朝潮ちゃんと提督が葛藤するお話です。

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朝潮提督に捧げます。





夜明けの潮騒

『敵艦隊、包囲間近です。雷撃の許可を』

 

その姿に似合わず、彼女の戦い方は苛烈を極める。確実に、冷徹なまでに敵を追い詰め撃破する。司令塔からの命令に、私情を一切挟まず任務を完遂する能力を、彼女は持っていた。

 

「許可する。撃て」

 

無線を通して聞こえてくる、砲撃の爆音と水飛沫に混じった少女の声。声色こそ幼いが、口調には刀剣のように張り詰め、凛とした強さが表れている。

 

『第一に告ぐ。包囲殲滅戦を開始する。主砲、および魚雷準備』

 

司令部との直接回線を切り、艦隊間での回線に繋ぎ直した彼女の命令と、それに付き従う異口同音の返答が、別の無線機から聞こえ る。続いて凄まじい轟音。少女はまた司令部の直接回線に切り替えて、端的に言った。

 

『敵艦隊への被弾および沈黙を確認。戦果確認に移ります』

 

「了解した。任意三名は索敵に当たらせるようにしなさい」

 

『了解』

 

別段、勝利の感慨などなさそうな声のあとには、さっきとは打って変わって、彼女が海上にさざ波を立てている音だけが、静かに響いていた。

一分ほどで戦果が報告される。確認していた敵艦隊は全滅。周囲に敵影なし。わずか5分の間に、実に緩やかな殲滅戦は、幕を閉じた。

 

 

 

 

「圧勝でしたね」

 

煎茶を淹れて持ってきてくれた艦娘、大淀が笑顔で提督にそう言った。まだ青年の若さをその顔に残している提督は、熱い茶を啜る。

 

「そうだな。また演習が必要だ」

 

提督の言葉に、大淀は首を傾げた。ずれた眼鏡を直し、提督に問いかける。

 

「え、どうしてですか?」

 

提督は大淀に振り返らず、印刷機から出てきたデータ表を眺めながら答えた。

 

「実践勝利を重ねすぎると毒になりかねん。特に朝潮は、見てて危なっかしい」

 

大淀は、さっきまでの軍人然とした無感動な提督の声に、若干陰りが混じったように感じた。不安か、または哀しみか。

 

「第一艦隊が帰投するまで、あと半日はある。今のうちに仮眠をとっておくよう、ドックの連中に伝えておいてくれ」

 

それだけ言うと、話はこれで終わりとばかりに、提督は書類を持って司令室をさっさと出ていってしまった。

ポツンと一人、残された大淀はため息をついて、垂れている髪を耳にかけた。

 

「全く......仮眠をとるべきは貴方でしょうに」

 

 

 

 

執務室に、丁寧なノックが4回響いた。提督の応答を待って、扉が開かれる。

 

「朝潮並びに他第一艦隊五名、帰投しました」

 

ピンと伸びた背筋と敬礼。まさしく海兵のそれである。ただ、行っているのが10代初期の少女であることが違和感を覚えさせる。とても強烈で、辛酸な違和感を。

一瞬、しかめそうになった眉間を指で揉むように隠し、提督は目の前の兵器に告げた。

 

「ご苦労。24時間後に演習を行う。休養に努めなさい」

 

「......司令官、申し上げたいことがあります」

 

忠義の塊のような目をしていた艦娘、朝潮は提督の言葉に応えずにそう言った。敬礼が少しぎこちなくなっている。

 

「なんだね」

 

敬礼を解くよう手で合図して、話を促す。生真面目が服着て歩いているような子としては、珍しい発言だった。

 

「はっ。現在、深海棲艦の攻勢が顕著になっています。第一艦隊である私たちの出撃頻度が少ないのは如何なものかと思いました」

 

厳粛な口調の裏に、隠しきれていない棘を感じる。提督に向けたものか、もしくは自分自身に向けているのか。

提督は朝潮を真っ直ぐに見据え、間を開けずに答えた。

 

「疲労は蓄積され、戦場において莫大な負荷となる。もう一度言う。休みなさい」

 

簡潔な提督の言葉に、なにかを言おうと口を開きかける朝潮。それより先に提督が続けた。

 

「それに、他の艦隊をもっと信頼しろ」

 

朝潮が口をきゅっと固く結ぶ。ほんの少し、暗い瞳が泣きそうに潤んだ。

 

「......承知しました。愚見してしまい申し訳ありません」

 

