舞台が日本ではなくイギリスなのは、作者の趣味です。行ったこともないのによくもまぁ、とこの前知り合いにあきれられましたが何か?
R-15指定を付けてはいますが、そこまで刺激は強くありません。一応、念のため、と言うことで。
感想、意見、批判等、お待ちしております。
我が親友にして戦友であるオスカー=メイフィールドに纏わる一連の事件に関しては、〝悲劇(トラジディ)〟と言わずして終わることは出来ない。尤も、かく言うこの私も四人の当事者の内の一人であるため、自らに降りかかった災厄を誇張し、同情を惹きたいのだと思われても仕方のない所ではあるが。
あの事件からはや十年、事件当初は私も官憲(ヤード)の連中に何度も事情聴取をされたものだが、無慈悲なる警官には事実を叙述することは出来ても、自らの心情を吐露することは適わなかった。以来私はこの事件について語ることは避けて来たのだが、当事者の内でこの世に残ったのが私一人となったからであろうか、私の中で熾火の如くチロチロと残っていたある種の焦燥感のようなものが、彼女の死をきっかけに私の心に引火したのだ。
さて、どこから話すのが相応しいだろうか。これについては私もつい先程筆をとるまで考えあぐねていたのだが、やはり最初から、そもそもの発端となった先の大戦の話から始めるとしよう。
オスカーとは士官学校で出会った。私も彼も空軍将校を志望しており、家の事情も似通っていた。既に家の名だけでは何の解決にもならなくなっていた我が愛すべき大英帝国の社会において、零落した貴族階層は社会の歯車として様々な形でその役を担っていた。
空軍という職場は、こうした零落貴族の次男・三男が親元からの資金を当てに出来ず、日々の生活を食い繋ぐための金を稼ぐための場所だった。大戦中にも、私は撃墜王として名高いシリル=ローワ卿が、黒煙を吐き出しながら地に墜ちてゆくドイツ帝国機に弔いの花を投げかけていたのをよく覚えている。先の大戦における空での戦いという物は、騎士(ナイト)と騎士(ナイト)が互いの主君のために己の美徳を賭して戦っていた、旧(ふる)き良き時代の名残があった。
そんな中でも、オスカーは違っていた。決定的に違っていた。寮部屋が相室だったため、彼とはよく言葉を交わしたものだが、最初は彼の挙動に戸惑ったものだ。無邪気なのだ。彼の目は飛行機を見る度に輝きを増し、実戦の後でさえ、ある種の清々しい面持ちをしていた。
大戦が始まって暫くして、私は訊ねたことがある。何故、他人の命を奪う職に就いていながら、お前はそこまで無邪気でいられるのか、と。最初は何を言われているのか今一つ分かっていない様子だったが、彼は私にこう言った。
「僕は、戦争をしに来たんじゃない。空を飛びに来たんだ」
私は羨ましく思った。確かに私も子供の頃、米国のライト兄弟が初の有人飛行に成功したという記事を読んで、父親が激しく興奮していたのを覚えている。同時に、自分が空への憧れを痛烈に感じていたのも。しかし、いざ戦闘の訓練を積んで戦地に投入され、撃墜数(スコア)をカウントする日々が続くようになると、もうそんな思いは忘れてしまった。だから、自分の想いを忘れずにいられる彼が、無性に羨ましかった。
彼には特定の女性がいた。その存在を私が知ったのは、ソンム戦線を決死の思いで潜り抜けた私たちが駐屯キャンプに戻った時、彼のもとに届いた一通の手紙だった。
「珍しいじゃないか、最前線に手紙なんて」
私が訊ねると、どこか気まずそうな調子で、
「うん、そうだね…」
と返ってくる。突(つつ)いたら面白くなるような予感がして、私は彼を散々に問い詰めた。最初は頑なに教えてくれなかったのだが、ついには音を上げて私に教えてくれた。
相手の名前はエルシー=ミルフォードという。彼の学生時代の寮で女中(メイド)をしていたそうだ。毎日顔を合わせるうちに親しくなって、仕舞いにはそういう男女の仲にまでなったらしい。手紙は緊急で(尤も、緊急でもない限りは、女性が最前線に手紙を出すこと自体が有り得ないのだが)、彼女の妊娠を告げるものだった。
