再始動したAqours。そのとき国木田花丸、津島善子、黒澤ルビィはなにを考えたのか……。

アニメ二期一話のサイドストーリーです。一年組の描画が薄かったので補完してみました。

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それぞれのセカンドステップ

 浦の星女学院、二階の教室。

 

「『(おのれ)(たま)(あら)ざることを(おそ)れるが(ゆえ)に』という部分と、『己の珠なるべきを(なか)ば信ずるが故に』という部分は、(つい)になっているわけですが……」

 

 国木田花丸はぼうっと窓から外を眺めた。

 いつもは楽しみな現代文の授業だが、今日は身が入らなかった。

 

 九月に入ったとはいえまだまだ強い日差しがじりじりと中庭を照らしていた。その向こうには体育館。

 花丸はそこで行われた今朝の全校集会を思い出す。

 

「諸般の事情により、説明会は中止。この浦の星女学院は正式に来年、統廃合となることが決まりました」

 

 内心を押し殺した鞠莉さんの声。生徒たちのざわめき。

 

 花丸は千歌の顔が見ることができなかった。

 

 どんな顔、してたのかな。マルだって心が痛いんだもん、千歌さんはきっと……。

 

 カツカツとチョークの音がして教室のなかに視線を戻す。津島善子はいつになく真面目に――内側で魔導書を隠し読んでいたりせずに――教科書を開いていた。黒澤ルビィは黒板を見つめていたが右手はまったく動いていなかった。

 

 やっぱりみんな、同じずら。

 

 それをいうなら花丸たち三人だけでなく、一年生の教室全体が、なんとなくふわふわと落ち着かないような気がした。

 

 昼休みになり、三人はいつものように机を向かい合わせにした。

 花丸とルビィは持ってきた弁当を開く。善子は購買で買ってきたパンだ。それもいつも通りだが会話はいつもより弾まなかった。

 

「ごちそうさまずら」

 

 花丸が手をあわせたとき、鞄からメッセージアプリの着信音が聞こえた。善子、ルビィのほうからも。

 花丸はスマートフォンを取り出し顔を曇らせる。

 同じようにスマートフォンを見つめながら善子がつぶやいた。

 

「今日の練習は中止、か」

 

 それを聞いてルビィが唇をかむ。

 

 せっかく沼津市内に曜が練習場所を見つけてくれたのに、そこを使う機会は――もうないのかもしれない。花丸の胸がまた、きりりと痛んだ。

 

「ねえ、せっかくだし沼津まで遊びに行かない? 昨日は、その、いろいろ忙しかったし」

 

 善子がつとめて明るく声を張り上げた。

 

「そうするずら」花丸も笑顔を作りうなずいた。「オラ、本屋さんに行きたいずら。ね、ルビィちゃん」

「うん! ルビィもね、新しいお店に行きたいなって思ってたんだ」

「それじゃ、決まりね」

 

 善子が目元に裏ピースをあててにまりと笑った。

 

        ・

 

 放課後。三人で学院前の長い坂を下りていく。

 

 三人だけで帰るのは一学期末、部活が休みだった試験期間以来かもしれない、と花丸は気づく。

 いつも先頭を歩く千歌たち、うしろから見守ってくれる三年生がいないのは不思議な感じがした。

 

 浦の星女学院前のバス停からバスに乗り沼津市街へ。

 

 ルビィが話した新しい雑貨店をチェックし、善子の希望でオカルトショップに立ち寄る。商店街の店をひやかしながら歩いて、最後に花丸の贔屓(ひいき)の書店に行った。

 

「ありがとうございました」

 

 顔見知りのアルバイトの男子高校生の声に送られて花丸は店を出た。背中には本の詰まった緑の風呂敷包みを背負っている。

 

「お待たせしたずら」

 

 一足(ひとあし)先に会計をすませていたルビィ――書店の袋を胸元に抱えている――と善子が振り向いた。

 

