どれぐらい眠っていたのだろうかと時計を確認してみると、時刻はあれから一時間程度進んでいた。
志亜としては数日間眠っていた気分だったが、実際に経過していた時間はまだ短く済んだ方であろう。
そんな志亜が目を覚ますまでの間、献身的に隣でずっと寄り添っていたのがクレナである。
彼女は今も志亜の手を割れ物を扱うような手つきで掴みながら、隣り合わせのソファーに腰掛けていた。
――随分と、心配を掛けたようだ。
彼女の傍にいる今、この胸に同居する「ユウシ」の心が喜んでいるのがわかる。
志亜自身もまた彼女の温かい手は、母親の手のように心がぽかぽかしていくように感じていた。
欠けていたピースが揃ったような、落ち着いた気分である。
自然と口元が綻んでいる志亜と向かい合いながら、この部屋の主であるソロが言った。
「まずはおかえり、と言っておこうか。あのまま戻ってこなかったらと思うと、僕も肝を冷やしたよ」
「キズナが、志亜とユウシを助けてくれた。志亜は志亜だと、やっとわかった。……ううん、本当はもう、とっくにわかってた」
深い闇の中、あそこで志亜が見たものは夢であって夢ではない。少なくともシライシユウシの妹、キズナがこの背中を後押ししてくれたことは自分の妄想ではないと志亜は感じていた。
故に、志亜はもう狼狽えない。
迷いなく真っ直ぐに見つめる志亜の瞳から、今までにない明確な変化を読み取ったのか、サングラスの裏でソロが僅かに目を見開いたように感じた。
「それで、君はどこまで思い出した?」
単刀直入にそう訊ねてきたソロに、志亜は偽りのない言葉で応じる。
「……ほとんど全部、思い出したと思う。ユウシのことも、キズナ以外のみんなのことも、ヘブンズナイツのことも、もちろんクレナのことも……貴方のことも」
「そうか……しかしその様子を見ると、記憶を取り戻した今も人格は変わっていないようだね」
「うん、志亜はユウシの心と……一緒にいる? そんな状態なんだと、思う。今も、ユウシの心を感じている」
「なるほど。二重人格、とはまた似て非なる感じか。クレナの状態に近いのかもしれないな」
今の志亜は前世での自分が精神崩壊に至るまで、かつての人生で記憶していたことのほとんどを覚えている。
しかし、記憶を取り戻したからと言って今の志亜がシライシユウシの心に塗りつぶされたわけでも、成り代わられたわけでもなく――双葉志亜という人間は、あくまでも彼女のままだった。
一緒にいる、という表現のままに、志亜は志亜として、ユウシはユウシとして二つの心が反発し合うこともなく同じ心に共存しているというのが、拙い言葉では表現しきれない今の志亜の状態だった。
そのことを説明した上で、志亜はこの場に居る二人に対して深々と頭を下げる。
ソロにも謝らなければならないことがあると思ったが、記憶を取り戻した志亜が最初に謝らなければならないと思ったのは、今もこの手を心配そうに握っている紅の少女に対してだった。
「クレナ……ごめんなさい」
「……ユウシ、どうして謝るのですか?」
「志亜が、志亜だから……志亜は志亜がユウシじゃないことを、謝らないといけない」
「それは……」
クレナは今、生まれ変わったユウシと会えたことをきっと喜んでいるのだろう。
志亜はキズナと対面したあの闇の中で、自分が選んだ道を後悔してはいない。しかしそれは彼女にとって辛いことになるかもしれないと思い、志亜は謝ったのだ。
――自分は、ユウシそのものではないのだと。
しかしせめてもの気遣いとして、志亜は自分の中にある「彼」の気持ちを包み隠さず彼女に明かした。
「ユウシは、悲しんでいた」
「――!」
「ずっと、苦しいと思っていた。貴方を死なせてしまったことを……ユウシはずっと、泣いていた」
「っ……いいんです! いいんですっ、そんなことは!」
守れなくてごめん。
守ってもらってごめん。
何も返してやれなくてごめん、と――ユウシの心は彼女に謝っていた。
それが、ずっと抱き続けてきた前世の後悔だったのだろう。
ユウシの気持ちを代弁する志亜に、対するクレナは取り乱したように叫んだ。
彼女からしてみれば、彼が申し訳なく思う気持ちはまったくの見当違いであると。
そう、クレナは声を荒げる。
「私は貴方さえ……貴方達兄妹の為に死ねれば、それで良かったんです! アカイクレナは、貴方達のおかげでもう十分幸せだったんです。だから、貴方は……ユウシだけは、そんな顔をしないでくださいっ!」
「クレナ……」
