本編では真一が3年生、和美が2年生、直葉が1年生になった年です。
「風邪?こんな時期に……いや、それよりもあの直葉がか?」
「はい。2、3日は休むそうですよ」
部活中、俺はなかなか姿を見せない直葉に疑問を感じ、同じクラスの友達に声を掛けた所どうやら風邪を引いて寝込んでいるらしい。そういえば、最近体調を崩す生徒が多いと教師達が言っていたな。
「風邪か……」
「……真一さん、もしかしてお見舞いに行こうとか考えてます?」
「当然だろ?ここの部員、それに友達の妹だ。明日は土曜日だからな、何か持っていって様子を見に行こうと思っているが……問題でもあるのか?」
「いーえ、ありませんよぉ?直葉ちゃんも真一さんがお見舞いに来てくれるなら、喜んでくれると思いますよー」
「……?そうか、お前はどうする」
「直葉ちゃんの事は気になりますけど、明日は出掛ける用事があるので遠慮しときます」
……どこかニヤニヤして、面白がっているように見えるのは俺だけだろうか?そういえば、彼女には前に何かをネタにからかわれた事があったと直葉が言っていたな。俺が直葉のお見舞いに行く事がからかうネタになるとは思えないし、それではないだろうが。
「さて、何を持っていくかな……」
持っていくお見舞い品を何にするか考えつつ、俺は手に持つ竹刀で素振りを再開した。
──────土曜日
「……熱い……」
桐ヶ谷家にて、直葉は自分の部屋のベットで寝込んでいた。喉の痛みや気持ち悪さなどは収まったものの、未だに熱は下がっておらず、体も少しばかり怠い状態が続いている。
体調を崩してしまったタイミングは非常に悪かった。母であり、情報誌の編集長でもある翠は〆切前で出版社に籠ってしまっており、父である峰嵩は出張で帰ってくるのはもう少し先の事。唯一残っている和美には着替えや食事などは手伝ってもらっているものの、ある事情によって直葉とも関わりを避けている和美は呼ばれない限りは部屋への出入りを行っていない。
数年前から突然変わってしまった姉に対して直葉は疑問を感じている。しかしその理由を聞き出せずに、段々と2人の間に会話が無くなってきている事を悩んでもいた。
「ん……」
布団から上半身だけを出して床にあるスポーツドリンクを持ち、喉の渇きを潤す。
その時に服が少し汗で濡れている事に気付いた。しばらくしたら和美にまた着替えを手伝ってもらおうと思いつつ、直葉は再び布団の中へと戻った。
ピンポーン────
(チャイム……誰だろ?)
聞こえてきたチャイムの音に直葉は出ようと考えるが、怠さを感じる体ではうまくいかない。すると、廊下の方から部屋のドアが開く音、階段を降りる音が聞こえてきた為に和美が向かったんだと直葉は理解した。
(……お姉ちゃんが自分から出るなんて、珍しいな)
和美の行動に意外性を感じつつ、耳をベットに押し付けると下からドアが開く音が聞こえてきた。そしてしばらくすると、和美と入ってきた人の声が微かにだが聞こえてきて直葉はさらに耳を押し付けた。
「直葉はどう──て──だ?」
「───は、部屋───てるよ」
「なら──には────らない──いか?」
和美と一緒に聞こえてくる声に直葉は心当たりがあった。というよりも、学校でもこの家でも聞き慣れた声であった。
「……この声って……もしかして」
「ところで昼飯はどうした?」
俺はお見舞い品として持ってきた果物を台所に置きに行った後、和美にそう尋ねた。今日は翠さんも峰嵩さんもいないと聞いたが、料理などロクにやらない和美が昼飯を作ったとは到底思えない。直葉の事もあるから聞いてみたが、果たしてどうしたのか?
