エ・ランテルの中でも指折りの高級料亭、黄金亭にその姿はあった。
「--まずい」
深層の令嬢、という言葉にふさわしい美少女が侮蔑をあらわに冷たい視線でもって周りを睥睨する。少し胸の豊かさには欠けるが、氷のように美しい彼女のこと――それはずいぶんと似合っていた。
「テレジア、あまりそういうことは思っても言わないものですよ」
父親らしき男が少女をたしなめる。人を安心させるような朗らかな笑みは、少女がゴミを見るような目を向けても微動だにすることはない。いや、じっと見られていると少し涙目になった。
「まあ、その人の言葉はともかくとして……悪くはないと思うわ。あまり贅沢ばかり言ってはダメよ、玲愛」
一見、男の擁護をしているように見えるが実のところ黄金亭も男もけなしている。”ここ”は貴族が使ってもおかしくない”贅沢をするところ”なのだから。
「私は部屋にいる」
彼女はすねたように席を立った。家族のように見えるが、目立つ彼女たちは有名だ。美しさだけでなく、濃厚な金の匂いも立ち昇らせているのだから当然と言えた。そして、噂というものはどこの時代でも民衆に好かれている。彼女たちの一挙手一投足はすぐに噂になり皆の知れるところになるが、それによると少女は父や母と呼んだことは一度もないことは誰もが聞いている。そんな、微妙な関係を下世話な好奇心で見つめる目は多い。
「…………」
母のような彼女がぼそぼそとウェイターに注文する。それを部屋まで持ってきてほしいということだが、それを聞いたものは誰もが残念な思いをすることになる。それは、キムチと梅干しをパンにはさんだもの――
「よろしくお願いしますね」
にっこりとほほ笑むリザの姿は見ている者に癒しを与えた。ただ、これから彼女に持っていかれる”もの”を食べようと思う人間はいなかったが。
実は、玲愛はリザの実の娘説、義理の娘説があって派閥争いが続いている。いや、彼女たちが来たのは数日前なのではあるが。実の娘説では、血がつながっているのに抉れているのはおかしいという者や、ロリだからこれから育つんだよ。義理の娘では少女の憂いに満ちた表情がたまらない、とかNTRキタコレとか言う声が上がっている。とりあえず一番最後を言ったものはすさまじい気配を感じて股間を濡らし、汚名を着ることになった。
玲愛はリザとともにベッドの上で辛いんだが酸っぱいんだか、ぼそぼそしているのかべとべとしているのだかわからない物体を仲良く食べている。母のような彼女は無作法だと思ったが、付き合うことにしたようだ。……甘やかしすぎである。そこに諸々の後処理を終えたトリファが入ってくる。
部屋の中、雰囲気が一変するということはなく穏やかな家族の団らんの雰囲気が満ちている。ここにいる三人は互いを信用している。打算でもなく、ただ思いやって。けれど、それは家族構成としては酷く歪だ。
「……で、愚かなゾウリムシどもは釣れた?」
和やかな雰囲気のままの彼女の発言。さりげなく自分の隣に腰を下ろそうとしたトリファを蹴り落とす。
「順調みたいね。ボーン・ワルチャーに気づいた様子もない――諜報対策なんて、言葉の意味ですら知らないのでしょうね」
ボーン・ワルチャーの……というか、召喚魔法を使える人間自体がこの世界では貴重だ。警戒するのはせいぜい盗み聞き程度が限界である。それも、特殊部隊でもなくただの夜盗であれば高いレベルを期待する方が間違っている。
「しかし、それでも新進気鋭の盗賊団ではあるようですし。シュピーネからの情報ですが、帝国にすら噂が流れるということは相当ではないでしょうか」
やはり、父代わりのこの男も玲愛のことを甘やかす。けれど、裏では多くの策謀を巡らす。人間の汚さというモノを熟知していながら、己はそれすら上回る悪辣さを身に付けざるを得なかった『邪なる聖人』。
「警戒するべきは未知の事象。”武技”とかいうものの性質を調べなくてはいけない」
さも当然、といった態度だが、玲愛の立場は相変わらず首領代行……立場上では蓮を除いて一番偉いのであった。まあ、その蓮が自由に出歩いている以上有名無実となっているのが実際であったが。