私は大戦の直前にリサ=エバンズと結婚していたのだが(今はリサ=ヘイワーズと名乗っている)、まさかこの天然無邪気男にまでそういう浮いた話があるとは思っていなかったので、少し意外な感はあった。しかし、こうした明るい話題は、つい先刻まで続いていた、味方に甚大な被害をもたらした戦闘の悲劇を和らげてくれた(勿論、キャンプの仲間と共に散々冷やかしたのは言うまでもない)。
大戦の戦局は刻々と移り変わる。最初の手紙から約一年と八か月。ロシアは革命により皇帝(ツァーリ)が打倒されて戦力外になったかと思えば、レーニン率いるボリシェヴィキが徹底した中央集権で国を纏め上げた。講和条約を突きつけられた中央同盟国はウクライナと結んで反ボリシェヴィキ戦線を展開している。
そんな中で、我が大英帝国軍にロシア内戦で囚われたチェコ軍団を救出すべく出撃命令が下った。無論、〝チェコ軍団の救出〟何て物は建前に過ぎず、本当の目的はロシアへの内政干渉なのだが、兵士は飽くまで駒に過ぎない。黙って上官の指示に従うのだ。総員千五百人の動員の中に、私とオスカーは含まれていた。
出撃の前夜、恐らくこれが第一の悲劇に繋がる大元の悲劇だろう。一通の手紙が再び彼のもとにやって来た。
「愛しのエルシーかい?」
冷やかし交じりに訊ねると、
「そういう風に訊くのは止めてくれよ」
と、げんなりされた。彼は苦笑を浮かべながら封を切り、手紙に目を走らせた。するとどうだろう、彼の表情は一変にして失せた。部屋の中は八月の熱気で暑苦しいというのに、彼は顔を真っ青にして、ガタガタと身を震わせ始めた。
「お、おい。どうした?」
私は慌てて彼に駆け寄ったが、彼は私の手を振り払い、手紙を乱暴に畳んでマントルピースの上に放り出すと、無言で出て行った。
さて、残された私としては、手紙の内容を見たいという誘惑に当然駆られる。普段あんなにも穏やかな彼が一体どうしたのか、友人として気になるというものだ。しかし、私はこの時敢えて確認しなかった。外に出て彼を捜しに向かった。
途中、数人の将官が集まって何やら騒いでいるのが見えた。何事かと訊ねると、つい先刻、今にも泣きそうな様子の男が一人、スコッチの瓶を一本、無断でかっぱらっていったという。
私には勿論、その男と言うのがオスカーであるということは即座に見当がついた。あの馬鹿が。明日はシベリア出兵だというのに、酒など煽ってどうするつもりか。私は将官たちにその後男がどちらに消えたかを訊ね、礼もそこそこに彼を捜し求めて走りだした。
彼は直ぐに見つかった。軍用機の整備上だ。彼の愛用するソッピース社のF‐1キャメルの機体の傍で大の字になり、へべれけに酔っ払ってぶっ倒れていた。スコッチの瓶が隣に転がっていたが、中身は既に空である。此奴はストレートで飲み干したのだろうか。だとするならば、真性の大馬鹿者だ。
「なあ、どうしたんだ。話してみろよ。私とお前は親友だろう?」
問いかけてはみたが、徒労に終わった。彼は何事かも分からぬ言の葉を数個吐き出し、その場に眠りこけてしまった。私は彼を担ぎ上げて、キャンプに戻った。
翌朝になり、驚いたことに彼はいつも通りの様子だった。若干の顔色の悪さと、酒臭さは残っているものの、足取りはしっかりしているし、受け答えにもおかしな点はない。可能な限り無理はするなよ、と彼に告げて、私たちは出撃準備に入った。
嗚呼、この時に私は彼を止めるべきだったのだ。常識的に考えて、昨晩の彼の状態は異常だった。酒だって、そんなに早く抜ける筈がないのだ。しかし、言い訳をさせてほしい。彼が出撃前なら、私も出撃前だった。自分があと数刻で命を落とすかも知れないという状況で、彼のことに気を回せなかった私を、誰が責められようか!