「えっと……私はカップラーメンを食べたんだけど、スグはまだ寝てるから何も────」
「馬鹿か」
俺は和美の頭をコツンと手刀で叩く。寝ているとはいえ、自分だけ食べて直葉の昼飯は用意しないとはどういう事だ。そんなに強く叩いたわけではなかったが、和美が大袈裟なのかそれとも本当に痛かったのか涙目で俺に訴えてくる。
「うぅ〜……叩かなくてもいいじゃんかぁ……」
「……はぁ。直葉に何か食べられるか聞いてくる」
「えっ、真一が作るの?」
「他に誰もいないだろ」
これでも家では平日の朝昼夜は俺が自分と親父の飯を作っている。料理の道を追求しているわけではないが一般的な物なら作れるし、そうではない物もある程度は作れる。見た目が少々キツすぎる物も作れるが……興味本意で作ってみただけだし、人前に出した事など一度もないが。
「起きているといいんだがな」
俺は階段を登り、直葉のいる部屋の前に立った。ドアを軽く叩き、しばらく待つが中からの返事はない。もしかしたら寝ているのかもしれない……が、何も食べずにいては治る病気も治らないだろう。
「直葉、真一だ。風邪を引いたと聞いて様子を見に来たんだが……悪いが、入らせてもらうぞ」
一応声を掛けてからドアノブを回して部屋の中へと入ろうとすると──────
「あっ、暁先輩!?ちょっ、待ってください!!」
「……?何だ、寝ていたんじゃないのか。返事がないから、てっきり」
「いえっ、その……いっ、今起きたんです!」
「そうなのか。何だ、寝癖がついていたり寝起きの顔が見られるのが嫌か?」
前にこの家に泊まらせてもらった時、和美が起きてこないからと頼まれて部屋に入ったら、寝癖で髪が爆発している和美と目が合って怒られた事があるのだ。「真一のバカー!」とか「恥ずかしいじゃん!」と言われてからは、無闇に入らないよう気を付けているつもりだ。
「えっと……い、いいですよ」
「入っていいのか?」
「はい。その、少し髪が乱れてただけなので……」
「そうか」
直葉から許可を貰い、俺は初めて直葉の部屋の中へと入る。そこにはベットの上に座り、カピバラの抱き枕を抱えている直葉がいた。頭に冷えピタを貼り、顔が赤い事からまだ熱が下がっていない事は明白である。
「何で横になってない。まだ熱があるんじゃないのか?」
「あ、暁先輩の前で寝たままなんて失礼かなと思って……」
「そんなの後回しだろうが。いいから横になってろ」
「す、すいません……」
直葉としては俺にみっともない姿を見せたくなかったのかもしれないが、治す方が何よりも大事だろうに。怒られるとは思っていなかったのか、しょぼんとした様子で直葉は布団の中へと入っていく。
「熱は何度あるんだ?」
「さっき測ったら、39度って……」
「それで起きていたのか?だったら尚更寝ていなきゃ駄目だろ」
「ごめんなさい……」
申し訳なさそうに謝る直葉に、俺は溜め息を吐きつつ屈んで彼女の頭を撫でる。すると少しくすぐったそうにしながらも、目を細めて気持ち良さそうな表情を浮かべていた。
「あまり無理するな。風邪を引いてる時くらい、ゆっくり休め」
「……はい」
「それでいい。ちょっと薬を見せてもらうぞ」
俺は机の上に置かれている薬の袋に書かれている内容を見た。薬を飲むのは朝、昼、夜に食後か。となると、何も食べていないのは薬を飲めない事に繋がる。
「直葉、何か食えそうか?」
「えっと……たぶん、お粥くらいなら」
「そうか。なら少し待ってろ、今作ってくる」
「……えっ?あ、暁先輩が作るんですか!?」
何故そこまで驚く?まさか和美と同じく俺が料理を作れる事がそんなにも意外だったか?
「何だ、料理なんて出来ないって思ってたか?」
「い、いえ、そういうわけじゃ……」
「それなら問題ないな。それじゃ台所借りて作ってくるから、楽しみに待ってろよ?」
俺はそう言って部屋を出る。そして階段を下りつつ、普通に卵入れてネギとかトッピングしたお粥でいいかな、などと考えていた。
「暁先輩が料理できるなんて知らなかったなぁ……お姉ちゃんなんて、お粥作ろうしたら土鍋を焦がすレベルだし」
そう言ってクスッと笑う直葉。未だに距離感があるとはいえ、一生懸命に作ってきてくれたのだ。焦げで苦かったものの、和美が作ってくれた事がとても嬉しかったとは本人にも伝えていない気持ちである。
「……あれ?でもこれって、つまりは暁先輩が私の為に作ってきてくれる……って事だよね……?」
直葉はそう考えた瞬間、熱とは別の意味で顔が少し熱くなった気がした。彼女にとって真一とは────剣道でも人間的な意味でも尊敬し、憧れている先輩。そして直葉本人は自分の気持ちに気付いていないものの、好意を抱く人物でもあった。
かつて事故によって命の危機に瀕した際、通りかかった真一に彼女は助けられた。そして数年後、和美が家に連れてきた友達は偶然にも再会を望んでいた真一であったのだ。
それからというもの真一、和美と同じ中学校へと入学し、剣道部に所属した事で真一との接点がさらに増え────今に至る。
「な、何だろう……そう考えると、ちょっと嬉しいな……」
布団の中に潜り込み、にやけた顔が止まらない直葉。簡単に作れるお粥だとしても、作ってくれる事には変わりない。それも自分を心配しての行動なのだから尚更嬉しいのだろう。
「暁先輩、楽しみに待ってるよう言っていたけど……本当に楽しみだなぁ」
「よっ、待たせたな」
