蒼紅天使のマスカレード   作:GT(EW版)

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生物部の平和なひととき

 那楼高校生物部において、双葉志亜という部員は特別な存在だった。

 マスコット的な――些か失礼な表現かもしれないが、部員の誰もが存在を気にかけているほどに彼女には不思議な魅力があったのだ。

 そんな彼女に向ける感情の色は部員によって違うが、どれもいい意味での感情であることに違いはない。

 生物部の部長「紫藤美夏」もまた、双葉志亜のことを溺愛している先輩の一人だった。

 

 具体的には自分が少し疲れを感じている時には彼女を膝の上に乗せて髪を解いてあげたりするぐらい、美夏は志亜のことを好意的に思っている。

 

 彼女から漂うほんわかした空気が、美夏にとって日々の癒しとなっているのだ。

 

「志亜ちゃんの髪は本当にさらさらね」

「ん……ありがとう、ございます」

 

 癖がなく、まるで幼子のようにさらさらとした髪の感触は、まるで彼女の素直な性格をそのまま表しているかのようである。

 そう思いながら美夏が志亜の髪をいじっていると、志亜がこそばゆそうに笑った。

 

「ふふ、先輩はとても上手。志亜は気持ちがいい、です」

「あら、これでも美容師志望なのよ?」

「お店を開いたら、行きます」

「ありがとう志亜ちゃん」

 

 美夏は中学卒業後の進路をこの学校か専門学校かで迷っていた程度には、元々人の髪に触れることを楽しく感じていた人間である。今も独自に勉強を進めている最中であり、高校卒業後はその道を目指すつもりで将来の目標を固めている。

 そんな彼女にとって、いじりがいのある志亜の髪質はまさに理想のお客さんと言えるものだった。

 思わず微笑みを浮かべる美夏の楽しそうな様子を見て、同じ部室にいる生物部員達がひそひそと言葉を交わす。

 

「……俺は時々、双葉と接触している時のあいつに何か危険なものを感じるんだが」

「はは……美夏も色々疲れてるんだよ。双葉と話している時が一番癒されるんだってさ」

「まあ、気持ちはわからんでもないが……」

 

 美夏の同級生である、二年生部員の里阿充(りあみつる)と青木翼である。

 傍らの席には彼女らの後輩であり、志亜のクラスメイトである城ケ崎麗花の姿もあった。

 麗花が美夏の手で整えられていく志亜の髪を見て、あら?と感心げに目を見開く。

 

「今日はツインテールですか。志亜さんは色々な髪型が出来ますから、少し羨ましいですわね。まあ私のこのヘアースタイルだけは、どんな髪型よりも上位に君臨する唯一無二のものですが」

「麗花さんのは本当にどうなってるのかしらね……何もいじらなくてもその髪型になるのは、何か魔法でも使っているんじゃないの?」

「うふふ、革新者ですから」

 

 本人の意思に関係なくドリルのような巻き髪で固定されている奇怪な髪質を持つ麗花は、最初の方こそ自分と対照的な志亜の髪を羨むように眺めていたものだが、すぐに自信満々な態度に戻り何故か踏ん反り返って得意げな表情を浮かべる。

 彼女の左右で揺れるドリルを見て、志亜の方もまた何故か「麗花はすごい」と彼女に対する惜しみない賞賛を述べていた。

 

 高慢なお嬢様とおしとやかで無垢な少女。その一見正反対に思える二人の性格であるが、彼女らが友人としてツーカーな関係であることはもはや学園内でも有名な話だった。一部の生徒達は専ら「麗花様は志亜ちゃんの夫」などと噂しているぐらいであるが、それは当人らの与り知らぬ話である。

 

 それはそれとして、仲の良い二人の関係には同じ部の先輩として羨ましさと微笑ましさを感じるものだが、美夏は志亜の髪型を整え終えると名残惜しくも彼女の身体を自身の膝上から解放することにした。

 

「はい、出来たわ。我ながら傑作ね」

「ありがとうございます、美夏先輩」

 

 長い髪をびょこんと左右に結び垂らしたツインテール姿の志亜を見て、美夏は思った通りねと満足げに頷く。

 普段とは違う彼女の髪型に、部室にいる他の者達からも「おお!」と歓声が上がった。

 その視線に対して志亜が少し照れくさそうにはにかみながら礼を言うと、美夏は即座に彼女が掛けた言葉の違和感に気づいた。

 

「志亜ちゃん、今、私のこと名前で呼んだわよね?」

 

