舞鶴鎮守府の責任者である本間一三は今、おかれている状況に少なからず困惑していた。
執務中に秘書艦である由良に『みんなには明日の会議で集まった時に退役の説明はするさ』
――と言った訳だが、所属艦娘同士の伝達により一三が伝える前に少女達に退役する件は、瞬く間に伝わってしまった。
哨戒や遠征から帰って来た子達が執務室に訪れた時、皆、何か言いたげだが勤務中である故に聞きたくてもこの場では聞けないと言った雰囲気が執務室に蔓延していた。
例えば、明らかに不機嫌な瞳を向けてくる陽炎型十六番艦の嵐。何か「うー」と唸っている。
上官の前でそれは拙いと宥める同じく陽炎型十七番型の萩風。嵐に気を遣いながらも時折、一三にチラチラと視線を向けていた。
対して陽炎型十五番艦野分は瞳を閉じたまま一三に報告書を提出して淡々と遠征で得た資材について報告を述べる。
そんな野分のいつも以上にピリピリとした空気にあてられたのか、陽炎型十七番艦の舞風はいつもの明るい笑顔は影を潜めていた。
一三は野分の報告を聞きながら、自身の迂闊な言葉で皆に不安を与えてしまった事にもう少し違ったアプローチをすべきだったかと反省する。
第四駆逐隊にねぎらいの言葉をかけて部屋から退出する彼女たちの背中を見送った後で、どうしたものかと一三は頭を悩ませた。
そして、皆の態度に計算外だったと思い悩む一三の許に所属艦娘達の代表として由良から『嘆願書』が提出された。
一三は由良達の気持ちを蔑ろにする気は無いが、自身の退役はすでに大本営から内示を得ている件である故に眉間に皺を寄せながらも嘆願書の中身を確認する。
しかしそこに書き記されていたのは、簡潔に一文のみ『本日の夕食を是非、ご一緒願います』だけであった。
一三は内容に呆気にとられるも自身のこれからについて遅かれ早かれ皆に説明しなければいけない立場であったので目の前で真面目な表情で直立している由良に快諾の返事をする。
由良が自分や皆に気を遣った事に感謝しながら朴訥な顔立ちに笑みを浮かべるのであった。
しかし一三は考えもしなっかった。その嘆願書が地獄の冥府への片道切符という事に――
夕刻、舞鶴鎮守の食堂に所属する艦娘が勢ぞろいしていた。
その中に皆の上官である一三が中心となって席を囲む訳なのだが――
「……あの、山風……さん?」
一三は今、自分のおかれた状況にが理解できないでいた。
何故なら席に座った瞬間、白露型八番艦である山風により身動きが取れないようひざ上に座られたからである。
子供が親に甘えるように一三に山風が背中を預ける形で彼のひざ上に座るなら『まだ』よかったのであるが――
一三を離さないとばかりにがっちり手と足を彼の背中に回しホールドしている。
――対面座位。しかもだっこちゃん人形バーションである。
「……かまわないで」
一三の胸に顔を擦り付けた状態でそんな無理な事をのたまう山風。
「ったく山風の姉貴は、あまえんぼうだなぁ」
そんな姉をまろーん……もとい白露型九番艦の江風がニシシと笑いながら山風の腕を突っついている。
「……ほら山風。そのままだと提督がお食事を召し上がる事が出来ないでしょ。江風、貴女も提督から離れなさい」
一三の背中にもたれている山風と江風に注意をする白露型七番艦の海風。
「やぁ……」
「えー」
しかし妹達からは不満の声があがる。
「でも江風。昨日、提督がお辞めになるって聞いた後、ベッドの中で泣いていたよね?」
天然初期艦である五月雨が首を傾げながら悪意の無い口撃をかます。
実際、一三が辞めると聞いた江風は自分のベッドの中で「まろーん、まろーん」と夜泣きしていたので、それを海風が慰めて寝付かせていた事実があった。
「そ、そんなのちげーし!」
「ほら江風。席に座らないと」
五月雨は江風の恥ずかしさのあまりに激高する様子を気にするでもなく、優しく一三の背中から江風を離して彼女を席に着かせた。
(……さてどうしたものか。私が退役する件について話をしたいのだが)
そう考えながら一三はダッコちゃん人形状態の山風に顎を乗せる。
