あなたの歌声でさようなら   作:貴志

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(下)

 先ほど勢いよくぶち開けた扉は、今はもう閉まっていて、この空間は屋外にあるというのに私たちは隔絶されているように二人っきりだ。扉の横に座り込んで、壁を背にしてお互い空を見上げている。そうしてもう何分かが経ってしまっていた。

 だんだん夜空へと変わっていく夕暮れ。今まで一回もきちんと見たことなどなかったその移ろいゆく姿は、とても綺麗だと思えた。でもそれでも、視界の端のもっと端にちらとだけ見える隣の横顔の方が、わたしには気になっていた。彼女の方から誘ってきたというのに、その横顔は澄ました顔のまま、ぴくりとも表情を変えずに空を見上げている。そんな池淵さんは、やっぱりずるい子だと私は思った。

 こうしている間にも刻一刻とこの町を去る時間は近づいているのだ。いい加減視線を前に向けるのをやめて、すぐ横の澄まし顔と向き合うべきなのだ。そのための第一声を口から、喉から、発しなくてはならない。

 だというのに言いたいことが多すぎて、私は何の話題から始めた物かと思いとどまってしまう。たくさんの中から選ぶことができず、やっと一つ拾い上げたかと思えばやっぱり違うと心で首を振って、また振り出しに戻ってしまう。喉は震えず、口は開かず、ただ体がゆらゆらと惑うだけだった。

 いつもそうだ。図工でも作文でもスピーチでも何でも、私はそうだった。やりたいことも書きたいことも言いたいことも、胸の中に山ほどあるのに、そこから発掘することができない。「これは難しすぎる」、「これは時間がかかりそう」、「これはあの子に嫌がられるだろう」。何かと理由を付けては選べずに、結局私は揺れるだけなのだ。そして先生に叱られて、先生の言った通りのものを作る機械と成り果てる。それが堀口ゆうという人間なんだ。

 今日、この時間も、同じように過ぎ去ってしまうのだろうか。せっかく話せるチャンスが舞い込んだのに、いたずらに時間を消費して、しょうもない結果だけが残ってしまうのだろうか。

 そんな風に勝手に一人で悩んで、一人で落ち込んでいる私の隣で、何かが動いた気配がした。自然とそちらに目が行くと、彼女が澄ました顔を少しこわばらせたような様子で立ちあがっていた。視線は変わらず、前を見つめている。

 一体どうしたのだろうと思って見上げていると、彼女が大きく口を開けた。その拳が、しっかりと握りしめられているのが、視界の隅で確認できた。

 

「    」

 

 それは歌だった。それはとても有名な歌。私がとても好きな歌だった。

 そして、今日のお別れ会で彼女が歌ってくれた歌。

 昼間のときと同じように、その声は透き通っていて、とても大きくて、だけど少し震えていた。寒さのせいだろうかと、不思議に思った私は少し姿勢を起こして、もっと近くで彼女の姿をつぶさに観察してみた。

 拳は先ほどよりもぎゅっと握られていて、汗がじっとり浮かぶほどだ。直立よりやや前屈みで、顔を突き出しているみたいだ。だけどあごはしっかり引かれていて、空をにらみつけるようにしながら、彼女は必死に声を振り絞っていた。

 彼女の強気さをそのまま表したような姿勢と、切なく澄み渡る曲調とがひどくアンバランスで、私はだんだんいたたまれなくなってくる。だからって歌うのをやめさせるだとか、邪魔をするだとかはしたくなくて、ほとんど衝動的に私は口を開いていた。

 

「  ~~!」

 

 私も歌った。同じ歌を、彼女のに比べれば声は全然がらがらで、大きさだってそんなになくてひどい物だったと思うけど。だけど好きな歌だったから歌詞は完璧だったし、音程だって間違ってなかったはずだ。

 私が歌い出したとき、彼女は一体どんな様子でいたのだろうか。声を出すのに必死で全く見ていなかったけど、きっと驚いていたに違いない。だって一瞬声がうわずって止まっていたから。

