時刻はすでに22時を回っていて、秒針だけがコチコチと音を立てている。
吉野から連絡が来たら起こすからお前は少し休めと言う渡辺に言われ
連太郎は休憩室のソファに横になった。
すでにほぼ2日起きっぱなしの体は限界のはずなのにまったく寝付けずにこれが何度目かもわからない寝返りを打った。
ジョセフィーヌの夜鳴きは今日は聞こえてこない。
病院内も渡辺がケージの中の動物達の世話を一通り終わるまではにぎやかだったがそれも今は治まっている。
物音ひとつしない。
毛布に包まってなんとか寝ようと目を閉じていたが少し喉に乾きを感じ、水を飲みに立ち上がった。
休憩室の扉を開けて廊下へ出ると、静けさのせいなのか普段あまり気づかない獣臭が鼻をついた。
非常誘導灯の緑色の明かりを頼りに真っ暗な廊下をゆっくりと進む。
給湯室に辿り着くとそこもやはり真っ暗であったので手探りで明かりのスイッチを探して、パチンと入れた。
明るくなった室内になぜかほっとしつつ、食器棚からきれいに重ねられたグラスをひとつ手に取り蛇口から水を注いだ。
それをゆっくり飲み干すとふう、と自然に軽いため息が出た。
「捨てられたのかもな。」
背後で声がして振り返ると渡辺が腕組みをして立っていた。
「渡辺さん、捨てられたって・・・」
「ジョセフィーヌだよ。」
連太郎もそのことは頭をよぎっていたがそれを口にしてしまったらと思うと、言えなかった。
「夕方に迎えに来るなんて言って来ないじゃないか」
怒った口調で渡辺は続ける。
「スタンダードプードルは利口だから人の言うことも聞きやすいし躾もそれほど難しいものじゃあない、でもだからといって物わかりがいいってことじゃないんだ。遊んでやらなきゃいけないし散歩だって・・・きっと自分の手に負えないもんだから預ける振りして捨てていったんだ。」
動物は物じゃないんだ。渡辺は唇を噛み締めた。
「でも渡辺さん、捨てられたかどうかまだわからないですよ・・・」
「じゃあ何で、電話が通じないんだっ」
それきりお互い言葉が出なかった。
少しの間を空けて渡辺は悔しそうに連太郎を見つめると、そのまま何も言わずに給湯室から出て行ってしまった。
連太郎も給湯室からその背中を見送ると、洗剤のあわ立ったスポンジで洗い流したグラスの水滴を残らず拭いて元通り重ねるとその場を後にした。
休憩室に戻って再びソファに横になる。
明日はジョセフィーヌが家に帰れますよう。そう願いながら目を閉じた。
名前を呼ばれながら肩を叩かれているのに気づいた。
薄目を開けると渡辺が自分を呼んでいる。
「あれ、吉野さんから連絡がありましたか。」
目をこすりながら連太郎は問いかける。
「いや、まだ来てない。来てないが俺がもう上がりの時間だからその挨拶に来た。」
そう言われて辺りを見渡すと窓からは日が差し込んでいるのが見えた。
いつの間にか寝てしまったらしい。
壁の時計は午前9時半を指している。
結局吉野は来なかったようだ。
「ああ、お疲れ様でした。宿直明けはつらいですよね、明け休みですからゆっくり休んでください。」
連太郎はそう言うとソファから上半身を起こした。
「ああ、だけど金城君のほうが俺よりも辛そうだぞ。大丈夫か?」
「ありがとうございます。昨日はおかげさまで寝られましたから大丈夫です。ふわあ」
渡辺の顔を見上げながら答えると大きなあくびが出た。
「あ、渡辺さん明け休みなのに折り入ってお願いがあるんです。今日も吉野さんがジョセを迎えに来なかったら僕の仕事終わりに吉野さんのお宅に一緒に行ってもらえませんか。」
口を押さえてあくびを噛み殺しながら連太郎は言った。
「は?何で俺が、行くならお前一人で行ってこいよ、病院の車使えばいいだろう。」
「僕、免許無いんです。」
渡辺は連太郎の言葉に絶句しながら頭をバリバリと掻き毟った。
「わかったよ、連れてってやる。だけど吉野にはお前が話せよ。あくまでも俺はお前とジョセフィーヌを連れて行くだけだ。」
仕方ないという顔をしながらも渡辺は今日の夜7時にまたココに来てくれる約束をして帰っていった。
ソファから立ち上がり大きく背伸びをする。
全身の骨がパキパキ鳴っているが昨日ほど体は重くない。
少し気分も軽くなった気がしている。
カーテンを広げると外もまた、自身の今の気持ちのような青空だった。