人の気配が全くしない、異様な雰囲気を持った街並み。薄い月明かりと、それと対に主張する街の明るみに照らされ、私はひとりゆっくりと歩く。
「ヴールの印、見えないものを見えるようにするっていうの、それなり使えそうねこれ。」
半信半疑で使ったものの、効果は歴然だった。目を開いた瞬間、足元に広がる粘液チックな緑。思い切り叫んじゃったのは仕方ないね。だけどよくよく観察してみると、それは興味深いものだった。
「触れてもこちらからの干渉を受けない。さらに魔力の塊っていうオマケ付き。」
歩いたって滑らないし、ヌメったりもしない。しかもいざとなれば魔力源として私も使える。見た目以外は良いこと尽くしだけど、どうしても見た目がなぁ。せめてこれが街中に広がってる意味さえ分かれば。
そんなことを思いながら、建物の合間から時計塔が覗きこんできた。ふと見やると、時刻10時を示そうとしている。
その時ふと、前方に人の気配を感じた。
くすんだ灰色のローブを羽織り、そのフードを深く被った、まるで亡霊のような者。背丈や噂から、あれはきっと少女だろう。それがいつの間にか、私の進んでいる通りの先に立っている。いや、見たままで言えば、立ち尽くしている。
「ちょっと、お話聞きたいんだけど、」
私が声を掛けると少女は驚きの表情を浮かべ、顔を上げた。だが、すぐに悲しそうな表情を作ってはまた顔を伏せ、 奥の路地裏に引っ込んで行く。それを追おうと足を踏み出した時。
ぬちゃ、と嫌な音が背後で響いた。
「やっぱり怪物が出て来ちゃうよね…!」
後ろへ振り返りながらその場から離れる。怪物は思ったよりも離れた位置から私の事を見ていた。いや、目とかないから見ているのかはよく分からない。全身がドロドロに溶けた人のようなシルエットに、エメラルドをどす黒くしたみたいグロテスクな色合い。それに鉤爪のような鋭い刃が3本突き出している。その化け物がねちゃねちゃと嫌な音を立てながら近付いてくる。
「うっ、思ったよりきもちわるぃ…。」
胃の中の物が沸き上がってきそうになるのを何とか堪えて、緑色の怪物に向かい拳を構えた。怪物はゆっくりゆっくりと近付いて来る。動きは速く無さそう。出来ることなら、ここで倒してしまおうか。怪物がどう動くのかに目を光らせる。
「ァァ…。」
呻くような鳴き声を上げ、怪物は鉤爪を振り上げる。そしてそれの動きが一瞬止まった瞬間、爪の軌道を予測して避ける。私のすぐ横で爪が振り下ろされた。
「ハッ!」
その隙を突いて怪物を蹴り上げる。斜め上に振られた足は怪物の体を貫き、動きが鈍った。それを勢いに任せて振り切り、その流れで体を回転させると体操選手さながらの動きで距離を取る。その時ちょうど、怪物が私のいた空間に鋭い爪を振り上げていた。
「普通の攻撃は効かないよね、うん。」
見た目からも予測できてたけど、こうも効かないとまいっちゃうね。しかも粘液くっついて気持ち悪いし。足に付いた緑の粘液を落としていると、怪物は一撃浴びせてやろうとまた迫ってくる。さて、そうなるとあとは銀の弾丸か、相応の魔術しかないけど。
「弾丸は限りがあるし、魔術はリスクがあるからなっ。」
「ォァア!」
「よっと、仕方ないから魔術使っちゃうかぁ。」
攻撃を避けながら呟いて、自身の拳に意識を集中させる。すると、体の中を何かが駆け巡る感覚。そして自分ではないナニカ、それが私の拳に宿っていくのが分かる。だけど、これは魔法みたいにかっこいいものでも、ファンタジーみたいな綺麗なものでもない。目の前にいる化け物と同じような、理解をしたくない類いの気色の悪いもので。それが一時的にでも拳に、引いては自分の体内に宿ってしまうというものだ。
私はそれを振りかざす。
「はぁっ!!」
攻撃が空振りした怪物の後方へ回り込み、素早く突く。拳はやはり相手を貫通するも、その直後青白い光が発する。いや、青白い何かが拳を中心に形作られる。私の手を腕を食い破るように無数の触手が広がり球体となっていく。それは拳の勢いと共に怪物を吹き飛した。それと同時に青白い光は失せ、体に巣食っていた気色悪い感覚が薄れていく。
「うぇ…。やっぱり使いたくない…。」
抜けきらない嫌悪感に顔が歪む。それをなるたけ気にしないようにしながら、怪物に目を向けた。怪物は一切の動作もなく、壁に寄りかかっていた。それほどの損傷は見てとれないけど、動けなく、なっているらしい。
「今のうちにさっきの子を追わないと…!」
私は怪物を放置して、亡霊を追うことに決めた。
暗いごみ溜めのような路地を走り抜けていく。少女が進んでいった方向は分からないが、走りやすい道を選んで進む。しばらく走り、T字路にぶつかった時ふと後ろを振り返る。さっきの怪物はまだ、追ってきていない。
「右か、左か…。」
左右に分かれた道はどちらも、物が少なく走りやすい道になっている。ここは運に任せて右の道に…、カサッ。
駆け出そうとした瞬間、左の道から微かに物音がした。腰の拳銃に手を当て、音源を探る。
「誰か、いるの?」
反応がない。音がしたのは恐らく一番手前の路地。ゆっくりとそこに向かって歩を進める。少し、すこし。路地の曲がり角から、向こうの様子が見えるようになる。
「誰かいるのなら、ゆっくりと出て来なさい。」
やはり、反応はない。
「これは警告。次はないよ。」
それでもなお反応を見せない路地に、拳銃を構え、路地の目の前へ飛び出した。