 普段の志亜は、自分のことを「紫藤先輩」と苗字呼びをしていた筈だ。

 それが今この時、彼女は親しみを込めるように「美夏先輩」と名前呼びしてくれたのである。

 それはほんの些細な違いであったが、彼女との距離感が今までよりも縮んだように感じて――美夏には、予期せぬ幸福を感じる一言だった。

 

「あ……ごめんなさい」

「いや、悪い意味じゃないのよ? ただ、志亜ちゃんにやっと名前で呼んでもらえたのが嬉しくて嬉しくて」

「地味に気にしてたもんな」

「翼は黙ってて!」

「あ、うん」

 

 横からうるさい病弱幼馴染を牽制しながら、美夏は心底安心した気持ちで微笑む。

 志亜は心優しく穏やかな少女であるが、先輩後輩の関係にはきっちりと線引きを入れてくる子だった。

 それは礼儀正しくて結構なのだが、美夏としてはどこか距離を置かれているようで寂しかったのだ。

 しかしそう感じていたのは自分だけだったのか、名前呼びしたことが迷惑でなかったことを知り安心している様子の志亜を見て、美夏は安堵の息を吐いた。

 

 そんな美夏の心情はともかくとして、今しがた結ってみた志亜の髪型を見て彼女の友である麗花が率直な感想を述べた。

 

「ツインテールだと、いつもより三割増しで幼く見えますね」

「……正直言って、小学生にしか見えないな。俺と一つしか違わないのが今でも信じられん。本当に飛び級ではないのだな?」

「何仰っているのですか。私なんて同い年ですよ? まあ、それが志亜さんなのですが」

 

 麗花の感想に即座に同意を返したのは、美夏の同級生である里阿充だ。

 確かに彼女は他の生徒達と比べて、体型にしても顔立ちにしても幾分幼く見える。そんな彼女を小さい子供に多いツインテールにしてみれば、その印象はより強烈なものとなった。

 まるで本当に天使か妖精のようだ。そう思いながら、美夏は改めて彼女の姿を尊く思った。

 

「うんうん、流石、何でも似合うわね志亜ちゃんは。どう? うちの妹にならない?」

「……妹は、ごめんなさい」

「美夏、双葉を困らせるなよ。真面目な子なんだから」

「割と本気で言ったんだけど」

「えっ」

「冗談よ」

 

 流石に本気で言ったわけではないが、そう言いたくなるほどにこの後輩は可愛らしい。容姿はもちろんだが、仕草や性格一つにしても、もはや狙っているのではないかと思うほどにことごとく美夏の琴線に触れてくるのだ。

 姉妹のいない一人っ子である美夏としては、志亜の存在はまさしく「こんな妹が欲しかったなぁ」と感じる理想の妹像を体現していたのである。

 志亜はそんな美夏の邪な思いに気づく様子もなく、依然疑いを知らぬ無垢な目を向けて美夏に問い掛けてきた。

 

「美夏先輩は、美容師になりたい?」

 

 先ほど何気なく語った、美夏の進路についての話である。

 

「ええ、今はそのつもりで勉強してるわ」

「将来を、ちゃんと決めている……先輩は、立派です。立派な先輩」

「ありがとう!」

 

 今の時点で明確な目標を立てている美夏に対して、志亜が澄んだ瞳を向けて尊敬の眼差しを送ってくる。

 思わずぎゅっとしてその頭を撫で撫でしたくなる感情を笑顔の裏で抑えながら、美夏は彼女自身の将来についてはどう考えているのだろうかと問い掛けてみた。

 

「志亜ちゃんは卒業後の進路とか、ある程度決まっているのかしら?」

「志亜は……」

 

 普段積極的に自分のことを語りたがらない志亜だが、意図的に隠しているわけではなく、聞かれれば大概のことは答えてくれる。

 しかしそんな彼女でも、美夏の質問には答えを詰まらせていた。言いたくないのではなく、言えないのだと、そう察することが出来る志亜の反応だった。

 

「志亜は、まだわからない……です」

「そう……でもまだ一年生だし、これから決めていけばいいわよね」

 

 実際、一年生の内に明確な目標を立てている者は名門私立校であるこの那楼学園高校にも多くはない。

 仮に入学時点である程度の目標を立てていたのだとしても、三年間の学校生活の中で諸々の事情からその目標を変える者もいるし、他の夢を持つようになる者だって多いのだ。

 今はまだ進路を決めかねている様子の志亜に向かって励ますように言いながら、美夏は彼女を安心させるように柔和に笑む。

 