 始めは全くの不協和音だった二つの歌声は、ワンフレーズが過ぎる頃にはすっかり重なって、一つの合唱を織りなしていた。私はただただずっと全力を出していただけだったから、もしかしたら彼女が合わせてくれたのかもしれない。気がついたときには彼女の声は昼間の時のように堂々としていて、私は顔をほころばせてもっと声を振り絞った。

 こんなにも全力で歌ったのは、いつぶりだろうか。思えば、小さい頃は歌うのが好きだったのに、いつの間にか音楽の授業でも歌う振りをするようになってしまっていた。それはきっと、周りから下手だとか、何を必死にとか言われるのが怖くなったから。歌うことがつまらなくなってしまったから。

 でも今は、こんなにも楽しい。ただ全力で、音程に乗せて言葉を発しているだけなのに、もの凄く自由な気持ちがした。今私は、この大空を支配している。池淵さんと二人で!

 そうだ、私は彼女と歌いたかったんだ。これまでずっと。今日のお昼だって。かなう物なら声を重ね合わせたかった。そうしたらどんなに気分がいいのだろうって、ずっと夢見てきた。

 それが今叶っているのだ。いまこの時間はきっと、夢が叶う時間なのだ。膨張しきった全能感が、私の脳みそ中に広がっていく。今ならきっと、何だってできる。

 歌が終息へと向かっていく。もともとそんなに長い歌ではない。気付いたときには、もう最後のサビだった。

 この曲が終わったら、私は聞かなくてはならない。彼女がその機会を与えてくれたんだから。私にその勇気を与えてくれたのだから。

 

「   っ……ふぅ」

 

 最後の言葉を言い切って、彼女も私も一息つく。それは終わりの合図であり、同時に始まりでもある。私は体ごと、横を向く。彼女は肩口だけを少し広げて、やはりこちら側を向いていた。

 ようやく彼女と向かい合う。切れ長の瞳がまっすぐに私を見つめて、口元だけがうっすらと笑い、震えた。

 

「……うん」

 

 ひどく曖昧なその発声が何を意味するのかは私には分からない。だけど、聞くならここしかないと思った。彼女の気持ちがそれてしまわないうちに、自分の勇気が逃げてしまわないうちに、私は尋ねる言葉を振り絞る。

 

「何で、歌ってくれたの? あの、お別れ会でさ……」

 

 聞けた。やっと聞くことができた。まずはお別れ会のことから。

 今日のお別れ会では、クラスの友達が劇をしたり、手品をしたりして私を送ってくれた。でもそれは自由参加で、事前に決められていた仲のいい人たちだけが出し物をするはずのものだったのだ。

 だから、会が終わる直前で彼女が立ち上がって歌いだしたとき、皆が驚いた。突然だったのもそうだし、彼女の歌がとにかく凄かったからというのもそうだ。あの後みんな彼女に詰め寄って質問攻めをしていたが、その時にはもうすっかりいつもの調子に戻っていた池淵さんが、奇声を上げてみんなを追い返していたっけ。

 もしかしたら私も質問したところで、みんなと同じように拒絶されるだけなのかもしれない。それでも、もう聞かずにはいられなかった。今日だけで三度も彼女の歌声を聞いてしまっては。

 固唾を飲んで彼女の反応を待つ。次の瞬間には鬼の形相になる彼女の幻影に怯えつつ、ひたすらにその瞳を見つめる。一瞬伏し目がちになり、再び彼女が顔を上げると、そこには目を見開いているにこやかな笑顔が貼り付けられていた。

 

「だって好きでしょ? この曲!」

 

 質問の形式を取ってはいるが、彼女は確信しているような調子で告げた。その返答は、私を驚かせるに十分だった。

 もしかして……と心の端では思ってはいたものの、そんな訳ないと打ち捨てていた答えが、彼女の口から発せられたのだ。予想外とまではいかない。だけど、まさか! だった。対する私の反応も、どうしても間抜けなものになってしまう。