「いっぱい買ったね、花丸ちゃん」とルビィ。

「久しぶりだから仕方ないずら」

 

 善子はあきれたように目をぐるりとさせてから、上を見上げる。

 

「さて、どうしようかしら」

 

 アーケードの屋根越しの光は、夕方までにはまだ時間があることを示していた。

 

「マルはひと休みしたいかな」

 

 花丸はふたりに微笑んだ。

 このまま別れたら、今日が「いつも」を新しく書き換えてしまいそうな気がした。

 

 決して楽しくないわけじゃないけど、でもどこか違う……。

 

「ルビィも、のどが(かわ)いちゃった」

「そうね、私のかりそめの体も休息を欲しているわ」

「いつもの喫茶店に行くずら」

 

 花丸がそういうとふたりはうなずいた。

 

        ・

 

 喫茶店の店内は冷房が効いていて生き返るような心地がした。

 

 注文を聞いた店員が去って、花丸は風呂敷包みから一冊の本を選び、開いた。ちらりと向かいの席を見ると、ルビィは袋からスクールアイドルの雑誌を取り出し熱心に読み始めていた。

 善子は目を閉じてなにかぶつぶつとつぶやいている。

 いつも通りだった。

 

 やがて店員がドリンクを持ってくる。

 

「あれ、善子ちゃん、コーヒー苦手なんじゃなかったっけ?」とルビィ。

「ああ、これ? この前、果南さんが、ここのアイスコーヒーがおいしいって力説してたから」

「さすが果南さんずら」うなずく花丸。

「そういえば、鞠莉さんもコーヒー、好きだよね……」

 

 ルビィの声がしりすぼみになった。訪れる不自然な()

 

「と、とにかく堕天使には漆黒のコーヒーがふさわしいのよ」

 

 善子はストローも使わずコップから直接、コーヒーをごくりと飲んだ。

 

「苦い……」

 

 花丸とルビィはぷっと吹き出した。

 

 今日行った店のことなど他愛のない話を交わして、花丸の抹茶オレが半分になったころ。

 

「あれ、ラブライブの特集なのね」

 

 善子がルビィの手元に置かれた雑誌を見てつぶやいた。

 表紙では女子生徒の写真の上に大きな文字が躍っていた。

 

「うん、いよいよ本選だから」

 

 ルビィも雑誌に目を落とす。

 

「なんだっけ、あのふたりは本選に進んだんでしょ。セイントセイヤ、だっけ」

 

 そういって善子はコーヒーを飲む。大量のクリーマーが投入されてすでに漆黒とはほど遠い色になっていた。

 

Saint Snow(セイントスノウ)ずら」

「ぜんぜん違うよ、善子ちゃん」

 

 ルビィがくすりと笑う。

 

「なによ、ちょっと間違えただけじゃない。それに善子じゃなくてヨハネよ」

 

 善子の反論にはいつもような切れがなかった。

 

 花丸は思い出していた。東京で見たSaint Snowのふたりのライブ。まるで高校生とは思えないパフォーマンス。

 

 オラたち、あれに近づけたのかな……。

 

「……あと、すこしだったのにな」

 

 花丸の思いと重なるようにルビィがぽつりとつぶやいた。

 ふうっと善子がため息をつく。

 

「いまさら言っても仕方ないでしょ」

「で、でも、そのせいで……そのせいで浦の星は統合されちゃうって、鞠莉さんが」

「マリーはそんなこといってないわよ。本選に行けたからって、統廃合を避けられたって保証はないわ」

 

 花丸もうなずいた。

 

「それに……」善子は続けた。「ずら丸たちとは新しい高校でも一緒でしょ。私たちは一年生だし、浦の星に思い入れなんて、それほどないんじゃない?」

「そういえば善子ちゃんは、まだ実質二か月しか(かよ)ってないずら」

「そ、そういう問題じゃないし!」

 

 善子の反論を聞き流しながら花丸は思う。

 

 思い入れなんてない。そうだろうか。

 

