紡ぎだす謎は   作:高望皆斗

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第二章

あれから一年が経った。結論から言うと、僕の探偵としての業績は目覚ましいものがあった。もっとはっきり言ってしまえば、僕は探偵に向いていたのだ。

 最初の四、五ヶ月はロンドンの下町で起こる細々した事件の依頼に追われる日々だったのだが、次第に評判が立ち、ついにはシティで起こる本格的な刑事事件にまでちょっかいを出せるようになっていた。

 今ではちょっとした有名人だ。高級紙の一面を賑わすような難事件の解決依頼も舞い込むようになったし、最初僕のことをやっかんでいたスコットランドヤードの連中も、最近では迷宮入り事件の解決に際しては(しぶしぶながらも)僕に泣きついてくるようにさえなった。

 そしてつい先月のことだが、不法に持ち出された英国海軍の機密文書を秘密裏に奪還した恩賞として、国王陛下から騎士(ナイ)公(ト)に叙せられた。これで僕も爵位持ちだ。これからイギリスの社交界に参入し、僕の探偵としてのビジネスはより大規模なものになるだろう、僕はそう画策していた。

 かつて居候していたオールドストリートの八十五番地は大家のハドスン夫人に管理を任せ、僕自身はハイゲートの閑静な住宅街に一軒家を購入し、そこを活動の拠点とした。しみったれた下町ロンドンに事務所を構えていても、金になる客は寄り付いて来ない。

 この時点で、探偵稼業を「愉しむ」ということは、僕の頭から完全に消え失せていた。いや、探偵ビジネスを愉しんではいたのだけれど、それは飽くまで会社経営の楽しさであり、先生が伝えようとしてくれていた「愉しさ」とは別物だった…ような気がする。

 チャンバース私立探偵社。それが、僕の新しい事務所の名前だった。

 

 十月十七日、天気の良い昼さがりのことだった。僕が書斎でアフタヌーンティーを楽しみながら依頼されていた事件の捜査資料を読み漁っていると、執事兼見習いとして雇っているカスパールという少年が一通の電報を持って入ってきた。

「チャンバース卿。郵便局に行きましたら当社宛に届いているとのことでしたので、電報を受け取ってまいりました」

 受け取って読んでみると、次のような文面が綴られていた。

 

「トアル重大ナ案件ニツイテ、是非トモ貴殿ノ力ヲオ借リシタイ。本日午後四時、貴殿ノ事務所ヲ訪ネサセテ頂ク。 A=L=オールコック」

 

 アーサー=レオナルド=オールコック卿と言えば、現職の治安相だった筈だ。閣僚クラスから依頼が来るなんてそうある機会じゃない。これは我が社のいい宣伝になる。僕はこの時、スコットランドヤードから別の依頼を受けていたのだが、こっちの方が実入りがよさそうだ。何しろ、時の国務大臣が、省庁経由ではなく個人的に依頼をしてきているのだ。交渉次第で幾ら儲かるか分からない。

 僕は、ヤードから依頼された切り裂きジャック事件(ロンドン連続娼婦殺人事件。犯人はこの一ヶ月で三人もの女性をバラバラに切り裂いて殺害し、その臓器の一部を持ち去っている。犯人の目星がまるでつかず、僕の所にお鉢が回ってきていた)の調査をカスパールに任せ、自分はオールコック卿の依頼に専念することにした。

 僕はカスパールと、ハウスメイド(ハイゲートの街(マナ)屋敷(ーハウス)の世話は彼女に任せている)のメアリーに賓客の来訪があることを伝え、出迎えの準備をさせた。そして僕は、書斎で治安省関連の事件について、過去の捜査資料を洗い直しにかかった。

 

 ハイゲートの石畳を馬車馬の蹄が踏みしめる音が聞こえてきたのは、手元の懐中時計が午後三時五十七分を示した時のことだった。車輪の音と馬の頭数から鑑みて、ロンドンでよく使われている辻馬車の音だ。

 程なくして玄関のベルが鳴らされた。カスパールが受け答えをする声が聞こえる。階段を登る複数の足音が聞こえ、書斎のドアをノックする音がした。「どうぞ」と応えると、カスパールに案内され、オールコック卿が姿を見せた。

 齢は五十そこそこだろうか。背が高く痩身で、口髭を丁寧に整えている。視線の鋭さは政治家としての老獪さを如実に示しているようで、見る者を威圧する。

「ようこそ、チャンバース私立探偵者へ。僕は代表のトニー=チャンバースです」

 以後お見知りおきを、の挨拶と共に名刺を渡すのも欠かさない。

「アーサー=レオナルド=オールコックだ」

 ニコリともしないどころか、表情が微動だにしない。矢張り政治家を相手取るのは骨が折れる。

「それで、今日はどういったご用件でしょうか。重大な案件、とありますが…」

「…パールマン、例の予告状を」

「かしこまりました」

 オールコック卿の傍付きの下級役人なのだろう。パールマンと呼ばれたさえない男が僕に一通の封書を渡してきた。予告状?はて、何のことだろう?

