はしれ!獣医さん 地獄の番犬と獣医   作:石文雷蓬

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命と獣医④

 開かれた扉の向こうは診察室だった。

薄暗い廊下とは違い、明かりの点いているその部屋の中央には腰ほどの高さの台があり、マルをそこに寝かせるよう男は言った。

連太郎はそれに従いゆっくりと抱いていたタオルを下ろしてゴクリと生唾を飲み込む。

男が静かにタオルを広げると、苦しそうに横たわるマルの姿が現れる。

ヒューヒューと苦しそうに呼吸をしていて、その呼吸に合わせてお腹がゆっくりと上下しているのがわかる。

車の中では痙攣しているのが腕を伝わっていたが、今はどうやら落ち着いていそうだった。

 

「いつからこんな状態だったの?」

男が手にゴム手袋を嵌めながら聞いた。

異変に気が付いたのは今朝のこと、先ほどまで痙攣らしきものがあったことを連太郎が伝えると、

男はマルの瞼を開き、懐中電灯で瞳孔を確認しながら、ふうんと呟いた。

 

しばらく触診を続けていた男は、台を挟んで向かいにいる連太郎と父親のほうに向き直ると、マルの口を開けてその中を指差し言った。

「口の中、少し白みがかってるのわかる?」

そっと中を覗き込むが、普段マルの口の中を見る機会も無い2人には男の言うことの理解できず返答に困りただ黙っている。

「腎不全ですね、症状からいって、それも末期の。」

男の言葉に2人は目を丸くする。

腎不全?末期?・・・いったいそれは、どういうことだ。

反応の無い2人に男は深いため息をつき、単調に、腎不全という症状について説明を始めた。

「いいですか、腎不全というのは急性腎不全と慢性腎不全との二つに分類されています。急性腎不全というのは、食欲や元気がなくなって尿が出なくなったり、嘔吐したりするんです。慢性腎不全の場合は症状がゆるやかに出ますが、多量の水を飲むようになるため、尿の量が増える。尿で失う水分の量が増えると、脱水症状を起こしやすくなって体の中の水分量が減ると血液の量も減ってしまい、腎臓に流れ込む血液量も少なくなるんです。その結果として尿を作る能力が更に低下し悪循環を招く。」

これが腎臓病です。男は最後にそう付け加えた。

「た、助かるんですかっ!?」

内容を理解したのだろう、明らかにうろたえた表情の父親が男に尋ねる。

連太郎は、ただ呆然とその光景を眺めている。

「腎不全は治療をしても完治することありません。腎臓の機能は低下していくばかりで、それを止める手立ては無い。”機能低下をできるだけ遅くする”こと”腎臓に負担を掛けない食事療法をする”という2点が主な対処方法になります。」

表情を変えずに男は淡々と説明をしていく。

マルは、治らない?どうして?この前まであんなに元気だったのに・・・

どうして急にこんな・・・

「恐らくこの子は慢性腎不全をかなり前から患っていたのでしょう。痙攣をしていたとのことですが、それは腎不全の末期に現れる症状です。本来は血液検査や尿検査で詳しく調べるところですが、意識障害も見られることからこれはもう間違いない。」

マルはもう助からない・・・男はそう冷たく言い放っているように連太郎は思っていた。

なんとか、何とか助かる方法は無いのだろうか、連太郎は祈る気持ちで男に告げた。

「何とか助かる方法は無いんですか・・・?」

男は連太郎を見つめている。

その目は怒りに満ちているようにも見えて、思わず目を背けてしまった。

「先ほども言いましたが、この子はもう末期です。これからさらに症状は悪化するでしょう。激しい痙攣や吐血をすることもある。もう病院では治療のしようがありません。残念ですが、覚悟してください。」

そう言いながら男はマルの体をきれいに拭いてくれている。

ただ、その小さい体は再びビクビクと小刻みに震え始めていた。

 

 

 

 

 

 

その後、少しでも苦痛を取り除けるよう皮下注射を打つために、マルは血液と尿を採取された。

検査の結果を明日の午前中にお伝えします。と男に告げられる。

マルは念のためその日は病院で預かってもらうことにして、2人は男に礼を言い、病院を後にした。

帰る間際、マルをケージに入れているときに男の白衣から零れ落ちた名札が連太郎の足元に転がった。

それを拾い上げた時に初めて、その男が院長の古川という名前であったことを知ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その翌日、連太郎と幸彦は再び古川動物病院を訪れた。