 ツッコミを入れてはみたものの、善子は本当にそう思っているのだろうか。そして自分は――。自分の心にも聞いてみるが、よくわからなかった。

 

「……でも、お姉ちゃん、辛いだろうなって」

 

 抑えた声のルビィ。

 

「そりゃそうだろうけど……あなたはどうなのよ、ルビィ。あなたは。いつもお姉ちゃん、お姉ちゃんって」

「ピギィ!」

 

 ルビィは善子の言葉にびくりと身を震わせた。

 

「善子ちゃん」と花丸。

「……ごめん、ルビィ。いいすぎたわ」

 

 頭を下げた善子にルビィはこくっとうなずいた。

 

 暗くなった雰囲気を変えるように花丸は話す。

 

「輝きって、なんなんだろう」

「千歌さんがいってた?」とルビィ。

「うん、オラたち、輝いてたのかな」

 

 花丸の言葉にルビィはわからないというように首を振った。

 

「輝き……堕天使からは一番、遠いものよね」

 

 善子は唇の端をゆがめる。

 

 千歌さんや……鞠莉さん、果南さんは、わかる気がするんだ。曜さんやダイヤさんや梨子さんも……。ルビィちゃんだって。善子ちゃんは怪しい輝きで……オラは……。

 

「……正直、ピンとこないずら」

 

 花丸がもらすと、ふたりも同意するようにうなずいた。

 

        ・

 

 その話はそれきり終わりになり、三人は会計をして店を出た。日はオレンジ色を帯び始めている。

 バス停のベンチで内浦へのバスを待ちながら、善子が話す。

 

「統合が決まったら、在校生は減るばかりだから……廃校よりも前に、部活は一緒にやりましょう、ってことになるかもしれないわね」

「野球部とか、共同チームで大会出場、なんてよく聞くずら」

「そ、そうなったら、どうなるの……」

 

 ルビィが不安そうに身じろぎする。

 

「統合先の学校にもスクールアイドルはいるでしょうから……」

「Aqoursはなくなる、かもしれないずら」

 

 善子が続け、花丸が引き取った。

 

「残るとしても、せいぜいサブユニットかしらね」

 

 肩をすくめる善子。

 

「そんなのって……もう、どうにもならないのかな」

 

 ルビィがつぶやく。しばらく三人ともなにもいわなかった。

 

 通りの向こうにオレンジの車体が見えた。三人はベンチから立ち上がる。

 ウインカーを出しながら減速するバスを前に善子が話した。

 

「ねえ、あんたたち。もしそうなっても、スクールアイドルを続けるの?」

「そ、それはもちろんだよ。もちろん……」

 

 最初元気のよかったルビィの声はだんだん小さくなった。

 花丸は善子と目をあわせる。善子はわからないというようにかすかに首を振った。

 

 バスの扉が開き、花丸とルビィはステップを上がる。

 

「それじゃ、また明日ね」

 

 手を振る善子を残して扉が閉まり、バスは走り出した。

 

 

        ◆

 

 

 バスは()いていて、私とルビィちゃんは別の列に座った。

 

 私は風呂敷包みから読みかけの本を取り出した。ずっと読みたかったお話。でも、今日にかぎって目は文章の上をすべるばかりで、なにも頭に入ってこなかった。

 

 私はあきらめて外を眺める。駿河湾(するがわん)を夕日が照らしていた。

 

「スクールアイドルを続けるの?」

 

 善子ちゃんの言葉が心にこだました。

 

 私は思い出す。星空凛さん。私がAqoursに入った、きっかけのひとつ。

 

 凛さんはどこかのインタビューで答えていた。ちょっとした偶然から一時的にμ'sのリーダーになって、そのときのライブの衣装がウェディングドレスで――統率力もなくて、女の子っぽくない自分にはとてもつとまらない、と思ったのだそうだ。

 

 アイデンティティの喪失の危機、というところだろうか。

 

