「はっ!」
襲い掛かってきた『キラーアント』よりも速く、ベルが動いた。
鋭い鉤爪で相手を切り裂こうとするモンスターに対し、ベルは手の内のナイフを閃かせる。サクッ、という音と共にキラーアントの片腕は切断され、体液を撒き散らせながら地に落ちる。
『ギイィッ!!』
痛みに呻くキラーアント。その背後に回り込んだベルは素早い動作でナイフを持ち替え、その首元深くにまで突き刺す。
『―――ッ』
甲殻の隙間を縫って叩きこまれた一撃により、暴れていたキラーアントの身体が倒れ込む。急所を突かれ絶命し、瞬く間に灰へと還ったその死骸から、ベルは魔石を取り出した。
「……うん、いい!」
ベルは魔石をポケットに突っ込み、上機嫌で手の内にあるナイフ……《ヘスティア・ナイフ》の感触に頷く。
『
「確かに。動きが良くなっとる」
と、ベルの後方でキラーアントとの戦いを見ていた武蔵がそう呟いた。
現在、武蔵とベルのいる場所は第7階層。『ウォーシャドウ』と並び『新米殺し』と言われる、キラーアントが出現する階層である。
既に何体もモンスターを倒しながらも、ベルの顔には笑みが浮かんでいた。ほんの数日前とはまるで別人のようなその戦いぶりに、それを眺めていた武蔵も静かに驚いていた。
(あの生白い童が、いつの間にこのような……これも“恩恵”というヤツか?)
「いやはや……驚いたな」
「そ、そうですか?ありがとうございます!」
称賛が込められた武蔵の感嘆の声に、ベルは照れながら頭を掻いた。
「でも、ムサシさんのほうがずっとスゴイですよ。あんなに速く刀を抜いてモンスターを……」
ベルは以前に武蔵がモンスターを仕留めた時の光景を思い出す。
モンスターの目前での抜刀にも関わらず、モンスターが飛び掛かるよりも先に斬ってのけた。もし仮に自分が武蔵と同じくらいの膂力があったとしても、ああは出来ないだろう。それ程の技術を武蔵は持っているのだ。
(本当、同じLv1……?)
「試してみるか」
ベルが密かにそんな疑問を抱いていると、不意に武蔵がベルの元までやってきて、そんな事を言い出した。
「え?」
「引っこ抜いてブン回す。言ってみりゃそれだけのことだ」
言うや否や、腰に差していた刀をベルに向かって放り投げる。「わわッ!?」と慌ててベルはそれをキャッチし、何とか地面に落とさずに済んだ。
「ほれ……やってみ?」
「あ………はい……」
そこまで言うなら……と、ベルはおずおずといった様子で、鞘に入った状態の刀をベルトの間に差し込む。不慣れな腰の重さに戸惑いながらも、ベルは見よう見まねで剣を抜く。
が。
「あッ、あれ?」
抜けなかった。
正確には途中までは抜けたのだが、その前に失速してしまった。見よう見まねの“居合”があっけなく失敗に終わり、カァァ……と恥ずかしさに顔を赤らめる。
「ハハハ……“べる”よ、そりゃあ無理だ」
武蔵は固まるベルに笑いかけながら近付く。その腰から刀を抜き取り、再び腰に差し直しながら武蔵は語る。
「引っこ抜いてブン回すとは言ったが、それは普通に使った時の話だ。しかし居合となると話は変わってくる」
「話が……?」
「腰だ」
ぱんっ、と腰に手を当てて、武蔵は目の前のベルを見下ろしながら告げる。
「腰を切る、腰で抜く。一文字に。
―――――じゃなければ間に合わぬ………じゃなければ
それが居合だ」
「…………ッッ」
ベルはその言葉に戦慄した。
居合というものがより高速で斬るための技術という事は、何となく知っていた。知ってはいたのだが、それなら最初から抜刀していた方が速いのでは、とも思った事もある。
まるで
「間に合わない………
その言葉に込められた意味を噛みしめながら、ベルは武蔵の言葉を反芻する。
