「私の空想は、こうです。かつてこの街には、米兵と日本人の深刻な対立があった。はじめは米兵が権力を握っていた。なんといっても日本は敗戦国ですから。ところが、泥沼のベトナム戦争への過剰投資で足腰が弱ってきたところに、ドルと日本円のバランスも変わってきたことが打撃となり、米兵と日本人のパワーバランスも変化してきた。そんな中で、台頭してきた勢力があった。傭兵あがりの日本人が筆頭に立った愚連隊。それが天々座組ですね。おそらく、はじめは米兵の傘下で力を蓄えて、程よいタイミングで下剋上したんでしょう。あなたは、その天々座組の構成員の一人だった。いわゆる鉄砲玉ですね。
しばらくは、米兵どものカーキマフィアと、天々座さんやらほかの日本人のヤクザやらチンピラやらで、血なまぐさい勢力抗争があった。そういった中で、あなたはいろいろとご活躍なさったんじゃないですか?」
私の問いかけに、マスターは答えなかった。
「重大な任務を遂行した鉄砲玉に、ご褒美として店舗だのなんだのを与えるってのは、渡世任狭の世界でよくある話です。組に紐つけて、出所後も逃れられないようにする目的もあるのでしょうが。あなたにせよ、フルール・ド・ラパンの経営者にせよ、そういう経緯でお店を手に入れたんでしょう。甘兎庵については、おそらく千夜という娘の父親が鉄砲玉だったんじゃないですか? 特攻して死んだのか、ブタ箱にいるのかよく知りませんけどね。そんなこんなで、天々座さんが地上げか何かして手に入れた老舗和菓子店を家族がいただいたんでしょう。まぁ、そういうことだから、みんな地権者は天々座さんなんです」
私はそこまで話して、微笑んだ。
「面白いお話ですね」
マスターが、さほど面白くないというトーンでつぶやいた。
私は言葉をつづけた。
「面白いのはここからですよ。先日、私は、甘兎庵の隣にあるボロ小屋を見てきました。そこには、金髪の女の子が住んでいた。家族も誰もいない一人暮らしでした。妙な話です。そのうえ、その子はラパンで働いている。一方で、こんな噂も聞きました。天々座さんが米兵と競り合っていた頃、この店が米兵相手のキャバレーだった頃、ここで金髪の米兵が射殺されたらしいですね」
ここに来てやっと、マスターの表情が変化した。
乏しい表情に、わずかかに火が付いたように見えた。
「ボロ小屋に住んでいる身寄りのないシャロさんは、その死んだ米兵の娘さんか何かなんじゃないですか? 顔立ちを見ると、日本人的なところもあるから、母親は日本人でしょうか。ひょっとすると、キャバレーだったころのラビットハウスの娼婦かな?」
「妄想が過ぎるなぁ」
マスターがつぶやいた。
腹の底から這い出るような重い声だった。
「えぇ。完全なる妄想です。ここからは、さらに不確かな妄想になります。どうにも、私には、不可思議なんですよね。こんなにも胡散臭い集まりである、あなたたちの娘さんたちが、実に良い子ばかりで。しかも仲が良いんですよ。リゼさん、チノちゃん、千夜さん、シャロさん。
まるでそんな血なまぐさい背景やら、親の因縁やらと無関係に見える。私の妄想が真実だったら、リゼさんとシャロさんなんて、親の仇同士ですよね。けれども、本人はそんなことを全く知らないみたいだ。そもそも。殺した米兵の娘にボロ小屋なりとも土地を与えて、アルバイト先まで斡旋してやる理由なんてないですよね」
「何が言いたい?」
もう、マスターは私に敬語を使わなかった。
「まぁ、つまりはこういうことです。あなたや天々座さんは、親の代の出来事を、娘さんに知ってほしくないんじゃないですか? あなた方は、過去のことを深く悔いていて、もう、あんな過ちは犯したくないと考えているんじゃないですか? ひどい自己都合ですがね。でもまぁ、世の中ってそういうもんでもありますが」
私は、一呼吸おいた。
こんなにも一気に話すのは久しぶりだった。
「だから、あなたが私を脅したのって、“私があれこれ嗅ぎまわって、娘に過去のことを暴露するんじゃないか”と怯えてのことだと思うんですよ。あなた方は、危うい出来事の上に築きあげられた、奇麗な砂のお城を崩したくない。砂のお城のお姫様たちを失望させたくない。そう考えているんじゃないでしょうか?」