戦況は好転している。浜野は予備のサングラスのかけ、窓から戦闘が行われている海域の方を見た。
無線から流れてくる報告は雪風や三水戦、四水戦の活躍により敵の戦力を大幅に削ることが出来たと知らせている。
「油断は出来ないけど……もしかしたらもしかするかもね」
『もしも何もない。しかし、このサングラス、暗すぎて見えないぞ」
長門の希望で彼女とは常に交信がされている。普段かけていたサングラスも出撃を見送った時に奪い取られた。
「こっちの表情を見られたくないと思って買ったものだからね」
『朝日が眩しい筈なのに、まるで日没みたいに暗いぞ』
「外せばいいじゃないか……」
『私はお前みたいに夜でもサングラスをかける馬鹿じゃない。朝日が出てきたからかけたんだ』
「そうですか……」
まるで日常の様な会話に浜野は安堵した。この戦い、もしかしたら。そんな希望を見出していた。
ーーーー
長門はかけていたサングラスを頭に乗せた。眩しいけど、かけたら暗い。役に立たないサングラスなんか形見に貰うんじゃなかった。さっさと終わらせて違うものを貰いに行こう。そんなことを考えながら自分の頭の上を回る蒼龍の艦攻隊を眺めた。
「まだ発艦は終わらないか?」
「もうすぐ終わる!」
長門は不思議と冷静だった。雪風が単艦で突入した時は焦ったが、レ級を撃破し、本人は無傷という報告を受けてからは不思議と落ち着いた。勝てるかもしれない。
「佐世保の二の舞にはさせない……か」
雪風が言っていた言葉を思い出す。勝てるかもしれないじゃ駄目だ。勝たなくては。
浜野は負けるのを前提に作戦を考えている。それに長門は早い段階で気が付いた。だが、長門にはそれ以上の作戦を立案することが出来なかった。自分達を犠牲にすれば勝てるかもしれない。そんなことを考えていたが浜野がそれを許すはずがない。
「雪風があんなにも強気なのに、提督が弱気でどうするのだ……」
「私もそう思うよ」
横で飛行甲板を構えている日向が長門の独り言に答えた。
長門は日向の方を見る。日向は飛行甲板上の瑞雲を注意深く見ていた。よく見ると胴体の下には何もない。
「……飛ばさないのか?」
「まだその時じゃない」
日向の言うその時とはどういう意味なのだろうか。長門は疑問に思ったがそれ以上は何も言わなかった。日向なりの考えもあるのだろう。それに日向の仕事は発艦中の空母の護衛、それが終われば長門、大和と共に突入し射程に捉えた敵を攻撃し呉に近づけさせないことだ。
「嫌な予感がする。確証はないがな」
日向はそれだけ言うと何も言わなくなった。
ーーーー
レ級を沈めた雪風は血に濡れた右手を見ていた。それはレ級のものだけではない。自分の血も混じっている。
至近距離での砲撃で自分の右腕が無事では済まないことぐらいわかっていた。だが、そうでもしなければレ級は沈められなかっただろう。
「かえって千切れてくれた方がよかったのですが……」
動かない腕に意味はない。ならばない方がいい。雪風はそんな自分の右上でを忌々しく思っていた。砲がなくても戦える。背中には四連装魚雷がある。それで充分だ。雪風は最初から貧弱な砲に頼る気などなかったのだ。
「雪風さん! 上!」
誰かが叫ぶ声が聞こえた。ゆっくりと上を見ると爆撃機が雪風めがけ急降下していた。
「雪風には当たりません。けど……」
雪風は少しだけ動いた。その目はしっかりと爆撃機を見据えている。雪風には、爆撃機の降下がゆっくりに見えていた。爆弾が落ちてくるそれさえも。
「しっかり狙いなさい」
爆弾が雪風に直撃した。意識が揺らぐ。痛いとか熱いとか、そんなことは考えられなかった。
「雪風さん!!」
先程の声の主が近くにきたのだけわかった。雪風の視界は霞んでいて何も見えない。靄がかかっている様な視界に赤みが加わった。
「大丈夫ですか?!」
「あなたは?」
「舞鶴の四水戦の野分です! 那珂さんから雪風さんの離脱を支援しろと言われています」
野分の手が雪風に触れた。だが、雪風はそれを左手で払いのけた。
「まだ戦えます。魚雷発射管は無傷ですから」
「でも……右腕が……」
野分に言われ、霞む視界にそこにあったはずのものを見た。