「位階魔法のアップデートというものも警戒する必要があります。実際に生活魔法と言ったダウングレード版が存在する以上、その存在は否定できるものではないでしょう」
「けれど、私たちはレベル60以下の攻撃はそもそも通らない。あなたに至っては最低限70はないとお話にならない。……そもそも人間に6位階が限度である以上、警戒は必要かしら?」
「やれやれ、元々はあなたはレーベンスボルンの出――戦場とは異なる場所にいた以上しかたありませんが、油断は即座に死を招くのが兵の鉄則です。かの副首領閣下のことを思えば、相手を侮るなど愚かな行為と思いませんか? たとえ、彼がすでに踏み潰された後としても」
「……水銀の残した仕掛け。ないとは言い切れない」
ひどく顔を歪める。彼を嫌っていなかったのはどこを探しても黄金と黄昏以外にあり得ない。実のところ彼らに仕掛けがあるはずがないとはいえ、記憶にある以上は警戒せざるを得ない。
「そうです、テレジア。特にあなたはゾーネンキント、魔城の核となったあなたに何らかの要素が埋め込まれていないとも言い切れず――そこに作用する何かがあった場合は致命傷にすらなりえる」
「結局のところ用心するしかないのでしょう? 用心して事に当たり、悪い可能性を潰していく。ええ、安心して――人体神秘の解剖には慣れているわ」
リザはさらりと言ってのける。レーベンスボルンは研究施設……そして、それは人体実験であるのだ。実のところ、カルマ値など関係なく設定で与えられた戦争による歪みが彼らには存在している。人を劣等と蔑み、腑分けして殺す感性。
「藤井君が私たちを心配してくれるのは嬉しい。でも、この世界の
玲愛の雰囲気が変わる。少女のそれから、悼ましい化け物のそれへ。全てを憎む怪物の目。彼女には戦争の記憶がない。ただ、育ての親に生贄として捧げられただけだ。だからこそ、酷く純粋に――よくわからないまま核ミサイルのスイッチを押してしまえるのだ。
「だめですよ、玲愛。藤井君が慎重に対処すると決めたのよ。それに、ベアトリスが認めたのだもの。考えなしに殲滅していいわけはないわ」
けれど、それは主の意向には沿わないとリザが諫める。実のところ、彼女も殲滅に異論はないのだ。人間がいくら死のうと関係ない――ただ自分の手で実行するのが嫌なだけで。
「私、そいつのことよく知らない」
ふい、と顔をそむけた。玲愛はこの二人以外とはあまり絡んでいない。物珍しさで他メンバーから少し接触されたことがあるが、ただそれだけだ。大事な生贄を傷つけるような真似ができない以上、特に興味も持たれない。壊すのは黄金への裏切りであるのだし。
「キルヒアイゼン卿は信頼に値する方ですよ。ただ、まあ――思い詰めると一直線な愚かさはレオンハルトに通じるものがありますが」
トリファはかつての聖槍13騎士団、黄金が率いていた彼らで現世に残留した組の首領代行の真似事をやっていた。最も他メンバーと関わりがあり、個々の性質を知っている。
「ああ、あなたにいいようにしてやられたものね、彼女。真相に見当がついたとき、正直引いたわ。まるきり水銀の手管よね、アレ――」
「ちょちょちょ……待ってください。リザ、確かに悪辣極まりないと言われても仕方のないやり方だったとは思いますが! それでも――副首領閣下のやり口とか言うほどではないでしょう! 大体あの方がやっていたら仲良く一緒に聖遺物の中に居ることもできませんでしたよ、絶対。だから断言させていただきます……あれほどではない、と」
「でも、愛する二人を引き裂いて、弱みを握って殺し合わせるなんて水銀のしそうなことだと思うけどね」
「へえ、トリファ何をやったの? 相当恨まれてそうね」
「ああ、恨まれてるわよ。死人になってまで恨みを忘れずに、私の制御を外れるくらいにその思いは強かった。……トリファ、なんであなたまだ殺されてないのかしら?」
