。
−2052年12月12日−
「あっはは!本当に佐世保に行っちゃってたんだ!」
人の苦労、いやさご足労も知らないで快活に笑い飛ばしやがる、そう伸幸に思わせたのは果たして彼の住むアパートの隣室の住人、中井だった。
11日、つまり昨日の夜、新幹線(勿論経費)で神奈川まで帰ってきた伸幸は、行きとは違って側に2人、ではなく2隻、川内と吹雪を連れていた。吹雪のごくありふれたようなセーラー服でならまだしも、川内のコスプレじみた奇抜極めるセーラーファッションではやや人目を惹きすぎるという理由で、どちらも私服姿だった。とはいえジャージに手袋マフラーといった様子の川内はともかく、この寒い季節に艦長の悪ふざけで半袖短パンにさせられた吹雪のお陰で、結局人目にはかかることになったのだが。
吹雪は真面目なのだった。
――間が抜けているとも言えなくはないが。
そしてその後はどこに立ち寄ることもなく横須賀へと直行し、一連の流れの報告と今後についての話を済ませたところで、伸幸はそそくさと帰路についた。私服姿の艦娘2隻は、海自の基地に残っている。
彼女らが私服姿であることについて、目立つこと以外にも理由があるのかもしれない、と伸幸は案じていた。
――理由というよりは、目的か。
つまるところ、艦娘の無力化だった。艤装がなければ攻撃はおろか、航行に関しても航続距離が極端に低下してしまうのだろう、そう伸幸は考えている。
そして、それをする理由は一つ。彼女達艦娘が人間にとって、まだ未知の存在であるから。知らない相手と曲輪にして渡り合うには、相手を徹底的に無力化するか、無害化するかが最適解だ。
ちなみに、艤装については2日後に基地に海路で届けられることになっている。
「だから、何かがあるとすれば、何か起こすとなれば、最短であと2日、か……」
「にぇ?どうしたの?」
伸幸の口をついて出た独り言に、酔いが回った所為か聞き取ることができなかった中井が聞き返す。
「いや、別に」
「ふぅん?まあいいけどさ」
中井が気分が良さげに笑う理由はただ単にアルコールの所為というだけではなく、伸幸のちょっとした気回しにあった。
2人は市内の居酒屋のチェーン店に来ている。会うことすら暫く沙汰のないほどに稀だった伸幸から誘ったというやや奇妙なシチュエーションに加え、伸幸の奢りという約束或いは前提条件が彼女のテンションを盛り上がらせていた。
「とりあえず、お疲れ様、伸幸くん」
本来ならば乾杯の前にでもいうべき彼女のその言葉に、伸幸はありがとう、と短く返す。
飲みは未だ序盤ではあるものの、中井は既に三杯目に突入していた。ちなみに飲んでいるのはマンゴーカクテル。
「ニュース、見たんだけどさ」
と、中井が話を切り出す。基本的に会話上手なのは彼女のほうなのだった。
「憶測と適当な与論ばっかっていうのはまあ、相も変わらずいつも通りって感じなんだけどさ。ちょっと気になったことがあって」
「……気になったこと?」
「うん。言い方を変えるならやや奇妙な点、かなぁ」
「……答えられるかどうかはわからないが」
「聞いてやろう、って?偉そうだねー」
あはは、と中井は笑う。
「質問には答えられなければ答えなくても全然問題ないよ。じゃあまずは確認事項なんだけど。ニュースからの情報によると、伸幸くんは死んでいる」
「……ん?」
――それはおかしい。
言うまでもなく矛盾している中井の話に、伸幸は怪訝そうな顔で応じる。
中井は苦笑いをして述べた。
「この言い方は誇張的というか逆説的って感じなんだけどね」
「逆説的」
「そうだよ。正確には、『護衛艦からの生存者はいない』って表現かな」
「なるほどな……」
「ちなみにこれは国営のニュースだから、情報が正確ではなくても情報元はある程度明確かも」
