フォストルディアから争いを無くす、という神巫女ロラ・ルディアスの理想を現実にする為の騎士団――それが、かつてソロが作ったヘブンズナイツという組織だった。
人類側にも属さず、魔王軍にも属さない。新たな第三勢力として結成されたそれは、志亜が思い出した記憶の中で一際強い存在感を放っていた。
「……そこは、ユウシ達の新しい居場所だった」
わけもわからないまま一方的に異世界召喚され、強制的に戦わされ、命を擦り減らしてきたかつてのユウシ達。
そんな彼らの心を一時でも救ってくれたのが、かつての親友ソロと共に戦うことが出来たヘブンズナイツだったのだ。
まるで子供のごっこ遊びのような正義の味方を体現していて――けれど本気で、ロラを守る為に組織を作ったソロの信念は、騎士団に属する者であれば誰もが深く理解していた。
「ロラが生きていた頃はな……」
クレナが心なしか寂しそうに呟く。
今でこそ険悪な感情を向けているクレナとて、ヘブンズナイツに居た頃はユウシの親友であるソロのことを信頼していたし、良好な関係を築いていたのだ。
故にユウシにとってヘブンズナイツとは自分達の新たな居場所であり、家族でもあった。
共に召喚され、絆を深めた同期の勇者達が何人も死んでいったからこそ、その居場所に対する執着は非常に強かったと――志亜は、かつてユウシが抱いていた心情について客観的に分析する。
――もう誰一人、死なせるものか!
その胸に希望が宿ったからこそか。そんな言葉が口癖になるほどに執念を燃やし、帝国の支配から逃れたユウシは今度は自分の意志でソロとロラ、ヘブンズナイツの為に戦った。
そしてそのような彼の尽力とロラの導きやキズナの献身、あらゆる要素が噛み合って、絵空事のような理想は凄まじい速度で現実へと迫っていったのである。
元々、終わりの見えない戦争を続けていた人々の多くが魔族、人類共に疲れ切っていたのも大きいのだろう。
騎士団の活動から順調に同志を増やしていったロラは、武力だけではなく言葉によって数多の争いを鎮めていった。
――しかし。
「全てが狂ったのはあの時だった」
志亜はユウシの心に刻みついている悪夢のような記憶を掘り起こし、苦渋に染まった目で顔を伏せる。
言い淀んだ志亜の言葉に続くように、ソロが言った。
「世界平和が達成できるあと一歩のところで、ロラは殺された。彼女が守ろうとしていた、人間の悪意によって」
たった一年の間に華々しい功績を上げたヘブンズナイツであったが、世界平和という本来の使命を果たすことは終ぞ出来なかった。
騎士団を結成したソロが、全てを投げ打ってでも守りたかった女性が――ロラ・ルディアスが悪意ある人間達に後ろから撃たれ、その命を散らしたのである。
「……フィクス帝国」
当時のことをはっきりと記憶しているヘブンズナイツの一員――アカイクレナの記憶を持つ紅井クレナが、元凶の名を呟く。
全てが狂った。
ロラ・ルディアスの死によって何もかもが壊れ、「魔王ソロ」が誕生したのもその時だった。
「ロラ様が死んで、ヘブンズナイツのみんなもいなくなって……貴方は、ユウシ達の前から姿を消した」
「ああ、黒崎ソロは彼女の死をきっかけに、魔王ソロになった」
「……貴方の心は、悲しくて壊れていた」
「いや、正気だったさ。僕は彼女が殺されたあの時、正気で思ったんだ。こんな世界、滅びてしまえってね」
ソロ、そしてユウシ達の人生に光を与えてくれたロラ・ルディアスは、人間の悪意によって報われぬまま命を落とした。
そして生前の彼女のことを誰よりも想っていた彼が、彼女亡き世界で何を見て何を選んだのか――それは、ほんの僅かなボタンの掛け違いだったのかもしれない。
彼女の分まで生きて彼女の代わりに世界平和を成し遂げることを、黒崎ソロは選ばなかった。
愛する人を殺された彼の選択は平和への祈りではなく、自身の悲しみを……憎悪を撒き散らすことだったのだ。
「典型的な闇落ちって奴さ。何もかもが許せなくなった僕は、ヘブンズナイツを離れ魔界へ行き、バアルに替わる新しい魔王になった。そして憎しみの赴くまま、地上の人間達を手当たり次第虐殺してやった。……我ながら、歴代最悪の大魔王だったと思うよ」