「気にするな。風呂に入って、落ち着いてくるといい」

 

「はっ。失礼しました」

 

直後にはもとの引き締まった態度に戻り、踵を返して執務室を出ていった。朝潮が扉を閉めたのを確認してから、提督は軍帽を脱いで椅子の背もたれに体重を預けた。年季の入った木椅子がギシリと軋む。

いつだったかな。

提督は年に似合わぬ哀愁を滲ませながら、思い出の中に思考を埋没させていった。

 

 

 

 

朝潮という艦娘に対する第一印象は、真面目の一言に尽きる。ただ、融通が効かなかったかと言えばそうでもない。むしろ鎮守府内では戦闘時とは裏腹に、見た目相応に感情豊かな子であった。

他の艦娘たちからも慕われ、生真面目ゆえの正確さと冷静な判断能力を買い、第一艦隊の旗艦を任せるようになっていった。

娘のようで、友人のようで、相棒のような存在。提督にとって朝潮とは、そういう艦娘であった。

 

事が起きたのは、去年の春だった。戦略的観点から、敵泊地への攻勢を仕掛ける大規模作戦。いくつもの鎮守府間で連合艦隊が編成され、小さな島に向けて徹底的な波状攻撃が行われた。第三波の攻撃には、朝潮率いる第一艦隊も混じっていた。

第二波の艦隊の中に、大潮という艦娘がいた。別の鎮守府に所属してはいるが、朝潮の姉妹艦である。

提督も朝潮から何度か、妹たちのことを聞かされていたから、その名前はすぐにピンときた。何度か合同演習でも顔を合わせたことがあり、元気で、非常に人懐っこい子だったと覚えている。特に大潮の所属していた鎮守府にも、少なくない思い入れがあった。

第二波の攻撃は予定通り完了した。しかしその直後、第三波隊と入れ替わりで帰投する際に、狂いが生じた。第二波の右翼艦隊が、横っ面から敵の強襲を受けたのだ。索敵はどうしていたのか、かなりの近距離まで迫られ、砲撃された。この時軍の上層部では、撤退派と応戦派の二極に分かれ、その結果、指揮が遅れてしまった。二隻三隻と沈んでいき、一瞬にして統率は吹き飛んだ。

その混乱の渦中に、朝潮の妹の大潮もいたらしい。敵空母の爆撃の後、大潮の通信信号は途絶えたという。

 

朝潮は死ぬほど悲しんだ。普段の彼女からは想像できないほどに泣きじゃくり、三日三晩、まともに食事を摂ることすらできなかった。

それこそ死にそうにやつれてしまった。どうにか泣き止んで、戦線に復帰したとき、既に朝潮の顔から笑顔は消えていた。

泣いている間に何を思い考えたのかは、本人にしか分からない。ただ、今まで以上に真面目に、大真面目に敵を駆逐することに重きを置くようになったのだ。

そう、去年の春頃。もう一年が経とうとしている。

 

 

 

 

提督が瞼越しに感じる眩しさに、うっすらと目を開ける。

嫌な夢を見た。一年になる。そう、今日からちょうど一年前の、忌まわしい記憶の残滓を見た。

 

「あら、おはようございます。提督」

 

大淀の声に、まどろみから引き上げられる。時計を横目で見て、一時間ほど寝てしまったらしいことを提督は確認した。執務室には夕焼けの茜色が差し込んできている。

 

「すまない。まだ雑務が残っているのに」

 

「いいえ、お疲れだったんでしょう。書類はそこにまとめておきましたので、目を通していただくだけで構いません」

 

「苦労をかける」

 

提督は机の上に乗っている書類の束を確認して、姿勢を直そうとする。その時に肩からかけられている毛布に気がついた。干したてだったのか、太陽の匂いが微かに香る。

 

「大淀、これは君が?」

 

そう聞くと大淀は首を横に振った。

 

「いえ、私が執務室に来たときには、すでにかけられていましたよ」

 

「そうか」

 

タグの部分に小さく『朝潮』と書かれているのを見つける。思わず頬が緩んだ。さっきまで見ていた夢の内容のせいか、嬉しさがひとしおに込み上げてくる。

 

「あとで礼を言わんとな」

 

提督が呟いた直後、バアンッ、と大きな音を立てて執務室のドアが開いた。走ってきたのか、息を切らした艦娘、荒潮が必死の形相で迫ってくる。

 

「司令官!あの、その!」

 