彼女の言っていることは裏を返せば、それこそ逆説的に繙けば、その隠蔽は、憶測でも適当な与論でもなく、海自が、あるいは国が行ったこと、ということになる。では、彼らは一体何を日の影に葬ろうとしているのだろう、と伸幸は考えた。否、考えるまでもなく、答はわかっているのだが。
「色々複雑そうだからあんまり詳しくは聞かないけど、これって君が長崎に行ったりしたこととかと関係あるの?」
「……まあ、あるな」
それは勿論、川内や吹雪、艦娘のことだった。
――加えて深海棲艦も含めて、か。
伸幸の生存を隠匿したこと自体については、伸幸に対する配慮というのがあったとも言い切れなくはないが、少なくともそれらについての情報の流出を防ぐ為、というのが第一にあるのだろう。
艦娘や深海棲艦についての情報を隠す理由、それに関して伸幸は情報が雀の涙程しかないこと以外にも、もう一つあるのだろう、と感じている。
「なんかー、伸幸くん難しいこと考えてない?」
「え?」
「せっかく飲みに来てるんだし、そういうのは無しにしようよ」
「難しい話題を出したのは中井さんのほうじゃないか……」
うー、と中井は唇を尖らせる。
「そういえば、お土産とかないの?」
「ふと思い出したようにねだるな。がめつい奴だな」
そう言いながら、伸幸は中井に袋を渡す。中身は横須賀海軍カレーのレトルトだった。
「わーすごーい……って、これコンビニで売ってるやつじゃんっ!」
ここ横浜だよ、と中井は手を刺すように突っ込みをいれる。
「ここは綾瀬だ」
「そうだった……」
「それに、そのカレーはちゃんと長崎で買ってきたやつだから安心していいよ」
「殊更に安心できないよ!長崎行って神奈川の食べ物買っちゃうその精神が不安だよ!一体どういうボケ精神って感じしかしないよ!君は漫才師か!」
激しい突っ込みの中井。酔っているようだった。
「カレーマニアでもきっと長崎で神奈川のカレーは買わないよ……」
「地元愛って奴だよ」
「それは結構なことだけど私に押し付けないで……」
「ちなみに俺の地元は静岡だ」
「やる事言う事滅茶苦茶だっ!?」
「滅茶苦茶も茶目っ気も同じだしな」
「多分似てるのは語感だけだよ。或いは茶が共通してるだけだよ。静岡だけに」
「お茶が名産だと京都とやや被るのにコンプレックスを感じるよな」
「そうなんだ……まあ知名度じゃあ勝てないもんね。名前負けってやつ?」
「どちらかといえば、京都が名前勝ちしてるんだけどな」
「横須賀海軍カレーもどうして中々名前勝ちだよね」
「俺はわざわざレトルトを買ってまで食べたくないけどな」
「君はもう飽き飽きするほど食べてるでしょ」
「まあ、な。横須賀海軍カレーなんて言うけどぶっちゃけどこにでも売ってるし」
「じゃあ尚更お土産として買ってこないでよ……」
そういえばさ、と中井は話題を切り替える。
時刻は0時を回っていた。飲みも中盤である。
「何で今日は宅飲みじゃなくて外誘ってくれたの?しかも奢りで。私結構飲むの知ってるでしょ」
その通りだった。自宅付近での数少ない友人である中井とは伸幸は既に数回の飲みのうちに中井の酒豪っぷりをよく学んでいた。事実、既に店員に回収されたグラスの量は彼女の分だけで既に8杯である。
んー、と伸幸。
「まあ、久しぶりに陸に上がれたんだし、せっかくだからちょっとくらい遊んで散財してもいいかなって。でも他の奴らみたいに女遊びに行く趣味もないからな。結局、居酒屋にでも行くしかなくなるわけだ」
「あんなことがあってよく直ぐに遊ぼうとか考えるね……」
「別にくよくよめそめそしてたってどうにもならないだろう」
――『敵』も、倒せないだろう。
「うーん。まあ、そうなんだけどね」
輪切りのイカをつまみながら中井は唸る。
「悲しくはないの?」
「そりゃ……悲しいだろ。しまゆきも無くなって、みんなもいなくなって、悲しくないわけがない」
