通された居間は外観よりかはきれいに感じた。
タンスや洋服掛けなどの家具で実際の広さよりも狭くは感じるが、整理されておりホコリも落ちていない。
8畳ほどの部屋の真ん中に置かれた長方形のちゃぶ台の前に連太郎と渡辺は座り、目の前に出された客人用の湯飲みから漂う湯気を眺めていた。
「勘違いしちゃってごめんなさいね。」
目の前に座っていた初老の女性が2人を交互に見ながら軽く頭を下げる。
「いえ、早とちりしたのは僕ですので、あの・・・申し訳ありませんでした。」
連太郎が両手のひらと首を振って女性の謝罪を遮って言った。
渡辺はバツが悪そうにぶすっとした顔でよそを向いている。
ジョセフィーヌは女性の横で体を丸くして尻尾をゆっくり振っている。
女性はそれを眺めながら優しく頭を撫でて話を続けた。
「真里江のことは改めて申し訳ありませんでした。あの子からは犬は知り合いに預けてきたからお母さんは心配しなくて大丈夫よ。なんて言ってたものですから私はてっきり・・・」
そう言ったきり吉野真里江の母親は黙ってしまった。
ほんの数十分前、連太郎と渡辺はこの家の窓を破り中へ突入しようとしていたところ、買い物から帰宅した吉野真里江の母親に発見され物盗りと勘違いされた。
渡辺が先に誤解を解こうと必死に説明しようとしたが、声の大きさと奇抜な派手な服装、横柄な物言いに全く信用してもらえずに110番通報されるところだった。
その直後、連太郎が倉賀野ペットクリニックの自分の名刺と顔写真入りの名札を見せ
丁寧に説明をしたところなんとか落ち着きを取り戻した母親が話を聞いてくれたのだった。
しばらくの沈黙のあと、どう切り出したら良いものかと連太郎が悩んでいる横で
渡辺が茶をズズっとわざとらしく啜って口を開いた。
「それで吉野・・・さん、真里江さんはどこにいるんですか。」
「・・・はい、あの子は、」
また少しの沈黙のあとまさかの返答が帰ってきた。
「今、癌で入院しております。」
目を丸くする連太郎と渡辺を見つめながら母親は続ける。
「実は、ここ数週間娘は体調を崩していたようなんです。それで病院に行ったようなのですが、なにぶん小さな町の病院ですから、そのときは癌が発見できなかったようなんです。でも日に日に体調が悪くなってついには夜は体の痛みで寝られなくなってしまったようで・・・、娘から相談されたのがつい先週のことで、私の勧めで先日やっと大きい病院で検査を受けたんですが、結果が・・・癌で・・・」
涙をこらえながら話す母親を見てジョセフィーヌはくうんと一声鳴いて顔を舐めた。
母親は吉野真里江の自宅から離れた賃貸アパートで一人暮らし、娘とは一緒に住んでおらず、父親は何年も前に他界しているそうだ。
また、吉野真里江も独身でこの家もペットを飼うために1人で探した賃貸の一軒家であった。
連太郎は部屋を見渡しながら考えていた。
部屋の至るところに額に入った大小様々な動物の写真が飾られている。
犬、猫、ウサギ、ハムスター
ジョセフィーヌの写真も飾ってあった。
「あの、真里江さんは動物がお好きですか?」
それらの写真を眺めらがら連太郎は母親に問いかける。
「ええ、小さい頃から動物好きで小学生の頃は飼育係をずっとしていました。」
ハンカチで涙を拭きながら母親が答える。
連太郎はそうですかとつぶやいた。
「ジョセフィーヌおいで」
手を出して連太郎がジョセフィーヌを呼んだ。
ジョセフィーヌもそれに反応してすぐさま立ち上がりハッハッハッと舌を出しながら近づいてくる。
連太郎はジョセフィーヌの頭をわしわし撫でながらじっと目を見つめる。
黒く丸いその瞳はキラキラと潤んでいた。
「お前は、ご主人様が辛そうにしてたのを助けてやりたかったんだな。」
「は?どういうことだ?」
渡辺が怪訝な顔をしながら聞いてきた。
「真理子さんは、動物が大好きだったと言うのはこの部屋の写真を見ていてわかりました。今まで飼ってきたペット達はずいぶん可愛がってもらったと思いますよ。写真の動物たちみんなすごく良い顔をしています。」