「……っ」
「そんな僕は君達兄妹の懸命な説得にも耳を貸さず……僕は君達とも決別した。君達はそんな僕を止める為、最後の戦いに赴いた」
「……ユウシもキズナも、貴方の復讐は間違ってると思ったから」
わかり合っていた筈の彼らは、たった一人の女性の死によってバラバラに引き裂かれた。
そこからは、これまでの志亜が覚えていた朧げな記憶の通りだ。
何もかもを失う戦いに再び身を投じ、皆が破滅していった救いのない記憶である。
そんな背景があるからこそ、ソロの蛮行を見てきたクレナの視線は厳しかった。
「復讐に走ったお前は、お前自身が作ったヘブンズナイツを見捨てて、ユウシとキズナの心を苦しめた。二人はロラを失ってもお前を信じていたのに……お前は、裏切ったんだ」
先ほどから呂律の安定し始めたクレナが、前世と同じ口調でかつてのソロの行動を責め立てる。
失望と、憎悪。静かな怒りに燃える紅の瞳は、彼の行動を真っ向から否定するものだった。
「だから私は、お前を許さない」
「クレナ……」
優しいユウシが許しても私は絶対に許さないと、念を押すように彼女は宣言する。
志亜もまた、自身にあるユウシとしての感情が彼に対して深い部分で相容れない思いを抱いていることを感じていた。だからこそ、彼女の怒りを鎮めることが今の志亜には出来なかった。
そんなクレナに対して、ソロは尚も冷静な表情を崩さない。
「その怒りは正当なものだ。僕だって今更、君達と仲良く出来るなんて考えていないさ」
「ソロ……ユウシも、貴方に怒っていた」
「それも正当な怒りだ。かつてのクレナを殺したのは、僕みたいなものだからね。彼女は僕の攻撃から君達を守る為、副作用に蝕まれた身体で最後の力を振り絞った。その果てに自爆同然の一撃を放って命を落としたのだから」
「……あの一撃でお前を仕留めきれなかったのは誤算だった」
ユウシが愛したアカイクレナは、ユウシ達を守る為、魔王ソロと戦って死んだ。
ユウシが誰よりも守りたかった妹のシライシキズナは、魔王ソロの城で傷ついたユウシを助ける為、全ての力を使い果たして死んだ。
そしてシライシユウシは全ての元凶である召喚師ゼン・オーディスへの復讐の果て、蒼い空の下で息を引き取った。
それらが、志亜の知る大切な者達の最期である。
全ての元凶は召喚師オーディスと彼の所属するフィクス帝国かもしれないが、愛する者の仇は目の前にいる魔王ソロその男だと言えるだろう。
しかしソロもまたユウシにとっては親友であり、ヘブンズナイツとして共に戦った大切な仲間の一人だった。
故に、志亜には彼に対して憎しみを抱くことが出来ない。
だが、かと言って全て終わったことだと受け止めることも出来ず、複雑な……あまりにも複雑な心境だった。
手を取り合うことも出来たのに、よりにもよって最悪な道を歩んでしまったのが前世の記憶である。
これまでのソロとの語らいの中で次第に整理されてきたその記憶に対して、志亜はただただ悲しみを抱いた。
しかしこの記憶の中で、志亜には一つ腑に落ちない点があった。
ここまでほぼ完璧にユウシの記憶を取り戻した志亜であったが、ある部分の記憶だけ不自然に歯抜けになっているのだ。
「……ソロ」
「どうした?」
記憶を大々的に取り戻した今だからこそ、その欠損は今までより強く目立った。
歯抜けになっている不自然な記憶について、志亜はサングラスの奥にあるソロの瞳を見据えながら、再び真実を「知ること」への恐怖を振り切るように告白した。
「志亜は、貴方との決着を覚えていない」
サングラスに隠されたソロの目からは、どんな色を映しているのかも読み取れない。しかしその言葉が放たれた一瞬、彼は表情を変えて呼吸を止めたように感じた。
「クレナがユウシの為に貴方と戦って、消えたのは覚えている……だけど、その後のことが、わからない……」
志亜が当初知りたがっていたかつての仲間達のことは、全て思い出すことが出来た。
しかし大部分の記憶が蘇っても尚、彼の――魔王ソロの最期だけは、酷く朧げだったのだ。
これまでも「ユウシが魔王を倒した」という記憶だけは、断片的に覚えていた。