 けれど、花陽さんやみんなの後押しもあって、なんとか切り抜けられたらしい。

 それからだそうだ、自信を持ってアイドルだと胸を張れるようになったのは。

 

 私は――女の子としてのアイデンティティには問題がない、と思うんだけど、あ、でも(なま)っているのは気になるずら……。書き言葉なら大丈夫なのにな。

 恋愛小説の世界にはすごくすごく憧れがあって、いつかあんな恋がしてみたいな、って思っているけれど、まだ私には早いかな。

 

 閑話休題。

 

 Aqoursに入って、何度かライブを経験して、それはとても楽しかった。背中を押してくれたルビィちゃんには本当に感謝している。

 千歌さんの歌詞、梨子さんの曲は素敵だし、自分でも作詞をしてみたいと思っている。

 

 学院が廃校になり、Aqoursがなくなるかもしれない。そう知ったときの喪失感は自分でも驚くほど大きかった。

 

 私のアイデンティティはどこにあるのだろうか。図書委員としての私。本好きとしての私。女の子としての私。スクールアイドルとしての私――。

 

「……花丸ちゃん、花丸ちゃん」

「ん……あ。ありがとう」

 

 いつの間にかうとうとしていたらしい。車窓に淡島が見える。そろそろ降車だ。

 

 バス停に止まる。ルビィちゃんに手を振り回数券を料金箱に入れて、私はバスを降りた。

 

        ・

 

 夕日が街を照らすなか、私はゆっくりと歩く。

 

 自宅のお寺へと続く坂道をのぼると、ごうっと音を立てて風が吹いてきた。日中の熱気がうそのように涼しい。

 

「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる、ずら」

 

 私はつぶやく。そんな季節になったのだろう。

 

 山門まで来て振り返ると、かすかな残照に内浦の海がきらきらと輝いていた。

 いつ見てもここからの内浦の眺めは最高ずら、と思う。

 

 輝き。

 ステージの上に立ったとき、私の心のなかにあったものがそれなのだろうか。

 

 目の前に広がる観客席、サイリウムの色。会場全体を揺らすような歓声。伝わる熱気。私を呼ぶ声――。

 

 もしかしたら、私の居場所は図書室だけじゃなくて――小さな部室やステージの上にも、ほんのちょっぴりだけど、あるのかもしれない。

 

 背中を押してくれたルビィちゃん。支えてくれたみんな。

 

 私の心のなかにすこしだけ生まれた輝き。それはきっとすごく大事なものなんだろう。それを消したくはなかった。

 

 私はちいさく、右手を握りしめた。

 

 

        ◆

 

 

 バスが見えなくなってから、私はくるりと向きを変えて歩き始めた。

 ふうっとため息をつく。

 

 今日、ルビィには悪いことをしたわね。ちょっと口が悪かったわ。でも、それもみんな鞠莉さんが……いえ、鞠莉さんのお父さんが……って違うわね。誰が悪いのかしら。

 本選に進めなかった私たち? それはないわね。

 

 ま、仕方ないわ。花丸のいう通り、学院への思い入れなんてこれっぽっちもないんだから。

 

 これからどうしようか。私はすこし考えて駅前に足を向けた。

 

 あんなことをいっちゃったけど、私はスクールアイドルなんか、続ける気はないんだから。仮初(かりそ)めの体の仮初めの役割よ。

 そりゃ、ちょっとは楽しかったけど……。

 

 駅前のゲームセンターに立ち寄ると、馴染みの喧騒(けんそう)が私を包んだ。

 

 ちょうど百円玉の持ちあわせがあったのでクレーンゲームに挑戦する。いままでほとんど取れたためしはないけれど、偶然だってあるだろう。

 ちょうどひとつの台で、客が諦めて帰るところだった。

 

 積み上げられたぬいぐるみ――黄色い球形に紫の角が生えた謎の生物――のなかに、私の魔眼は絶好のポイントを見抜く。

 

 調和を乱す空隙(くうげき)が一か所。あそこを狙えば確実に落ちるわ……!