荒潮は、朝潮の姉妹艦の一人である。

そんな彼女の異常事態を臭わせる言動に、提督の脳裏に嫌な予感がよぎった。

 

「落ち着きなさい。結論と、それに至るまでの経緯を簡潔に述べるんだ」

 

泣きそうな荒潮の頭をなでて諭すと、荒潮は何度か深呼吸をしてから、改めて話し始めた。

 

「お姉ちゃ......朝潮が、単独で出撃しました」

 

沈黙。

提督の目が大きく見開かれた。

 

「気が付いたのは1分ほど前です。私たちの部屋に、こんなメモが置いてあって......」

 

荒潮は提督に、小さな紙切れを渡した。それには端正な文字でこう書かれていた。

 

『今までありがとう。元気でね』

 

「その、必死に探したんだけど、何処にも、いなくって」

 

目の前が真っ暗になりそうな気分だった。朝潮が、それもあの事件を経たあとの朝潮が、こんな冗談をやらかすことはない。絶対に。

べそをかく荒潮にメモを返し、提督が大淀に問いかける。

 

「哨戒に出しているのは第三艦隊だったな。彼女らが会敵したということか?それの救援に行ったのか?」

 

何故起こさなかったのかと、その目にはわずかな非難の色がある。大淀は混乱した様子で答えた。

 

「い、いえ。そのような報告は受けていません。今も第三は哨戒を継続中のはずです」

 

「手違いで他の艦隊が出撃していることはないか」

 

「それはありません。遠征班も今は一つも出ていません」

 

様々な可能性が頭の中を交差する。朝潮の精神状態を中心に、現状のあらゆる情報から、思い付く限りの可能性を、消去法で吟味する。

たった五秒ほどのことだった。著しく早い思考のもと、提督は一つの結論を下した。

 

「......ならば、単身で敵泊地に乗り込もうとしている、のか」

 

それを聞いて、大淀と荒潮が息を飲んだ。軍事に関わる者なら誰でも、それがどれだけの無謀か考えずとも分かる。

ワナワナと提督の腕が震える。怒りか、それとも焦燥か。いつも思いやっていたから、理解できてしまう。

彼女は、朝潮は、弔い合戦をするつもりだ。大潮の命日である今日に、大潮の犠牲も虚しく、あの日成し得なかった泊地奪取を、たった一人でやろうとしているのだ。

 

「無線は」

 

「繋げられません」

 

「レーダーは」

 

「すでに圏外へ出ているようです」

 

「朝潮の装備状態は」

 

「まだ整備が終わっていないものを、無理矢理持っていったみたいで......」

 

バンッ、と提督は椅子を倒す勢いで立ち上がり、無線やレーダー機器がある司令室へとズカズカ歩いて行く。その後に慌てて二人の艦娘も付いていく。

 

「大淀、番外部隊として速力順に駆逐艦四隻と空母二隻を編成しろ。出撃は今から300秒後だ。荒潮は大淀と出撃準備を手伝え」

 

「わかりました」

 

「は、はい!」

 

廊下を早足で移動しながら早口で命令を下す。一秒すら惜しかった。今の朝潮が敵艦隊と戦えばまず死んでしまう。未整備である装備の悪さに加えて、彼女は冷静さを欠いている。朝潮の強さはそっくりそのまま、心の強さなのだから。

 

『こちら大淀。第一艦隊の五人が出撃許可を求めています』

 

司令室へ着くと同時に、大淀から連絡が入ってきた。朝潮を旗艦とした第一艦隊。仲間の危機だ。自分達で助けに行きたい気持ちはよく分かる。

 

「駄目だ。装備がない。第二艦隊を番外艦隊と共に出撃させろ」

 

無線から雑音が聞こえる。

あ、ちょっと、という後に、提督の命令に物申したのは大淀ではなく、第一艦隊の戦艦、榛名だった。

 

『提督、なぜです!?朝潮さんは私たちの隊長です!助けに行かせてください!』

 

「整備済みの装備がない。さらに今回重視されるべきは速力だ。それから、冷静でない者が、今の朝潮の所へ行ってもどうしようもないだろう」

 

応答が返ってこない。きつく言い過ぎただろうか。しかし今は瞬きの時間すら惜しいのだ。

 

『でも......でも......』

 

無線越しに聞こえる榛名は、必死に言い訳を探している様子だった。他にも遠くからすすり泣きのような声が聞こえる。

提督は心の内でため息をつき、口調を柔らかくして、

 

「ありがとう。お前たちが仲間思いであって、俺は大変嬉しい。だからこそ今は、仲間の力に頼りなさい」

 