 

「え、知ってたの!?」

「そりゃあ知ってるよ。一年のころから一緒だもん」

 

 事も無げに彼女が言う。でもそれは、理由になっているようで理由になっていない。私と彼女は確かに一年生からずっと同じクラスで過ごしてきたが、まともに話したことは一度もないのだ。当然、好きな歌を教えたこともないし、そもそも私はそのことを人に言ったことがない。

 私は訝し気な視線を彼女に向けざるを得なかった。

 

「池淵さんって、超能力者、とか? 心が読める能力者……」

「違うよ? 何言ってんの? 」

 

 素で返されてしまい、私は言葉に詰まる。半分本気だったとはいえ、違うのならばせめて笑ってほしかった。そして、ますます分からなくなってしまう。

 私は両手を掲げ天を仰ぐと、降参の旨を彼女へと伝える。

 

「あーもう、教えて! 何で知ってんの!? 凄い気になるんだけど!」

 

 ともすればバンザイしているようにも見える私の投げやりな降伏のポーズに、彼女は一旦目を丸くする。それからまたすぐに彼女らしい、面白がるような厭らしい笑みを浮かべた。

 

「えー、どうしようかなあ! うーんとねえ、でもなあ」

 

 そう言いながらくるくると、回っては笑い笑っては回って、広い屋上の床をぐるぐると練り歩く。まるでミュージカルのヒロインにでもなったかのように楽しそうに、彼女は私をからかっていた。そんな彼女の姿を見ると私は心がふわふわしてきて、それでちょっと悔しくなる。

 だから、ちょっとからかいたくなったんだ。有り得もしないことを冗談っぽく言って、彼女を戸惑わせたかった。それで、「ふざけないで!」って、怒ってほしかった。

 私は一本指を彼女に突き出し言った。挑発するような笑みを浮かべるのを忘れない。

 

「何? 私のこと調べたとか? ずっと見てた、とか!」

 

 努めて明るく、おどけた調子なのは本当の心を隠すため。もしかして、万が一にでもそんなことがあったなら……私が彼女を気にしていたように、彼女も私を気にしくれていたなら。そんな卑しい気持ちを、幾らかでも悟らせないためだ。

 私の妄言を受けて、弾み回っていた彼女がぴたりと止まる。広がっていた両手足がゆっくりしまわれて、その体がゆっくりとこちらを向く。その体のてっぺんでは、無表情な瞳がこちらを見つめていた。

 きっと次の瞬間にはあの平坦な眉がカッと持ち上げられ、私を糾弾するのだろう。キモいとか自意識過剰だとかの罵倒が飛んでくるに違いない。私は来たるべき激流に備え、お腹にぐっと力を込めた。

 

「何それ」

 

 だがやってきたのは波などではなく、ただのひとしずく。それがぴちゃりと、私の鼻先にかけられただけだった。何とも拍子抜けである。彼女は相変わらずの平坦顔で、じっと私の返事を伺っているようだった。

 少し言葉が弱かったのだろうか。彼女の逆鱗に触れるためには、もう一息言葉を付け足す必要があるのかもしれない。ならば、そのための文言を言ってやろうじゃないか。すらすらと一曲奏でるかのように、私の口先は流暢に滑ってくれる。

 

「いや、だから。ずーと私を観察してたんでしょ? 何が好きなのかとか、得意なのかとか。授業中も、放課の時も、給食中とかにも。ずーと私のことを見て」

 

 これは自白だ。私がずっと彼女にしてきたことを、彼女になすりつけて手慰みとしているに過ぎない。

 彼女が呆れいるかのようにふっと笑う。当然だ、こんな妄言を聞かされてしまっては、きっと私のことを、頭のおかしいやつだと思ったに違いない。

 細く伸びやかな指先が、すっと私に向けられる。ミステリーの最後、追い詰められる犯人のように、その指は私を指し示していた。

 

「それ、ゆうのことでしょ」

 