「……ん」
山風がくすぐったそうにするが、気にするでもなく一三の視線は目の前に用意された料理に向けられていた。
皿に盛られているのは春雨が作った『春雨』である。
麻婆とかそう言う単語は付かない正真正銘の春雨がパスタのように盛り付けられている。しかもギガ盛りで。
対して他の皆に用意されているのは、由良お手製の白米に麦を混ぜたごはんと肉じゃがにとりの天ぷら、お吸い物としてあさりのおみそ汁であった。
「あの……春雨さん?」
「はい。司令官何でしょうか」
天使のようにニコニコと微笑んでいる春雨。
「えっと私の夕飯はこれだけなのでしょうか?」
「私の飯盒で海水と春雨の愛情たっぷりで茹でてみました……あっ、そのままだと司令官がお召し上がりになれませんよね」
と言って、自分の箸で茹でた春雨を一三の口元に寄せる。
「はい司令官。あーん」
「いや、そこまで――「あーん」……」
いつもより積極的な春雨の行動に一三は驚くよりも可愛い妹分の攻勢にタジタジになる。
「――司令官?」
あーんに応えない一三に春雨は、しびれを切らしたのか、その可愛らしい顔立ちに冷笑を浮かべだす。
それはさながら深海棲艦である駆逐棲姫を彷彿させるような――
「――仕方ありませんね。司令官はどうやらあーんではなく春雨の口移しがご所望のようですね?」
キレッキレに暴走する春雨であった。
「……まったく、ウチの妹達は可愛いねぇ」
山風を抱き上げ海防艦のように盾としながら一三はワルサメもとい春雨のキッスをかわす。そんなやり取りを見ながら苦笑を浮かべるのは、白露型の一番艦長女の白露である。
白露は視線を彼女の左隣で神妙にした面持ちで箸に手を付けず、じっとしている夕立に向ける。
「ほら夕立も食べないと。アンタ由良さんのとり天大好きでしょ?」
「……はい。いただきますお姉さま」
「アンタ、ダレよっ!」
普段から下の妹達に負けないぐらいに一三にワンコのように甘えている夕立の変わりように驚愕する白露。
「時雨、アンタからも夕立に――」
これはマズイと判断した白露は夕立の隣にいる次女である時雨に助けを求める。
「……ブツブツ」
が、肝心の時雨は暗い表情を浮かべ下を向きながら何か呟いていた。
「……うん。やっぱり首輪とリードが必要だよね」
それを時雨が身に着けるのか、はたまた一三に使用する気なのか考えるのを放棄し、聞かなかった事にして白露は食事が並べられている食卓の対面に視線を移す。
視線の先には、白露型とは異なる鎮守府の同僚の第四駆逐隊の面々が座っている。
妹達と同じく一三の退役にショックを受けているのか一様に暗い。
「ほ、ほらーみんな笑顔、笑顔」
そんな中、舞風が持ち前の明るさで場を和ませようとしている。
だが、四人のリーダーでの野分は食事を黙々と進め舞風のフォローを行う気は無いようである。静かではあるが明らかに怒っている様子であった。
野分の態度は彼女を知るものとしては、ある意味仕方が無いと思える部分があった。
それは、彼女の一三に対する評価である。
正直、戦場での指揮能力は評価としては平凡だが、兵站運用に関しては、大本営内でも右に出る者はいない。そして、何よりも軍政家としての能力もずば抜けていた。
深海棲艦との戦争において経済、政治を絡めて作戦運用を行う。大本営がその一三の稀有な才能を惜しみ、民間に戻る彼に縁を何とか繋げておきたいとあれこれ条件を付けていたのはその為であった。
そんな一三を野分は尊敬いや心酔していた故に納得がいっていないのである。
続いて嵐は、食事を進めながら時折、一三に視線をチラチラと向けており、
「……ある意味、長……オレ……タイプが……だから……ひきと……うん。ヨシ!」
そして、何やら考えながら決意を固めている様子であった。
最後に萩風は、食卓に並べられた食事をジッと見て
「……食……いえ……のみも……むみむ……あらしと……うん」
嵐と同様に何かを考え同じく何かを決めたようである。
そして、嵐と萩風は視線を交わすとお互いにコクリと頷き合う。
「みんなぁ~無視しないでよぉ~」