昨晩、事情を父から聞かされた幸彦は、その日の夜中一人でマルの座布団を静かに見つめていた。

ふと目が覚めた連太郎は、幸彦の姿を見つけると近づいて、ごめんなと謝った。

兄さんのせいじゃないよ。幸彦はそう言っていたが、連太郎はとても後悔していた。

幸彦に代わってマルの世話をしなければいけなかったのに、いつもとマルの様子が違うことに気が付いていたのに・・・

最初に言った病院で言われた様子を見ましょう。という言葉に安心しきっていた。

古川は言っていた。

「確かに寝てばかりいればいつものことだと思って病気を疑わないが、その病院が誤診をしたわけではないだろうが、少しでもおかしいと思ったのならばやはりすぐ連れてくるべきでしょう。」

連太郎にはその言葉が深く突き刺さっていて、夕べはなかなか眠れなかった。

 

病院に到着すると二人は受付を済ませて、待合室の長いすに並んで腰を掛けた。

昨日来たときは薄暗かった病院は、良く見渡せば絵画や写真が飾られていて豪華に見える。

待合室も混雑していて開院してまだ30分も経っていないのに、すでに数名の飼い主がキャリーケースや犬を従え住まっていた。

 

「金城さん、中へどうぞ。」

天井の隅につけられたスピーカーから女性の声が流れる。

受付を済ませてからまだ10分も経っていないが・・・

混雑具合から待つだろうなと思って座った椅子から立ち上がると、診察室へと入った。

 

昨日とは違う部屋へと通される。

中には院長の古川が神妙な面持ちでデスクについていた。

2人は案内してきた看護士に促されたパイプ椅子に座ると、それを見届けたかのように古川が口を開く。

「検査の結果、ですが・・・」

手元の書類を左手で持ち、右手を自身の額に沿えてを軽く撫でる。

今日は寝癖は無く、少し伸びすぎのようにも感じるが髪の毛は整えられていてフレームレスの眼鏡をかけている。昨日とはだいぶ別人に見えるが、口調は癖なのであろうか相変わらずボソボソとしたものだった。

「すみません、声が小さくて聞こえないのですが、」

連太郎は申し訳なさそうに声のボリュームを上げてもらうようお願いをすると、古川は額を撫でる手を止め「失礼。」と言った。

「昨日の検査の結果ですが、非常に悪い結果が出ました。」

声の小ささを指摘されたのが癪に障ったのか、古川はあからさまに感じるほどの声でそう話すと手元の書類を持ったままこちらへと歩み寄ってくる。

古川の巨体が迫ってくる、その距離が近くなるほどに連太郎は何か圧のようなものを感じて背筋がぞくっとするのを感じた。

古川は黙ってそ手に持っていた書類を連太郎に手渡すと、再び自分の席へと戻り腰を下ろした。

手渡されたものに連太郎と幸彦は視線を落とすと、そこにはなにやらの数字や単語が羅列された表のように見える。

2人がその意味を理解しようとじっと見つめているが、到底理解できそうもない内容だ。

「それは我々が使う書類だからあなた達が見てもわからないでしょう。今から説明しますから聞いてください。」

そう言われて書類から目を逸らす。

古川はもう一部同じものを用意していたようで、顔を上げると先ほどと同じ格好で書類を持つ古川が目線の先に映っていた。

 

「腎不全の治療をするにあたり、血中の尿素窒素・・・つまりは老廃物や毒素の量を調べました。これは現時点で腎臓がどれほど機能しているかを確認するためです。その数値が今渡した書類に記載されています。」

そう言われて2人は再度視線を書類へと落とす、しかしいくら探しても今古川の言った”尿素窒素”という言葉は見当たらない、それよりも数字とアルファベットばかりが並んでいて日本語が書いていないように思える。

それを察したかのように古川はそのまま話を続けた。

 

腎不全での血液検査をする際は、主に2つの項目が重要なのだそうだ。

ひとつ目はBUN値といい、血液中に溜まっている老廃物や毒素の量のこと。

ふたつ目はCRE濃度、こちらは筋肉を動かすときに出来る物質の濃度で、腎臓の機能が正常であればそのまま尿として体外へ放出されるものらしい。

他にもリンや尿比重や血圧などの数値も見て総合的な判断を下すが、

腎不全の診断においてはBUN値とCRE濃度で4段階あるステージで今はどの段階かを判断するようだ。

マルのBUN値は124mg/di、CRE濃度は12.2と書いてあった。

BUN値は15~40mg/id、CRE濃度は1.6以下というのが正常値らしい。

いかにマルの腎不全が深刻な状況であるかがわかるだろう。

 

 

「マルちゃんの腎臓は、現在10%も機能していません。薬による延命治療も出来ますが、この状態ですしもう気休め程度にしかならないでしょう。」

古川の言葉に、2人はただただ黙ることしかできなかった。

今もマルは苦しい思いをしている、楽にしてあげられるのであればいっそ・・・

連太郎はそんな風に思い始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




参考資料

・ネコホスピタル~愛猫と共に30年生きる~
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