 笑顔のまま、すこし震える声で彼女は告げた。よく見たら、私を向く人差し指の先もぶるぶると揺れていて、自信に満ちあふれている彼女の笑みとひどく対称的だった。

 私は体の芯から冷え込んだような感じがして、彼女の指とその向こうにある顔から目をそらせずに立ち尽くす。隠しきれない動揺の吐息が中途半端に喉を震わして、意図せず声が漏れてしまう。

 

「え、ふぇ……?」

「見てたでしょ? よりのこと、ずーっと」

 

 彼女が震える指と声で再度追求する。その震えは何を意味するのだろうか。確信しきれない不安な部分が漏れ出た物なのか、それともようやく突きつけることできた喜びがあふれ出た物なのか、私には判断することができない。

 とにもかくにも、言い訳をするなら今しかないだろう。彼女の言葉に対して「そんなことはない」と、「ただの勘違いだ」と反論するならば、その震えが止まるまでの今一刻しかない。疑惑が確信に変わってからではもう遅いのだ。

 言い逃れ、するべきなのだろうか。釈明の言葉が出かける寸前、私は迷っていた。

 ばれたところで何だというのだ。私は明日転校するのだ。もう彼女と教室で会うこともない。彼女がこのことを明日の教室で言いふらしたところで、池淵さんの言うことなど、だれも信じはしないだろう。ならば、認めてしまってもかまわないのではないだろうか。

 そこまで考えたところで、私の思考が止まる。だって、おかしい。言い逃れできるのならば、したほうがいいに決まってるじゃないか。

 これは建前だ。自分の本当の感情をごまかすためのハリボテにすぎない。

 そしてようやく気付く。私は嬉しかったのだ。

 彼女に気づいてもらえていたことが、たまらなく嬉しくて、だからそれを彼女の勘違いにすることなど絶対にしたくなかった。

 そんな私が言い訳なんてするわけがないじゃないか。

 彼女の震えが止まった。

 

「……やっぱり」

 

 一つ大きな息をつくと、彼女はすとんと指先を落とす。ああ、もう遅い。彼女にとって疑惑は今、真実へと変わってしまったのだ。

 彼女の吐息につられるように私もため息をつくと、観念したことを示すため弱々しく尋ねる。

 

「一体、い、いつからかな」

「二年生。席替えで隣の席になった次の国語の授業」

 

 ドンピシャだった。まさかそこまで詳細にばれていたとは思っていなかった私は、さすがにショックでうずくまる。

 

「うわあ……マジかあ」

「でしょお!? あははははは!」

 

 完全に溜飲を下げたらしい彼女は、実に愉快そうに笑った。空を見上げ、腹を抱え、溜まりに溜まった物を天へと吐きだしているようだ。

 ひとしきり笑った彼女は、勢いそのままに私へと掴みかかる。うなだれ地面と向き合っている私の顔は無理矢理起こされ、強制的にらんらんと輝く彼女の瞳と向かい合わされた。その口からは次から次へと、つい先ほど見た映画の感想を語るかのような調子で、当時のことが話されていく。

 

「ほら、漢字の書き取りの時にさ、ゆう、ずっとよりのノート見てたじゃん」

「いや、あれは! ……うん、まあ」

「あれって、よりの字が汚いから見てたんでしょ?」

「だから、違うよ。あの時も言ったと思うけど。それは違うんだって」

 

 今から三年前のあの日、私は始めて池淵さんの字を見て仰天したのだ。もの凄く濃くて、力強く枠一杯に敷き詰められていたそれは、私の字とは、私がこれまでに見た「文字」とは明らかに違っていたから。目を奪われてしまったのだ。それを彼女は、今でも勘違いしているみたいだけど、それこそが明確に私が「池淵より子」という子に興味を持った瞬間だった。

 彼女は当時から、自分の書く特徴的な文字にコンプレックスを持っていたのだろう。私が向けていた視線は彼女に見咎められて、それで……

 