少しの間が空く。

 

『......はい。了解しました。申し訳ありませんでした、提督』

 

なんとか、そう絞り出した榛名との無線機を即刻切った。感慨に浸る間もなく、提督は無線を第二艦隊と急造の番外艦隊へと繋ぐ。

 

「準備できたか」

 

『いつでも行けます!』

 

『こっちも、何とか間に合ったよ』

 

それぞれの艦隊の旗艦である吹雪と川内が気合いの入った声で答えた。

 

「よし。第二艦隊並びに番外艦隊、出撃せよ。最優先目標は朝潮の保護だ。会敵した場合については航行中に説明する」

 

『はい』

 

『了解』

 

「では、抜錨」

 

提督の合図と共に、総勢12名の艦娘が日も沈みかかっている海原へと繰り出した。

普通、行方不明の艦娘に対して、こんな大人数の捜索はありえない。しかも公式に則った扱いとしては脱走兵だ。追っ手を出すにしても、それは保護ではなく捕縛が目的となるだろう。

一瞬過った考えに、そんなこと知るかと、唾を吐く。

他所は他所、うちはうちだ。

レーダーで川内らの様子を追いながら、呟いた。そうさ。他所がどうあろうと、常識がなんであろうと、我が鎮守府の娘を失ってなるものか。あの大規模作戦のようなことを、起こしてなるものか。

決意をより一層固めて、二つの艦隊に指示を飛ばす。

 

「番外艦隊に告ぐ。吹雪含め駆逐艦四隻は、最大速力で朝潮を追え。道中敵が出ても極力交戦するな、無視しろ。蒼龍と飛龍は艦載機の半数を使い、索敵および駆逐艦隊の先導をしてくれ」

 

それぞれの元気な返事が聞こえたのを確認して、第二艦隊には空母と駆逐艦の間を取り持ちつつ、会敵時に即刻対応するよう命令した。

これで、当面の成すべきことは終わった。あとは彼女らに託すしかない。自分こそ落ち着かねばと椅子に腰かけてみるが、すぐに立ち上がっては、まだレーダーに映っている吹雪たちを表す点を食い入るように見つめてしまう。

朝潮は確実に全速力で航行していることだろう。彼女が鎮守府を出た時間から割り出した距離を詰めるには、艦載機の烈風であっても三十分はかかる。それでも希望的観測の最低所要時間だ。実際の発見までは一時間を越えるかもそれない。

一分待つ。五分待つ。十分待つ。じりじりと一秒ごとに焼かれるような気持ちで待つ。三十分経ち、飛龍から連絡が来た。

 

『こちら飛龍。船影らしきものが進行方向に見つかりました』

 

「数は」

 

『観測したのは一隻のみです』

 

「詳細確認を頼む」

 

『了解。すぐに』

 

またしばらくの沈黙。十秒にも満たない時間が、ひたすらに永く感じる。意味もなくむかっ腹が立ってくる。再度、飛龍から通信が入って、襲いかかるように無線のマイクに飛び付いた。

 

『船影確認。朝潮です』

 

「周囲に敵影は」

 

『鎮守府寄りに駆逐イ級やハ級等の残骸があるだけです。生存している敵はいません』

 

「よし、確保しろ」

 

了解の一言の後に、途絶える通信。提督はどさりとパイプ椅子に座り込み、痛む頭を抱えた。今になって心臓がバクバク鳴って、脂汗が滲み出てきた。外を見れば陽は水平線に沈みかけ、空も暗くなってきている。どうにか、夜には間に合ったわけだ。

横からそっとハンカチが差し出される。顔を上げてみると、大淀が微笑んでいた。提督もつられて笑い返す。気が抜けたか。

笑ったのなんて、いつぶりだろう。

 

 

 

 

執務室に重い沈黙だけが淀んでいる。書斎机の上で手を組む提督と、俯くボロボロの朝潮。朝潮を連れてきた吹雪は居心地が悪そうにソワソワしている。

提督が口を開いた。

 

「吹雪、ご苦労だった。十分に労いたいところだが、今は下がってもらえるか」

 

「は、はい!」

 

「すまない」

 

ぎこちない仕草で扉を開け、執務室から出て行く吹雪。ほんの少しだけ、ちらりと心配そうに後ろを振り替えって、静かに扉を閉めた。

残ったのは提督と朝潮の二人だけである。服が所々破れ、煤まみれの朝潮は、濡れた犬のように縮こまっている。

 

