紡ぎだす謎は   作:高望皆斗

3 / 5
第三章

十月二十五日、午後十一時三十分。

 ジュエルハウス、ルビーの展示されているホールの正面フロアは、痛いほど空気が張り詰めていた。昼間から降りすさぶ風雨が、夜になり一段と激しさを増していた。

 屋内では、あまり多数の警官が居ても身動きがとりづらくなるという配慮から、今この場にいるのは僕を含めて七人だ。中でも、ホールのドアの前で、いつも以上の渋面を醸しているオーグスティン警視長は、この中で一番威圧感を放っているに違いない。

 そもそもなぜ、ホールの中でなく、外で警備をしているのかというと、その原因は五時間ほど前にまで遡ることになる。

 警備配置の完全に整った午後五時三十分、ロンドン塔の周囲の警備に当たっていた警官に案内され、一人の男が姿を現した。

「…一体これはどういったご了見ですかな、オールコック卿?」

 オーグスティン警視長が表情を引き攣らせつつ、最大限の憎々しさを込めて吐き捨てた。

 そう、その男とは他でもない、アーサー=L=オールコック卿その人だったのだ。辻馬車での到着だろうか。外套には泥撥ねが付き、髪は風雨で少々乱れている。

「いやなに、ヤードの低級役人が心配になったから来たのだよ」

 〝低級〟の部分にたっぷりと厭味ったらしさの籠った返答を聞き、オーグスティン警部はわなわなと全身を震わせた。だが、続く卿の言葉はホールにいた全員の度肝を抜いた。

「只今を以て、本件の指揮権は私に移譲してもらう。異論は認めんよ」

 一体これはどういう事だ?

「しかし、オールコック卿。先日お会いした時には、刑事事件であるため治安省は関われないと仰っていたではありませんか」

 面食らった僕は思わずそう叫んでいた。卿はこちらを一瞥すると、

「正確には、刑事事件が起こるかもしれない、だ、チャンバース君。まだ事件になっていない以上、治安省の介入の余地も十分に残されている。それに、今回は国王陛下からの委任状も賜っている。警視総監にも確認済みだよ。君たちに拒否権は与えられていないのだ」

 と言って、一枚の用紙をオーグスティン警視長に渡した。中身を確認した警視長は、信じられない、といった表情でそれを確認する。

「…確かに、国王陛下のお墨付きだ……信じられん………」

 こうして、現場の指揮権はオールコック卿に一任された。外周の警備網の一部と、ここホールの正面フロアの警備位置が変更された。そして、ルビー本体は、オールコック卿自らが目を光らせることとなった。

 

 懐中時計は午後十一時五十九分を指している。予告通りなら、あと一分で怪盗が出現し、黒太子のルビーを奪い去るはずだ。しかし、そんなことが可能なんだろうか。どうやってこの包囲網を掻い潜るのか…。

 時計の秒針が刻々と進んでいく。後三十秒………二十秒………十、九、八、七、六、五、四、三、二、一……

 突如、中から銃声が聞こえた。一発、二発、三発。それと同時にガラスの割れる音。それに、オールコック卿のくぐもった呻き声が聞こえた。

「賊だ!賊が現れたぞ!総員、突撃しろォ!」

 オーグスティン警視長の怒声で我に返り、慌ててホールの扉を開く。するとそこには、

「オ、オールコック卿!」

 俯せになって倒れているオールコック卿の姿があった。部屋の中を更に見渡すと、

「ああっ!」

 一人の警官が叫んだ。ルビーがないのだ。ガラスのショーウインドウに入っていたはずのルビーが無くなっている。ウインドウには銃痕が残っており、さっきの銃声の内一発はこれだろう。もう一発は頭上のシャンデリアを撃ち落とした音、最後の一発は…

「…う、ぐうぅ……」

 オールコック卿が窓の方を指さした。見ると、窓ガラスは割れ、人が出入りできそうな穴が開いている。

「…いきなり、銃声、と、ともに、真っ暗、に……殴られて、昏倒し、ている、隙に、奪われて、しまった……賊は、外だ。追え……」

 息も絶え絶えにそう告げるオールコック卿を尻目に、警視長以下六名は、早速割れた窓ガラスから中庭へと飛び出していった。

 

 …なるほど、そういう事か。これで僕の感じていた違和感は全て解消された。

 

 僕は中庭へ飛び出して賊を追う…フリをしてこっそりとジュエルハウスの外周を一回りし、件のホールに戻った。そして……

「どちらへ行かれるおつもりですか、オールコック卿?」

 その場から立ち去ろうとしているオールコック卿を見つけたのだった。オールコック卿は一瞬だけ驚いたように目を見開き、しかしすぐにいつもの険しい顔つきに戻り、

「チャンバース君、依頼料を受け取りたいのなら、賊を追いかけたまえ。私なら大丈夫だ。直に私も向う」

 と言い放った。やっぱりだ。彼の企みはやはり…

「怪我をなさっておいでではないのですか?先ほどまでは呼吸も苦しそうでしたが」

 この一言で、オールコック卿の表情は完全に凍りついた。しかし、すぐに表情を取り繕う。

「何が言いたいのかね?こうしている間にも、賊は逃げ去ってしまうぞ」

「実は僕、最初貴方にお会いした時から気になることが幾つかありましてね」

「ほう、何かね。話してみたまえ」

 多少余裕を取り戻したのか、卿の目に強い光が灯る。

「良いでしょう。まず第一に、貴方は僕の事務所を訪れるとき、そしてここに来るとき、辻馬車を使いましたね?」

「それが、どうかしたかね?」

「最初僕は、政府にも内密に依頼をする必要があったのかと思いました。普通なら、政府公用の自動車を使われる筈なのに、どうしてだろう、とね」

 近年になって発明された自動車は、一般にはまだ普及していないものの、政府や官憲にはかなりの数が配備されている。オールコック卿ほどの高級官僚なら、自動車を使うのが常だ。

