叩き込まれたオッタルの巨拳。
顔面を打たれた武蔵の身体は宙を舞い、10Mは後方まで飛ばされる。握っていた刀から手が離れた事にも気が付かない程の衝撃に、武蔵はなすすべもなく地に倒れ伏した。
オオオッ!!と沸き立つ観客たち。戦いが開始されてから初めて決まったオッタルの攻撃に、オラリオ最強の実力を称賛する声が響き渡る。
「いいぞォ、『
「やっちまえぇぇえええッッ!!」
「
再びオッタルへの歓声一色に染まる闘技場。
そんな群衆の声が振動となって武蔵の身体を震わせる。地面に顔をくっつけた格好で倒れ、流れ出る鼻血が砂地に赤い染みを作っている。
(………なんと重き拳なことよ………)
そんな状態で、武蔵は思う。
―――
ようやく本気になったか。
一方のオッタル。
地に伏す武蔵から視線を外し、次いで両断された大剣へと視線を動かす。右手にあった重量は半分程になってしまい、もはや武器としての使用は期待できないだろう。
破壊された己の武器を見て、オッタルの胸の内にある思いが浮かんだ。
それは怒りでも後悔でもない。壊れた大剣を遠くへ放り投げ、オッタルは足元に落ちた武蔵の愛刀、無銘・金重を手に取る。
そのまま武蔵のいる場所へと向かうオッタル。周囲の歓声などまるで聞こえない様子の彼の胸中、そこにある思いはたった一つだけ―――――。
(―――――済まなかった。ムサシ・ミヤモト)
謝意だった。
歩を進めながら、オッタルは思う。
脳裏に思い浮かぶのは、冒険者となって間もない頃の出来事。つい下の階層まで潜ってしまい、己の実力以上のモンスターと出くわしてしまった、あの時。
身に着けていた防具も武装も、そのことごとくが破壊され、全身に裂傷を負った。目の前に立ちはだかる虎にも似た強大なモンスター、既に死に体の自身……己の不注意をこれでもかと呪った。
まるでこの世の覇者のように、ゆうゆうと近づいて来るモンスター。その巨大な顎で頭から食われるのだと悟り、観念したかのように目を閉じた、その時。
脳裏に浮かんだのは、
その顔が浮かんだ瞬間、幼き日のオッタルの身体に力が漲った。
傷口から血を噴き出しながら、オッタルは目の前にまで迫っていたモンスターの顔面に渾身の右拳を振るった。エサ同然だと思っていた冒険者の思わぬ反撃に、モンスターの口から悲鳴が上がる。
モンスターが怯んだ隙にその背に飛び掛かり、そのまま首へと腕を回す。決して離さぬよう、全身全霊の力でモンスターへの絞め技を決行した。
暴れ狂うモンスター。その背をダンジョンの壁に、床に、天井に叩き付け、オッタルを潰そうとしてきた。岩肌が剥き出したそれらに叩き付けられたオッタルも、もちろん無傷では済まなかった。
新たな傷を作り、血を吹き出し、吐血までした。しかしそれでも尚、モンスターの首へと回された両腕は絶対に離さなかった。目力をいっぱいに、歯を食いしばって必死に耐えた。
やがてモンスターは力尽き、どしゃりとその巨体が倒れた。
灰へと還ってゆくモンスターの体内から魔石が顔を覗かせるも、オッタルはそれには目もくれなかった。その目はある一点……己の両手を凝視していた。
この日、オッタルは初めて知ったのだ。己の持つ武器を。
生まれ落ちた時より手にしていたもの―――――この身体こそが、真に最良の武器なのだと。
ズチャリ、と立ち止まるオッタル。
両者の距離はおよそ3Mといったところ。未だに倒れたままの武蔵を見逃すでもなく、かと言って追撃する訳でもないオッタルの様子に、観客たちの顔に疑問の色が浮かんだ。
「……いつまで寝ているつもりだ」
低い声音でそう語りかける。
すると、今まで微動だにしていなかった武蔵の肩がピクリと動いた。すっかりダウンしているものだと思い込んでいた者たちが、ざわざわと驚愕を露わにしている。
やがて両手をついて上体を起こし、武蔵はその場に立ち上がった。未だに流れ続ける鼻血を拭いもせず、オッタルと再び相対する。
「ふむ」
にぃ……と、僅かに弓なりになる武蔵の口元。そしておもむろに、こう切り出した。
「迷いは消えたか、オッタル」
「……ああ」
そういって、オッタルは手にしていた刀を武蔵へと放り投げた。剥き出しの刀身であるにも関わらず、武蔵はまるで置物を手に取るように、危なげなくその柄を取る。
「
オッタルの呟きがやけに大きく闘技場に反響した。
観客たちはオッタルと武蔵の会話を聞き漏らすまいと、耳を澄ませて両者の会話に聞き入る。
「魔剣などの強力な武器があれば当然、戦闘では優位に立てる。あの大剣も、深層のモンスターを何匹斬ったところで刃こぼれもしないだろう」
「だろうな」
「だが、お前が相手では話が変わってくる。現にあの大剣は破壊された」
武器を破壊された失態を真正面から受け入れたオッタル。