「つまり、一撃に全てを込める……って事ですか?」
ベルは顔を上げてそう尋ねた。14歳のベルにとって武蔵の言った言葉の意味を理解するのは難しい事だったが、それでも一生懸命出したその答えに、武蔵はどう反応するか。
目の前に立つ武蔵の顔を見上げながら、ベルは回答を待つ。
「まぁそんなところだ。中々に難しいがな」
武蔵はそう言って、ぞり、と髭を撫でるのだった。
その後も様々な出来事があった。
ベルのナイフを目当てに近付いたサポーターが紆余曲折を経て仲間になった事。
宿敵とも言うべきモンスターと戦い、その末にベルがLv2に至った事。
ある鍛冶師がベルとの専属契約を結び、その流れで仲間と言えるほどの仲になった事。
日増しに賑やかになっていく【ヘスティア・ファミリア】。武蔵は最初の時ほどベルと共にダンジョンへ潜る事は無くなり、今ではオラリオを歩いて回っている事が多い。
そしてある日、武蔵がベル達と別行動をしている時に、それは起こった。
「すまん、ヘスティア」
【ミアハ・ファミリア】の
そして一柱の男神と、その
【タケミカヅチ・ファミリア】
彼らは13階層でベル達に『
自分達が不幸にあわせた冒険者が主神の神友の団員だと知った彼らは自身の行いを素直に白状し、現在に至るという訳だ。
「―――どうかボクに、力を貸してくれないか?」
それも受け止め、ヘスティアは【タケミカヅチ・ファミリア】の団員達に、ベル達を救出してくれと懇願した。
慈悲深さすら感じさせるその寛容さと毅然とした眼差しに、彼らは心を打たれた。無論、断る訳が無い。彼らはヘスティアの前に跪き、恭しく頭を垂らした。
「おッ、こんな所に居ったか」
カランッ、という鐘の音と共に、店内に何者かがやって来た。
一同が視線を向けると、そこには武蔵の姿があった。ばたん、と店の扉を閉めながら、武蔵は無遠慮にヘスティアに語りかける。
「屋敷にいっても居らんし、どこに行ったかと聞きまわっておったが……何かあったのか?」
「ヘスティア、彼は……?」
「僕の眷属のムサシ君だ。ムサシ君、実は……」
ミアハの問いに簡単に答えつつ、ヘスティアは武蔵にベル達の置かれた状況を説明する。その話が終わるまで武蔵はその場に立ち尽くしていた。
「……という訳なんだ」
「ふむ……」
「ムサシ君、どうか彼らと一緒に13階層まで……」
「断る」
その言葉に、この場にいる誰もが耳を疑った。
ベル達の危機だと言うのに、武蔵は助けには行かないと言ったのだ。その口から放たれた予想外の答えに、当然ながらヘスティアは困惑した。
「な、なんで……」
「これは”べる”達の不始末が招いた結果であろう。
さも当然のように言ってのける武蔵。
仲間の危機に対して余りにも淡泊なその回答に、【タケミカヅチ・ファミリア】の団員、
「なんて事をっ……!」
しかし、今回の騒動の原因でもある自分達の立場を思い出し、途中で言いよどんでしまう。そんな命に、武蔵のぎょろりとした両目が注がれる。
「娘よ。お前は“だんじょん”をどんな所と心得る」
「………?」
質問の意図が分からない命は、茫然と武蔵の顔を見つめる。周囲にいる者達も同じようで、その顔には皆一様に疑問の色が浮かんでいる。
誰もが口を開かない中、武蔵は視線を上へと向ける。
「
「今回の不覚―――“べる”達が妖怪どもを押し付けられた事、あいつらの油断によるところが大きい」
「常に気を張っていれば、そんな事にはならなかったはず」
「……違うか?」
「………ッッ」
「ちょっと貴方、そんな言い方……っ!」
武蔵の無機質な目でそんな事を言われ、ヘスティアは黙り込んでしまった。ミアハ達をはじめとした他の者達も同様に口を閉ざす中、見かねたヘファイストスが口を挟む。