同僚の為に頑張っている舞風はすでに涙目であった。
そんな第四駆逐隊の様子を見た白露はふぅと溜息を吐く。
(この混沌とした状況は……大方、村雨に乗せられたのが原因なんだろうねー)
白露はそう推測をしながら村雨に視線を向けた。
村雨は天使の如くニコニコと微笑んでいる。
「由良の肉じゃがと春雨のはるさめおいしいですって!」
そんな中、白露の右隣に座っていた呂五〇〇ことろーちゃんが笑顔で手にした先割れスプーンで一三の為に用意された春雨をパクついてた。
「ろーちゃんは、みんなと違って元気だね?」
白露は明るい様子のろーちゃんに声をかける。
「? ろーちゃんが元気だと変?」
白露の問いにろーちゃんは、キョトンとした表情で首を傾げる。
「いや、提督が辞める事、ろーちゃんも聞いているよね?」
頬におべんとをつけていたろーちゃんに手を伸ばし、白露は米つぶをとってやり、それを口に入れながら再び問う。
何気ない問いかけにその場に居たほとんどの者達が白露とろーちゃんのやりとりに視線を向ける、
「それならもーまんたいですって! あどみらーじゃなかった、てーとくが辞めたらろーちゃんもついっていくですって!」
「「「「「「それだ(ぽいっ)っ!」」」」」」
ろーちゃんの発言に立ち上がる妹達や同僚に「それだ!」じゃないわよと白露は心の中でツッコむのであった。
(まあ、みんな提督のことになると周りが見えなくなる子が多いしねーここは白露型一番艦でありみんなのおねーちゃんであるこの私が何とかするしかないかな)
さすが、個性派ぞろいの白露型をまとめる長女――
(それで、きちんとみんなを落ち着かせた事を提督に褒めて貰って……提督にとって、いっちばーんの理解者はこの私だってちゃんとわかってもらわなきゃね!)
―――やっぱり姉妹であった。
(……なんて事を白露姉さんは考えているんでしょうね)
長女の思考をほぼ完全に把握する村雨。
(みんなをたきつけたのは、提督が村雨に大事な事を相談しなかった罰ですよ?)
村雨は笑顔のままで、妹達や同僚にタジタジになっている一三を見ながら――
(……スゴク、イイ!)
可愛い妹達が拗ねたり、怒ったりする表情も良いが、それに翻弄される一三の困った表情にゾクゾクしてしまう村雨。
(……ああっ! 提督っ! 村雨は一三さんのみんなに追いつめられて困った表情を受かべるアナタがもっとミタイッッッ!)
村雨は、駆逐艦の艦娘としては、かなりグラマーな己の身体を抱きしめながら恍惚の表情受かべ一三たちを監視もとい見守るのであった。
(……てな事、考えているんだろうなぁ 村雨の姉貴は……)
げんなりとした表情でイッちゃっている村雨を見てしまったのは白露型の末っ子である涼風である。
そして彼女は、あえて意識をそらし続けていた部分へ勇気を持って視線を移す。
提督の横で良妻のように寄り添っている皆の姉的存在である由良。
彼女の瞳は――ハイライトさん仕事をしてくださいであり、
その状態で微笑んでおり、正に天使のような悪魔の微笑であった。
(……て、てやんでぇぃ)
村雨が何を吹き込んだのかはわからないが、涼風は直感でこのまま放置しておくと今夜あたり提督は確実に食卓に並んだ今日の食事のように『食べられてしまう』と――
その日の夜。
青いパジャマにマイ枕を手に装備した涼風は、色違いであるピンク色のパジャマ姿の五月雨へ特に理由も述べずに共に提督の寝室へ赴く。
そして、一三の返事を待たず、涼風は彼の居る布団へ潜り込む。
五月雨は「提督とはじめてお会いした頃、私と涼風でよくお邪魔していたのを思い出しますね!」
と、うれしそうに一三の布団に続くのであった。
一三の困惑する問いかけに
「べらんめぇ! これは仕方が無い事なんだっ!」
と言ってうやむやに同衾をする涼風とニコニコとうれしそうにしている五月雨に一三はついに折れる。
――末っ子の機転で自分の操が護られたとも露知らず、一三は美少女ふたりの柔らかい肢体と匂いに包まれて生き地獄を味わうのであった。
第三話に続くっぽい?