ちらりと視線をアリーナの端へと送れば、そこには両断された大剣が転がっている。まるで自身への戒めであるかのように、武器を破壊された失態を、オッタルは真正面から受け入れた。
「あらゆるものを“斬る”事を前提としたお前の剣。それに対抗するならば、最良の武器以外はもはや邪魔でしかない」
そして眼光鋭く、オッタルは言い放つ。
「フレイヤ様の眷属となってより磨き続けたこの五体。これこそが、俺が最も信頼に足る武器だ」
「流石やね。よう言うたわ、『
オッタルが放った強気な発言を、貴賓席に座るロキはにやりと笑いながら称賛した。
しかしいくらオラリオ最強の冒険者であるからと言っても、果たして本当に徒手空拳で、剣を持った武蔵に勝つ事が出来るのだろうか?フィンが圧倒された光景を間近で見ていたロキは、どうにも素直に信じる事が出来ない。
そんな思いでふと首を横に向ければ、そこには真顔でアリーナを見入っているフレイヤがいた。グラスに注がれた葡萄酒など見向きもせず、常に浮かべていた微笑も消している。
滅多に見せない真剣な様子のフレイヤに対し、ロキはおどけた様子で語りかける。
「なんやフレイヤ、何時になく真剣な顔しよって。もしかして可愛い
「………」
「ちょっ、なんかリアクションしてえな!ウチだけ喋っててアホみたいやーん!」
うりうり~、と肘を押し付ける真似をするロキ。そんな彼女とは対照的に、フレイヤは椅子に座ったまま動かない。ロキの軽口に応える事もせず、ただじっとアリーナを見つめていた。
流石に訝しむロキであったが、ここでようやくフレイヤが口を開いた。しかし相変わらずその視線は固定されており、すぐ隣にいるロキを見ようともしていない。
「……ごめんなさい、ロキ」
いきなり謝罪から入るフレイヤ。ロキに面食らう隙も与えず、彼女はすぐさま続く言葉を述べた。
「ここから先、少し静かにしていてちょうだい」
「
敵前堂々、考え込む武蔵。
顎に当てて熟考する武蔵に、観客たちは奇異の目を向ける。血の気の多い粗暴な冒険者たちですら、その異様さの前には野次も飛ばせない。
「ふむ……」
ここで武蔵が動きを見せる。
刀を鞘に収めつつ、その足をオッタルへと向かって進める。3Mの距離はすぐに埋まり、ずいっ、と武蔵はオッタルの目の前にまでやってきた。
「帯刀した相手を前にして、その意気や良し。……しかしだ、オッタル」
武蔵はその場でオッタルを見上げる。口の端には笑みが浮かんでおり、武蔵のその風貌も相まって、 見る者に何らかの企みがあるのではと感じさせた。
「いくら鉄拳と言えども、いくら手刀と言えども、素手は素手。鉄でもなけりゃ刀でもない」
「………」
「素手じゃあお前……刀には勝てんだろ」
なァ?とでも言わんばかりに武蔵が首をかしげた、次の瞬間………。
“見えない刀”が、オッタルの首へと振るわれた。
「あッ」
「え?」
それは誰の漏らした声だったのか。
満場の観客席。そこに座った者たちの中でも、その光景を見る事の出来た者はごく僅か。【ロキ・ファミリア】を除けば、おそらくは一部の上級冒険者にしか確認できなかったであろう。
ヘスティアたちの中で唯一、これに反応できたのはベルくらいだ。彼と最も多く行動を共にしていた所為か、ベルは目を見開いて驚愕の表情を浮かべた。
しかしそれ以上に
「!」
浮かべていた笑みはとっくに消え去り、無表情のまま
「なんと」
武蔵は呟く。
「なんとなんと……なんと
武蔵は再び笑みを浮かべながら、オッタルへと称賛を送った。
何の事だか分からないといった様子の観客たち。その顔ぶれの中に交じって、ちらほらと冷や汗をかいている者がおり、彼らは武蔵の言葉の意味を察して戦慄している。
「
「ふん」
感心したように頷く武蔵。“斬られた”オッタルはそんな事など意に介さず、武人然とした佇まいのままに口を開く。
「気は済んだか」
「ああ。おぬしのその
そう言って、武蔵はオッタルから距離を置くようにして離れる。
両者に開いた間合い。それはさながら、立ち合いを始める際に両者が対峙する光景を彷彿とさせるものだった。
「仕切り直しだ、ムサシ・ミヤモト」
「うむ。ここからだ『肉の宮』」
無防備とも見える武蔵に対し、オッタルは構えを取る。
中腰の姿勢で、身体は相手から見て斜め……半身。右手は曲げた状態で前へ晒し、拳は固く。左手は上体の横に、どんな状況にも対応できるよう、握りは緩く。
剣対
そんな言葉がぴったりと当てはまるこの光景に、観客たちは歓声を上げられずにいた。
オラリオの頂点に君臨するオッタルが構えを取ったと言うのに、沸けない。
まるで底が知れないダークホースの実力が見られると言うのに、沸けない。
その不可思議の意味を、誰もが心の奥底では感じ取っていた。
これから見るのは―――――殺し合いなのだと。