仕掛けたのはやはりとも言うべきか、オッタルだった。
前へ出たオッタルは同時に右拳を突き出す。その拳は真っ直ぐ武蔵の顔面へと向かってゆく。
一瞬の内に仕掛けられた攻撃を、しかし武蔵が食らう事は無かった。僅かに首を傾け、最低限の動きで回避してのける。
一気に肉薄する両者。
次いでオッタルは突上げ打ち、俗にいうアッパーカットを試みた。狙いは鳩尾、腹部に重いダメージを与える一撃を、これまた武蔵は拳を掴んで防ぐ。
「ッ」
ミシリ、と締められるオッタルの左拳。以前にも経験した万力のような武蔵の握力に僅かに顔をしかめるも、即座に次の行動へと移った。
空いた右手で武蔵の腰の帯を掴み、引き付ける。そのまま背負い投げの要領で持ち上げ、思い切り地面へと叩き付ける。
「ん゛……ッ」
ドッッ!!という轟音と共に背中から落下した武蔵はくぐもった声を漏らした。両手を後頭部に回して脳へのダメージは防いだものの、身体には凄まじい衝撃が駆け抜けていた。
常人ならば……否、例え良く鍛えられた冒険者であったとしても、オッタルによる地面への叩き付けを食らえば悶絶は必至である。
背骨は軋み、横隔膜はせり上がる。呼吸困難によって脳は混乱し、次の攻撃をまともに食らう事になる。大抵の場合はこれで
顔面を狙ったオッタルの踏みつけに合わせるように、武蔵の身体が跳ね上がる。
縦に、横に、斜めに。
ぐるちゃっっ、と体勢を変えた武蔵。片膝をついた姿勢のまま同時に抜刀し、刀を振るう。
「!」
オッタルは目を見開き、振り下ろしていた足を急停止させる。
武蔵の刀はオッタルの靴底を僅かに切り落とした。その断片が地に落ちるよりも早く、オッタルは後方に飛び退き、再び構える。
一方の武蔵も、オッタルから視線を外さずに立ち上がる。今度は納刀せずに抜き身のまま右手に携えている。
僅か数秒の間に起きたこれらの出来事。双方が見せた攻防戦に、誰もが息を飲んだ。
一般人も、冒険者も、神も。その多くが一言も発せぬままに生ける石像と化す中………声を上げる者たちがいた。
そう……【ロキ・ファミリア】である。
「ムサシ・ミヤモト………何という男じゃ」
ううむ、という呻きと共に、ガレスがそう零した。腕組みする彼の隣に座るリヴェリアは行儀よく両手を膝の上に置いているものの、その表情は非常に険しい。他の面子も同様だ。
「『
「切断、されていただろうね」
リヴェリアの言葉の先を口にするフィン。アイズたちも、周囲にいる観客たちも、
脚の切断。それが意味するところは大量出血。
命の源とも言える血液を失う事は死に直結する。ましてや太い血管の通る脚を切断されれば、いくら屈強な男と言えども早急な処置なくして存命はあり得ない。
すなわち、
有り得たかも知れない結末に、レフィーヤの顔が強張る。思わず杖を握る両手に力が篭り、隣に座るアイズが彼女の顔を覗き込む。
「レフィーヤ、大丈夫……?」
「あっ……は、はい。大丈夫、です……」
なんとか笑って見せたレフィーヤを心配そうに見ていたアイズは、そっと腰の愛剣に手を添える。
出発直前にフィンの口から放たれた武装命令。なんとなくその意味を直感したアイズは、再び視線をアリーナ中央へと送る。
例えその結果がどのようなものであったとしても決して目を背けないと、固く心に誓いながら。
睨み合う武蔵とオッタルに、場内中の視線が注がれている。
その中でも特に熱心に……というよりも、固唾を飲んで見守っている視線が四つ。彼らは最初にいた立ち位置よりも前に出ており、恐らくは行く手を阻む柵が無ければ、もっと前に出ていた事だろう。
「あれって……ムサシさん、ですよね……?」
「あんなスゴい
リリとヴェルフが呆けた声を発した。二人とも茫然とした顔をしており、額を流れる汗すら気になっていない様子だ。彼らの両端に立つベルとヘスティアも無言ではあるが、内心では似たような事を考えていた。
オッタルの拳を食らっても平然と立ち上がり、先程の猛攻を防いだ武蔵。あまつさえ、反撃。
武蔵は強い。その事は主神であるヘスティアもよく知っている事だし、共にダンジョンに潜ったベルたちならばなおさらである。ミノタウロス程度のモンスターであれば、苦戦することすら難しい。
それにしても……それにしても、である。
相手はあの『
そして同時に、思う。
果たして自分達は本当に、武蔵という人物の事を正しく理解しているのか?と。
強面だけど話してみたらそうでも無い(……多分)。
意外と好奇心が強い(………これも多分)。
そして勿論、強い(これはホントに)。
武蔵の印象を頭に思い浮かべたベルは、ここでハッと目を丸くした。何故今まで気が付かなかったのかと、不思議なくらいであった。
(僕………ムサシさんの事、全然知らないんだ)
自分の事を深く語ろうとしない武蔵。
浮世離れしたあの双眸―――。
他者との交流を拒絶したようなあの無機質な瞳―――。
とてもLv.1とは思えぬあの戦力―――。
精悍に過ぎるあの佇まい―――。
それらに気を取られ、上辺ばかりしか見ていなかった。それで満足し、武蔵という人物の事をまるで知ろうともしていなかったのである。
『ボクはね、ベル君……ムサシ君は、ボクたちとは見えているものが違うと思うんだ』