「しまゆき……?彼女さん?」
「船の名前」
ああ、なるほど、と彼女は笑う。
「まあ、正直なところ、悲しいからってもたもたしてられる余裕があるかもわからないからな」
「ふうん?」
中井は首を傾げるが、伸幸のこれ以上説明をする意思が無いことを知ると、話題を変える事にした。
不用意な詮索はしないタイプなのである。
「明日から仕事に戻るの?」
「だな。一応、今日も仕事なんだけど……家に帰れる機会ってのは、そうないからな」
「前に帰ってきたのっていつだったっけ?」
「二ヶ月くらい前に遠洋航海があったから、一ヶ月ちょっと前」
「あー、そうだっけ。なんか休み長かったよね」
「航海中は24時間で勤務体制だからな。有給じゃなくても土日の分の代休とか溜まるんだよ」
「ふーん。じゃ、次帰ってきたときは今回の分も含めて長い休みにでもなるのかな」
「だろうな。今回は本当に休んでないし……いや、本来ならまだ、仕事中だったのか」
事故時の伸幸はやや遠めの近海警備に当たっていた。二週間に一度程度のペースで帰港するため陸に上がる事は割とできたのだが、当時出港前の点検で不具合の見つかったはまゆきに代わり、急遽連続して出航することになっていたのだ。
――もしもの可能性、か。
もし、はまゆきが正常に出航をしていたら。被害を被るのがしらゆきではなく、はまゆきだったら。川内と出会うのが自分ではなかったら。
と、そんな仮定をほんのわずか考えてから、やめよう、と伸幸は思考を中断した。
「次の仕事ってどんな感じ?また船に乗るの?」
「うん。ちょっと一本釣りにね」
「マグロ漁船かよ」
伸幸も酔いが回り始めたようで、だか
以降の支離滅裂で脈絡ととりとめの皆無な話はここでは、語られない。
−2052年12月13日−
日付けこそ変わったものの、物語はおおよそ午前一時過ぎ、つまり伸幸と中井が居酒屋から出てきたところから始まる。
「あー……久しぶりにこんな暴飲暴食したよ」
夜空を仰いで中井は息をつく。白く濁る吐息の向こう側には、冬の大三角形をはじめ無数の星々が広がっていた。
「にしても、寒いね」
「だな。12月だし、仕方ない」
「師走ってことで、走ろっか」
「なんでだよ」
「中井さん一番乗りー」
まだ酔っているのか、中井はハイになって走り出した。
少し酔いが抜けた伸幸はそれを嗜めるように言った。
「家はそっちじゃないぞ中井さん」
「ふぇ?」
「ったく……」
駆け戻る中井に背を向けて、伸幸は歩き出した。すぐに彼女も追いつく。
「星が綺麗だな」
「なんだか伸幸くんが言うとナンパみたいだけど、そうだね。うん、とっても綺麗。こういう綺麗な星空が見られる辺り、綾瀬も田舎 なんだなぁって、しみじみと思うよ」
「褒めてるのか褒めてないのかわからないニュアンスの感想だな」
「どちらかといえば褒めてる、かな。ねぇ伸幸くん、星って幾つあるか知ってる?」
「……88個とかだったっけ」
「空を見上げなくてもわかるレベルの間違いだよ。それは星座の数だよ」
「じゃあ星座って大体5個くらいの星から出来てるから……450個前後?」
「多分小学生でもそうは考えないと思う」
「……答えは?」
「星の数だけ」
「…………」
「ちょっとロマンチックじゃない?」
「むしろ夢と希望と現実味どれをとっても欠けてるんだけど」
「でも具体的に459258個とか言われてもつまらないでしょ?それよりは適当言ってたほうが夢があるよ」
「具体的過ぎるだろ」
「太陽系で観測された星の数だからね」
「そんなにあるのか」
知らなかった、と伸幸。
「小惑星が殆どだけどね。衛星とか恒星、それに惑星はほんの20個くらいしかない」
「小惑星だけで星座が九万個くらい作れるな」
「多分そんなに一杯星が地球から見えたら空に星が見えるんじゃなくて星に隙間が見えるようになるよ……」