「“お手柔らかに”と?」
「なっ……!」
「戦でそれを口にするつもりか」
瞬間、全員が理解した。
武蔵という男が持つダンジョンへの認識。そこへ挑む際の覚悟。そこで起こった全てが自分の責任であるという
格が違う。
「……分かったよ、ムサシ君。君は残ってくれ」
「うむ、相分かった」
「おい、ヘスティア!?」
言うや否や、武蔵は店の扉に手をかける。タケミカヅチがそれで良いのかと問う声を聞きながら、さっさと店の外へと出て行ってしまった。
武蔵という独特の雰囲気を持つ男を目の当たりにし、動ける者は誰もいなかった。
「ふむ……」
オラリオの建物から漏れる夕陽を浴びつつ、店から出た武蔵は視線を彷徨わせた。
ミアハの店と隣接する建物の隙間へと視線を向けていたが、やがて興味を無くしたかのようにその場から離れる武蔵。
オラリオの街並みを歩き続けて後ろ姿も見えなくなる頃、その隙間から二人の人影が現れた。
「行ったかな?」
「はい。そのようです」
出てきたのは一柱の男神と、一人の女性。【ヘルメス・ファミリア】団長、アスフィ・アス・アンドロメダとその主神、ヘルメスであった。
二人はベル達がダンジョンで行方不明となった事を知り、こうしてヘスティアの元までやって来た。が、武蔵がやって来た事により店の中に入るタイミングを逃し、こうして頃合いを見計らいながら隠れていた、というわけだ。
「何と言うか……強烈な人でしたね」
「ああ。あれがヘスティアの眷属だって言うんだからビックリだよ」
羽の付いた帽子を被り直しながら、ヘルメスは先程盗み聞いた武蔵の言葉を思い出す。ダンジョンで何が起きようとも自己責任、その考えが嘘などではないと、神であるが故に分かってしまった。
そして、楽しげに笑う。
「ベル君もそうだが……ヘスティアめ、面白い
ざっ、ざっ、ざっ、と歩く。
時刻は夜。魔石灯もほとんど見られない裏路地、そこを照らす明かりは月だけだ。
武蔵はミアハの店を出た後
しかし、その足は不意に止まった。
「……ここいらか」
武蔵は周りを見渡して、そう呟く。
場所はダイダロス通り。複雑怪奇な街並みは、不慣れな者が一度入れば抜け出すのが困難なほどに入り組んでいる。
空に浮かぶ月には雲がかかり、周囲をいっそう暗くする。そんな場所で、武蔵はくるりと振り返った。
「もう出てきても良いぞ」
建物の作る暗闇に向け声をかける。
すると何も無いように見えたその暗闇から、二つの人影が出てきた。
一つは巨大な男のもの。ぼんやりと暴かれるシルエットは筋骨隆々で、一般人にはとても見えない。
もう一つはよく分からなかったが、恐らくは女だ。全身をすっぽりと覆うローブで唯一露出している顔部分、その口元に薄い笑みが浮かんだ。
「気付いていたの?」
「半刻ほど前からな」
「残念、すこし自信があったのだけど……」
「そんな不躾な視線を当てられれば嫌でも気付くわ」
まるでこうなる事を予測していたかのように会話する二人。
やがて月を覆っていた雲が晴れ、再び月明かりが夜のオラリオを淡く照らし。その光は武蔵達にも平等に注がれ、暗闇に紛れていた二人の姿を照らし出した。
「ふふ……ごめんなさい、確かに少し遠慮が無かったわね。それにまだ挨拶もしていない」
女は被っていたフードを取り去り、その顔を武蔵にさらけ出した。長い銀髪が月の光を反射し、キラキラと美しく輝く。
素顔を晒した女は微笑を浮かべながら、静かに口を開いた。
「初めまして、ムサシ・ミヤモト」
その余りの美しさからあらゆる女神の嫉妬を集めているとさえ噂される女神……フレイヤは妖艶さすら秘めた表情でそう言った。
こうして武蔵は、図らずもオラリオの双璧とも言われる【フレイヤ・ファミリア】との邂逅を果たしたのだった。