嫉妬   作:高望皆斗

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第二章

大戦の終盤戦では、イタリアやアメリカの参戦もあり、次第にドイツ、オーストリア、ブルガリア、オスマンは敗色が濃厚になって来た。

 私は上官に命じられるがままに作戦行動に従い、ただ戦地で敵兵を掃討し続けた。心を閉ざし、ひたすらに敵機を撃墜し続け、いつしか撃墜王の称号を手にし、終戦間際には中尉にまで昇進したのだが、そんなことは知ったことではなかった。

 私はこの大戦の最中に自分が密かに野垂れ死ぬことを望んでいたのかも知れない。しかし、嗚呼、神は私を救い給うたか、はたまた、私を見捨て給うたか。私は最後の敵国ドイツが降伏した一九一八年まで生き残ってしまった。

 本国に帰還したのは一九一九年になってからのことだった。それまでの間に、オスカーは大分恢復してきており、こちらの話を聞いて筆談で(声帯が機能不全になっているため)返すことは出来るようになっていた。

「済まなかった。私があの時お前を止めていれば…」

 謝罪する私に、オスカーは口でペンを咥え、スケッチブックに次のように読める言葉を書き込んだ。

――なんであやまる。あれはぼくがわるかった――

「お前の空への憧れを奪ってしまった」

――それはさくせんのまえのひにぼくがよっぱらったせい。――

「お前の生涯を、苦痛に満ちたものに変えてしまった!」

――ちがう…ちがうんだよ……ごめん、きみにそんなおもいをさせるなんて、ぼくはばかだ……――

 彼はこうして自分が悪い、私は悪くないの一点張りだった。しかし、やはり私の胸には責任が棘のように刺さって消えない。

 

 曇天のリヴァプールに帰港すると、港町は夫、恋人、父親の帰還を待つ人々で溢れ返っていた。私は彼の車椅子を押して、実に四年ぶりになる英国の土を踏みしめた。

「ベン!」

 私を渾名で呼ぶ声が聞こえた。振り向くと、そこには私の愛すべき妻がいた。

「リサ!」

「ああ、ベン!良かったわ!無事に帰ってきてくれて…あの、そちらの方は?」

 リサはオスカーを指して訊ねた。彼は自分の今の風貌が人に恐怖を覚えさせるのを恐れて顔の上半分が隠れるような仮面をしている。

「彼は…オスカー=メイフィールド。私の戦友だよ。戦場で大怪我を負って、喋ることは出来ない」

 彼女が興味津々な様子で彼のことを覗き込むので、彼の方がしどろもどろな様子になっているのが、言葉に出来なくてもよく分かった。

 その時、向こうから女性の声が聞こえた。

「オスカー、どこにいるの?オスカー?」

 すると、当のオスカーが身じろぎをした。私はその女性が、手紙のエルシー=ミルフォード嬢であると察しを付けた。私は複雑な気持ちだった。出撃前に彼があんな手紙を読みさえしなければ、彼はこんな目には遭わずに済んだのだ。しかし、それを私に糾弾する資格などない。

 私は暫くオスカーのことをリサに任せ、ミルフォード嬢と思われる女性に歩み寄った。

「失礼、貴女がエルシー=ミルフォード嬢ですか?」

 私が話しかけると、女性は振り返って是(イエス)と答えた。大きな瞳、すっと通った鼻筋、柔らかく膨らんだ唇。少し気の強そうな面持ちだが、上品で、且つ華やいだ印象のある女性だ。

「私はベンジャミン=ヘイワーズ中尉です。オスカーとは友人で」

 〝オスカー〟と聞いた瞬間、彼女は表情を一変させた。

「彼は、オスカーはどこにいるのですか?私は早く彼に会いたくて…」

 私は心が痛んだ。しかし、告げないわけにはいかない。私にはその義務がある。

「実は…」

 事情を説明していくにつれ、彼女の顔から色が失せて行った。当然だ。彼の怪我は、自分が原因と言えなくもないのだから。今になって思えば、私の告げ方は正直過ぎたか、ないしは彼女にとっては露骨すぎたのかも知れない。