そうだ、と話を切り出したのは伸幸だった。
「ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「ん?なになに」
伸幸から数歩分先行していた中井は、立ち止まり、振り返る。
「告白?」
「質問があるって言ってるじゃん」
「『俺の好きな人は誰だと思う?正解はお前でした』みたいな。きっも」
「自己完結ストーリーで俺を印象付けるな」
「で、何の質問?」
「ん……」
少し言葉をかけ選んで、それから伸幸は問う。
「……もし」
――ではなく、恐らくは実際。
「もしも、誰も出会ったことのない、正体不明の敵が突如現れたとしてーーその敵に現状唯一有効な手段が」
「…………」
中井の表情がきっ、と真面目なものに変わる。
「唯一有効な『兵器』が、例えば俺たちよりも歳がずっと下の少女で」
「……うん」
「お前はそれを……少女を戦争に兵器として出陣することを、容認できるか、否か」
それが質問、と伸幸。
その内容はどこか少し、佐世保で答えた問いに似ているような気が、伸幸にはした。
「うーん……なんか難しそうなこと言ってるけど、簡単にいえばプリキュアみたいなものなんだよね」
「多分ちょっと違うが……」
「なら良いんじゃない?かっこいいじゃん」
「……ふっ」
あまりにも馬鹿馬鹿しい、単純というよりは純粋さの溢れるその答えに、伸幸は笑った。
「はっはっは……」
「なになにどうしたの」
あまり見ることのない伸幸のバカ笑いに中井は戸惑いを見せる。戸惑ったあとは本人曰くムカついたらしく、平手打ちを頬に決めた。
「何故叩く」
「なんとなく」
「あっそ」
「なんで笑うのさ」
「なんとなく」
「あっそ」
そっけなく言う二人。
実際に現実の状況を前にしている伸幸が中井のように楽観的な答をだすことはできない。それでも、彼女の言葉は彼の肩の荷を、少しは降ろすことができた。
鎮守府における艦娘の統率。つまるところそれが戦争の準備の一環ということは、伸幸も理解していた。
艦娘が戦うということも。
艦娘が危険な目に遭うということも。
艦娘を兵器として扱わなければいけないことも。
伸幸は十二分に理解していた。統率者になる者として、或いは川内の友人として。重々しいほどに、理解していたのだ。
「……ありがとう」
癖で帽子を触ろうとして、それがないのに伸幸は気付く。
「ん?なんでお礼?」
「いや、別に」
ふうん、と中井。
「こちらこそ、ありがとうね。奢り」
今度なんか買ってあげるよ、と笑みを浮かべて言った。伸幸は少し不安だった。
二人の住むアパートが、大きく視界に入る距離にまで近づく。
それは、
1日の終わり。日常の終わり。
1日の始まり。戦争の始まり。
境界となるこの日は、しかしどうして日常で括られるのであった。
同日午前7時。
正直前回の航海等で溜まっている休暇を消費したい伸幸ではあったが、朝から横須賀に呼び出されていたため、それは無理な願いとなった。緊急の事態だったので、そもそも休暇の申請もしてはいなかったのだが。呼ばれたからには行かねばならないので、伸幸は横須賀へと既に到着していた。ただし、横須賀は横須賀、伸幸の普段の駐在地ではあるものの、導かれた場所とその状況は普段とはまるで違う。
旧米海軍横須賀基地(通称ベース)と呼ばれ、現在では不使用となっているその施設は、さらに歴史を糺せばかつての帝国時代、海軍によって横須賀鎮守府として運用されていた。つい数年前までは米軍の基地として運用されていたが、高まる国民、そして市民による米軍への反対意識によって、駐日米海軍の規模は縮小、横須賀から撤退する事態となっていた。現在は、寮としても使用されておらず、暫くの間もぬけの空で、清掃の時間を除いては人っ子一人いないという様子である。