 

 私はコインを投入した。

 ボタンを押すとアームが揺れながら進む。横に、そして縦に。

 

 ここよ!

 

 私はボタンを離した。アームが止まりゆっくりと下降して――狙っていたのとはまったく別の場所で空を切った。

 

 なんでそうなるの!

 

 アームが無情に戻っていく――その途中で、ぬいぐるみのタグがアームに引っかかった。ぬいぐるみはちいさく揺れてから、バランスを崩すと手前に転がり落ちてきた。

 

「嘘。取れちゃったわ……」

 

 私はしばらく呆然と立ち尽くした。気を取りなおして筐体から引っ張り出す。手にしたそれは意外に大きくて、とても鞄に入りそうになかった。頬が緩むのがわかった。

 

「よろしくね、リトルデーモン」

 

 私はぬいぐるみを抱えて帰路に着いた。

 

        ・

 

「そういえばゲームセンターに行ったのも久しぶりだわ」

 

 私は小声で話しかけながら歩く。

 

「最近、ずっとAqoursの練習で忙しかったせいよね。このヨハネの貴重な時間を……」

 

 でも、その時間はそれまでよりもずっと楽しい時間だった。それは認めざるを得ないだろう。

 

「輝き、ねえ」

 

 ふうっと私はもう一度、息をはいた。

 

 十分ほどで自宅のマンションについて私は鍵を開ける。母も父もまだ帰ってきていなかった。

 自室に入りカーテンを開けると、夕日がさっと部屋に差し込んだ。

 積み上げられたグッズやPC、配信機材が赤く染まる。

 

「んー、今日の配信は中止しようかしら……」

 

 どうにも気分が乗らなかった。ぬいぐるみを山の一番上に置いてから、私はスマートフォン取り出しSNSにそう投稿した。

 

 リトルデーモンたちは悲しむでしょうけど、仕方ないわよね。そんな日もあるわ。

 

 窓を開けてベランダに出る。地上と違って風が感じられて心地よかった。

 市街地はオレンジ色に染まり、そのなかを流れる狩野川(かのがわ)の水面に光が反射していた。遠くにはかすかに駿河湾も見える。

 

「輝き……」

 

 Aqoursに加入してからというもの、リア充イベントが目白押しだった。

 毎日一緒に帰る、休日に友人と遊びに行く、ましてやライブに出る、だなんてと思う。

 

 たしかに楽しいけれど、これが輝きかっていうと、ちょっと違うわよね。

 

 高校に入った直後の大後悔――思わず地を出してしまったこと――そのあとの普通の高校生になるという決意、それらのことはいつの間にかすっかり忘れていた。

 

 それは花丸の、ルビィの、Aqoursのみんなのおかげだろう。

 

 私の設定……あらためて言うと恥ずかしいわね……を黙って受け入れてくれて、それでいいって言ってくれた。

 

 今は一風変わった女の子として、クラスにも溶け込んでいる。……溶け込んでるといいな。溶け込んでるに間違いないんだから。

 

 居場所ができたってことかな、と思う。安心して自分を見せられる場所。飾らなくてもいい場所。

 だから、本当はスクールアイドルでなくてもいいのかもしれない。

 

 でも。

 

 ネット配信は、それはとても受けはいいわ。けれど、それはあくまでも仮の姿……私ではなくてキャラクタに、ファンがついているっていうだけよね。たぶん私には興味がないわ。

 だけど、アイドルは違う。

 最初に私がいる。私を……ちょっと痛い設定の私を、見てくれる人がいて、その、あ、あ、あ、愛してくれる人がいる……。

 

 しかしどうしてライブだと「善子ちゃーん、愛してるよー」なんて叫ぶのかしら。恥ずかしいったらないわ。もう。

 

 私は顔を振って火照(ほて)りを(しず)めようとした。

 