「そんな――いや、だって仕方ないじゃないですか。キルヒアイゼン卿は元々裏切るつもりで動いてて、完全に粛清される流れでしたよ。確かに私が戒を矢面に立たせて偽槍に魂を吸わせましたが……流れとしては、私、居てもいなくても変わりませんよね?」
まあ、やったことは粛清だ。血気盛んなメンバーを止めて、裏切り者と恋仲にあったメンバーを妹をネタに脅して殺させたという話。そして、恋仲の彼は一度戦えば死ぬことも聖餐杯にはわかっていた。
「ひどいね、トリファは酷い。恋する女の敵だよ」
玲愛が軽蔑の目でトリファを見る。
「そ、そんな。テレジアまでそういうことを言うのですか。私はただ、愛のためにできることをやっていただけなのに」
「ごめん、それ本当に気持ち悪い。私、あなたに孕めとか言われたの覚えてるからね」
「いや、今のは男女の愛とかでなくてですね。というか、トチ狂っていた時のことは堪忍してください、はい。何度でも謝りますから、水に流していただけると大変助かると言いますか」
「トリファ、あなた普段からもしかしてと思ってたけど、本当に――」
「いやいや、何を言い出しますかリザ。もしかしてとは何ですか。私、別に普段からそんなことは決して思っていませんよ!? あのときはなんというかアイデンティティの確保のためにですね」
「そう、あなたのアイデンティティのために私はトラウマを植え付けられたの」
「あああ、もう! 勘弁してくださいー」
トリファは泣き崩れた。
そして、家族団欒をよそに薄暗闇に潜む男たちが密談をかわす。
「へへ、あの商人どもの様子はどうだい?」
薄汚れた姿の男がニヤニヤとした笑みを浮かべている。よくある下種さだ。特に何かが並外れてるわけでもなく下賤なだけ。強さも特筆することはないただのクズで、それだけの男。
「あいつら、好き放題やってますぜ。金があるからって、なんでもかんでも――」
対する男は下卑たへつらいを浮かべている。こいつも変わらない。
「は。景気のいいこったな。ミスリルを大量に流したんだっけか」
「へえ、そういうことらしいです。まったく、別の国からやってきたってらしくて知り合いはいないんだそうで」
「はっは。だから好都合なんだろ? いなくなっても誰も気づけやしねえさ」
「へえ、へえ。分かっておりやすよ。あっしはあいつらが出発したときにお知らせすりゃいいんでしょ?」
「そういうことだな」
「心得ておりやすぜ。それと、旦那……お楽しみにゃあっしも混ぜてもらえるんで?」
「まあ、な。だが、あれほどおっぱいでけえ女は見たことがねえ――あんまり期待しても後悔するぜ。あれはすげえからな、大人気だろうぜ」
「あっしはむしろ、小娘の方をめちゃくちゃにしてやりたいんですけどね」
「はは。あの貧相な女か。変な趣味してるな、お前」
「だって、あの苦労してなさそうな顔、思い切り歪めてやりたいじゃねえですか。思い切り甘やかされた金持ちの娘なんてろくなもんじゃねえ――」
「ま、いいさ。お前は仕事をちゃんとやってくれりゃあお前はおこぼれを貰えてハッピー。俺らも仕事があってハッピーだ。……いいな?」
「へい――」
その晩、彼女たち一行は急に出発を決める。玲愛がこの町にはもう飽きたと言い出したために。
他と比べても一等豪華に思える馬車をザナックが引く。もちろん、この男が盗賊団の男と密会していた人間だ。自分で引いていてもここに来る前の御者は――などと考えないのが下等な犯罪者である。
「――」
十分街から離れたころ合いを見計らって、かちかちとランプのシェードを外して合図を送る。
「おい! そこの馬車、止まってもらおうか」
大声がかかる。ザナックは打合せ通りに馬車を止める。
「――さてさて、夜にこんなところを通るのは危ないぜ。商人さんたちよ」
ぞろぞろ出てきた盗賊の男たちは無遠慮に扉を開け、中を睥睨する。
「……このゾウリムシ、不快ね。どうせ武技なんて使えないないだろうし、殺していい?」
玲愛は目を閉じ、虫でも出たかのように顔を歪めている。
「いいえ、ゲジゲジだろうと実験には使えるもの。人的資源を無駄にするのは共産主義者のやり方ね。私たちは資本主義でしょう? 使えるものは使わないと」