「だから私、先生に『ゆうちゃんが私のノートのぞいてきます』って言ったのにさ。あの担任、『お前のノート見ても誰も得しないんだから良いだろ』って! ムカつく! だから今度は筆箱で隠すようにしたのにさ、それも止めろって言うし! あーっ! あいつほんと嫌だった!!」

「……」

 

 当時を思い返して、いつの間にか彼女は憤慨しているようだった。あの時の嫌な気持ちが、彼女の中に蘇ってきているのだろう。

 そんな彼女を見て、私も当時の心境を思い出してきた。そうだ。私が見ていると彼女は嫌がるのだと、さらには先生に叱られてしまうのだと理解して、私はコッソリと彼女を覗くようになったのだ。彼女に気付かれないように。

 

「でさ、それからずーと、こそこそ私のこと見てたよね。隣の席でも、離れてても、いっつもこっち見ててさ。」

「う、うん……」

 

 やっぱり、そこからもうバレていたのか。私は完全に人目を盗めたつもりになっていた当時の自分を殴りつけたい気持ちに襲われた。

 彼女は先ほどの怒りようからまた一転して、しゃべり口に憂いを帯びさせながら続けた。

 

「お母さんに相談しても、自意識過剰だって聞いてもらえなかった。ゆうはいっつも私から逃げるようにしてたし、聞けないし。何なの? って、ずっと思ってた。気になるなら話せば良いじゃん! ってイライラして」

「う、はい……」

 

 今度は申し訳ない気持ちになって、私はまた気分が下がっていく。私のしたことが、そんなにも彼女の心を波立たせていたなんて知らなかった。私はただ、怒りっぽくてすぐ手が出て、背が高くて目の切れ長な彼女が怖くて、話したかったけど近付けなかっただけだったのに。

 私はどう反応したらいいものか分からず、視線を泳がせた。すると不意に、唇の端を持ち上げた、得意げな彼女の顔と視線が合った。

 

「だからやり返したんだよ」

「へ?」

 

 彼女の言っている意味がよく分からなかった私は、空気が抜けるようなすっとんきょうな声を上げてしまう。それを聞いた彼女が一層笑みを深めている。今私はさぞかしバカみたいな表情を浮かべていたのだろう。恥ずかしさを覆い隠すように、私は彼女に言葉の真意を問いかけた。

 

「やり返した? やり返すって何を……」

「ひひっ! やっぱり気づいてなかったんだね。あー最高!」

 

 けらけらと高笑いをあげて、体をのけぞらせる彼女。私の質問に答えてくれる感じはなく、私はひたすらに戸惑うしかない。彼女の言葉の意味は、自分で考えるしかないようだった。

 目には目を、歯には歯を。古今東西やり返すということは、自分がされたことと同じことを相手にもするということだ。殴られたなら殴り返す。盗まれたなら盗み返す。じゃあ私は彼女に何をした?

 私は彼女に何もしていない。それが事実だ。でもそれは本当に答え足りえるのだろうか?

 彼女は「やり返した」と言った。ならばそれは、彼女が私に何かされたと感じていたということだ。彼女は私に何をされたと感じたのだ? 決まっている。さっき彼女が言っていたではないか。私は彼女を

 

「ずっと……」

「見ていた」

 

 私の声にきれいに、彼女の声が重なる。つい先ほどの合唱のように、そこには全く違和感がなかった。彼女は次の私の言葉を読んだのだ。私の言葉は歌詞ではないというのに。

 彼女は笑うのをやめていた。代わりに人形のようにのっぺらとした表情を顔に張り付けていた。その口が淡々と動き、彼女の全てを吐露していく。

 

「漢字の宿題を忘れて叱られてた。授業中に居眠りをして笑われてた。作文が全く進まずに放課も一人残されてた」

「えっ……」

 

 伏し目がちに俯いている彼女から、次々と私しか知らない……私も知らない私のことが暴露されていく。

 