「貴方に謝られたら、アカイクレナは何の為に生きていたんですか!? あの世界で戦っていた私は一体、何の為に……!」
クレナが見せたその反応に、志亜は自分の言葉選びが間違っていたことを思い知った。
――彼女に言うべきだったのは、謝罪ではなかったのだ。
きっと誰よりも「彼」のことを愛し、「彼」の為に生きていたクレナにとって、その相手から謝られることは信念を傷つけられることになるのだろうと、志亜は理解した。
……こんなにも想われて、ユウシは幸せ者だ。前世の自分の心が彼女の熱情を受けて照れているのがわかり、志亜は心の中で苦笑を浮かべた。
「さっき、記憶を思い出すまで……志亜はユウシのことを、不幸で救われなかった人だと思っていた。でも」
憎しみだけに取り憑かれた復讐者として死んでいったシライシユウシは、確かに悲しい人生を送っていた。
だが、それだけではなかったのだ。志亜は今まで自分が思っていたよりも、生前の「彼」が多くのモノに恵まれていたのだと理解した。
彼の傍には、今の志亜と同じようにいつだって「愛してくれる者」がいた。
「貴方がいた。彼には、彼のことを想ってくれる仲間が、みんながいた。……ありがとう、クレナ。貴方に言うべきだったのは、「ごめんなさい」じゃなくて「ありがとう」だった」
彼の心が叫んでいる言葉のままに、志亜は自らの思いを彼女に伝えた。
彼女の手を両手で包み込みながら、微笑みかけて紅の瞳を見つめる。
揺らめく炎のように、強くて澄んだ瞳。キズナとは違うけれど、優しい色をしている。
吸い込まれるようなその紅色に、志亜は純粋な心で見入っていた。
「ユウシ……」
「ユウシは、貴方のことを愛していた。生まれ変わりの志亜は、貴方を愛していたユウシとは違うけれど……志亜の心の中で、ユウシは今もこう言っている」
志亜がユウシの心を語る度にクレナは微笑み、だがくしゃりと泣き出しそうな顔をし、悲しげに俯き、やがて口元を震わせながら顔を上げると、再び微笑みを浮かべている。
それが、アカイクレナという女性が自分に――自分にだけ見せていた強がりの笑みであることを、ユウシは知っていた。
だから、ユウシはいつまでもそんな彼女のことを気に掛けている――そして、同じ魂を持つ志亜もまた、大切にしたいと愛おしく思った。
「また、一緒にいていい?」
それが、前世から続くわがままだとしても。
シライシユウシの生まれ変わりである、双葉志亜は彼女に願った。
器が変わり、何もかも変わってしまった自分だけど、もう一度一緒にいたいと。
それはこの平和な世界で、共に戦う仲間でも恋人でもなく――ただ一人の友達として。
志亜の言葉にクレナは顔を伏せると、目元を袖で拭って口漏らす。
……馬鹿です、と。
顔を上げて微笑み、彼女は震える声で返した。
「馬鹿です……本当に、なんでそんなずるいことを聞くんですか、貴方は」
今度は強がりではない、彼女が心から見せてくれた笑顔だった。
そんな彼女は未来で散った「アカイクレナ」ではなく今を生きる「紅井クレナ」として、ユウシではない双葉志亜に向かって問い掛けた。
「双葉志亜……ユウシは、そこにいるんだな……?」
「うん。ここに、いるよ」
「なら……私の中にいる、アカイクレナもこう言っています。もう、ユウシと離れるのはイヤだと。そこに貴方がいるのなら、誰に生まれ変わろうと、何度でも迎えに行くと。私も……紅井クレナも、そう思っています」
「うん……ありがとう」
かつて愛し合い、砕け散った魂は、形を変えて巡り会った。
最後までこの出会いを、志亜の中にいるユウシもクレナの中にいる未来のクレナも求め続けた。
だから。
「双葉志亜……と呼んだ方がいいのかな。貴方のことは多分、これから何度もユウシと呼ぶかもしれない」
「いいよ、呼んでも。クレナになら、それで」
「……っ」
だから、生まれ変わった二人の道は、再び交わる。
それがかつて心を通わせあった二人の願いでもあり、自分達の過去への決着だった。
「彼のことを大事にしてくれるのは、志亜も嬉しいから……だから、これからもよろしくね」
逡巡するように揺れ動いていたクレナの眼差しが、次第に一点を見据えていく。
そして、彼女は大きく頷いた。
「……ああ、もちろん」
二人の少女の両手が折り重なり合い、お互いが微笑みあった。
二人の様子を見守るように静かに見据えていたソロが、ようやく口を挟んだのはその後だった。
彼女らが一先ずの落ち着きを見せたところで、彼が志亜の目を見つめる。
