私は師の一助となるべくして聖杯戦争に参戦した。
私が彼を引き当てたのは、私が道を見失っていた為に、
その不安が召喚術式に影響を及ぼしたからだろうか?
否、彼が私を引き当てた?
其れも否、大いなる導きが私達を引き合わせたのだ。
私が引き当てたサーヴァントは、この日本の土地では知らぬものは相違ない一級の求道者であり聖人、親鸞だった。
彼は私を見るなり言った。
「拙僧は親鸞。キャスターのサーヴァントとして呼ばれた。
といっても、
未だ魂を地上に戻される悟りには程遠き身ではあるが、宜しく頼もう」
その男は、私には根源を知る様にさえ感じられた。
何もかも悟り切った様にさえ見えた。
そうでなければ私が耐えられないと思った。
故に問うた。
「浄土真宗教祖親鸞。
お前なら、この満たされない渇望を埋められるのか?」
その問いに、厳めしい顔をした親鸞はその表情のまま笑った。
それは憐れみと同情と軽蔑と嫌悪と優しさが詰まった笑みに感じられた。
「拙僧とあなたは似ている。
成程、拙僧が呼び出されたわけだ。
結論から言おう。――――――――不可能だ。この戯け者」
その言葉は、私にある程度の衝撃と、大部分の諦観を以って届いた。
「…この身は凡夫に過ぎぬし、あなたもそれに同じだろう。
所詮、人如きが自らの苦しみを自らで埋めようなどと思うから駄目なのだ。
無駄な足掻きに過ぎぬ」
何故かは解らないが、私は親鸞という男を見ているだけで、
その言葉を聞いているだけで、感情と言う感情が絶叫を上げる様を感じていた。
失望させられたくないと、強くそう思った。
そしてその心は、言葉となって口から出た。
「ならばどうすればいいというのだっ!!」
その激昂に僧侶はやはり表情を変えぬまま笑った。
「それをどうすればいいかも拙僧には解らない――――」
余りにも責任感の無い丸投げだった。そう思っていた。だが、
「――だが、だからこそ御仏におすがりする他は無いのだ」
他力本願。これで日本最高位の僧侶の1人なのか。
私の失望は大きくなる一方だった。
だが、僅かに残る望みが、私の悩みの本質を曝け出させた。
「『悪』にしかなれないものでも、救われるというのか?」
その言葉を聞いた親鸞は、少し驚いたように表情を崩した。
「成程、失礼をしたようだ。
嘗て求道の果てを探した拙僧に似ていると先程言ったが、
拙僧よりも幾分もまともではないか」
私がまともだと?
この言峰綺礼が? 馬鹿な。この似非坊主が。
この時私は、そう思った。
「自身が『悪』であると自覚していることにおいて、
あなたはかつての拙僧より大いにまともである。
仏様をおいて、『悪』の無い人間などいないのだから。
その『悪』でさえ受け入れて、その上で御仏に救いを求めるのです。
御仏は善人悪人の分け隔てなくお救いになられるのだから」
「…私が、救われる?」
それは思わず精神の制御を超えて、私の外に出ていた。
私の言葉が、態度が、望みが、魂が、その救済に縋ろうとしていた。
「拙僧が教えた事が間違っていれば、ただ地獄に堕ちるだけであろう。
だが、他に道があるというのか?
他の道で救われる自信があるのか?
