シュペーノート 作:記録係
今日も日誌を書き終え、椅子の上で身体を伸ばす。体重をかけられた背もたれが、主を支えんと鳴いた。
グランサイファー内、居住区の自分の部屋の片隅に目をやれば、子供の頃に使っていたボロボロの剣が目に入る。その剣は鍔から拳二つ分を残して先が消失していて、武器としての役割を果たせないことが一目でわかるようになっていた。グランと旅立つその日、森の中で会った帝国の兵士と戦った際に折れてしまったのだ。
「あれから、大分強くなったかなー」
帝国の巨大戦艦が島の上空に現れ、森へ入ったグランを探しに行った俺は帝国兵と遭遇した。そこそこ善戦はした、けれど力及ばず斬られる直前に、同じ帝国の兵士に助けられた。
水の様に流れる刺突で帝国兵の手から綺麗に武器を弾き、闖入者に思考が止まった相手に対してその場でくるりと回って蹴り飛ばす。吹き飛んだ敵の意識を綺麗に刈り取った一撃。木漏れ日を背景に、剣を収めたあの人は尻もちをつく俺に手を差し伸べた。すまない、怪我はないか。
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・フェイトエピソード シュペーが空へ飛んだ理由
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「ちょっと狭いな」
「狭いどころかこれ重量オーバーじゃないよね?」
「私もカタリナも軽いから大丈夫です、きっと!」
「……ま、なるようになるだろ」
それは船と呼ぶには余りにも小さなモノ、船と表すよりは鳥と言ったほうが正しい程の小さいもので、左右に生える二つの翼と、尻尾のような後ろへ伸びる羽とエンジンがなければ、それが空を飛ぶなどと言われても信じられないだろう。
そんな小さな鳥の後部座席に、なんとか三人と一匹で乗り込む。「なんとか」と言ったのはそれの通りで、グランの膝の上にルリアが、俺の膝の上にビィが座るというなんとも無理矢理な乗り方なのだ。
「シュペー、本当にいいんだね?」
グランが最後の確認だと言うように問いかける。
今更だ、そんなもの。むしろ、無理を言って同行すると申し出た俺が、ここでやっぱやめますと言うなんてグランだって思ってないだろう。
飛空艇が動く。数度の跳躍から崖を飛び降り、そのまま落下する……前に両方の翼が開き、小さなエンジンは力強く船を空へ導いた。
「答える前に、旅立ちの時間が来たな」
「すまない、何か話していたのか?!」
「あ、いや問題ないです」
操縦席にいるカタリナさんが、声だけを向けてくる。どうにも、カタリナさんには敬語が抜けない。本人は、旅に出るなら仲間だから砕けた口調でいいなんて言われても、危ないところを助けてもらった身としては自然と畏まってしまう。
窓の外に目を向ければ、俺達の世界の全てだったザンクティンゼルが視界の中で小さくなり、それ以外を蒼い空と白い雲、そしてちらほらと飛ぶ鳥で埋め尽くされていた。自分の生まれ育った島があんなに小さいなどとは、こうして空に出なければわからなかっただろう。
「でなグラン、旅に出たのは俺の意思だよ」
「そっか」
「シュペーはどうして一緒に来てくれたんですか?」
「うーんそうだね、俺はさ、イスタルシアなんて信じてなかったんだよ」
「シュペーはいっつも僕のことを笑いものにして、酷かったよね」
「え、ええ~! それは酷いです」
昔の話さ、と二人でルリアを宥める。
「でもグランはずっとそのイスタルシアへ行くために、頑張ったんだ。毎日毎日ね」
そんな姿を見れば、感化されて信じてしまうのが子供の頃の俺だった。尤も、毎日実直に鍛錬しているグランとそれをからかい遊んでいた俺の差はいかんともし難く、旅に出るまでグランに勝つという密かな目標は終ぞ叶わなかった。
何戦何敗だったか、模擬戦が終わるたびにあいつは嫌らしくカウントするので聞き流してたから覚えてない。
「シュペーがグランと鍛錬するようになったら、今度はオイラの労力が倍になったけどなぁ~」
「空から枝を降らせる役とか、急に枝を投擲する役とかね」
「オイラまでヘトヘトさ……」
「ちゃんと林檎をあげたじゃないか」
「つかれすぎてその日に食べられなかっただろー!」
じたばたと抗議するビィの手足と尻尾が何度も何度も身体に当たる。正面から当たるならともかく、擦るように尻尾をぶつけられると地味に痛い。
「こら! 後ろで暴れるんじゃない!」
「「ご、ごめんなさい」」
「ふふ、二人とビィさんは仲良しなんですね~」
操縦席から割と本気の怒りの声が飛んできて、グランと俺は揃って声を萎ませた。示し合わせたかのようなそれに、ルリアは愉快そうに笑う。
だが待ってほしい、暴れたのは主にビィであって俺とグランが怒られる筋は……まあ、なくもない、か?