「朝潮、三つ言うことがある」

 

提督の発言に、朝潮の肩がびくんと跳ね上がる。未だに俯いていて表情は見えないが、きっとまた泣きそうになっているんだろう。

 

「まず初めに、お前を叱らなければいけない」

 

「......はい」

 

朝潮が間を置いて、消え入りそうな声で返事をする。

 

「改装強化しているとはいえ、あのままでは間違いなく轟沈していた。無用な危険を侵してはいけない」

 

「おっしゃる、通りです」

 

「自分を粗末に扱うな。俺はな、朝潮、お前のことが大切なのだ」

 

ハッと顔を上げて、朝潮は提督を見つめた。乱れた髪の間から、黒のきれいな瞳が揺れている。

 

「......それは、兵器としてでしょうか」

 

朝潮が暗い声で問いかける。独り言のような質問に、提督は立ち上がりながら答えた。

 

「仲間としてだ。または友人とも、家族とも呼ばれる。総称して絆というものを、俺はお前に抱いている。お前を叱るのは、その一心においてだ」

 

お前が大潮に、そう思っているのと同じようにな。

朝潮の前に立った提督が放った言葉に、朝潮は唇を噛み締めた。血が出そうなほどに噛んでいるのは、どんな感情を抑えているのか。

 

「次に、お前を誉めたいと思う」

 

今度はキョトンとした顔で、提督を見つめ返した。今日の朝潮は表情がよく変わる。例えその起点が哀しみであったとしても、感情を抑え込むよりずっといい。

提督は微笑んで、朝潮の肩に手をおいた。

 

「よく、仲間の仇を討とうとした」

 

さらに驚愕したように、朝潮の目がパチクリと瞬きする。

 

「とった行動自体は誉められないが、それでも亡くした仲間を思い遣れるその心を、俺はとても頼もしく思う」

 

「そ、そんな......私はそんな立派じゃ......!」

 

嗚咽混じりに焦って言う朝潮に、提督が言葉を被せて続ける。

 

「最後に、どうか謝らせてほしい」

 

謝る、とはどういうことか。提督に非があるはずがないのに。

理解が全く及ばず混乱する朝潮を、提督が優しく抱き締める。華奢な少女の体だった。この小さな体で人類の敵と、死の恐怖とずっと戦っているのだ。心底、戦争が嫌になる。

 

「一年も、本当に長い間、辛い思いをさせた。ごめん」

 

恐る恐る、提督の背中に細い腕が回される。

朝潮が、堰を切ったように泣き出した。提督の肩にしがみついて、わんわんと大声で涙を流す。

提督もつられて、ホロリと涙が滲んだ。ああ、ずっと前に、こうすればよかった。ちゃんと子どもみたいに、泣かせてあげられたらよかった。

しばらくそうしていた。朝潮の声が落ち着いてくると、部屋のドアの向こう側が少し騒がしいことに気が付く。

提督も朝潮も、泣き止んでドアの方を見つめる。

榛名さん泣かないで。ハンカチどうぞ。なんて声が微かに聞こえてきて、思わず、二人そろって苦笑した。

 

 

 

 

夜風が、まだ若干湿っている長髪をなびかせる。

白み始めている夜明け前の海辺を、朝潮と提督が連れ添って歩いていた。入渠を済ませたあと、どうしても寝られないということで、二人で散歩することにしたのだ。

しばらく歩いては立ち止まり、ぽつりぽつりと話す。

 

「そういえば毛布、ありがとうな」

 

「え?ああ、いえ、気にしないでください」

 

「洗って返そうか」

 

「そんな、そのままで大丈夫ですよ」

 

気を遣いすぎたか、苦笑されてしまった。別の話題を探してみる。

 

「夕飯はちゃんと食べたか?」

 

提督が聞くと、朝潮は照れ臭そうに頷いた。

 

「皆が、あれも食べろこれも食べろって......この時間になってもお腹が減りません」

 

「朝潮が無事に帰ってきて、皆嬉しいんだよ」

 

「そう言う提督は、ちゃんとお食事を摂られましたか?」

 

朝潮が聞き返すと、今度は提督が、罰が悪そうに頭をかいた。

 

「いや、書類と睡魔に時間を盗られてな......」

 

「ご自分を粗末に扱ってはいけないんですよ?」

 

してやったりと、いたずらっ子のように笑う朝潮。彼女にこんなユーモアがあったことを忘れていたなんて。提督はこの一年を呪わずにはいられなかった。全くもって罪深い。

 