「廊下掃除を適当にやって、水バケツを蹴ってこぼしてた。それを誰かのせいにして、ゆうは笑って遊んでたね。友達の図工作品を勝手に触って、壊しちゃってその場から逃げ出したよね。犯人は名乗り出ろって先生言ってたのに、結局ゆうは知らんぷり。後いっつも自分の消しカス隣の子の椅子の下に捨ててたよね。私とか、背の高い男子とか、強そうな人には絶対してなかったけど」

「そうだよ……そうだよ! 」

 

 彼女の言っていることは、全て本当のことだった。全部見られていたのだ。私が彼女を見ていたように、彼女も私のことを見ていた。何とも言えない高揚感が、冷え切っていた私の芯から湧き上がってきた。

 だったら私だって負けてはいられなかった。

 

「私だって見てた! 鬼ごっこで鬼になれなくて、ふてくされて席に戻るところ。丸つけの列ではいつも一番になろうとして、でも算数だけはなれなくていつも悔しそうにしてたよね。誰かが叱られてると絶対に近くに寄って、楽しそうに聞き耳立ててた。授業中は絶対に、誰かが間違えてから手を挙げてて……」

 

 一度始めてしまったら、もう止められなかった。だってずっと話したかったから。私はこんなにも池淵さんのことを知っているんだぞって、誰かに自慢したかったから。

 いつの間にか、私の目からは涙がポロポロこぼれだしていた。

 

「長縄跳び大会では、誰よりも一生懸命で、おっきな声で掛け声出してた! 図工や作文ではいっつも一番早くて、スピーチには迷いが全くなくて、かっこよかった! 自分の気持ちをいつもはっきり出せて、生きたいように生きてて、自分に正直な池淵さんは、本当に、す、すごくでぇ……」

 

 あふれ出た気持ちは、目から鼻からしずくとなって垂れ出て、私が話すのを邪魔する。目の前がぼやけて、おでこがジーンと熱くなる。彼女はどんな顔で私の独白を聞いているのか、もう見ることはできなかった。

 それでもこれだけは伝えたくて、ぐじゅぐじゅに震える喉を必死に動かして言葉を紡ぐ。

 

「ともだちに、なりだかっだ……でも! うう……できなくでぇ、池淵さん、き、き、嫌われてで……怖くて」

「うん。知ってたよ」

 

 彼女はあっさりそう言った。私の一世一代の告白など、もうとっくに知られてしまっていたのだ。なんて間抜けで、滑稽な話だろう。こんなこと、知りたくなかった。

 彼女は私のことをずっと見ていて、私の気持ちを知っていて、それでも今日まで私と話しすらしてくれなかったのだ。それはつまり、私と友達になる気など全くなかったということに他ならない。

 

「う、うああああ! えぅうう……」

 

 私は泣いた。人目をはばからず泣いて、いっそ彼女を困らせてやろうと思った。本当に、なんて小さな人間だろう。そんな自分にまた泣けてくる。こんな自分、なくなってしまえばいいのに。そう思った時だった。

 ぱさりと、肩に何かがかぶせられる感触があった。思わず手で確かめると、覚えのあるフリルの感触が肩口から伝わってくる。これは、私のパーカーだ。

 ほんのりと伝わってくる彼女の温もりを確かめながら、どうして今これがかけられたのかを考える。これはつまり、もう私と話すことなどないという、彼女からの意思表示なのだろうか。

 急に突き放されたような感じがして、パーカーの端をぎゅっと握りしめる。今にも「じゃあさようなら」と彼女から別れの言葉が突き付けられてしまう恐怖に駆られ、ぎゅっと瞼を閉じた。

 

「よりはね、知ってるよ。ゆうは最近夢中になれるものを見つけた」

 

 かけられた言葉にはっとなって、私は涙を拭って前を見る。久しぶりに見えた彼女の顔は、寂しげに笑っていた。その表情もまた、私の知らないものだった。私は彼女のことを本当に何も知らなかったのだと、再認識させられる儚さがそこにはあった。