「我々治安省がロンドン塔の管理、運営を管轄にしているのは知っての通りだが、ロンドン塔で今度、英国王室の宝物庫が一般公開されるのだが、それを嗅ぎ付けた怪盗が、今朝、その予告状を我々治安省に送りつけてきたのだよ」

 予告状は、ご丁寧にも封蠟が為されていた。トランプのスペード、ダイヤ、クラブ、ハートが時計回りにあしらわれ、各々のマークは茨によって区切られ、中央には薔薇の紋様が象られている。さしずめその怪盗の紋章(エンブレム)と言ったところか。中身を傷つけないようにレターナイフで封を開けると、中から一枚の高級羊皮紙が出てきた。そこには流麗な字で次のようなことが綴られていた。

 

「親愛なる英国政府、並びに無能なスコットランドヤードの皆さん。ご機嫌よう。

 この度私(わたくし)は、ロンドン塔で一般の方々に公開される数々の至宝、その中でも一際の美しさと歴史を持つ黒太子のルビーを戴きに上がります。日時は十月二十五日の深夜零時丁度。どんなに警備を強化していただいても構いません。怪盗の誇りに賭けて、必ず盗み出して見せますわ。

 ロンドンの深い霧のカンバスに、闇色の謎を散りばめるために。それでは、皆様のご健闘を、お祈りいたしますわ。

怪盗ジョセフィーヌ」

 

 僕は今まで、〝怪盗〟という存在とはほぼ無縁だったので、此度の怪盗ジョセフィーヌなる人物についても、ヤードの捜査資料でちらっと読んだことがある程度だ。

「黒太子のルビーは十四世紀から英国王室に受け継がれている貴重な財産だ。どこぞの野良猫くんだりに奪われるわけにはいかん」

 なるほど、治安省が躍起になるのも無理はない。

「十月二十五日と言うと、今から八日後ですね」

「その通り。君にはその日、ロンドン塔のジュエルハウスの警護についてほしい。黒太子のルビーはそこで公開されているのでな」

「警備ですが、予告された日にはどのような警備網が敷かれるのですか?」

 これは聞いておかないと話にならない。

「十月二十五日当日は、治安省からは人員は派遣できない。刑事事件だからな。警備はスコットランドヤードが担当する。詳しい警備体制は、後日、判明するとのことだ」

「それ以外の日の警備はどうなさるのですか?怪盗から予告状が来ている以上、通常の警備体制より強化なさると思うのですが…」

「否、予告された日以外はロンドン塔ジュエルハウスは平常営業だ」

 これには驚いた。ちょっと不用心すぎはしないだろうか…。

「怪盗が、予告した期日通りにルビーを盗みに来るとは限らないのではないでしょうか?」

「否、それはない」

 オールコック卿の表情が、微妙ながら初めて揺らいだ。何だろう、この表情は…僅かな苛立ちか…。

「過去の捜査事例から見て、賊は必ず予告通りに姿を現す。ならば、必要以上の警備は一般客を無用の恐怖に晒すだけではないのかね」

 …そうなのかもしれないが、そうなのだろうか。怪盗を名乗っている以上、その目的はルビーを盗み出すことだろう。そのためには手段を選ばずに騙し討ちをしてくることもあるのではないだろうか。

 しかし、可能性論をここで論じていても仕方がない。僕は割り切って商談に入ることにした。

「分かりました。お引き受けいたしましょう。料金の件ですが……」

 とりあえず、取れるところでたんまりふんだくっておこう。

 

 必要がないと言われてしまったので、十月二十五日までの八日間、僕は切り裂きジャックの件についてカスパールを補助しつつ、その傍らで、今回の怪盗事件について、僕の方でも事前に調査を進めておいた。

 まず、怪盗ジョセフィーヌだが、過去に何度もこうした形で予告状を送り付け、全く不可解な手口で宝石や絵画、歴史的な遺産などを盗み出しているらしい。一般市場のみならず、裏市場にもそれらが出回っていないところを見ると、資産価値として盗みを働いているようではないようだ。それどころか、いつの間にかそうした盗品が持ち主の手元に戻ってくることさえあるという。

 過去の事件で狙われた品々の一例をあげると、十一世紀から続く名門公爵家、アデア家に伝わるブルー・カーバンクル、英国王家の公印、大英博物館のインド絵画、ボヘミア王のラブレター、ベイカーストリートの古書堂に保管されていた稀覯本など、多岐にわたる。

 それから、十九日にヤードの本庁舎に行ったのだが、こちらの方はまるで蜂の巣をつついたかのような騒ぎだった。何でも、ヤードには予告状はその朝届いたのだそうだ。怪盗ジョセフィーヌにはヤードも大分手を焼いているらしく、知り合いの刑事の一人が、「これで王室の宝を盗まれたりなんかしたらヤードの面目は丸潰れだな」とこぼしていた。

 警備配置図を見せてもらった。最初は渋っていたのだが、オールコック卿から紹介文をもらっていたので案外交渉は楽に進んだ。警察とは言え、治安大臣には敵わないのだろう。勿論、他言は無用と釘を刺されたけど、そんなことは百も承知だ。

 今回の件は、王室が絡んでくることもあって、スコットランドヤードの誇る切れ者、シエル=オーグスティン警視長自らが指揮を執るのだそうだ(普通の怪盗事件であれば警部や警視辺りが指揮を執るのが常だ)。警官が千人体制で、ルビーの展示されているホールだけでなく、ジュエルハウスのあらゆる部屋、及びロンドン塔全体を警備している。これだけの警備なら怪盗がルビーを盗み出すことは不可能じゃないだろうか。

 兎も角、大体の警備を把握した僕は、警備配置図を見せてくれた警視長に礼を言い、当日も僕をルビーの警護に加えるよう要請してその場を後にした。

 

 

 

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