戦闘については、細かに描写するつもりは無い。私には、周囲を観察する余裕などなかったし、例えあったとしても、敵機の銃弾と対空砲火、敵味方の断末魔の叫び声と撃墜を告げる爆発音が入り混じる地獄を書き連ねる趣味は、私にはない。
今回の戦闘でも、幸運なことに私は生き残った。模擬戦の時の私の操縦の腕前はそこまで優れた物では無かったはずだが、死地において発揮されるのは生き残りたいという強い意志、と言った所だろうか。
さて、キャンプに戻っても彼の姿がない。私は俄かに危機感に襲われた。まさか、彼はあの戦場で命を落としたのだろうか。勿論、戦時下なのだから人死にが出るのは当たり前なのだが、それでもここで彼が死んだとしたら、私は彼の墓の前で何と謝罪すればいいのか。彼の愛する人の前で何と謝罪すればいいのか。
焦燥に駆られ、私は怪我人を収容しているテントに向かった。かなり大規模のテントには、ドイツ軍が使用した毒ガスによる被害を受けた兵士が大勢収容されており、中から苦痛の呻き声や悲痛の叫びが聞こえてくる。
「帝国空軍第二師団第三編隊所属のベンジャミン=ヘイワーズ少尉だ。同部隊所属のオスカー=メイフィールド少尉がここに収容されていないかどうかが知りたい」
私がテント前で収容受理をしている衛生兵に訊ねると、彼は長いリストを捜していたが、急に顔を顰めると、
「メイフィールド少尉ですか。少々お待ちください」
と言って持ち場を離れた。しばらくして、彼は一人の男を連れてきた。褐色に日焼けした、白衣を纏った男だ。
「どうも、ヘイワーズ少尉。私は英国空軍専属従軍医のブラッドリー=マクファーレンです。貴方はメイフィールド少尉のお知り合いですか?」
「そうです。彼は、生きているのですか?」
そう問うと、マクファーレン医師は僅かに顔を顰めた。私の心臓の動悸は急激に速度を速める。耳鳴りがして、目眩で視界が揺らぎだした。
「ま、まさかとは思いますが……」
「いえ、彼は亡くなってはいません。しかし、予断を許さない状態です。それに、何よりあの状態では…」
「彼に、会うことは出来ますか?」
私は身を乗り出して訊ねた。医師は最初、渋っている様子だったが、私が熱心に依頼すると、
「それでは、ヘイワーズ少尉、一つ約束してください。今の彼の姿を見ても決して取り乱さない、と」
私が是(イエス)と応えると、彼は私をテントの中に案内した。
テントの中では何百と言う将兵が治療を受けていた。ムッとする汗や腐敗の臭気が立ち込める。
「こちらです」
そう言って彼が示した先を見て、私は思わず息を呑んだ。
彼は顔の上半分から左顎にかけてまでの肉をごっそりと失っていた。視力は失われていないようで、左右の目は赤黒く爛れた皮膚の中で悲しげなまでに青い光を放っている。左腕と右脚を失い(運び込まれた直後に壊死の可能性を危惧したマクファーレン医師によって切除された)、特に左半身は皮膚が爛れている。
「…キャメルが撃墜される際、パイロットではなく、エンジンが撃ち抜かれたのが不幸中の幸いでした。お蔭で、何とか一命を取り留めることが出来たのですが、何分、燃料タンクへの引火・爆発のため、最善を尽くしてもこのような結末に…。左腕と右脚には義手・義足を宛がいますが、生活に支障が出ることは否めません。右腕の神経も危ういようですから、下手をするとこっちも切除ということになりかねません。少なくとも、軍の作戦行動にはもう二度と参加できませんね……」
マクファーレン医師が説明している内容は半分も頭に入って来なかった。私があの時、部屋を出ていく彼を止めていれば、少なくとも身体的なコンディションのせいで彼が撃墜され、こんな目に遭うこともなかったのだ。もたらされた悲劇への重責が私に重く圧し掛かってくるのを、私は感じていた。
彼と私に割り当てられたあの部屋に戻り、私は彼のもとに送られてきていた二通目の手紙を読んだ。彼に許諾を求めようにもあんな状態なので、勿論無断で、だ。罪悪感はあったが、何が彼をあんな愚行に駆り立てたのか知りたかったのだ。
手紙は簡潔だった。女性らしい流麗な筆跡で綴られていたのは、貴方との子供は流産でした、という内容だった。