 Aqoursがなくなったら、私は元の引きこもりの女の子に戻るのだろうか。そんなことはないと思うけれど――今は花丸もルビィもいる――今の場所は、それこそ奇跡のような偶然で得られた、かけがえのない場所なのだ。それは間違いなかった。

 

「仕方ないわね。下界のために、もうすこし骨を折りましょうか」

 

 気づけば太陽がちょうど沈もうとしていた。空は赤から青、そして黒への美しいグラデーションを見せている。

 

 玄関の鍵が開く音がした。母が帰ってきたのだろう。

 私は窓を閉めて母を迎えるために急いだ。

 

 

        ◆

 

 

 ルビィはひとり、バスから降りました。ルビィの家はバス停から歩いてすぐの古い日本家屋です。

 

「ただいま」

「おかえりなさい、ルビィお嬢様」

 

 玄関を開けるとお手伝いさんが迎えてくれました。ルビィは脱いだ靴をそろえてから彼女に聞きます。

 

「お姉ちゃんは、もう帰ってきた?」

「いいえ、まだですよ」

「そっか……」

 

 今日は練習がないはずなので、きっと生徒会のお仕事でしょう。心のどこかでほっとしているルビィがいました。お姉ちゃんと会話するのが、すこし怖かったのです。

 

 ルビィは自分の部屋で部屋着に着替えて、宿題をすませることにしました。

 

 いつもよりもさらに宿題は進まなくて――こんなときルビィはちょっと泣きたくなります――ついついぼうっとしちゃいました。

 

「お嬢様、先にお風呂にどうぞ」

 

 お手伝いさんの声で我に返ると、部屋はすっかり暗くなっていました。

 ルビィの家はお夕食よりも先に、お風呂をすませます。花丸ちゃんは逆なんだって。

 ルビィは着替えを持ってお風呂場へ向かいました。

 

 脱衣室で服を脱いでから髪をまとめて浴室へ。

 家のお風呂は木でできていてルビィは匂いがとても気に入っています。

 

 体を流してから浴槽へ入ると、お湯が疲れをいやしてくれる気がしました。ルビィ、すこしおばさんっぽいかも?

 

 揺れるお湯に身を任せていると、今日のことが、善子ちゃんに怒られたことが思い出されました。

 

 お姉ちゃんは、学院がなくなっちゃうと辛いだろうけど、私はどうなのかな……。

 

 お姉ちゃん、それにお母さんやおばあさんと同じ学校に行けるってわかったときには、すっごくわくわくしたことを覚えています。

 花丸ちゃんや善子ちゃん、クラスのみんなと一緒にいるのはすごく楽しいし。

 

 でも、それは学院への思いとは違う気もします。

 

 ルビィはいったん湯船から出て体と髪を洗いました。

 花丸ちゃんや果南さん、鞠莉さんとは比較にならないけど、お姉ちゃんや善子ちゃんとくらべても女の子らしくなくて、ルビィは悲しくなります。で、でもまだまだ成長するかもしれません。

 

 もう一度お湯につかると、思いはまた廃校のことに流れていきました。

 

 Aqoursがなくなることに、昨日、今日の会話で、ルビィもようやく現実感を持ってきました。

 ルビィはAqoursに入るとを決めたときのことを思い出します。

 

 あのときルビィは、たしかに自分の意志で、それを決めたのでした。

 それは結果的に、花丸ちゃんを、お姉ちゃんをAqoursに加えることになって、みんなの運命を変えたのかもしれません。そう考えると、ルビィの胸は温かくなります。

 ルビィはあの決断をまったく後悔していません。

 

 のぼせそうになってルビィはあわててお風呂から出ました。

 脱衣室で新しい部屋着に着替えていると――家ではパジャマに着替えるのは寝る直前です――お姉ちゃんが帰ってきた気配がしました。

 

 廊下に出て部屋へ向かう途中、お姉ちゃんとすれ違いました。

 

「おかえりなさい、お姉ちゃん」

「ただいまです、ルビィ」

 