「で、どこまで話したっけか」
「一緒に頑張りだしたところ、です」
「おっとそうだったそうだった、毎日グランにボッコボコにされる悔しさを、魔獣にぶつけてたっけ」
「弱い相手にはとことん強気に出てたもんね」
「……いくら人に害を為す魔獣とは言え、無暗に狩るのは感心できないな」
「その、最初にひたすら狩ってたら村の婆ちゃんに半日ぐらい……いや語りたくもねぇ。その日以降は必要な分だけしか狩ってませんよ」
もちろん変に甚振ったりもしない。八つ当たりでそこまですれば、即婆ちゃんの折檻が飛んでくる。あれを一度経験してしまえば、もう下手な事をしようとは思わない。
グランはともかく、昔からやんちゃだった俺もあそこまでの折檻を受けたのはあの日が初めてであり、それが最後の折檻だった。あれを体験してしまえば、また怒られようなどとは微塵も思わなくなる素晴らしい矯正だったよ。
「しかし、今更だが本当にいいのかシュペー君」
「……カタリナさん、さっきの俺の話聞いてました?」
「それは聞いていたさ。だが君は、その、余り強くはないだろう。あの時、私が助けに入らなければ間違いなく死んでいただろう」
その声色に、ちょっとムッとする。俺を傷つけまいと言葉を選ぼうとして、結局良い言葉が見つからずに直球で伝えて。弱いと正面から言われて何も思わない程大人ではない。
けれどそれは事実だった。だから、言いたいことをグッと堪えてぶっきらぼうに返す。
「これから強くなります。もうあんな思いはこりごりですから」
「だからと言って追われる身である私達に着いてこなくとも……」
「今しか、ないと思いました。それに、カタリナさんがいますから」
「うぇ!? シュペーってばカタリナが好きなんですか?」
がくん、と飛行艇が揺れた。突然の衝撃に後部座席の三人と一匹は揃って身体のどこかを飛行艇にぶつけて悲鳴をあげる。
「ちょっとシュペー!」
「俺は悪くねぇ! どうして女の子はすぐにそっちへ話をもっていくんだ!」
「……んん! で、シュペー君、どうして私が出てくるんだ?」
「あの時カタリナさんに助けられて、その、師匠はここにいたんだって」
「は?」
「剣を教わるならばこの人が良いって思ったんです!」
「はぁ……?」
これは本音である。自分を救ったあの場面は、心に間違いなく響いた。武器の弾かれる甲高い音、地面をしっかり踏みしめる力ある音、足が空気を切裂く細い音、敵兵にその足がめり込んだ鈍い音。
顔は見えないが、カタリナさんが惚けているのがよくわかる。ルリアも理解しようとして出来ていない奇妙な顔をしていた。
「グランも行くなら尚更俺も行かなきゃってなりましたし、まあちょっと境遇がアレですけど、それは些細な問題ですよ」
「さ、些細……?」
「なあグラン、まあ俺一人だと危ないけど俺とお前なら帝国兵が十人同時に来たって負けねぇよな」
「流石に十人は無理かな」
この野郎。
「十人は無理だけど、五人までならなんとかなるかなぁ」
「大体はグランにお任せで、俺はサポートなんだけどな」
「攻撃はからきしだけど、守るだけならそこそこ良い線もってるよね」
「あんだけお前から打ちこまれたらそらあなー……」
そんなに強くもない俺が帝国兵相手に善戦出来た理由がそれであり、勝てなかった理由だった。いくら防御が上手くとも、防戦一方では攻撃が出来ないのだから勝てる道理もなく。先に来たのが俺の集中力切れだった。
「とまあ、今俺に必要なのは攻撃力! そして目の前には一目でわかる剣の扱いが上手い人! となればもうこれは運命かなと」
「わー……」
「私は他人に教えられるような剣術は」
「なら戦ってる時に勝手に学びます。どちらにせよもう空には出てしまったんですから話すだけ無駄ですよ」
「……わかった、もう何も言うまい。ただ、無茶をしてはいけないぞ」
「わかってますよ」
ちゃんとした理由が合って、諸々の危険を承知で着いてきた。
今日からグランに着いていく俺の旅が始まるのだ。それがどうなるのかは、知らないけれど。
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本当に懐かしい記憶。あの時期待を膨らませて同行した俺が次の島で早速死にかけたのも今は笑い話だ。
ポート・プリーズ、バルツ、アウギュステ、行く島行く島で立て続けに大怪我を負った俺はカタリナさんとラカムにしこたま怒られて、ルーマシーでは敢え無く留守番兼船の御守となったのである。グランにすら「今回は流石に……」と気まずそうに言われれば、反論する気も失せるというもの。
「まあ、一緒に行くって決めた理由はそれだけじゃないけどな」
年上への憧れ、とでも言うのだろうか。俺を守ってくれたのその背中に、強い憧れを持った。
この人に少しでも近づきたい。
この人へ少しでも力になりたい。
そんな思いを抱いて、しかしすぐに島を出ると言ったその人に、グランが行くのなら俺もと半分の動機だけを言った。
部屋の一角、折れた武器を見れば、誰もが口を揃えてガラクタだと言うだろう。それは俺も否定しない。
だが、あの剣に籠められた意味を自身だけが知っている。
始まりの証、何か悩んだ時はあれを見て物思いに耽り、挫けそうな時は手に取って旅立った時の感情を蘇らせた。
今、その憧れはまた別の感情に変わっている。