俺はトレーの上にお粥が入った土鍋、スプーン、それと水の入ったペットボトル、コップを乗せて直葉の部屋へと入った。今度は横になってくれており、安堵する。これでまた座った状態だったらどうしようかと悩む所だったからな。
「いえ、大丈夫です。すみません、作ってもらってしまって……」
「いいんだよ、別に。何か食わなきゃ薬も飲めないし、早く治ってもらわないと部活で本気出せる相手がいないからな」
うちの部活にいる奴ら、弱くはないんだが幼少から剣道をやっている俺や直葉などと比べると強いとは言えないんだよな。だから俺はいつも直葉以外と練習する時は手加減をしている。それでも負けた事はないが。
「そ、そんな事ないですよ!だ、だって暁先輩は私なんかよりも断然つよ────ごほっ!ごほっ!」
「そんな大声を出すからだ、大丈夫か?」
「は、はい……」
トレーを床に一旦置き、起き上がろうとする直葉を手伝った後にベットの端に置く。そして土鍋の蓋を取り、湯気が立ち昇るお粥を直葉に見せた。
「薬飲まないといけないし、とりあいず食えるだけな」
「でも美味しそうですよ。残すのが勿体ないくらいです」
「なら夜にでもレンジで温めて食べたらどうだ?」
そう言っている間にも俺はお粥をスプーンでかき混ぜ、熱気を逃がしていく。そしてある程度混ぜた所でお粥をスプーンの半分すくうと────直葉から疑問に満ちた視線が向けられている事に気付いた。
「あの、暁先輩?な、何してるんですか?」
「ん?いや、辛そうだから食べさせてやろうかと」
「だっ、大丈夫ですよ!?そのくらい、自分でも出来ますから!」
「……そうは見えないけどな」
今は上半身だけ起き上がっているだけだが、自分でスプーンを持ってお粥をすくっても口に運ぶ前に落とす事が想像できる程に酷く見える。だから最初は横になったままでもいいか悩んだが、それじゃ食べづらそうだしな。
「うっ……」
「まぁ、どうしても嫌なら強制はしないが。こぼしそうになったら俺が助ければいいだけだしな」
「い、嫌じゃないですけど……その、恥ずかしいだけで……でも、助けに入ってもらう方が逆に大変ですよね……暁先輩に迷惑かけて悪いですけど、食べさせてもらってもいいですか?」
「ん、分かった。そっちの方が安心だしな」
直葉からも許可を貰い、俺はすくったお粥を冷ます為に息を吹き掛けた。流石にこのまま口に入れたら火傷させるだろうからな。
「ふーっ、ふーっ……ほれ、あーん」
「へっ!?」
「どうした?」
「い、いや、えっと……あ、暁先輩が、その、あーんなんて言うとは思ってなくて……」
「……それはつまり、俺はいつも無愛想って事か?」
「そ、そういうわけじゃないです!ええっと……い、いただきます……」
口を開いた直葉にお粥を食べさせ、モグモグと咀嚼をし、飲み込むと俺に笑みを浮かべてきた。
「やっぱり美味しいです。これなら全部食べきれる自信があります」
「食欲がある事はいいが、いらなくなったら言えよ?無理に食べなくてもいいんだからな」
「分かってますよ」
その後も直葉にお粥を食べさせていったが、ずっと続けているとまるで親鳥が雛に餌をやっているような気分になってきた。口を開き、お粥が入れられるのを待つ直葉は可愛らしいが、親鳥もこんな気持ちなんだろうか?
「ふーっ……ご馳走さまでした、暁先輩」
「おう、お粗末様」
カランッとスプーンが入れられる土鍋の中に残っているのは米粒がほんの少しだけ。つまり直葉は本当に完食したのだ。美味しいと言いながら食べきってくれた事は嬉しいし、直葉も満足してくれたみたいで良かった。
薬を俺が持ってきた水とコップで飲み、後はゆっくり休めば良くなるだろうと部屋から出ようとして────裾を掴まれた。
「あっ……」
「どうした?」
「え、えっと……」
犯人である直葉に尋ねるが、言い淀んでしまった。それでも裾は離しておらず、そのまま答えを待っていると直葉が意を決したように口を開いた。
「……寂しいんです。お父さんもお母さんも仕事でいなくて……お姉ちゃんはいますけど、すぐに出ていっちゃうし……」
「……そうか」
和美が他者との人付き合いが難しい事は知っている。しかしそれが家族とも難しい事には俺も前々から悩んでいた。だが例え友達であろうと、後輩であろうと所詮は赤の他人である俺が口を出すわけにはいかないと思っていたが……これ以上、見て見ぬフリをしているわけにはいかないな。
「だから、その……私が眠るまで傍にいて欲しくて……でも迷惑ですよね。目を閉じていればそのうち────」
「これでいいか?」
「……えっ?」
俺は裾を掴んでいた直葉の手を握った。これなら目を閉じていても俺がいるって事が分かるからな。
「握られているのが嫌なら離すが」
「……い、いえ、これで大丈夫です。この方が……暁先輩がいてくれてるって安心できますから」
「そうか」
そう答えた直葉は小さなあくびを漏らした。おそらく薬を飲んだ事で眠くなってきたんだろう。
「寝てしまっていいぞ?」
「す、すみません……それじゃお言葉に甘えて……」
そう言って直葉は目を閉じる。それからしばらくしない内に規則正しい寝息が聞こえてくるようになり、直葉が眠った事を確認する。まだ眠りは浅いだろうから離さないが、もう少ししたら手を抜き、この部屋から出よう。
「そしたら……少し和美と話をするか」
タイトルに『1.』と付けられているように続きます。ただ次回は真一と直葉が出会った時の話をし、その次から今回の続きにする予定です。