記憶を失っていた頃も、その事実だけはフラッシュバックを通して見たことがあるのだ。ただ、その時は魔王という存在が誰で、どういう関係だったのかわからなかった。
しかし、今ならわかる。
唯一生き残った勇者であるユウシが戦い、滅ぼした魔王とはまさしく黒崎ソロのことだったのだと。
そして、その記憶が確かならば……志亜は生前のユウシが背負った業の深さを、改めて思い知ることになった。
ユウシは自分の手で親友を――ソロを殺したのだ。
「……
あの闇の中で志亜が自分自身を見失っていれば、それはとてもではないが耐えられなかった真実であろう。
ユウシとして訊ねた志亜に、ソロは僅かな沈黙を経て口を開く。
「それだけは、思い出しても意味のない記憶だと言っておくよ」
明言を避けるように、曖昧な言葉でソロが応える。
しかし僅かに空けたその沈黙が、何よりも志亜の質問に対する的確な答えになっていた。
ハッと目を見開く志亜に、ソロが微笑を浮かべながら続ける。
「まあ、僕も君と似たようなものだよ。ロラの復讐で大虐殺をした僕は、なんやかんやで最後は魔王らしく滅ぼされ、この命を落とした。そして、パラレルワールドであるこの世界に生まれ変わり、今がある」
「………………」
「さて、記憶の擦り合わせはこの辺にしようか」
そう言って、ソロは自身の前世についての語りを打ち切る。
前世の振り返りをしたのは、自身が過去に起こした行動の全てが今のソロの行動原理になっているからなのだろう。
素顔を隠し、未だ目の色が読み取れない彼が感慨に浸るような態度で本題を切り出す。
「前世では色々なことがあった。お互いに魔王と勇者として、親友同士で殺し合ったり、本当に色々……今世では、そんな過去を全部水に流そうなんてことも考えていない。だけど、そんな前世の記憶を持って生まれた僕は、決めたんだ」
かつて魔王ソロだった彼が、ゲーム会社の社長「皇ソロ」となった理由である。
「あの世界であったことを、地球の人達にも知らしめてやろうってね」
それこそが異世界フォストルディアに限りなく近いシステムのVRゲームが世に生み出された理由……志亜の知りたかった真実だった。
「それが、ヘブンズ・ナイト・オンライン……」
タイトルに彼がかつて見捨てた居場所の名を冠したのは、彼なりの未練か、それとも罪悪感か。
いずれにせよ、ユウシの心を持つ志亜には自然なほど納得の行く話だった。
「貴方の力で、つくった?」
「ああ。協力者を集めて会社を立ち上げ、「創造の力」でゲームを作った。前世で持っていた力を、この世界まで持ち越せたのはラッキーだったよ」
「クリムゾン・ヒートを……平和に使った?」
「そういう見方もあるか。こんな使い方をしたのは、あっちの歴史でも僕だけだろうね」
双葉志亜には魔力もC.HEAT能力もないが、彼がその力をこの世界でも使えるのならあのような現実離れしたゲームを作ることも確かに可能であろう。
まるでファンタジーのように作り込まれた新感覚のVRゲームには、本物のファンタジー由来の力が関わっていたというわけである。
そしてそんなことを思いつくだけの遊び心を持っているのもまた、ユウシの親友である黒崎ソロという男だった。
「……言ってたもんね。戦いが終わって平和になったら、世界中のみんなが一緒に遊べるゲームをつくりたいって」
「フォストルディアには娯楽が少なかったからね。何よりロラが地球のゲームというものに興味津々だった」
「……そう、か。それが、あのゲームをつくった理由……」
ここまで壮大な自分語りをしたのは、この説明を聞いたところでソロの背景を知らなければ要領を得なかったからであろう。
かつて異世界であった出来事を、何も知ることのなかったこの世界の人々に知らしめたい。
それは、誰にも知られることなく散っていった大切な人達が生きていた証を、世に伝えることと同義なのだ。
彼が今、そんなことを考えているのならば……志亜は問い掛ける。
「ソロは……ソロも、みんなのこと、好きだった?」
最後には魔王となってヘブンズナイツを裏切り敵対した彼の心に、今も仲間達への愛情が残っているのなら……
「……好きだったよ。地球上の誰よりも」
今はただ、「志亜として」それを喜びたいと思った。