否。正確には、つい現在までは、というべきか。
「鎮守府……」
その言葉を発したのは川内。
「ここには宿泊施設としての機能以外にも、一応の工廠施設やドック等が揃っている。必要となるかかどうかはわからないが」
そう言ったのは、果たして伸幸ではなかった。勿論、川内でもなければ吹雪のそれではない、男による声だった。名前は松嶋純士。すなわち、海上幕僚長のことである。
はじめ、伸幸は海上幕僚長という事実上組織の最高位が彼らを直々に案内するということについて驚いていた。そして、いかに艦娘という存在が機密であるのかを、改めて知るのだった。
そんな伸幸に、松嶋は語る。
「そんなに驚くこともないだろう。君は本来二等海尉だが、本日付でここでは『司令官』。肩書きだけでいえば、私と同じ階級なんだ。無礼講とまでは言わないが、そう畏まる必要も、ない」
「……その、司令官というのは、自衛隊内では一体どのような扱いになるのでしょうか」
「出来れば君らとこの施設を海自からある程度切り離せると非常に楽なのだが、そういうわけにもいかないからな。まだ未定だが、恐らくはこの鎮守府も海自のいち特殊部隊として扱われるであろう。だとしたら、部隊長だ」
「部隊長、ですか」
――司令官だなんてご大層な筋書きよりは、そっちの方が気楽ではあるな。
「んー……?河津さんが司令官、っていうか提督になるの?」
川内が首を捻る。
その通りだ、と初老の紳士は答える。
「なんか昭和みたいだねぇ」
「……あの、幕僚長」
「何だい、司令官」
その大通りは深い木々に挟まれていた。四人の歩く先には、大きな三階建ての艦隊司令部の庁舎が見られる。葉の散った木々の隙間から感じる白い風を横になびかせて、伸幸は言う。
「ここの部隊――鎮守府には、私の他、所属する者は決定しているのでしょうか」
「当たり前だ。ただし、人数はそう多くないがな。現状ではかなりの少数部隊だ」
――現状では、か。
それはつまり、艦娘のこれから増えていく可能性。今の段階でわかっている彼女らの出現に関する情報は、吹雪も川内も、護衛艦の沈没後に存在が確認されているということだ。勿論、現在七十隻近い数の現役の護衛艦をいたずらに沈めたりする訳にはいかない。やはりその辺りについても、まずは手探りから始めなければいけないのだった。
隊に配属となるのは、医官二名と整備補給隊が一部隊配属。それに加えて、『はまゆき』『かぜゆき』は鎮守府に転属。複数の部隊がくっついたような、少し特殊な形態となっていた。
艦隊司令部庁舎の中へ入る。
「君の執務室は二階だ。部屋は自由に使え。浦郷の倉庫も使う事はできるが、恐らく艦娘の艤装を置く分にはここの部屋を適当に使用すればいいだろう」
そう説明したところで、思い出したように吹雪が訪ねる。
「あの、幕僚長。私達の艤装の到着予定は今日だと拝聴しましたが、具体的な時刻は何時頃になるでしょうか」
「正午だ。『妖精さん』も一緒にな」
伸幸にとって初出のワードだった。
『妖精さん』。艦娘の艤装に居る、その矮躯と称するにも小さすぎる一寸法師のような人形のようなものたちのことを指す。艤装に居る理由は単純で、彼女らが艤装の整備を行っているのだ。名前については、吹雪がそういった呼称を利用していた為、自衛隊内でも暫定でその呼び方を採用している。
「他の隊員達はどこに」
訪ねたのは伸幸。
「食堂に集まっているはずだ。貴官らが向かうのは、一通り施設を案内、説明し終わった後だ」
案内は小一時間程で終わり、時刻は八時半を過ぎた。
隊員とも面を合わせたが、ここでは語らず、さらに時間は進む。
伸幸は言った。
「抜錨だ」
中井悠……伸幸の住むアパートの隣人。
艦長……一等海差。本名は喜界島亮二。
吹雪……帝国海軍の特型駆逐艦のネームシップの名を冠した少女。
松嶋純士……海上自衛隊幕僚長。