気晴らし、という行動でもあったのだろう。
マキリスと呼ばれていたあの青年と会って以降、この胸に感じている妙な感覚から逃れるように、フィアはこの「アルカーデ」の町にある「集会所」へと向かった。
以前ペンちゃんが説明していたことだが、始まりの町ハーメラスにもあった施設と同じものがこの町にもあり、そこでは多くのプレイヤー達が各々にクエストを受注していた。
集会所で受注できるクエストは、当然ながら各町のギルドごとに異なっており、プレイヤー達が各町を旅回る目的の一つとして全ての町の集会所でクエストを完遂する「集会所巡り」というやり込み要素があった。
そんな集会所のシステムは至ってシンプルであり、施設内に掲示されているクエスト表から受けたい依頼を選び、受付まで提出することによって通常クエストを受注することができる。
尤も施設内に居さえすればプレイヤーのウインドウ画面から即座に同様の処理を行うことが出来るのだが、そこはやはりファンタジー的な臨場感へのこだわりか、あえて受付までクエスト表を持っていくプレイヤーが多いのだと言う。それには各集会所受付を行っている受付嬢がことごとく美人だというのも理由の一つだろうとペンちゃんは語っていた。
実際、フィアがハーメラスの集会所でクエストを受けた時に対面した受付嬢もまた、程よく親しみやすい美人だったことを思い出す。それに加えて彼女らの人気の秘訣は、NPCであることを疑うほど感情豊かに接してくれるのが大きいのだろう。
機械的に同じ台詞を述べるのではなく、彼女ら受付嬢の反応はプレイヤーごとに変わり、クエストを受けるプレイヤーに対して時に心配し、時に励まし、クエストを達成すれば安堵の笑顔で労ってくれる。現実では縁の無いような美人とそこまで気安く接することが出来るのだから、多くのプレイヤー達から人気があるのも頷けるだろう。さらに驚くべきことに、プレイヤーの中にはそんな受付嬢の一人に猛烈にアタックを仕掛け、恋愛ゲームよろしく攻略してみせた猛者まで居るとの話だ。
そういったこともあり、今では美人な受付嬢だけではなく女性ユーザー向けにイケメン受付兄貴を実装するべきなのではないかという声もちらほら上がっているようだが、それを運営が聞き入れるかどうかは定かではない。そんな余談である。
閑話休題。
今現在、フィアはそんな受付嬢の一人と向かい合っていた。
手頃なクエストを探して施設内を右往左往した後、フィアがこの「アルカーデ」の集会所受付にクエスト表を届けると、金髪美人の受付嬢は小さな子供に目線を合わせるように親身に応対してくれた。
「クエスト難易度E、「
やはりと言うべきか、彼女からはフィアの小さな姿が頼りなく見えるのであろう。受付嬢はソロでクエストを受けに来たことを心配げに訊ねてきたが、フィアは表情を変えずに「心配は無用」と返し、その根拠を述べた。
「フィアは採取が得意だと、ペンちゃんが言っていた」
フィアが今回受けようとしているのはモンスターの討伐ではなく、フィールドに生えている特定植物の採取である。元よりモンスターと積極的に対峙するような意志は無く、危険な行動をするつもりなどさらさらない。
そう伝えると受付嬢は未だ不安げでこそあるものの、フィアの意志を尊重して職務に当たり、クエストの補足として採取対象である「氷月花」についての説明を行った。
「氷月花はこの町から北に見える「シラユキ山」に分布しています。花弁が結晶のように透き通っている青い花で、月のようにキラキラ輝いています。山では、主に洞窟の中に咲いていますね。今回の納品数は1本だけですが、珍しい植物なので探し出すまで根気が要るかもしれません」
「シラユキ山……うん。フィアは、頑張ってみる」
子供のお使いのように丁寧に説明する受付嬢の言葉をフィアが復唱し、今のうちに頭に入れておく。
こういったクエストに役立つアドバイスを受けられることも、ウインドウ画面で処理をせずに受付嬢までクエスト表を持っていく利点の一つであろう。
神妙な受付嬢の声は単にクエストの成功率を上げる為ではなく、心からプレイヤーの無事を願っての助言に思えた。
「本当に気を付けてくださいね。この間の異変みたいに、最近この辺りは妙に慌ただしいですから」
「ありがとう。受付嬢さんは、優しい人」
「……すみません。私のことは、受付の
「? 受付の、お姉さん?」
「ほわっ、ほほほ……うふふっ、ありがとうございます、フィアさん。これからもわからないことがありましたら、どんどん相談してくださいね!」