 彼女らの横で話を聞いていた里阿充が突然口を開いたのは、その時だった。

 

「よし、いいことを思いついたぞ!」

「どうした充? 藪から棒に」

「俺達で双葉に似合いそうな職業を考えようではないか」

「あら、珍しく本当にいいこと考えたわね」

 

 日頃の部活動中にカードゲームをやり出すことも珍しくないこの生物部きっての問題児である里阿充だが、この時彼が言い出した唐突な思い付きは、美夏にとっても悪くない提案だった。

 どちらにせよここにいる五人に関しては今日の活動はほとんど終わっている。部長としてどうなのかとは自分でも思うが、それを止める気にはならなかった。

 

「確かにチャンプにしてはいいことを考えましたね。中々面白そうです」

「え……そんな、志亜の為に……」

「いいからいいから。ちょっと私達に付き合ってよ」

 

 他でもない、可愛い後輩の為だ。

 もちろん自分自身の自己満足も多分に含まれているが、彼女の髪をいじれたことで機嫌が良くなっていた美夏はノリノリで彼の提案に乗っかることにした。

 そして第一番として、言い出しっぺの充が切り出した。

 

「先攻は俺だ! 双葉志亜……この俺や城ケ崎の威光さえ跳ね返すこの女の輝きは、まさにトップアイドルになれる器だと思わんか?」

「あー……アイドルか。ベタなところに来たな」

「でもまあ、確かにしっくりくるわね。志亜ちゃんがなったら絶対貢ぐ自信があるわ私」

「そうだろう! 既に我が校でファンクラブが作られているぐらいだからな」

「なにそれすごい」

「……寝かせ隊のことですね。あのロリコン共、高校でも続けていやがりましたか」

 

 充が提案したのはうら若き乙女の多くが夢見るであろう花形の職業、アイドルである。

 彼の言う通り、本人にその自覚こそないが既に学園のアイドル的な存在となっている彼女は、まさにトップアイドルになりうる圧倒的なカリスマを秘めていると言っても大袈裟ではない。

 煌びやかな衣装に包まれ、大勢のファンの前で歌って踊る彼女の姿もまた大いに想像することが出来るものだった。

 

「……そう言えば、街で何度かそれっぽいスカウトに呼び掛けられたことがありましたね」

「見た目はもちろん、声も良いからな。運動神経も良いし、ダンスも上手そうだ。俺も、絶対人気出ると思うな」

「あ、あう……ぁ」

 

 二年生達から怒涛の賞賛――いわゆる褒め殺しに合っている中で、当の本人はどう対応したら良いものか困惑するようにあたふたと視線を彷徨わせている。

 ……こういったあざとい仕草をごく自然に無意識のまま純粋な心で行い、同性さえほっこりさせるのもまた興業向きの才能であろう。

 しかしそれは、裏を返せば諸刃の剣とも言える。そう考えたのか、この場において麗花だけが志亜のアイドル化に対して難色を示した。

 

「確かに才能はありそうですが……この性格ですから、本来の実力を発揮できないような気がします」

「うーん、そうね……アイドルも厳しい競争の世界だものね。なんだか志亜ちゃんの場合は、他の子の為に自分から出番を譲るようなことをしそうな気がするわ……」

「むう……確かに」

 

 優しさは彼女の美点であり長所であるが、業界では短所にもなりうる欠点にもなった。

 麗花が指摘したその点で言えば、確かにアイドル業において避けては通れないかもしれない。良くも悪くも気を遣いすぎてしまう彼女は、業界で求められる闘争心とは対極にあった。

 

 ――結論から言うと、能力は申し分ないが現状では長続きしないだろう。そういうことになった。

 

 自分の意見で一同を言いくるめられなかったことを悔しがるように唸る充を他所に置いて、今度は青木翼が二つ目の提案を上げた。

 

「なら、教育関係の仕事はどうだろう? 双葉は頭いいし、学校の先生とかそういうのに向いてる気がする」

「……ほう、意外なところを突いてきたな」

「確かに悪くないかも……子供先生みたいで人気出そう」

 

 シンプルに、学校の教師と来た。

 確かに学業面でも常に最優の成績を収めている彼女ならば、能力は十分にあると見て間違いないだろう。

 性格もまた温厚で優しく、人当たりが良く世話好きでもある。きっと生徒受けの良い先生になれるであろうことは、想像に難くなかった。

 