 おっかなびっくりな私の視線を受けて、彼女は続けて言った。

 

「よりもビックリしたよ。家庭科の裁縫の時間、めっちゃ真剣に頑張ってたね。いつもボーっとしたり、おしゃべりしてるようなゆうが、一言も話さず黙々とティッシュケース作ってるんだもん。良かったね。きっとそれって才能なんだよ」

 

 私は唖然としていた。そんなところまで彼女が見ていたなんて。そんな風に思われていたなんて。思いもよらなかったから。

 私は決して裁縫が上手なわけじゃない。速さは普通より少し遅いくらいだし、先生に褒められたことだって一度もなかった。それでも彼女は見てくれていたのだ。私のそれは才能だと、認めてくれていた。

 

「それ」

 

 嬉しいやら驚きやらで呆けていた私を、彼女が指さした。いや、正確には私でなく、私が羽織っているパーカーを指さしていた。

 

「そのフード、凄く可愛くできてる」

「え……」

「自分で飾り付けたんでしょ? そのフリル、前着てた時は無かったし」

「ぅうええ!? そんなことまで!?」

 

 彼女は一体、どこまで私のことを知っているのだろうか。私はかわるがわるやってくる驚きに、もう頭がおかしくなってしまいそうだった。

 しかしそうだとしたら、一つ問い詰めたいことが新しく生まれた。私はパーカーをしっかり着直すと、彼女につかつかと詰め寄る。

 

「じゃあ知ってたんじゃん、これ私のだって! 何で勝手に持って行ったんだよ! あ、あわよくばもらっていくつもりだったとか!?」

 

 彼女がこのパーカーを、もう転校していなくなってしまう人のものだと分かって教室から持って行ったのだとしたら、これは大問題じゃないだろうか。持ち主が戻ってこないことを分かっていて、自分のものにしようとしたようにしか思えない。私はそう確信して憤慨した。

 

「はあ!? だから違うって! すぐそうやって悪く考えるの、本当止めて!」

「じゃあ何で!」

 

 私の言及が不本意だったのか、彼女が眉を吊り上げ明確に不機嫌を露わにする。背の高い彼女が大きな声を上げて紛糾する姿は、正直言って怖い。でもこの件に関してだけは、私も引くわけにはいかなかった。

 お互いがお互いに詰め寄り、どんどん顔が近づく。だが今にもぶつかろうかというところで、彼女がふっと表情を緩めて言った。

 

「そんな大事なものなら、絶対に取りに来るじゃん。だから、持ってればもう一度会えると思ったの」

「はあ!? だからっ……ぅえ?」

「会って、言いたいことがあったから!」

 

 彼女の言っていることに追いついていけない私を置いて、彼女はどんどん行動を進めてしまう。一歩、二歩と私から距離を取って、彼女はその全貌を私に見せつける。未だに前のめりのまま呆けている私と向き合うと、彼女はコホンと咳払いをして、居住まいを正した。

 妙に恭しい雰囲気となった彼女が、手を差し出してくる。

 

「じゃあね。友達になれなくてゴメンね。裁縫、これからも頑張って」

 

 これだけを。これだけを言いたくて、彼女はこんなにも回り道をしなくてはならなかったのか。

 私は差し出された手のひらと彼女の顔の間を、何回も視線を往復させながら、驚くとともに納得していた。なるほど。私たちは友達になれないわけだ。だって、彼女の顔はもうすっかり暗くなってしまった今でもわかってしまうほどに真っ赤なのだ。たったこれだけの一言でも、彼女にとっては何重もの勇気を降り注いでやっと口に出すことができるほどのものだったのだ。

 だったら、私も答えよう。矮小で狭量な私だけど、せめて精いっぱいの勇気を込めて。

 私は震えながら、彼女の手をゆっくりと、しっかりと握りしめた。

 

「バイバイ。ずっと憧れてたよ。お別れ会の歌、本当にありがとう……!」

 