「君が双葉志亜であり、ユウシの心と絶妙に共存している状態だというのはわかった」
「うん」
「そこでだが……今の君はこの僕、「魔王ソロ」のことをどう思っているのか聞いていいかな?」
クレナの体温をその手から感じたまま、志亜は臆することなくサングラスの男と向かい合う。
その心にはもう、気絶前までに感じていたざわつきはなかった。
ただ、同じ胸にあるユウシの感情が静かな昂ぶりを発しているのはわかる。
「ユウシは、貴方に怒っている。だけど、また会えて嬉しいとも思っている」
「……そうか。では、志亜さん自身はどう感じている?」
「志亜は、まだ貴方のことがよくわからない。だけど……貴方に乱暴してしまった。ごめんなさい……ごめんなさい」
「乱暴? 何のことを言って……ああ、飛び掛かったことか」
前世で彼と複雑な因縁を抱えていたユウシの心は、彼に対して怒りや悲しみが入り混じった酷く混沌とした感情を抱いている。
しかし、それらを除いた志亜自身の感情で言えば如何とも表現できないのが正直な気持ちだった。
今はただ先ほど、取り乱して彼に飛び掛かったことを申し訳なく思っているところである。それが、彼に対して謝らなければならないと思っていることだった。
しかしそんな志亜の詫びに対して、当のソロは頬を緩めながら肩を竦める。
「なに、あの程度のじゃれつきなら寧ろご褒美だよ。君の心情を考えれば、僕に糾弾の権利はないさ」
じゃれつき、と……彼は志亜の振るった暴力を最初から無かったことにするように表現すると、爽やかな表情を浮かべて不問だと言い切った。
そんな彼の端麗な顔をクレナが志亜の隣から圧殺するような眼光で睨んでいたが、志亜が彼女の手を握る力を少しだけ強めると、クレナは渋々といった具合にそっぽを向いて目を逸らした。
なんだか、子犬時代のイッチーみたいだ。失礼ながら昔の愛犬の姿を思い浮かべる志亜に、ソロがパン、と手を叩いて話題を戻した。
「さて、じゃあ気を取り直して話の続きを始めようか」
先ほどはアクシデントが発生したが、元々志亜がこの場所に連れてきてもらったのは【
志亜は頷きを返し、件の情報を求めた。
「まあ、ほとんど全ての記憶を思い出したのなら、君も既に察しがついていると思うが……あのゲーム、【
その事実は、既に志亜の中でも確信がいっていた。
思えば志亜があのゲームの世界に既視感を感じていたのも、前世の「ユウシ」が実際に似たようなものを見てきたのだから当たり前の話だ。
似ているのではなく、似せているのだ。全ては製作者たるソロが意図してゲームの設定を現実の「異世界フォストルディア」に近づけていたからというのが、事の真相だった。
だが、その理由は今の志亜にもわからなかった。
「……どうして、そんなことを? 何のために、ゲームを?」
「そこでお金の為という発想がないあたり、志亜さんは純粋な子だね。純粋で、優しい子だ。クレナに説明した時なんかは、「私達の死を金儲けに使う気か」と殺されかけたもんだけど」
「当たり前だ、下種が」
「クレナ……ひどいことは、やめて。貴方がソロと喧嘩をするのは、苦しい」
「……すみません、ユウシ」
もしも彼が己の利益の為だけに前世での出来事を利用し、一攫千金を狙っていたのだとすれば志亜も憤りを感じたかもしれない。
だが、志亜はその可能性を始めから疑っていなかった。
少なくとも志亜の中にあるユウシの心には「彼がそんなことをする筈が無い」という妙に絶対的な信頼があり、記憶を取り戻した志亜自身も同様に思っていた。
この人があのゲームを作ったのには、利益とは別に何か大きな目的があるのだろうと。
――ソロという人物は、名前通りひとりぼっちの男だ。
何もかもを一人で抱え込み、守りたかった者も失い、最終的には大魔王となって最悪の事態を引き起こした。
そんな彼を止める為に、シライシユウシとキズナ、アカイクレナは最後の戦いに臨んだ。
……志亜は目の前の男が抱えている、前世のユウシのそれよりも深いと感じる「闇」を思い、栗色の瞳を震わせた。
そして、思い出す。彼の身に起こった悲劇的な過去を。
濃厚になることはないと思いますが、保険としてガールズラブタグをつけておきました。
クレナの態度がかなり雌に豹変していますが、普段の彼女は気張って強がっているだけなので実はこちらの態度の方が素に近いです。
つまりヤンデレはデレる相手とセットでようやく真価を発揮するということ・:*+.\(( °ω° ))/.:+