「遺憾ながら、成績は常にこの私の上を行きますからね。こちらも能力面では問題ないでしょう。ただ……」

 

 しかし、これにも麗花が難色を示した。

 想像してみたのだ。志亜が教師として前に立ち、自分よりもずっと背の高い生徒達の前で教鞭を振るう姿を。

 背伸びをしながら黒板に文字を書き、呂律の怪しい言葉遣いでたどたどしく教科書を読み上げる姿を。

 宿題を忘れた生徒に「めっ」と叱りつける姿を。

 体育祭や学園祭では生徒の頑張りを前に感激し、卒業式では誰よりも感極まって潤んでいる姿を――。

 

 

「……なんか、違いませんか?」

「微笑ましいわね」

「ああ、生徒達は授業どころではなさそうだ。ある意味、そこにいるだけで道徳の教育になりそうだが」

「うーん……そう言われるとそうかもなぁ」

「まあ間違いなく、最初のうちは生徒から舐められるでしょうね……最後にはどうせ浄化されるんでしょうけど。しかし、一々生徒に侮られていては流石に面倒そうです」

 

 授業をする姿が一々微笑ましい女教師など、確かに生徒が変な影響を受けてしまわないか心配である。先生が気になって授業に集中できない生徒が増えそうだ。

 これも微妙か……と、翼は自身の上げた意見を取り下げ、そんな彼に変わって美夏が次の意見を出した。

 

 ――教師という立場は、物心ついた学生を相手にするから問題なのだと。

 

 

「私は、保育園や幼稚園の先生の方がピッタリだと思うの」

「なに!?」

「おお」

 

 教育者が微笑ましいのなら、教育を受ける相手側を微笑ましくすればいいのだと。要は発想の転換である。

 美夏の提案に目からウロコとばかりに充が虚を突かれた声を上げると、翼は腑に落ちたようにポンと手を叩いて頷いた。

 

「ああ、確かに保育士さんなら凄く似合いそうだな」

「でしょう?」

 

 小さな子達を預かる小さな保育士さん。絵面としてはもはや、奇跡と言っても差し支えないだろう。美夏はそう思い、我ながら天才的な発想だとサムズアップする。

 

 想像するのは入園したてで仲間の輪に加わることが出来ないでいる引っ込み思案の子供の手を繋ぎ、みんなと一緒に遊ぼうと仲介して背中を押してあげる優しい保育士さんの姿だ。

 

 高校に入学した時点から既に圧倒的な包容力を誇り、クラスの孤立者を一日でゼロにしてみせた手腕と実績を持つ彼女ならば、親元から離れた子供達に対しても必ずや良い影響を与えることだろう。

 子供達と一緒にほのぼのと遊ぶ彼女の姿が微笑ましい姿が目に浮かぶようで、美夏達は思わずまどろんだ。

 しかし。

 

「いえ、それは一番駄目な奴ですね」

「え? どうしてよ?」

 

 またしても、城ケ崎麗花が先輩の意見を一蹴りした。

 しかも今回ははっきりと駄目な奴だと断定している、これまで以上に厳しい評価だった。

 麗花は実感が伴ったような苦い表情を浮かべながら、彼女に保育士が不適正だとするその根拠を語った。

 

「志亜さんの場合はお子様を甘やかしすぎて、不良とは真逆の意味で駄目な子にしてしまうのです。それは弟さんがああなっていることからも、既に実証済みです」

「麗花、千次はいい子。駄目なんかじゃない」

「……そういうところですよ、志亜さん」

「?」

 

 学校の先生もそうだが、不特定多数の子供達の人格形成に関わるような仕事をやるには彼女の性格はあまりに甘すぎる(・・・・)のだ。

 しかも、それは全て彼女の美点である善意によって招き起こされることである為、誰も言い咎めることは出来ない。

 

 麗花の意見を基に改めて保育士になった志亜がもたらす影響を想像すると、一同は合点が要ったようにそれぞれ頷きあった。

 

「……ああ、そういうことか」

「とりあえず、受け持った男の子達はみんな「しょうらいはふたばせんせいとけっこんする!」とか言い出しそうね……」

「ああ、そしてその少年はマザコンとロリコンを拗らせた面倒な大人へと成長し、女性に要求するものがやたらと大きくなりそうだ」

「女の子だって同じようなものですよ。志亜さんはとにかく骨までドロドロに溶かすロリショタキラーですから、お子様を預かるような仕事をさせたらまずいです。何かこう、気づいたら卒園生達の母親になっているかもしれません……」

「SCPか何かか?」

 