連太郎の言葉に渡辺と母親は壁の写真達を見回した。
それらの写真は季節も場所も動物の種類も違うけれど、連太郎の言うとおりどの動物たちも楽しそうにはしゃいでいたり安心しきった寝顔など暖かみのあるものばかりだった。
「もちろんジョセフィーヌも愛情をいっぱいもらって可愛がってもらったんですよ。だからこそ真里江さんは自分が苦しんでる姿を見せたくなくて、うちに連れてきたんでしょう。ジョセも真里江さんが苦しでいるのをなんとか助けたくて夜鳴きを続けた。この子はとても飼い主思いの良い子ですね。」
母親も渡辺も連太郎の言葉に黙ってしまったが、ジョセフィーヌだけは尻尾を振りながらワンと鳴いた。
吉野真里江が退院するまで、ジョセフィーヌは倉賀野ペットクリニックで預かることとなった。
ペットホテルは併設していないが事情を加味し院長が特別に許可してくれたのだ。
そこまでしてもらうのは申し訳ないと頭を下げ続ける母親に恐縮しながら別れを告げると連太郎達は吉野家を後にしたのだった。
その帰り道、信号待ちで車が止まった際に渡辺が一言
すまなかったなと言ったのを連太郎は覚えている。
しかしそれが決めつけで失礼なことばかり言ってしまった吉野真里江へ向けての謝罪なのか、それとも後部座席で寝ていたジョセフィーヌに向けてなのかはわからなかったが彼がすっきりした顔になっていたことは確かだった。
あれから8ヶ月が経った。
昨日の夜、吉野真里江の母親から当医院に連絡があったらしい。
癌が寛解しまだ様子見ではあるが、本日退院をしたので明日ジョセフィーヌを迎えに行く。
という内容だった。
そのことを倉賀野院長に告げられると連太郎はニヤニヤしながらジョセフィーヌの元に向かった。
ケージを開けたと同時に自分の胸元へ飛び込んできたジョセフィーヌを、連太郎は強く抱きしめて少し泣いた。
あの日から一度だけ連太郎は吉野真里江の入院する病院をその母親とともに訪れたことがある。
母親から癌の進行が早く、もしかしたら助からないかもしれないと聞いていたからだ。
初めて吉野家を訪れた翌月に吉野真里江の母親が運転する車に同乗させてもらい訪れた。
病室に入って見た吉野真里江は最後に見た姿よりも痩せてとても小さくなっていた。
抗がん剤治療の副作用か、肌は黄ばみ髪の毛は抜け頬は痩けていた、弱々しく呼吸をする彼女にジョセフィーヌの現状を伝えると目を細めて涙を流して聞いていたのを思い出す。
ジョセフィーヌは病院で責任を持って預かることを告げると母親同様何度も何度もお礼を言われて少し困った。
ジョセフィーヌは散歩と背中から尻尾にかけて撫でられるのが大好きだからいっぱいしてあげてください。と吉野真里江が言っていた。
1時間ほど話をしたところで前もって服用していたらしい睡眠薬で彼女が寝息を立て始めたので、
ベッドの脇の花瓶の横にジョセフィーヌの写真データの入ったフォトフレームを置いて母親に挨拶し連太郎は病院を後にした。
「そろそろ来ますかね。」
連太郎はジョセフィーヌのリードを持ちながらそわそわしている。
時刻は午後12:15、約束の時間は12:30だ。
「まだかかるんじゃありません?連太郎先生落ち着いてくださいよ。ジョセフィーヌよりも落ち着きがありませんよ?」
小島麻衣がクスクスと笑っている。
ジョセフィーヌは午前中にシャンプーとブラッシングを済ませ真っ白くふわふわの毛並みで連太郎の足下に座っている。
待合室から見える外の景色は8ヶ月前とは変わり辺り一面がすっかり白くなっている。
今日も午後から雪が降りそうだと朝の天気予報で言っていた。
遠くから車の音が聞こえてくる。
おそらく吉野真里江だろう。
別れの時間がまもなくやってくる。
下を向くと、いつでも会えるよ。と言っているかのように尻尾を振って起き上がるジョセフィーヌを眺めながら連太郎は少し顔を緩めた。