「頼もしい、人……うん。よろしく、お願いします」
一連のやり取りを終えると何故か身もだえるように豊満な胸を抑え始めた彼女の姿に小首を傾げながら、こうしてクエストの受注を済ませたフィアはぺこりと一礼した後、集会所を出て採取場所へと進路を向けた。
シラユキ山。
永遠雪原内に聳える標高2500mもの雪山であり、この辺りでは最も大きなダンジョンだと言われている。
山を越えた先にはこのルアリス大陸一の大国「ルアリス王国」の王都があり、山は王都への最大の近道と言われているらしい。
尤も今回のフィアはこの山を越える気は無いが、おそらくレイカの次なる目的地はその「王都」になるのではないかと予想している。
この「HKO」のように自由性の高いオープンワールドのゲームを行う時は、目に見える大きなダンジョンから真っ先に飛びついていくのが彼女のプレイスタイルである。そんな友人がこれほど大きな雪山の存在を無視するとは思えないし、王都と聞いて飛びつかぬ筈もないだろう。
派手好きと言ってしまえばそれまでだが、それが友人の個性でもあった。
「大きな山……」
岩肌の一面真っ白に覆われた雪山を目の前にしたフィアは、その壮大な自然に圧倒されていた。
リアルの世界でも登山の経験はないフィアからしてみれば、こうして大きな山を前にするだけでも新鮮な気持ちである。今からこの場所を探索すると思うと、ゲームとは言え気後れしそうなほどだ。
空から降り注ぐ雪の量も山に近づく度に増えており、ゲームの中と言えどひんやりとした肌心地を感じざるを得なかった。そうなると感謝するのは寒冷地に一定の耐性を持つペンちゃん製のこの装備と、モフモフとした毛皮で肩から肌を温めてくれるリージアの存在だった。
「キュー……」
「大丈夫? 泉に、行く?」
しかし温かい毛皮に覆われているとは言え、本来の生息地ではないリージアにこの環境はきついのではないかと気遣い、フィアはリージアの背中を擦る。
この子が望むなら今からでも「生命の泉」へ避難させ、一人でクエストを行うつもりであったが……その問いにリージアは激しく尻尾を振りながら、抗議するように鳴き声を上げた。
そんなリージアの思いを、フィアの持つ「異種対話」のスキルが「心配するな」と訴えているのだと教えてくれた。
「辛かったら、言ってね?」
この子の意思ならばそれを尊重するまでだが、この環境下で見るからに衰弱するようであれば即座に「生命の泉」まで送り届けるつもりだ。
リージアは使い魔ではなくフレンド――友達なのだから、大切に扱いたい。それが、フィアの意志だった。
そうしてリージアと共にシラユキ山の登山を開始したフィアであったが、今回はあくまでも「氷月花」という花の採取が目的である。山頂を目指す気も王都を目指す気も、はてはダンジョンを踏破する気もないフィアはただひたすらに受付嬢のアドバイスに従い、目的の花が分布しているという「洞窟」を探し回った。
このシラユキ山の各所には天然の洞窟が各所にあり、珍しい植物や鉱石などもそこで採取することができるらしい。
そしてそういった洞窟が山のどこにあるかという情報であるが……有名どころに関しては既に冒険者の間で地図が出回っているらしく、これまた親切にも受付嬢が無料で配布してくれた。
そのような助けもあり、フィアは初めて訪れたこの雪山で遭難することなく、目的の洞窟を見つけることができた。
そこは前回見つけた洞窟とは違い、入り口からしてわかりやすい造りになっており、近くを通りがかれば即座に気づく大きな洞窟だった。
しかし洞窟とは密閉された空間であり、外以上に逃げ場が少なく、モンスターと鉢合わせる機会が予想される。
ここまでの道中、時折モンスターを見掛けた時は見つからないようにそっと横を通り過ぎていったフィアだが、新たなエリアに踏み入れる前に外面からはわからない顔つきで気を引き締め直す。
しかし、そこでフィアを待ち受けていたのは意外な光景だった。
「明るい……?」
受付嬢からの情報により天然の洞窟だと聞いていたフィアは、前回のように真っ暗な洞窟を歩くことを予想して予め洞窟探索用のランタンを購入し、アイテムボックスに用意していたのだが、いざ踏み入れると中は妙に明るかった。
外は曇り空である今、洞窟の中に太陽の光が入っているようにも思えない。
……いや、フィアにはその光が外ではなく、洞窟の奥の方から射し込んでいるように見えた。
「チチッ」
「リージア?」