 最後は、二人とも笑顔だった。目からはとめどなく涙があふれてくる。けれど、お互い気恥ずかしそうに笑っていた。もしかしたら私たちはようやく、友達になることができたのかもしれない。もう全部、遅いのだけど。

 

 

 もうすっかり辺りは暗くなって、夜のとばりがおりきってしまっている。いい加減私は家に帰って、荷造りの続きを再開しなくてはならなかった。引っ越しの慌ただしさに刺々しさを増したお母さんが、帰宅後開口一番私に怒鳴るのが想像できて、この屋上を出ていくのが怖い。

 だから、二人ならその勇気もわいてくるかもと、彼女もいっしょに帰らないか誘ってみたが、断られてしまった。もう少しだけ彼女は屋上に残るそうだ。

 

「ここを自由に使えるのも、多分今日が最後だし」

 

 そう言うと彼女は両手を広げて、また辺りを巡り始めた。その楽し気な姿は、慣れ親しんだ場所から離れることを惜しんでいるようにも見えた。

 ふと私はあることが気になって、彼女に問いかけた。多分これが、彼女への最後の質問になるだろうと感じながら。

 

「そう言えば、何で屋上にいたの? てか、何でここ開いてたの?」

 

 それは根本的な疑問だった。彼女の歌声をたどるのに夢中で忘れていたが、本来屋上は開放厳禁な場所だったはずだ。なのに彼女は当然のようにここにいて、通い慣れているような雰囲気すら漂わせていた。これはどう考えてもおかしい。

 そんな私の質問がよっぽど面白かったのか、一層くるくる回るのを早くして、彼女はよく通る声で高らかに笑った。

 

「あっははは! やっぱり気づいてなかったんだあ。まあ、そりゃそうか!」

 

 くるくるふらふらと屋上の端まで彼女は到達する。屋上を囲む鉄策に勢いよくぶつかると、そのまま夜空を見上げて彼女は言った。

 

「よりはね、ここ一か月くらい毎日放課後に、ここで練習してたんだよ。ゆうのお別れ会で歌いたいって先生に言ったら、内緒で開けてくれたんだ」

「ええ!? なにそれいいな! ていうか、一か月も練習してたの!?」

 

 クラスのみんなが知ったら、めちゃくちゃうらやましがられること間違いなしな話だ。みんな出し物の練習場所に困って、屋外トイレの裏とかでやってたくらいなのだ。こんなことを秘密にしていたなんて、全く先生も人が悪い。

 それにもう一つの方も驚きだ。一か月も練習していたなんて、そりゃああれだけ素敵な歌が歌えるわけだ。

 全く私は、彼女について何も知らない。

 

「知らなかったでしょ?」

「ああ、うん。全然、知らなかったんだね私」

 

 私は両手を掲げて、今日三度目の降参のポーズを取った。きっと私は、友達に慣れたとしても、絶対に彼女には敵わなかったろう。

 彼女は満足げに大きく息をつくと、ゆっくりと手を突き出し、シュバっと三本の指を折り曲げピースした。

 

「ひっひひー! これでぜーんぶ、よりの勝ち」

 

 

 校舎から出ると、強い風が私の身を打ち震わせた。

 取りに行ったのがパーカーでよかった。もし薄着のままだったら、凍えてしまっていたかもしれない。そこまで考えてふと気になった。そういえば彼女は上着を持ってきていたのだろうか。

 校舎の下からでは見えなくなってしまった屋上を見上げる。姿は見えないが、彼女はまだきっとそこにいて、最後の屋上を満喫しているのだろう。

 その時上から吹きすさぶ風に乗って、かすかに歌声が聞こえてきた気がした。

 きっと彼女は大丈夫だ。何の根拠もないけど、私に向かって高らかに勝利宣言をする彼女が、こんな風ごときに負けてしまうなんてありえないと思った。

 私は何となく、校舎に向かって大きく一回手を振り、小学校生活の大半を過ごした学び舎を後にした。

 さようなら、さようならと、うわごとのように呟きながら。

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