メルヒェンには、まだ遠い   作:忍者小僧

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2、ウサギ小屋

聞き込みの基本は、対象から遠いところからじわじわと攻めることだ。

対象とのつながりが深すぎる場所に最初にアクセスすると、即座にこちらの動向がばれてしまう。

 

だから直接ラビットハウスを訪問する前に、まずはラビットハウスという喫茶店がどんなものか調べてみることにしよう。

 

ラビットハウス。

不思議な名前だ。

ウサギ小屋という意味だろう?

客を小馬鹿にしているとしか思えない。

餌の代わりの珈琲やケーキを出してやるとでも揶揄しているのか?

どうにも、腑に落ちない。

調べれば、何か出てきそうな気がする。

 

建物のことを知るには、まずその土地を知る必要がある。

誰が持ち主で、どういう契約なのか。

それを知ることで、どうやって商売を始めたのかがわかることもある。

そこで私は、友人のYという男に電話をした。

 

Yとは、サラリーマン時代の外回りで知り合った。

会社は別だが、たまたま回る地域が同じで、よく顔を見合わせていた。

年恰好も近い。

ある時、ひどく疲れる仕事があった。

終わった後、ぼろぼろになって、駅前の行きつけの居酒屋に行くと、見知った顔が一人で酒を飲んでいた。

Yだった(勿論その時は名前など知らなかった)。

私は思わず声をかけた。

彼は泣いていた。

ミスで重要なデータを消してしまったらしく、こっぴどく上司にしかられたらしい。

こう言ってはなんだが、大の大人がウィスキー片手にさめざめと泣いているのは滑稽だった。

私は思わず吹き出してしまった。

 

「なんだよぉ」

 

Yがすねた声を出した。

 

「いやいや。なんでもないよ。大変だね。今日は私も付き合うとしよう」

 

そんなことがあってから、時々会っては愚痴を言い合う仲になったのだ。

会社が違うからこそ、お互いの愚痴を素直に語り合うことができる。

貴重な、大人になってからの友達だ。

そんなYは、不動産関係の仕事をしている。

なので、時折、土地の関係で調べたいことがあれば、彼の協力を仰ぐことにしている。

殊更、私が探偵業を始めてからは心強い味方だ。

今回の件など、うってつけだろう。

 

「よぉ。どうしたんだ?」

 

Yが、いつもの不機嫌そうな声で電話に出た。

 

「今暇か?」

「暇なわけがないだろ。外回りの途中だよ。暑い。暑すぎる」

「上着を脱げよ」

「脱いでるよ。脱いでても暑いんだ」

「私はサマージャケットを着ているぞ」

「知るかよ」

「それで、本題なんだがな。ちょっと土地関係で調べてほしいことがある。会えないか?」

「お前なぁ……」

 

Yが呆れた声を上げた。

 

「俺の話を聞いていたか? 外回りの途中なんだよ。外回り」

「だからこそ、会えるだろう? 一人なんだろ? ちょっとさぼってもバレやしない」

「はぁ……」

 

盛大なため息。

 

「奢れよ。なんか。できれば甘いもの」

 

私はくすくすと笑った。

Yは、話し方は不機嫌そうだが、根本的に人がいいのだ。

 

「あぁ。奢るよ。パフェでも何でも。駅裏の≪ホッジス≫で会おう」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

≪ホッジス≫で待っていると、Yがやってきた。

やや小太りの愛らしい体躯に、ぶすっとむくれた顔が乗っている。

別に怒っているわけではない。

これが彼の普通の表情なのだ。

 

「久しぶりだな」

 

私が手を挙げると、彼は肩をすくめた。

向かいの席に腰かけながら言う。

 

「この暑いのにジャケットにハットか」

「これはサマージャケットだ。ちゃんと涼しいんだよ」

「どうだか。相変わらず、形から入るのが好きだな」

 

私は反論した。

 

「形式ってのは大事なことなんだ。探偵は探偵らしくしてなくちゃならん」

「お前の探偵はTVの探偵だろ」

 

痛いところを突きやがる。

私は気にしないことにした。

 