其れならばそれでよい。我が師の教えは自ら救えない弱者悪人の為にこそあるのだから」
私は、救われた気がした。
全てではないが、『南無阿弥陀仏』を唱え続けていれば救われるかもしれない。
其れしかできる事は無い。どこか、その救いの無い救いに救われた気がした。
その後、聖杯戦争は戦争の容を保つ事は無かった。
私と同様に狂っている、ひたすら正義を求める悲しい悪人にも親鸞は説いた。
自らが世界を救えると思うな、と。
何かで世界が救えると思うな、と。
ならばどうすればよいのか? 衛宮切嗣は私と同じように慟哭した。
そして私と同じように、かつての在り方を否定された。
親鸞師匠は極めて厳しいお方だ。
御仏に縋る事は良いと言うが、師匠に縋る事は断じて赦して下さらない。
一見無責任なまでに切り捨てるお人だった。
だが、人間の『悪』を何処までも許容するお人だった。
妻を持ち、子をなす事すら人には許されるのだと、衛宮切嗣にもそう説いていた。
其々、2次元的に対極を主張する衛宮切嗣と私は、
3次元的な新たな道を知る事が出来た。親鸞師匠と御仏への感謝此処に限りなく思う。
また、師匠は、王たちの問答にも呼ばれた。
先ず師匠は騎士王の悩みを切り捨てた。騎士王が自国を救えなかった事を嘆く傲慢さを激しく否定した。
人間如きに何の責任があろうか? あらゆる失敗さえ御仏は許される、と。
それは強者を弱者と同じ地平に突き落とす暴挙であり、救う者のいない強者を救う赦しであった。
そして、英雄王や征服王には自身がそれで満足しているのなら言う事は無い。
と、塩対応であったが、逆に英雄王には、「貴様こそ全ての民を救おうとしているのではないか」と詰問され、
「それは仏様のお仕事です」と返し、
征服王の「ただ責任を仏様とやらに押し流しているだけではないか」という問いには、
「全く持ってその通りですが何か?」と返した。
問答においてエキスパートの僧侶にレスバトルを繰り広げるのは余りにも無謀な事を、各時代の代表たる王たちは知った。
そして、親鸞師匠の、
「驕りに気が付く事は素晴らしい事でしょうが、仏様は奢る自惚れすら許して下さるのです。
ええ、迷いに気が付かない衆人さえも、仏様の無限の守護の範囲にあるに過ぎません」
という言葉に王たちは深く感じ入った。
その後、バーサーカーとなったランスロットを説法で鎮め、彼の自罰さえ驕り故に、
その驕りに気が付く事で御仏の御赦しに感謝しろと諌める事で解決。
連続殺人犯の青年とそのサーヴァントにさえ、許しを説き、その魂を解放した。
他の神を信じ、恨む事すら御仏はお許しになる。
何処までも広いお心をお持ちになる御仏の手から毀れ出る者はいないのだと知らしめられた。
蟲の老人もかつて見た正義と、今ある諦観をどちらも棄てる事を赦され、
数珠を手にかけて祈り出す様になった。
「正義とは、御仏そのものに他ならない」という言葉は老人に救いを与えた。
更に、汚染された聖杯に対し、サーヴァント7騎の魂をくべる事でなく、
サーヴァント7騎の『南無阿弥陀仏』の読経で聖杯を清めた。
其処に工夫や力は必要なかった。それらは全て御仏が解決するという師匠の言葉の通りであった。
その後、師匠は消滅までの間、伝説のラッパー『SIN→RAN』として世界中を圧巻した。
平坦なリズムに絶妙な変化を加え、一言たりとも詰まることなくよどむ事無く謳い上げていた。
ラッパー同士のバトルでも、相手が涙を流しながら帰依する圧倒的な説法力と、ビートで伝説を幾つも作った。
彼のファーストアルバム『南無阿弥陀仏~我が感謝限り無く~』は世界中の人々を熱狂の渦に落とし込んだ。
その中のディスコグラフィは、
『歎異抄』
『仏様はお前達をほっとけねーのよ』
『You say NAMUAMIDABUTSU!!』
『You love Mihotoke, Mihotoke loves you』
などの何れも名曲ぞろいで、口ずさむだけで心が救われる様な気持ちになれると凄まじいブームを巻き起こした。
その曲に共通する事は、最初から最後まで『南無阿弥陀仏』だけで詩が完結している所だが、
其れを不満に思うものは誰もいなかった様だ。
『南無阿弥陀仏』=何処までも広がり渡る素晴らしい御仏の御光にこれ以上無く感謝いたします。
これ以上に素晴らしい言葉など存在しないのだから。
かくして、SIN→RANこと親鸞師匠が突如消え失せた時、世界は光を失ったように落ち込んだが、
私や切嗣や臓硯の様に、親鸞師匠に縋るのではなく、
ただ御仏の慈愛にこそすがる事を知る者達の働きにより、
――否、私達のお蔭と言う驕りを以っては、師匠に叱られてしまう。
人々が、御仏への感謝を思い出した事により、
世界の人々は再び周りにひっそりと存在する光の存在に気が付き始めた。
世界から戦争の火種が消える事は無い。だが、少しずつ世界は変わり始めている。
救いの無い救われない世界から、救いの無い救われる世界へと。
だから今日も、私は娘と共に麻婆と師匠と御仏への感謝を唱える。
私にも、それしかできない故に。
―――――――南無阿弥陀仏。
悪人でも救われるのさ。
そう、南無阿弥陀仏ならねっ!!