「……それで、彼は今どこにいるのですか?」

「私の細が付いています。こちらです」

 私は彼女を案内した。

 ここで二人の対面について赤裸々に語るのはあまりに不憫なので省略する。ただ、私の印象に残ったのは、ミルフォード嬢が彼の膝に枝垂(しだ)れかかって、淑女の礼を振り捨てて悲哀に打ち泣いている光景だった。

 

 私は妻と共にハイゲートの自宅に帰ることにした。オスカーは国からの保障により、ベイカー街の近郊に位置する病院で暫く面倒を見てもらうことになったようだ。ミルフォード嬢が手紙でそう教えてくれた。

 私は大戦を潜り抜けた勇士として、リッチモンドの士官学校の教諭に招聘(しょうへい)された。職業軍人としての空軍中尉の方は辞官(じかん)せざるを得なかったが、私はもう軍用機も銃弾の飛び交う戦場も懲り懲りだった。

 私は士官学校からの帰宅途中にオスカーのことを見舞いに行くのが習慣になった。ミルフォード嬢は郵便局でのタイプ打ちで日々の生活を支えているらしく、私が見舞いに行くときは大抵彼の病室の寝台の脇の揺り椅子で仮眠をとっていた。

 ある時、私がいつもの通り彼の見舞いに行くと、珍しくミルフォード嬢が起きていた。最初に出会った時よりも随分と窶(やつ)れた面持ちで、髪は乱れ、目の下には隈が出来ている。オスカーは眠っているようで、目を閉じ、規則正しく胸板を上下させている。それを確認したうえで彼女は、

「ヘイワーズ卿、ご相談したいことがあるのですが…」

 と、持ちかけてきたので、私は彼女を近くのパブへと誘った。

 

「恥も外聞もかなぐり捨ててお願いがあります。私達にお金を貸していただけないでしょうか?」

 聞けば、彼女の給金だけでは二人分の生計は賄えないらしい。彼の方が働き手になれるのであればまだ救いようはあるのだが、現在彼はまともな職に就ける見込みはない。それどころか、入院の費用が嵩んで余計に金を食っているのだという。

 私はここで、彼に対して感じている負い目への、せめてもの償いの機会が巡って来たのではないかと考えた。ただ、これは私だけの問題ではない。

「一度、細とも話し合ってみましょう。なに、心配は要りません。可能な限りのお手伝いはさせていただきます」

 そう言うと、彼女はパッと顔を輝かせた。

「有難うございます。何卒、検討をお願いいたします」

 彼女とはそこで別れた。

 

「いいのではないかしら」

 帰宅してリサにそのことを話すと、リサは二つ返事でこれを承諾した。どうやって細を説き伏せようかあれこれと思案していた私は、思わず驚いて、

「そんなにあっさりと、いいのかい?」

 と、訊ねた。

「ベンは、そうしたいのでしょう?それに、私もあのお二人を援けて差し上げたいわ」

 更に彼女は、リサが付いていられない間は自分が看護に付き添うとまで言ってくれた。この時の私は、何といい妻を娶ったものかと思っていた。後になってこれは大きな裏切りだと気が付くのだが。

 

 次の日、私は病室で、小切手に必要な金額を書き込んで彼女に手渡し、返済は目途が立ったらで構わないこと、私の細も看護を手伝うのでミルフォード嬢は無理をしないでも構わないということを伝えた。彼女は私の前に跪き、私の手の甲に接吻をした。

「ああ、神よ、有難う、有難うございます。私達を救ってくだすって」

 その時私は、オスカーの表情が(仮面に隠れているのではっきりとは分からないが)微妙に揺らいだのを見逃さなかった。

 

 

 

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