「そんなことよりも、教えてほしいことがある」

「なんだよ」

「ラビットハウスって知ってるか?」

「ラビットハウス……。あぁ、目抜き通りの大きな喫茶店だな」

「目抜き通り? あのあたりはそんな名称だったか?」

「あぁ、違う違う」

 

Yが手を振った。

 

「目抜きどおりってのは、そのまんま、繁華街の意味だよ。かつての繁華街」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

やがて運ばれてきた、胸やけしそうなパフェを食べながらYが言う。

 

「この街が、かつて軍港で栄えた街だったってのは知っているか?」

「いいや。残念ながら、詳しくは。私はこの街の出身じゃないんだ」

「そうか。ほら、街中に川が流れているだろう?」

「あぁ」

「あの川の集積地の港な。昔は軍関係でかなり潤っていたんだよ。ラビットハウスが建っているのは、その時代のメインストリートってわけだ。今はもう、人流れが変わっちまっているから、繁華街的ではないな。どちらかというと古い洋風建築をウリにした観光地区に様変わりしている」

 

私は、その通りの景色を思い浮かべた。

幾度か通ったことがある。

美しく舗装された路地が印象的だった。

 

「それじゃ、ラビットハウスってのは、昔は大いに流行った店なのか」

「いいや」

 

Yが首を振った。

 

「ところがそうでもないんだよ。昔はラビットハウスなんて喫茶店、なかったんだ」

「へ?」

 

少し拍子抜けをした。

マヤから、古そうな純喫茶と聞いていたから、予想と食い違ってくる。

 

「それじゃ、なにがあったんだ?」

「キャバレーだよ、キャバレー」

 

Yが少しいやらしい声音で言った。

 

「キャバレー?」

「そっ。さっき言っただろ? 軍港で栄えた時代の産物だって。戦後間もなくから、1960年代中ごろまでの話だよ。円が弱くて、ドルが強かった時代の話さ。港の米兵どものたまり場だったんだ」

 

米兵のたまり場。

これはまた、意外な単語が出てきたな。

私は鼻を掻いた。

ちょっと話がきな臭くなってきたぞ……。

 

「考えてみろよ。1ドル360円って頃があったんだぜ。ドルが強いから、日本に駐屯してる米兵はみんな金持ちだったんだ。もらった給料で、吃驚するほど遊べる。そうすりゃ、街に繰り出すだろう? 」

 

私はうなづいた。

 

「ラビットハウスの場所にもともとあったキャバレーは、そんな米兵どもの夜のお楽しみの場所さ。かなり大きい建物だが、、そこが兵隊さんで満員になって、ジャズを聴いたりとか、お姉ちゃんを買ったりとかね。二階ではウリもやっていたって聞いたことがあるぜ」

「ウリ……」

「おおよ。今はどうか知らないけど、二階が部屋になってるんだよ。個室の。その部屋の一つ一つが“お宿”として機能してたってわけさ」

 

私の頭の中に、モノクロームの映画の場面が映し出された。

まるでマレーネ・ディートリッヒのような妖艶な女が、毛皮のコートを脱いで、ナイト・ドレス姿になり、ジャズを歌いだした。

 

「それが、ベトナム戦争も終わって。兵隊さんたちの数も減って。軍縮だってね。円の価値も逆転して、すっかりドルが弱くなってきた。そうしたら、もう、すっからかんってわけ。目抜き通りは閑古鳥、キャバレーなんざ、流行るわけがない」

「で、倒産したと」

「そういうわけだな。まぁ、あの辺一帯がそう。不動産関係やってるもんからしたら、結構有名な区域よ」

 

私は、先ほどのマヤという少女のことを思い浮かべる。

いかにも天真爛漫な少女だったが。

 

「今は? 今はそのあたりは、確か歩道もきれいに整備されているだろう? そんなに物騒な雰囲気だった覚えはないのだが」

「そりゃ、今はね。町興しってんで、行政と一体になってさ。古い洋風建築を保存して、見世物にしてんのよ。でも、裏をひとつひきはがせば、結構ヤバい物件がたくさんありそうだぜ?」

 

私はため息をついた。

 