 至って真面目な顔で麗花が語ったそれは、割と冗談では済まされない深刻な問題だった。

 流石に大袈裟すぎではないかと翼が引きつった笑みを浮かべるが、何を隠そうにも実際、麗花は過去に志亜と大勢の幼児達が対面した際に起こった化学変化を目にしたことがあったのだ。

 彼女のげんなりした顔から、翼が「あっ」と察したように問い掛ける。

 

「もしかして、実際にそんなことがあったのか?」

「ええ、この前授業で保育体験があったのですが、あれは地獄絵図ならぬ、天国絵図でしたわ……小さなお子様にとって、この人の甘やかしは麻薬になりかねないことがわかりました……」

「えっ、何それ超見たかったんだけど」

「美夏お前……」

 

 志亜の甘やかし方は、クラスメイトすら思わず「ママー!」と叫んで飛び込みかけていたほどである。麗花が速攻で撃墜したが。

 

 しかしまかり間違って、幼児達が志亜の性格を若い女性の標準だと信じ込んでしまったらどうなってしまうのだろうか?

 

 幼い子供というものは、周りの影響を最も受けやすい年頃である。

 全員が全員そうなれば何と言うかすごく幸せな世界になりそうだが……何かこう、想像するだけで一同は砂糖を吐きたくなった。甘酸っぱい青春の物語を読んだ時とは違う、もはや別の何かである。

 当の本人だけがそんな麗花達が想像する光景が全くピンと来ていない様子であり、きょとんと不思議そうな顔を浮かべるばかりだった。

 

「麗花、志亜は子供好きだよ? 骨を溶かすなんて、しない」

「……もういいです」

 

 正直、彼女が全力で一人の子供を育てたらどうなるのか見てみたい気はする。このままの彼女ならきっととんでもなく甘やかし、駄目な子にしてしまうに違いない。

 それが不特定多数の子供達に及んだらと想像すると、もはやテロと言っていいのではないか? 麗花にはそう思えてならなかった。

 

 ――結論、保育士はこの上なく彼女に向いているが、向きすぎて子供達にとんでもない影響を与えかねない。

 

 そんな理由で、美夏の提案は泣く泣く却下となった。

 残るは志亜の友人兼ライバルである城ケ崎麗花のみ。これまでの先輩達の意見をことごとくこき下ろしてきた彼女に、遂にその番が巡ってきた。

 

「では城ケ崎、お前はどう見る?」

「なにか良い意見があるのでしょうね?」

「そうですね……能力面、性格面から考えると、志亜さんの場合教育や興業よりも医療関係の仕事の方が向いているのではないでしょうか」

「医者か……随分と無難なところにいったな」

「でも、お医者さんなら確かに向いてそうだな」

「文字通りの白衣の天使ね。こっちも人を駄目にしそうな気がするけど……」

「小児科でなければセーフです。多分」

 

 麗花が一例に挙げたのは、無難にも医者であった。

 何かとんでもない発想が出てくるのではないかと期待していたらしい充はどこか落胆した表情を浮かべていたが、志亜の性格、能力をここにいる誰よりも把握している麗花だからこそ向いていると思ったことは確かだった。

 

 誰よりも優しく、誰よりも他人が傷つくことを悲しむ彼女なら――多くの人々を助けることが出来る医者の仕事こそが、最もやりがいを感じるのではないかと。

 

「麗花……」

「……? どうしました、志亜さん?」

 

 そんな麗花の提案に、当人が頬を緩ませながら口を挟んだ。

 

「……麗花は志亜のこと、よくわかっている。志亜は、嬉しい」

 

 それは、どこか儚い笑みだった。

 遠い過去を思い出しているような、そんな顔だ。

 

「あら、既に漠然と考えていたのですか?」

「ううん、そうじゃないの。そうじゃないんだけど……昔は、そうだった」

「昔って……ああ、そういうことでしたか」

「うん……お医者さんは、「彼」の夢だったから……」

 

 志亜は語る。彼女の前世に当たる「彼」が地球にいた頃、将来目指していた進路こそお医者さんだったのだと。

 病気に苦しめられていた妹を助ける為に、彼は将来医者になる決意を固めていたことを。

 

「でも、志亜は志亜」

 

 ただ、それらの過去をひっくるめた上で志亜は言った。

 今の自分は、「彼」の目指していたモノとは違うモノを見ていると。

 

「……そうですか」

 

 本当に、難儀な人だ。

 呆れるように笑い、ならばと麗花は彼女に次の提案を挙げてやった。

 