洞窟に入って数歩歩くと、フィアの肩から下りたリージアが何かを警戒するようにピンと耳を逆立て、獣の本能を見せるようにぐるると唸った。
同時に、洞窟の奥から射し込んでいる淡い光が徐々に強まっていった。
「誰か、いる?」
この光は先に洞窟を訪れたプレイヤーのものなのではないかと疑っていたが、フィアはそれにしてはリージアの様子がおかしい、と感じる。
フィアが知る限り、初対面の人間が近づいてきた時は真っ先に物陰に隠れようとするのがこれまでのリージアだった筈だ。
そのリージアが今、洞窟の奥に向かって歯茎を見せて唸っている。敵意を剥き出しに、何かを威嚇するようにだ。
フィア自身もまた、この洞窟に入った時から妙な空気を感じていた。特に根拠があるわけではないが、直感的な、胸騒ぎのようなものだ。
そして、その直感は的中した。
フィアの前にはこの時、新たな出会いが訪れたのである。
「あっ」
体長は三メートル以上はあるだろう。一メートル以上ある尻尾からはバチバチと稲妻が帯びており、その身体からはこの洞窟を照らしている、淡い紫色の光が溢れている。
全身を覆う体毛は闇のように黒く、血のように赤く輝く不気味な双眸と相まって、その姿からはいかにも凶悪そうな禍々しさが感じられる。口を閉じた状態ですら剥き出しに露出されている大きな牙は、まさに命を狩る為の形状をしていた。
そんな未確認モンスターに対して、フィアはその姿に現実の動物を照らし合わせた抽象的なイメージを抱く。
「黒い……トラ?」
帯電していたり牙が大きかったり、その他諸々大きな違いはあるものの、その姿は黒いトラと呼んで差し支えないものだった。
そんな黒いトラを前にして小さなカーバンクルが威嚇を続けるが、このままではいけないと思ったフィアはリージアを庇うように前に出てトラの姿を見上げた。
「…………」
「…………」
沈黙が場を支配する。
フィアと黒いトラはお互いに見つめ合ったまま動かない。しかしそこで、フィアは黒いトラの身体の各所に傷がついていることに気づいた。
顔を見ても、心なしか疲弊しているように見える。どうやらこの黒いトラは、今しがたどこかで激しい一戦を繰り広げてきた後なのだろう。
「行って」
だとすれば、フィアの取る行動は一つだった。
未だ興奮に体毛を逆立てているリージアを抱きかかえると、壁際に寄って道を開ける。
傷つき疲労したモンスターが洞窟の出口付近までやって来たのは、おそらくは洞窟を出て逃走する為だろうと考えられる。こうして自分やリージアを前にしても、攻撃を仕掛けてこないのはその為だろう。
「フィアは貴方と戦わないから……ここは心配しないで、行って」
積極的に攻撃を仕掛けてこない相手に、自分から武器を取る気にはなれない。
見た目は闇の眷属のような見るからに凶悪そうなモンスターであるが、フィアは今、この黒いトラから敵意を感じなかったのだ。
故にフィアは、道を開けて逃走ルートを確保する。そんな小さな人間の行動に黒いトラは何を思ったのだろうか、白い息を短く吐いた後、僅かに目を伏せて歩き始めた。
――だが結果として、この場で黒いトラが出口へたどり着くことはなかった。
フィアではない何者かがこの場所へと割り込み、黒いトラの姿を見るなり猛スピードで襲い掛かったのである。
「いたぞおおおおっっ!」
一人は右手に拳銃のような武器を携えた、赤いスーツの男だった。
目にも留まらぬ速さで洞窟の奥から走ってきたその男は、銃口から光の弾丸を連射しながら黒いトラへと迫っていく。
「メアルガめ、二度も逃がさんぞ! いでよ、サンドラグーン!」
「尻尾は切る! 役目だからな!」
赤スーツの男に続いて現れたのは、これぞファンタジーと言ったところか、現実的に有り得ない奇抜なヘアースタイルをした少年と、フルフェイスの鎧を纏う大剣の男だった。
静かな場所に突如として起こった、三人の乱入である。
三人とも、おそらくはプレイヤーであろう。黒いトラを狙って果敢に攻撃を仕掛ける姿は以前出会ったキラー・トマト達以上に洗練されている気がした。
そんな最中、黒いトラの近くに居るフィアの姿に初めて気づいたのか、先行して迫って来た赤スーツの男と目が合う。
「ん、ああ、他のプレイヤーと鉢合わせちまったのか……悪いな。アイツは俺達の獲物だからよ……って、お前は!?」
「……?」
「……いや、なんでもねぇ」
何故か、フィアの顔を見た赤スーツの男が驚いたように目を見開いたが、すぐに平静に戻って視線を外す。
黒いトラを包囲する三人のプレイヤーによって、この場は混沌に飲み込まれようとしていた。