右腕がない。それもそのはずだ。雪風は当たらない爆弾を右腕に当てたのだから。かなりの熱量で焼かれたのだろう。傷口が焼かれ、そこからの出血は認められなかった。
「幸運の女神のキスを感じちゃいます」
雪風は左手で顔を拭う。霞んでいる視界でも左手は真っ赤に染まっているのがわかった。
「雪風さん! 離脱を……」
霞んでいた視界がようやく晴れ、野分を見る。怯えた様な顔をしている。
「怖くなんてありません。きっと大丈夫」
雪風は野分にそう声をかけ、次の獲物に向けて走り出した。
「こんなのって……」
野分の声が聞こえたが、雪風は止まらなかった。
ーーーー
雪風や他の水雷戦隊が派手に暴れまわっているものの、敵の進行は止まらなかった。
ゆっくりとした速度ではあるが、確実に呉との距離を詰めている。既に発艦していた艦載機達も奮闘はしているものの、それをかいくぐった敵の艦攻は長門達に襲いかかっていた。
「一機も通すな!」
長門、日向、大和の全ての対空砲がたった数機の攻撃機相手に向かって攻撃をする。敵機は瞬く間に火の玉と化し、海面に突っ込んでいった。
「直掩隊! 敵の艦攻を近づけさせないで!」
赤城の号令と共に上空を飛んでいた直掩隊がこちらに向かってくる敵の艦攻に攻撃を始めた。その間にも蒼龍の爆撃隊、攻撃隊は隊列を整え、雪風の戦う敵艦隊群に向かっていた。
「頼んだわよ……」
艦載機に全てを託した、空をいく自分の艦載機を見ていた蒼龍は気が付いた。
「ちょ……直上ッ!!」
蒼龍の声に、長門は反応した。低空を飛ぶ敵の艦攻に気を取られ、上空の爆撃機に気が付かなかった。
「しまったッ!」
直掩隊ももう間に合わない。
「まぁ、そうなるな」
日向が飛行甲板を上に向けた。瑞雲達が真上に向かって飛んでいく。瑞雲達は瞬く間に空に駆け上っていく。
「瑞雲の本当の運動性能を見せてやろう」
「日向……これを予想していたのか?」
「いや……そういうわけではない……長門よ。私は最後のカードを切ってしまった」
頼りになる。長門は火力を下げ、航空機の運用ができる日向を心強く思った。だが、彼女が何を言わんとしてるのか、長門にはわからなかった。敵の艦隊群はすぐそこまで来ている。
ーーーー
三水戦も四水戦も活躍しているが、彼女達も無傷でない。徐々にその戦力を削られている。それは雪風にもわかっていた。
「まだ……まだです!」
敵の砲撃や雷撃、上からの爆撃をかいくぐりながら雪風は走る。
敵の弾が当たらないだけでは意味がない。雪風は敵に必中の距離まで近づき雷撃をしていく。一撃必殺で敵を沈めていくも、ジリジリと押し込まれていた。
雪風は敵の間を縫うように走っていた。
「あれは…軽空母?」
敵の艦隊群の中に無傷の軽空母が二隻いた。
こちらの攻撃もそれなりに激しいものになっている。呉は6隻しかいないが、横須賀、舞鶴を合わせれば30隻になる。それらの攻撃を受けて、無傷とはどういうことだろうか。
雪風は嫌な予感がした。
「誰か聞こえますかッ?! 敵艦隊群後方にいる軽空母二隻を叩いてくださいッ!!」
直感に従い、雪風は無線で叫んだ。返答がなければ自分がいくしかない。
『こちら横須賀の足柄。了解したわ!!』
すぐに返答は帰ってきた。それと同時に長門型の砲撃音が響き渡る。
雪風の直感は正しかった。だが、気がつくのが遅すぎた。
雪風の頭の上を轟音が通り過ぎていく。
「足柄さん!! 三式弾を!!」
『駄目!! 間に合わない!!』
雪風は踵を返し、急いで長門達の方へと走った。
「こんなことなら……砲を捨てるんじゃなかった……」
無いはずの右腕が痛む。痛くて涙が出る。それでも雪風は速度を落とさず走った。
「雪風ッ?! 大丈夫かッ?! 腕はどうしたッ?!」
すぐに長門達と合流することができた。と言うよりここまで侵攻を許してしまっていた。
もう呉は近い。
「長門さん!! 三式弾を上空に……」
雪風は左手で上空を指差し上を見た。そして言葉を失った。
数え切れない程の黒い塊が雪風達めがけ降ってきていた。
今度はゆっくりと落ちてこない。
眩い光が雪風の視界を奪った。