「では、獣医さんというのはどうでしょう?」

「じゅーいさん?」

 

 彼と違う確固たる意志を持っているのなら、人間相手ではなく動物を相手にしてみたら良いのではないかと。その仕事の方が、何となく彼女に向いているように麗花は思った。

 

「……うん、いいかも」

 

 ぱちくりと目を開閉させた後、志亜が嬉しそうに笑みながら頷く。

 動物の病気や怪我を治す職業――それは客観的に見ても、志亜の性格に合致した天職なのではないかと思える仕事だった。

 

「動物大好きだものね、志亜ちゃん」

「ありありと想像できるな」

「ああ……暴れる狂犬をよしよしと宥めながら、慈愛の目で診察する姿が目に浮かぶよ」

 

 彼女の動物好きも学園では有名であり、動物側からも好かれやすい彼女のことは生物部員達にも周知されている。

 麗花の提案は、一同が万場一致で頷くものだった。

 しかし、一番はもちろん、彼女自身が選んで決めることだ。

 

 パン、と手を叩いて総括するように、麗花は志亜に言い放った。

 

「まあ、私達としては好き勝手に妄想しながら例を挙げてみただけです。何を選んだって志亜さんの自由ですし、参考にしていただかなくても構いませんよ」

「そうね。どんな進路でも全力で応援するわ」

「うん、ありがとう……将来はまだわからない……でも、志亜も考えてみる。これからのこと……志亜の幸せを、ちゃんと」

 

 まだ高校一年生だ。これからのことを考える時間はたくさんあるから。

 志亜はそう言って、意見をくれた一同に感謝の意を示した。

 彼女から飛び出してきたポジティブな発言に、麗花は出会った当初の志亜を思い出して感慨に浸った。

 

「……変わりましたね、貴方は」

「麗花のおかげ。ううん、みんなのおかげ」

 

 あの頃は「自分なんか幸せになる資格がない」とでも思っていた志亜が、こんなにも前向きに自分の将来を考えるようになった。

 それは間違いなく、彼女の成長の証であろう。

 まったく、手の掛かるライバルですわ……心中でそうごちりながら、麗花は呆れたように苦笑する。

 そんな麗花につられたように笑いながら、志亜が無邪気に一同を魅了したのはその時だった。

 

「志亜はみんなのこと、大好きだよ」

 

 後光が差すような、温かくて優しい笑顔だった。

 あっ、これ保育体験でも見た奴だ。もはや慣れたようにそう思った麗花だが、彼女以外の一同の反応は劇的なものだった。

 

「ごふっ」

 

 まず最初に、病弱少年である青木翼が倒れた。

 また先輩が死んでおられるわ! そう茶化す間もなく、生物部の部室では二次被害、三次被害と被害が拡大していった。

 

「噂の双葉節……これほどとは……!」

 

 里阿充が無念そうに胸を押さえながら倒れた。

 彼らの名誉の為に言っておくが、彼らは別にロリコンでもないし志亜に惚れているわけでもない。しかしそんな彼らをしても、抵抗することは不可能だったのだ。

 

 そして最後に、紫藤美夏が何かを悟ったような顔で机に突っ伏した。

 

「……ごめんね志亜ちゃん、貴方の将来を好き勝手妄想した私達をゆるして……」

「なあにやってんだ美夏あああああっっ!!」

 

 三人とも、彼女の無垢さを今一度目の当たりにしたことで抱いた自己嫌悪で倒れたのである。善人であるが故に避けられない、即死ダメージであった。

 麗花が迫真の声で叫ぶが、もはや手遅れである。色々と。

 

「ああ、もう! 先輩達耐性がないからみんなやられちゃったじゃないですか!」

「えっ……え……?」

「貴方の魅力値はとっくにカンストしてるのですよ! いい加減おわかりになって!?」

「……麗花、大丈夫……?」

「なんで私が心配されるのですか! ~っ、貴方って人は本当に! ほんっとうにもう!」

 

 

 ――那楼学園生物部は、今日も平和だった。

 

 

 

 

 





 前回の登校で久しぶりに日間に乗れて驚きました。感謝感謝です。
 もしかしたら本作に求められているのは前回のような話だったのでは……? と今後の方針について少し考えてみました。一応私としては、読者さんの反応からいつでもシリアスにもコメディー路線にも切り替えられるようにはしてきたつもりなので。

 次回から三章に入ります。ゲームに戻って色々する話になるのではないかと思います。
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