何も居ない。
路地の奥、塀の上、左右を確認し、もういちど路地奥の暗がりに目を凝らす。そして一歩、また一歩と前進する。
そのとき、足元の何か軽い、布のようなものを蹴った。
それはハンカチ、のようだった。
「やあ、こんな所で奇遇だね。」
「っ‼」
突然後ろから声を掛けられ、反射的にそこへ銃口を向ける。危うく引き金を引きそうになって、寸でのところで指が震えていた。
そこに立っていたのは探偵。船で声を掛けてきた時のようにヘラヘラとそこで、私の影の上で笑っている。さらにおどけて見せるように肩を竦めた。
「そんな物騒なもの、仕舞ってくれないかな?驚かしちゃったとは思うけど、それで撃たれて死んだとあればボクも成仏できないからね。」
「…こんな所で、何を?」
「多分、君とおんなじだよ。」
底無し沼のような淀んだ瞳に私が息をのむと、探偵は獲物を見つけた蛇のように嗤った。その口から、最高の甘味を思わせる、毒を垂らしながら。
「少女の亡霊。君も探しているんだろう?」
探偵と合流してから、5分程が過ぎた。今は人気のない路地を、無言で歩き続けている。私は、探偵の言葉に釣られてのこのこと付いてきたことになる。だけど、その探求心と同じほど、騒ぎ立てるものも私の中にはあった。
『探偵を信用するな』
夢の中の、誰かの言葉が響き続ける。
それでも、今私が探偵に付いていくのはこの事件を解決する上で、必要なことだと思う。
もしも私が事件を解決できないとしても…。
「…どこまで行くの?」
「もう少し、さ。」
気分のせいもあるが、無言の重さに耐えきれなかった私は探偵に聞いた。それに探偵は勿体ぶるような、どこか馬鹿にしたような声で返してくる。それに小言を返そうかと思ったとき、視界の隅に目が釘付けとなった。燻んだ灰色のローブ。少女の亡霊がそこに居た。
「ほうら、用事があるんだろう?行きなよ。」
ここまでの道案内が仕事だったとも言わんばかりに手をひらひらとさせる探偵。私の目的が、恐らくはこの事件のゴールがすぐ目の前に居るのに、私は探偵の方へ振り返らずにはいられなかった。
「あなたはなんで、亡霊がここに居ると分かっていたの…?」
私の言葉に、探偵が目を細める。それも、面白くなさそうに。ほんの僅かな差ではあるが、口角が下がっているから。探偵は尚も馬鹿にするような口調を続ける。
「僕が探偵だからかなぁ。」
「ふざけないで…!」
「ふざけてなんていないさ。ボクが探偵だったからこそ、この亡霊に辿り着けたんだ。そうでなければ、ボクはここにすら居ないと思うけどねぇ。」
探偵のふざけた言葉を全て無視して瞳を覗き込む。相変わらず淀みきったその瞳からは、彼の考えを読み解けない。この状態に一番近いものは、自暴自棄になっているって状態。つまり、彼には自分の目的や意思がないのか、はたまた考えを伏せるといった訓練でも受けているのか。
「そんなに、ボクのことが気になるのかい?」
「…あなた、一体何者なの。」
「何度も言っているよ。ただの探偵さ。」
探偵とにらみ合っていると、耳に人の喧騒が戻ってくる。居なくなっていた人たちが戻りつつあるようだ。このままにらみ合いでは埒が明かないと、打開案を探し求めていると、ふと裾を引かれた。そこには少女の亡霊が立っている。
「この世界はもうすぐで終わる。私はそれを止めたいの。」
「え?って痛っ…⁉」
その瞬間に酷い頭痛と息苦しさが私を襲う。それはやがて立って居られない程になり、膝を着く。それでも、意識を手放さずに、呼吸を整え、ゆっくりとだが、落ち着いた。
「今のは、一体…。」
「ごめんねぇ、今日はもう時間切れだってさ。」
「っ!」
また私の後ろに立っていた探偵に銃を…。
「物騒だからね、先に預からせて貰ったよ。というより僕さぁ、気付いちゃったんだ。」
「…何にかな。」
「わざわざ来てもらわなくっても、足撃ち抜いて持っていった方が楽じゃないかなぁってね。」
いつの間にか私の銃を手に握った探偵が呟くような言葉。それが本気か嘘か、私には見抜くことが出来ない。ただ、これ以上こいつと一緒にいるのは不味い。それだけは、本能的に分かった。私が全身を強張らせると探偵は笑った。
「冗談だよ。ほら。」
笑顔で拳銃を放り投げたのだが、それを拾いにいけない。近付けば、何をされるか分からない。私の頭はなぜか、こんなことばかりを考え続ける。
「疑心暗鬼とはこわいなぁ。まあ良いさ。」
「…。」
返事の出来ない私に手を振りながら探偵は路地を去り始める。少し距離が空いた所で、すかさず銃を手に取り、ようやく声をあげる。
「あなたは、あの亡霊について何か知っているんですね!?」
「ウン、詳しくは言えないけどねぇ。」
「なぜ!」
「自分の目で見た方が早いから。」
そこまで言うと探偵は足を止め、こちらに振り返った。
笑って、私を見据えている。
「明日の夜、時計塔に来れば分かるよ。」
探偵はそれだけ残すと手近な路地に潜り込んだ。その路地に駆け寄るも、そこには暗雲のような細い道が続くだけだった。
その後はあの緑の怪物に会うこともなく、ホテルの自室へと戻ることが出来た。そして今日の出来事をレポートに纏めようと思ったのだけど、疲労の方が打ち勝ってしまった。この日は、シャワーを浴びることもなく、泥のように眠りに付いた。
時間が開きました。
読んで下さりありがとうございます!