いつかのヘスティアの言葉が浮かび上がってきた。あの時は戸惑うばかりのベルであったが、今は違う。はっきりとした
見えているものが違ったのは、自分たちも同じなのだ。
「神様」
「ベル君?」
両拳を握りしめながら、ベルはヘスティアに語りかける。力強いその声に、ヘスティアは振り向く。
「僕……ムサシさんの事を、もっと知りたいです」
「……うん、ボクも」
短いベルの言葉。そこに込められた決意に、ヘスティアは神妙に頷いた。
「この戦いが終わったら、ボクもムサシ君と……ちゃんと話がしたい」
「ふむ」
片膝立ちの体勢から立ち上がった武蔵は、鼻を鳴らしながらオッタルを見やる。次いで、地面に落ちた靴底の一部に目をやった。
(脚を斬り落としたはずが……紙一重で避けたか)
オッタルは表情を崩さず、また闘志はいささかも衰えていない。己を相手にここまで立っていられる相手が現れたのは、一体いつ以来だろうか。
その事を嬉しく思いつつも、武蔵の脳裏によぎる先程の攻防戦。
虚を突いた一撃を躱してのけた驚異の反射神経。
地面に叩き付けられた際に感じた並々ならぬ膂力。
ごく僅かの間に味わったオッタルの実力の片鱗に、武蔵が抱いていた思いが更に高まる。
―――――こいつを斬りたい。
「ぅわ……ッ」
「ひっ」
観客席から短い悲鳴が上がった。その発生源はちょうど武蔵の正面側、彼の顔が視認できる場所だ。
彼らの表情には怯えがありありと浮かんでいるものの、まるで凍ってしまったかのように
何故?……その答えは武蔵を見れば一目瞭然だ。
武蔵の顔に浮かぶ喜色。
それはあまりに狂気的かつ、悪魔的。いっそモンスターの方がまだ可愛げがある表情のまま、武蔵は愛刀を両手で握る。
―――未だ見ぬ『肉の宮』の
めらぁ、と、武蔵の闘気が揺らめいた。
「……ッ!!」
「『肉の宮』」
その変化にオッタルが身構える。
目に見えるほどの闘気を滲ませながら、武蔵は口を開いた。しっかりと握られた刀の切っ先はオッタルを捉え、見る者の緊張感は途端に倍増する。
「いざ」
その言葉を契機とし―――――どろり、と。
武蔵が
「―――ッッ!?」
オッタルは我が目を疑った。
目を離してはいなかった。踏み込みの初動も見逃していなかったはず。
それなのに、目の前には武蔵がいる。
刀の切っ先を向け、突きの構えの武蔵。その腕を突き出すと同時に、オッタルも身体を左へとずらした。
喉を狙った一撃はその僅か数
オッタルから見て右斜め上からの斬撃。その場で巨躯に見合わぬ跳躍を披露し、空中で体勢を変える。オッタルは天地が逆転する視界の中で武蔵に蹴りを見舞う。
狙いは生命維持を司る部位、延髄。
刀を振り抜いた体勢の武蔵に防ぐ術はないと思われたが、それは違った。落としていた腰を更に落とし、すれすれの所でオッタルの蹴りを回避する。
再び開く間合い。
互いの攻撃が届くギリギリの距離で睨み合う両者。緊迫感はあれど、その光景は当初に観客たちが望んでいたものでは無い。
お伽噺の英雄が見せるような華麗な剣技。
軍勢を相手に無双するような凄まじい剛撃。
その応酬をこそ彼らは望んでいた。いちいち間合いが開き中断される戦闘など、退屈で仕方が無い。何なら野次の一つでも飛ばしてやろうとさえ思っていた。
………違った。
沸けない。
静けさが支配する場内とは裏腹に、彼らの胸中は荒れ狂っている。
そこには当初の興奮に沸く人々の姿はなく―――――息を潜めて事の成り行きを見届けるだけの、ただの人海が広がっていた。
(………なんだ、今の動きは)
オッタルは考えていた。
突如として眼前に現れた武蔵。確かにあったはずの間合いは無く、切っ先が突き付けられていた。咄嗟に左に躱したものの、あの時点での反撃は出来なかった。
回避一択。オッタルに
(踏み込みは無かった……が、
武蔵が目の前に現れる直前。
その身体が崩れ落ちたかのような動きを見せた。その意味が理解出来るのは、およそ上級冒険者くらいだろう。
つまりは、脱力。
力めば力むほどに筋肉とは強張り、動きは鈍くなる。良い動きをする冒険者はどんな場面に直面しても、ある程度の
緊張を飲み込み、リラックスした状態の動きこそが戦闘に於いても求められる。武蔵が見せた動きは、その最上位に位置する。
脱力による
言うに易し、行うに難し。この動きをできる者が果たしてオラリオにはいるのだろうか。
戦慄にも似た感覚を覚えるも、その程度で怯む“オラリオ最強”ではない。
拳を作り、再び構え直すオッタル。かの美女神に勝利を捧げんと自らを奮い立たせ、小さく息を吐いた。
「よく避ける……」
一方の武蔵は納刀しつつ、そんな言葉を口にしている。
身体は横を向き、視線もオッタルから外しているものの、そこには隙など微塵もない。不用意に間合いに入ってしまえばどうなるか、想像に難くはない。
「打っては躱され、蹴っては躱され、斬っては躱され、離れてはまた打って……いたちごっこもそろそろ飽いた頃だろう」
チキ……と刀を鞘に納めた武蔵は、肩越しにオッタルを見やる。
「なァ、『肉の宮』」
ぎょろりとした目玉が彼を捉える。言葉にしてはいないものの、その眼光は決して『逃げ』を許しはしない。
腹の中で燻り続ける欲望。『斬りたがり』の
「どうだ。ここらで一つ、斬り結んでみるというのは」