メルヒェンには、まだ遠い   作:忍者小僧

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8、シャロに接触

アパートに戻って、しばらくぼんやりと本を読んで時間をつぶし、夕刻になるとフルール・ド・ラパンに向かった。

フルール・ド・ラパンは、かなり規模の大きな喫茶店だった。

珈琲ではなく、フレーヴァー・ティーをウリにしているようだ。

扉を開けると、ロップイヤーを付けた若いウェイトレスたちが出迎えてくれた。

御大層なことだ。

鼻を伸ばす男性はいるのかもしれないが。

私は慎重な動作でメニュー表を開いた。

今度は、奇妙奇天烈な名称など載っていなかった。

胸をなでおろした。

かといって、そこに書かれている様々なハーブティーは私にはチンプンカンプンだった。

一応聞いたことのあるカモミール・ティーを注文する。

やがて運ばれてきたティーカップには、紅茶よりも少し黄色い飲料が入れられていた。

バニラのような甘い香りがした。

私はその香りをそっと嗅ぎながら、広い店内を忙しそうに動き回っている一人の少女を観察した。

携帯電話を取り出し、香りを嗅いだだけでまだ飲んでいないカモミール・ティーを撮るふりをして、少女の後姿を写真に収めた。

その作業を終えてから、私は手を挙げて少女にこちらの存在を示した。

金髪の少女がこちらへやってきた。

 

「お客様。お呼びでしょうか……って、さっきのおじさん!?」

 

ロップイヤーの制服に身を包んだ少女は、先ほどのボロ小屋の金髪少女だった。

 

「偶然だよ。たまたまここに入ってお茶を飲んでいたら君を見つけたんだ」

「う、嘘」

「嘘じゃない」

 

嘘でないことは事実だった。

だが、私は嘘をつくことにした。

 

「で、でも、こんな偶然なんて」

「わかった。それじゃ、本当のことを話そう。私はこういう者だ」

 

私は懐から、名刺を出した。

そこには偽名が書かれている。

こういう時のために作ったものだ。

ただし、肩書はそのまま『調査・探偵業』としてある。

 

「た、探偵さん?」

「そう。ちょっと調べていることがあってね。君さ、天々座さんって、知ってるよね?」

 

知ってるかい?と問いかけず、知っているよね、と問いかけたのには理由がある。

君が知っていることを、こちらはすでに把握しているというように見せかけたのだ。

案の定、少女の表情が変わった。

 

「せ、先輩が何か?」

 

先輩?

予想外の単語が出てきた。

この少女の先輩?

学校か?

それともこの店か?

いずれにせよ、予想外に若い人物を指していることになる。

私は、驚きを表情に出さずに言った。

 

「その先輩について、大事な話がある。バイトは何時に終わる?」

「え、えと」

「教えてくれ。辻向かいの、≪プラウド・メアリー≫という店で待っている」

「く、九時です……」

「ありがとう。必ず来てくれると信じてる。さぁ、仕事に戻ってくれ。バイト仲間に怒られるぞ」

「あっ……」

「何を話していたのか聞かれたら、『やらしそうなおじさんにナンパされた』とでも答えておけ」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

私は、フルール・ド・ラパンを出ると、辻向かいのビルの2階にある≪プラウド・メアリー≫に向かった。

この店のことは以前からよく知っていた。

名前の通り、古いロックが大音量で流れている。

自宅では、心地よいシティ・ポップを聴くのが好きだが、時折激しい音楽を聴きたくなる。

そんな折に、この店を使う。

この日も、≪プラウド・メアリー≫には紫煙と音楽が充満していた。

足りないのは客だけだ。

 

「窓際の席、いいかな?」

「好きに使いな。ガラガラだ」

 

店主は、くわえ煙草で皮肉を言った。

大きなJBLのスピーカーからは、ボブ・シーガーの歌声が流れていた。

実に正統派のアーシーな音だ。

私は鞄に入れていた文庫本を取り出した。

時折、向かいのフルール・ド・ラパンの入り口を伺いつつ、本を読んで時間をつぶした。

やがて、九時を少し過ぎたころ、≪プラウド・メアリー≫の扉が開いた。

二階の窓から見ていたので、わかっていたことなのだが、私はうれしそうに微笑んで見せた。

 

「約束通り来てくれたんだね」

「え、えぇ……」

 

金髪の少女が、困ったような表情でつぶやいた。

同行者はいない様子だった。

そのことも、窓から確認済みだった。

ただし、彼女が、フルール・ド・ラパンの店内で誰がしかに連絡を取っていたら、私にはわからない。

その部分は賭けだった。

 

「まぁ、座ってくれ。珈琲でもご馳走するよ」

「はぁ……」

 

少女は、気乗りしない表情で、≪プラウド・メアリー≫のギシギシと音のするボロい椅子に腰かけた。

 

「どうした?」

「いえ、その。音楽がうるさいな、と思って。あと、煙たくって」

「それはすまない。できるだけすぐに話を終わらせる」

「あ、あのっ」

「なんだい?」

「その……リゼ先輩のことを調べてるって……その。な、何かあったんですか、リゼ先輩に」

「リゼ?」

 

私はひっくり返りそうになった。

リゼだと?

私の脳裏に、ラビットハウスで働く、凛々しい雰囲気のツインテールが浮かぶ。

珍しい名前だ。

そうそう被ることはない。

私のうろたえた様子に、目の前の金髪少女が心配そうに問いかけてきた。

 

「ち、違うんですか?」

「あ、いや……。天々座さんの下の名前を知らなかっただけなんだ。そうか、リゼというのか」

「は、はい……」

「それで、質問というのはだね」

「は、はい」

 

少女が、真剣な表情で私を見つめる。

私は、にへっと笑って見せた。

 

「そのリゼさんの、誕生日と、好きな物を教えてくれないかな?」

「へ?」

 

拍子抜けしたように、目の前の少女が声を上げた。

 

「いやぁ、実はね。とある少年が、そのリゼさんに一目惚れしたらしくってさぁ。誕生日プレゼントを渡したいんだと。おじさんね、誕生日と好きなものを調べてほしいって依頼受けたんだ。それで、リゼさんと親しい人に訊いてみようと思ってね」

「そ、それが、質問?」

「そう。最近はねぇ、探偵っていうのも仕事がないんだよ。困っちゃうよ。こんな依頼」

「な、なぁんだ」

 

少女が安堵の表情を見せた。

 

「探偵さんが調べてるっていうから、何か重大なことかと思っちゃいました」

 

しかし、即座に表情が思案顔に。

 

「あぁぁ、でも、男の子がリゼ先輩にプレゼント!? も、もしも付き合うことになったら……はぅぅぅぅ」

「だ、大丈夫。冴えない感じの奴だったから。たぶん玉砕だよ」

「ほ、本当ですか? で、でも万一の場合が……はぅぅぅぅぅ。あぁ、でも。バカバカ、私のおバカ、先輩に彼氏ができるなんて、先輩にとっては喜ばしいことなのに。それを嫌だと思っちゃうなんて……あぅぅぅ、でも、しぇ、しぇんぱいがぁ……」

 

金髪の少女は涙目で逡巡している。

私はその微笑ましい様子に思わず笑ってしまった。

 


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