 お姉ちゃんはどこか暗い雰囲気をただよわせていましたが、それでもルビィに微笑んでくれました。

 

 お夕食の席はお姉ちゃんと私のふたりだけでした。お父さん、お母さんは仕事で忙しく不在のことが多いのです。

 お姉ちゃんがAqoursに入ってからスクールアイドルの話題が解禁されて、ルビィは食事のときを楽しみにしているのですが、今日はその話題は出なくて、話も弾みませんでした。

 

「先に戻りますわ、ルビィ」

「うん」

 

 食べ終えたお姉ちゃんはごちそうさまをいうと食器を片づけ、部屋に向かいました。ルビィもすぐに自室に戻りました。

 

 宿題がわからなかったりするとルビィはお姉ちゃんの部屋をたずねたりするのですが、今日はそんな気にはなれませんでした。

 

 部屋の明かりをつけると、ピンク色でまとめた室内が照らし出されました。センスがいいって、花丸ちゃんはほめてくれます。

 

 押入れのふすまには同じくピンク色の、「僕たちはひとつの光」のμ'sのポスターが貼ってあります。

 ルビィの胸はなぜかちくりと痛みました。

 

 ルビィたち、おんなじ舞台に立てたのかな。

 

 ルビィはAqoursに入って、千歌さんや梨子さんの曲に、曜さんの衣装(ルビィもお手伝いしました)、なによりみんなでいろいろ話しあって、練習を続けてきました。

 

 いまのルビィは、あこがれていたスクールアイドルです。

 自信を持ってそういうことができます。

 

 たとえ予選で負けても、です。私はμ'sのポスターに向かってうなずきました。

 

 ルビィにとっての輝き。それはやっぱり、スクールアイドルだ、ということです。ファンのみんなを笑顔にして、自分たちも笑顔になる。輝くような笑顔っていうけど、まさにそういうことです。

 

 Aqoursがなくなっても、ルビィはスクールアイドルなのでしょうか。

 そうかもしれません。でも、輝きは、ずっとずっと遠くに行ってしまう気がします。

 Aqoursのみんなと一緒だからこそ、輝きが近くになる。とても明るいものになる。それはきっと、間違いないことなのです。

 

 

        ◆

 

 

 翌朝。

 ルビィは目覚まし時計が鳴る直前に目覚めた。いつになくすっきりとした目覚めだった。アラームを止めて、パジャマから制服に着替える。

 

「あれ、お姉ちゃんは」

 

 お手伝いさんに聞くと、ダイヤはついさきほど家を出たのだそうだ。

 

「ルビィより早いなんて……」

 

 驚きながらも、ルビィは手早く朝食をすませて家を出た。

 

 日の出前のまだ暗いバス停からバスに乗る。

 ステップを上がると、今朝二番目の驚きが待っていた。

 

「おはようずら、ルビィちゃん」

「早いわね、ルビィ」

 

 花丸が手を振り、善子がウインクした。

 

「おはよう、花丸ちゃん、善子ちゃん」

 

 ルビィは笑顔を返す。

 バスが走りだして花丸がたずねた。

 

「輝きは見つかった?」

 

 ルビィは自分自身に聞く。

 

「うん! あ、あんまり自信ないけど……」

 

 昨日の確信は薄れていたが、それでも小さな決意が、ルビィの心の奥底にしっかりと息づいていた。

 

「それはよかったずら」

 

 優しそうに花丸が微笑む。

 

「花丸ちゃん、善子ちゃんも?」

「そんな気がするずら」

「私も。……あ、いっておくけど、私はしょせん、かりそめだから」

 

 真顔でうなずいたあと、善子の顔は赤く染まる。ルビィと花丸はくすりと笑った。

 

 バスを降りて坂を登る。ゆっくりと空に明るさが増していった。

 

 校舎に着く前、グラウンドに誰かがいる気配がした。

 三人は顔を見あわせて笑みを交わし、グラウンドへ向かった。


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