呉に帰ってきた雪風は夢現つであった。目の焦点は定まっておらず、足もおぼつかない。
「……おかえり」
執務室で雪風を迎えた浜野はすました顔で雪風に声をかけた。だが、浜野の声は雪風には届いていないだろう。雪風を連れきた長門も何も言えない様子だった。
「会わせたい人がいる。少し待ってくれ」
浜野はそう言うと執務室を出た。扉を閉め、少しを廊下を歩く。ふと立ち止まると、窓から美しい呉の街並みが見えた。目の前に当たり前の様に人々が生活している。浜野はそれが無性にムカついた。
ゴンッ!
鈍い音と共に握り込まれた拳に痛みが走る。
「これがここでの呼び出しの合図なのか?」
頭に包帯を巻き、腕にギブスをはめた女性が浜野に声をかける。
「いや……すまない。もう動いて大丈夫なのか?」
「あいにく、私は艦娘でな。人間とは違って丈夫に出来ている」
「心は?」
浜野の問いかけに女性は苦悶の表情を浮かべた。もともと表情豊かではない彼女が見せる、初めての人間らしい表情だと思った。
「私は武蔵達とは違う。諦めた鉄屑だ。そんな鉄屑が感情を持つことなど許されんさ」
「俺はそうは思わない。そもそも、俺には死にたがるお前らの精神が理解できない」
「ここで言い争う気は無い。雪風が帰ってきたのだろう? はやく会わせてくれ」
浜野は舌打ちをすると、踵を返した。彼女は浜野の後ろを歩いていた。
「雪風と話が終わったら後、執務室に来てほしい。時間は問わない。明日でも、明後日でもいつでもいい」
「私が雪風と多くを語ることはない。今夜にでも伺うさ。慰みものにするでも好きにして構わない」
浜野は奥歯を噛み締めた。
ーーーー
執務室に戻った浜野が連れて来た女性に雪風と長門は驚いた様子だった。
「日向さんッ!!」
「佐世保艦隊の生き残りか……?」
雪風は日向に抱きつくとワンワンと泣いた。それまで我慢していた感情が爆発したのだろう。日向は泣き止まない雪風の頭を優しく撫でた。
浜野は執務椅子に座り、久しぶりに対面した姉妹の様な二人を眺めていた。いま自分がどんな感情を抱いているのかわからない。微笑ましくもない。安堵しているわけでもない。悲しくもない。心の奥底には煮えたぎる怒りがあった。けれど、それは彼女達に向けられたものではない。
「佐世保の生き残りがどうしてここに……」
長門が浜野に耳打ちをした。
「引き取ったんだよ。彼女は襲撃にあった日、ドッグにいた。壊滅的な被害を受けた佐世保鎮守府の中で、修復液に浸かっていた彼女は死なずに生き延びた。見つかった時は人の原形を留めていなかったらしいけど」
浜野はそう言い、執務机の引き出しの中から分厚い封筒を取り出し、長門に渡した。
「これは?」
浜野と違い、執務に真面目に取り組む彼女も厚さ3センチを超える封筒の中身を読もうとは思わなかった。
「命令書。早急に君と赤城、蒼龍で中身を読んで、どう遂行するか算段を立てておいてくれ」
丸投げした。いくら不真面目な浜野でも申し訳なく思う気持ちはあった。だが、自分には他にすべきことがある。
「わかった……会議室を借りるがいいか?」
「構わない。行ってくれ」
長門が部屋を出ていくことを確認した浜野は、いまだ泣き止まない雪風に声をかけた。
「……福永から」
“福永”という単語に二人が反応した。机の上に置かれていた封筒を差し出す。「雪風へ」と書かれたそれを雪風は恐る恐る受けとった。
「申し訳ないけど先に読ませて貰ったよ。日向。君も読むといい」
雪風が中の便箋を取り出し、日向もそれを覗き込むのを確認した浜野は振り返り、窓からの景色を眺めた。穏やかな瀬戸内海が広がっている。先程街並みを見て感じた怒りは消え、今は寂しいと感じていた。