「その、わ、私も......司令官が、そのぉ......」

 

そのすぐあとには、顔を赤らめて何かごにょごにょと小さくなってしまった。意趣返しの続きなら、大切だとでも言おうとしたのだろうか。

 

「まあ、良ければ、あとで朝食を一緒に食べよう」

 

「は、はい!ぜひそうしましょう」

 

朝潮が早口で返事をして、また 静かな時間が流れる。しばらく歩いて、提督が口を開いた。

 

「去年の、しかも、ちょうど今くらいの時間帯だったな」

 

どちらからともなく足を止める。朝潮は返事をせず、提督の言葉をただ待った。

 

「俺は弟を止められず、お前は妹を失った。俺は、その事実と正面から向き合おうとせず距離を置き、腫れ物のように扱ってしまった」

 

互いに顔は合わせず、提督の独白は続けられる。

 

「弟の無謀な指揮を止められなくて......ああいや、違うな。元々はそんな弟と、しっかり向き合わなかったことが原因なんだ。だから一年も、後悔だけを引きずってきてしまった」

 

「結局は俺のせいで、朝潮、お前から大切なものを奪ってしまった」

 

朝潮が提督の手を握った。少しだけ震えている。

 

「違います。司令官のせいなんかじゃ、ありません」

 

語気が強い。提督も朝潮の手をぎゅっと優しく握り返した。

 

「いいや。俺が弱かったのだ。事件が起きて、大淀に諭されて、ようやくこうして本音をさらけ出せた。その弱さが最終的に、お前との間にさえ溝を作ってしまった。俺はそれがずっと嫌で、仕方なかったんだ」

 

ぶんぶん首を横に降る朝潮。泣きすぎてほんのり赤く掠れた目尻に、また涙が溜まり始めている。

提督は屈み、胸ポケットからハンカチを出してそっと拭いてやった。

 

「実はな、あの大規模作戦の決行前日、大潮と少しだけ、二人で話をしたんだよ」

 

「えっ、ほ、本当ですか」

 

「うん。大潮は言っていたよ。姉はしっかり者だけど、融通が効かないから、どうか支えてあげてください、って」

 

「あの子ったら、そんなこと......」

 

鼻をすすりながら、朝潮は嬉しそうに呟く。

 

「俺は彼女に、もちろんだと答えた。情けないことだが、今日になってようやく、その約束を果たせた気がする」

 

さて、もう少しだけ歩こうか。

そう言う提督に頷いて、朝潮もまた提督の隣を歩き始めた。

 

「今、本部は力を溜め込んでいる。おそらく、長くとも半年以内に、一年前の恥辱を晴らす決戦が行われるだろう」

 

しばらくして、提督が言う。先ほどの物腰柔らかな声から、生真面目で隙のない軍人の声に変わっていた。

朝潮もキリッと表情を引き締め、提督の話に耳を傾ける。

 

「約束しよう。次こそは何も失わない。付いてきてくれるか、朝潮」

 

振り向いた提督に、朝潮は直立不動の敬礼を見せた。

 

「はっ、この命に代えても」

 

「バカ。お前の命に代わるものがあるか」

 

「あいたっ」

 

コツンと頭を叩かれ、敬礼を崩す朝潮。提督は笑いながら海原の方へ顔を向けた。

 

「見てみろ、朝潮」

 

朝潮も言われるままに顔を上げて海を見る。白んでいた空はいつの間にか鮮やかな朝焼けに彩られていた。水平線の向こうから、新しい太陽が顔を覗かせている。

 

「きれい、ですね」

 

「ああ。こんな海を、いつまでも守りたいものだ」

 

潮風が、朝焼けを眺める朝潮の髪を吹き上げた。戦場であるはずの海を美しいと思えたのは、いつぶりだろうか。

 

「司令官、私も約束します。絶対に生きて帰ると。大潮の分まで生き抜くと」

 

「そうだな。それでこそ、我らが第一艦隊旗艦、朝潮だ」

 

揺るぎない瞳は確かな意思の光を宿している。一年越しに見る、彼女本来の強さ。

「覚悟はいいな、朝潮。暁の水平線に勝利を刻もう」

 

「はい。約束は......司令官との大切な約束も、守り通す覚悟です!」

 

提督の力強い言葉に、朝潮も大きな声で返事をした。

潮のさざめきより確かに、はっきりと、朝の澄んだ空気に響いた。

 

 

 

 

 

おしまい





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