「しかし、その説明では矛盾が生じるんですよ。だって貴方、今日の件は警視総監に確認されたのでしょう?つまり、もう政府は貴方の行動は了承済みの筈です。それなのにどうして、わざわざ辻馬車を使ったんです?」

「特に意味はないよ。それとも何かね?私はロンドン市民のための辻馬車を使ってはいけないのかね?」

 苛立ちを含んだ応えが返ってくる。それをさらりと受け流して続ける。

「第二に、予告状の封蠟です。貴方は私の事務所に来る前に、当然内容を知っていましたよね?」

「無論だ。予告状は、私宛に届いたのだからな」

「ではなぜ、僕の所に持ってこられた予告状は、封蠟が為されていたのです?」

 そう。あのとき僕は、自分のレターナイフで封筒を開けたのだ。何故ならば、まだその予告状が封を切られていなかったからである。

「そんな物、後で封をし直したとでも言われれば、疑問点でもなんでもないがね」

 そんなことをわざわざする人なんているだろうか。

「まあ、良いでしょう。第三に、あの予告状の文面ですが、調べたところ、スコットランドヤードに届いたものと全く同じでした」

「それが何だというんだね?いい加減にしたまえ」

「まあまあ、落ち着いて聞いてください。同じ文面の予告状ですが、届いた日には一日の差があったんです。治安省の貴方の元には、十七日に、ヤードには、十八日に。同じ内容の予告状です。投函されたのも同じ日だと考えると、同じロンドン市内、届くのも同日のはずです。しかし、現実は違った。つまり、ヤードへの予告状が投函されたのは、治安省への予告状が投函されたのより一日遅かったんです。つまり、怪盗は、治安省、いえ、僕の反応を見てからヤードに挑戦状をたたきつけたことになるでしょう」

 これらの事実から総合的に考えると、見えて来る事実がある。犯人の目的は二つ。一つは黒太子のルビーを盗み出すこと。もう一つは、その事件に僕を引き込むことだ。

「……犯人は、僕を事件に引き入れるために、予告状を操作できた人物、現場の指揮権を自在に行使できる人物、そして何より、ルビーの展示されているホールの内部を警備していた、唯一の人物」

 間をおいて、大きく息を吸い込む。

「貴方こそが、怪盗ジョセフィーヌの正体です!」

 この台詞、なんだか虚構の探偵劇の謎解きシーンみたいだ。気分が高揚していくのが分かる。

「貴方の犯行の手口は至って簡単です。零時きっかりにシャンデリアを撃ち落とし、ショーウインドウを撃ち抜いてルビーを盗み出す。そして、空砲を一発鳴らす。この一発分は、怪盗が窓を撃ち抜いたと僕たちに錯覚させるためでしょう。実際に窓を撃ったらガラス片は外に飛び散ってしまいますからね。窓はあらかじめ別の方法で割っておいたのでしょう。そして、その場で倒れこみ、さも賊に殴られて昏倒している風を装った。違いますか?」

 違いますか、とは聞いてみたものの、殆ど確信に近い。此奴はクロだ。

「つまり、私は怪盗ジョセフィーヌの変装で、本物の治安大臣、アーサー=レオナルド=オールコックは別にいる、とでも?」

「そのつもりで言っていますが」

「ふん。言いがかりだな。君の説明では説明しきれていないところが一つある」

 あれ、何かあったかな…

「国王陛下の委任状だよ。偽物なら、どうやってそんな大層なものを用意したというのだ?国王陛下や首相閣下に交渉に出向いたところで、まず間違いなく本人でないことが露見するだろうな。何故なら、国王陛下への謁見の手続きは、一般には秘匿されているからだ。しかし、オーグスティン警視長殿も言っていたように、あれは間違いなく本物だ。この矛盾をどう説明するね?」

 何だ、そんなことか。

「僕はこの八日間、怪盗ジョセフィーヌについて調べていました。その捜査資料の中の、盗難品目のリストの中に、その問いへの答えがあります。英国王室の公印、これがあれば委任状なんて造作もなく作れるでしょう。それに、国王陛下の公印なんて、そう滅多に公の場に出て来るもんじゃありません。たとえ盗難後にデザインが変わっていたとしても、警視長がそれに気づかない可能性は高い。どうです?まだシラを切り通しますか?」

 オールコック卿、いや、怪盗ジョセフィーヌは何も言わない。暫くその沈黙が続いたが、不意に、

「…ふふふ……ふふふふふ。マーヴェラス!」

 途端に視界が閃光に包まれた。光が収まるとそこにいたのは…

「お前が、怪盗ジョセフィーヌか!」

 シルクハットにタキシード。マントがはためき、ブロンドの長髪が風になびく。豪奢なパピヨンマスクのせいで、顔の上半分は確認できないが、恐らく女性だろう。

「うふふふふ。トニー=チャンバース卿。名探偵とは伺っていましたが、これほどあっさり見破られるとは思いませんでしたわ」

 いや、あんたが腑抜けすぎなんだろ、という言葉は何とか飲み込み、

「訊きたいことがある。何故僕を、この事件に引き入れた?」

 これだけはどうしても分からなかった。現に、こうして彼女の計画は、僕を引き入れたせいで失敗に終わりそうだというのに。

「そんなの決まっていますわ。ですが、その話をする前に…」

 再び閃光が視界を包んだ。

「アディオス!」

 しまった。逃げる気だ。

「させるか!」

 眼をしょぼつかせながら、僕は彼女を追った。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。