「で。ラビットハウスは、そのキャバレーを改築してるってことか?」

「おそらくそうだね。見た目はすごく古い。味のある建物だ」

「経営主体は?」

「さぁ。それは調べないとわからないけど。たぶん違うと思うな」

「というと?」

「まぁ、一時期、空き家になってたんだよ。買い手がつかなくってね」

「へぇ」

「幽霊が出るぞぉって噂でな!」

 

Yが大げさな身振りで私を驚かせようとした。

私は鼻で笑って会話をつづけた。

 

「幽霊? なんでまた」

「人が死んだんだよ。そこで」

「キャバレーの経営者が首つりか?」

「違う。殺人さ」

「殺人?」

「そう。金髪の米兵がね。ぶっ殺されたんだ」

 

ずいぶんとおっかない話だ。

 

「今、この街には米兵は少ないだろ?」

「あぁ」

「あれな、パワーバランスが崩れたんだよ。ベトナム戦争が泥沼化して、軍縮に走ってさ。米兵もずいぶんと引き揚げたんだ」

 

私はうなづいた。

 

「そんな時期にさ、日本人の傭兵団と米兵のチンピラが揉めたんだよ」

「日本人の傭兵?」

「元々は米軍傘下のゴロツキさ。どんな素情かしれたもんじゃない、渡世任侠の連中よ。そいつらが、力を無くしてきたカーキ・マフィアに喧嘩を吹っ掛けたってわけ。で、件のキャバレーでも撃ち合いの殺し合いがあってさ」

「結果、金髪の米兵が死んだ、と」

「そういうこった」

「それが原因でキャバレーは倒産、か」

「さぁな。詳しくは知らないが。俺が知ってるのは、キャバレーがつぶれた後の苦情だけ。空き家のままほったらかしで、そこにチンピラが屯してるとかで、評判が悪かったんだ。喫茶店になって改築された時、業界では≪やっとあの土地が売れたのか≫と話題になったみたいよ」

「そうか」

 

私は席を立った。

 

「まぁ、だいたいわかったよ。きな臭い話がね。でも、すべて過去のことだ。今のラビットハウスとは関係がない。そうだろう?」

「たぶんね」

 

店を出て行こうとする私の背中に、Yが声をかけた。」

 

「ずいぶんと機嫌が悪そうだな?」

 

私は振り向いて答えた。

いつものYよりも不機嫌な声が出た。

 

「そんなことはない」

 

Yが肩をすくめて言った。

 

「まぁ、俺の方でもラビットハウスについて、もう少し調べてみるよ。少し面白そうだ」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

嫌な気分だった。

あの純粋な少女の依頼から、思わぬ汚い話が出てきた。

今のラビットハウスと関係がないことが救いだった。

私は気を取り直して、調査を続けることにした。

 

Yがかつての目抜き通りと呼んだストリートは、確かに、さほどの人通りがなかった。

活気を失っているわけではないが、落ち着いた、静かな雰囲気が漂う。

古い建築物が多いその通りは、繁華街というよりも、歴史的景観地区のようだ。

成熟した街なりの着地点だと言えなくもないが、過去の栄光を知っている世代からすれば寂しいかぎりかもしれない。

私は目を閉じた。

すると、その通りを行き交う過去の人々の群れが、ゴーストのように映し出されるかのようだった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

私は、ラビットハウスの前に立った。

立派な建物だ。

そのあたり一体がそうだが、ヨーロッパ風の洒脱なファサードを備えている。

これが戦後すぐの建築物だとすれば、当時は相当にモダンだったのだろう。

建築物を眺めているうちに、チノの苗字を聞くのを忘れていたことに思い当った。

 

――ちょっと確認するか。

 

私は、正面玄関を一瞥しそこに表札がないことを確認すると、裏手に出た。

案の定、隣の建物とラビットハウスとの間の細い路地に、ゴミ箱があった。

飲食店らしく、廃棄物が多少一般家庭よりも多いのだろう。

ゴミ箱から白い半透明の袋がはみ出している。

それを開けることが目的ではなかった。

ゴミを裏手から出すということは、勝手口があるということだ。

眼を凝らすと、薄暗い路地のゴミ箱のさらに奥にドアノブが見えた。

 