かつての大戦で、戦艦・大和は呉を離れ、ゆっくりと瀬戸内海を航行し、ついには帰ってこなかった。もともと帰ってくるともりは無い作戦だった。雪風がここに帰ってくるつもりはない。そう言った時、浜野はこれを思い出していた。
「決められておいてなにもない……か」
「福永司令……雪風は命令に背いてしまいました……」
雪風が小さな声で呟いた。振り返り、読み終えた様子の二人を見ると神妙な面持ちをしていた。
「君がここに来た理由。そして最後に福永が君に伝えたかったことはわかるかい?」
雪風は黙って頷いく。日向の納得した様な様子を浜野は不思議に思った。日向はそんな浜野に気が付くと、浜野に歩み寄った。
「いや。長門をここから追い出した理由がわかっただけだ。こんなものを読めば、長門が激昂するに違いないからな。後で私と話したいことの内容も何となくわかった」
勘の鋭い子だ。浜野は感心した。もしかしたら佐世保鎮守府襲撃の時、もう駄目だとわかっていたのかもしれない。日向は自らが生き延びる可能性を選んだのではないか。そう思えてきた。
「日向。雪風をお願いしてもいいか? 同じ鎮守府出身どうし、話すこともあるだろう」
「あぁ。話すことはないと思っていたが……少しばかり時間を貰うぞ。また後でな」
日向は雪風を連れて部屋を出た。既に日は傾き始めている。
「この時間は日差しがきついな」
サングラスの中に入り込む日差しが眩しいと感じた。
ーーーー
福永からの手紙にはこう記されていた。
佐世保鎮守府の近海に敵の大艦隊が集結しているとの情報を得た福永は、戦力を移動させようと考えていた。福永は鎮守府を放棄するつもりだった。佐世保だけの戦力ではとても太刀打ち出来ない。ならば佐世保鎮守府を叩かせて、他の艦隊と合流した大艦隊でこれを叩こうと。だが、そんなことを九州の鎮守府が受け入れるはずがない。だから浜野を頼ったのだ。大和型二隻、更に増強された空母機動部隊が生まれると。
だが、武蔵をはじめとした大型の艦娘達の多くがそれに猛反発した。自分たちは深海棲艦なんぞに劣っていない。大艦隊だろうがなんだろうが叩き潰せると。雪風がこの事実を知らなかったのは、福永が雪風に伝えなかったのと、大型艦達の意地があったからだ。どうせ大艦隊相手では駆逐艦は役に立たないと。だから福永は雪風だけを呉に送った。有無を言わせず、唐突な移動になったことには申し訳ないと書かれている。
手紙の最後にはこう書かれていた。
ー必ず生き延びて幸せに暮らすことー
手紙を読んでいる最中、浜野は福永に怒りを覚えていた。どうして艦娘達に人の心を教えてやらなかったのかと。だが、最後の一文を読んだ時、浜野は福永も福永なりに頑張っていたのだと痛感した。
福永は浜野と違い、はっきりと物事を言う方ではなかった。昔から人に対して優しく接し、相手を立てる様な物言いをしていた。そんな福永と浜野が過去に一度だけ大喧嘩をしている。
「浜野さんの言い方じゃ、より反発を招くだけだ。あなたは自分の考え方を人に押し付けているだけに過ぎない」
その時今より10歳近く若かった浜野は福永を殴っている。その時の福永の言葉は40を過ぎた今になってようやくわかってきた。「一航戦の誇り」を言い訳に戦いたがる赤城、大国には作れなかった超弩級戦艦が遅れをとるわけにはいかないと言い訳する大和。彼女達とは常日頃から口喧嘩ばかりしている。
「気がつくのが遅過ぎたんだよ……」
浜野は常日頃から思っていた。どうして彼女達が戦いたがるのだろうかと。敵を打ち負かすことだけが勝利だと思い込んでいるのだろうかと。
戦う。闘う。勝つ。勝利。それは何だろうか。
勝つというのは相手を二度と刃向えなくすること。浜野は兵学校でそう聞いたことがあった。
違うだろう。若い浜野はそう思った。じゃあその時に浜野が思い描いていた勝利は何だったのだろうか。歳を重ね、雑多な現実が混じった浜野には思い出すことが出来なかった。