「ちょっと失礼しますよ……」

 

私は呟きながら、ゴミ箱をまたいだ。

ドアの前に立つ。

正面側の重厚な店の扉とは対照的な、こじんまりとした家庭用のドアだ。

そのすぐ横に郵便受けがあった。

ビンゴ。

郵便受けに書かれた苗字を拝見する。

 

≪香風≫

 

ふむ。

これが、この家の持ち主の苗字というわけだ。

珍しい苗字だ。

なんと読むのだろうか。

どうにも、只者ではないらしき雰囲気が漂う。

 

――がちゃっ。

 

「え?」

 

瞬間、私の目の前の勝手口が開いた。

予想外だった。

よける暇もなく、扉が私の額に打ち付けられた。

女の子の声が聞こえた。

 

「きゃっ。何か当たったよ?」

「あ、いたたたた……」

 

額を押さえて思わずうずくまる私。

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

まずい。

扉を開けた人物が、私を見下ろす。

郵便受けの表札をチェックしているところを家人に見つかるとは。

とんだヘマをしでかしてしまった。

 

「あ、その、私は別に疚しいことは……」

 

しどろもどろで言い訳をしようとする私。

ドアを開けた女の子が、思案顔をする。

 

「見知らぬおじさんが、こんな路地裏で……」

 

私は、はらはらとして少女を見つめる。

すると、予想に反して女の子はにっこりと微笑んだ。

 

「こんな路地裏で……ウサギさんでも探していたんですか?」

「え? ウサギ?」

「違うの?」

 

女の子が悲しそうな表情に変わる。

私は、路地裏に目を転じた。

よくよく見ると、ゴミ箱の裏側に数匹のウサギが待機している。

「あ、そ、そうだね。そう。ウサギを追いかけていたんだ」

「あ〜、やっぱりそうなんだ!」

 

女の子がうれしそうに手を合わせる。

 

「あのね、あのね、この路地裏のウサギって、私が餌をあげてるんだよ!」

 

えっへんと胸を張る。

よく見ると女の子は、手に残飯を持っている。

見たところ、高校生ぐらいだろうか?

明るいブラウンの髪が、元気な雰囲気に良く似合っている。

着ている服は、喫茶店の制服。

ラビットハウスの従業員か?

おそらくそうだろう。

あまり聡明そうには見えない少女だが、私は冷や汗が止まらない。

どうする?

どう切り抜ける?

そんな私に、少女がとんでもない提案をした。

 

「あっ。おじさん、おでこが赤くなってるよ? ごめんね、私がドアをぶつけたせい! お礼に、ウチの喫茶店で珈琲をお出しします!」

「い、いや、いいよ。そんな」

「ダメ! ウサギを追いかけてたおじさんに、ひどいことしちゃったもん。ちゃんと謝らせて? それに、絆創膏も張らなきゃ。ね、こっち来て?」

「うわわっ」

 

ぎゅっと手を握られる。

勝手口から、中に無理やり通されてしまった。

店内に入ると、広々とした敷地に反して、店員は二人しかいなかった。

小柄なおとなしそうな少女と、気の強そうなツインテールの少女。

 

「あれ、ココアさん、どうしたのですか? その方は?」

「チノちゃん、私ね、この人に怪我させちゃったの……」

「えぇ!? こ、ココアさん、何やってるんですか」

「だからね、お礼に珈琲をお出ししようと思って。あ、カフェ・ラテがいいかなぁ?」

 

チノちゃんと呼ばれた少女の隣にいた、凛とした雰囲気のツインテールがため息混じりに笑った。

 

「しょうがないココアだな。よしっ、そういうことなら、わかった! 私が気合を入れたラテ・アートを描いてやるよ!」

「ありがとう! リゼちゃん! それじゃ私、絆創膏とって来るね!」

 

そういい残して、疾風のようにココアは走り去っていく。

残された私に、チノが頭を下げた。

 

「あ、あの。ココアさんがご迷惑をかけてしまいました」

「あぁ、いや、かまわないよ」

 

私はしどろもどろ答える。

しまった。

もっとじっくりと調べていくつもりが、突発的な潜入捜査をやることになってしまった……。

 


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