一方リザは温和な顔で……人体実験の内容を考えていた。個体差があるから、適当にやっても意味がないのだ。条件が厳しいと、やたらめったら決め打ちではかすりもしない。そして盗賊なんかやるような男では、レベル5という条件すら厳しいものがある。
「まあ、現地人の中でも犯罪者です。まともに教育を受けられもしなかった下等民の言動などこんなものですよ。サルでも相手にしていると思って流すのが賢いというものです」
トリファも実に酷いことを言っている。さすがにここまで言われると思っていなかったから、盗賊の男たちも罵倒されたということすらわからずに目をぱちくりさせる。というか、この商人たちは普通だったら悲鳴の一つでも挙げているところだ。それをこうも……まるで虫がでてきたような気楽さで。
「お前ら、俺が怖くないのか?」
あまりにも彼が見てきた人間たちと彼らはあり方が違いすぎて。ぽかんとあっけにとられてこんなことまで聞いてしまう。
「……まさか」
一番年幼い少女は未だ目を閉じている。恐怖しているわけでもないのに。
「さて、あなたたちの本拠地を教えてもらいましょうか。隠すとためになりませんよ?」
男、立つと背が高いのがよくわかる。見上げるほどの巨人にわずかに後ずさって。しかし、こんな優男に負けるかよと考え直す。
「ああ!? やるか、てめえ!」
舐められては仕事にならない。というか、怒鳴りつけるくらいしか仕事のやり方を知らない。
「ああ――実に惜しい。あなたも父と母を、そして血のつながった兄たちを持った一個の人間であったはずなのに。今や、誰かから食べ物を奪って糊口をしのぐしかない日々。同情しますよ、確かに税が重くて不作が重なれば長男以外の居場所などない」
その男の言葉は心にすっと入ってくる。そして、心の深いところをやすりで削るのだ。
「う――うるせえ! お前に何が分かる!? 俺は……俺だってな、こんなことやりたくなんざなかったさ。でも、やらなきゃどうにもならねえんだからしょうがねえだろ!?」
まくしたてる。この男にとって、長男と言うのは憎悪の対象だ。なぜなら、長男以外は口減らしのために二束三文で売られるから。売られずとも、大事なのは長男だーー親には労働力としか見られていないのは知っていた。愛を、そして十分な食事を与えられたのは長男だけだった。
「ええ、わかりますとも。あなたの苦悩、あなたの憎悪。しょせん、あなたの人生などどこにでも転がっているありふれたものに過ぎない。少し運がよくて盗賊として成功したに過ぎない小物だ」
「だ、だから――なんだと」
あまりにも異常な気配の前に威勢を張ることすらできなくなる。
「さて、もう一度聞きます。あなた方の拠点はどこですか?」
常識的に考えれば言えるはずがない。言ったとわかれば後で”お仕置き”を喰らうからだ。
「そんなこと、答えるわけが……」
べき、と音がして――両腕の感覚がなくなった。
「あなた方の拠点はどこですか? 別に、言わないのならお仲間さんに聞いてもいいのですよ。でもですね……あなたが彼らを助ける必要などないでしょう。あなたはすでに逃げて、ここに行きついた。他人がどうなろうとかまわないから盗賊なんてやっている」
断言されて、うなづくしかない。腕を握られて、完全に動かない。すでにうっ血して掴まれた周辺が紫色になっている。さらに力を籠められれば砕ける。
「答えないのなら拷問します。あなたが苦しむ様を見て、彼らが自主的に教えてくれるまで苦しみを与え続けましょう。……けれど、そこまでして彼らをかばう義理などないのでは? どうせ、彼らとてあなたが本当に求めたものを与えてくれたわけでもないのだから――」
「--ッ!」
選択肢は一つしかなかった。
「さて、心優しい彼が本拠地の場所を教えてくれたので、皆さんはどうぞご自由になさるがよろしい。……この森から出れるのであれば」
そう声をかけられたのは、どうしていいかわからなくてまごまごしていた盗賊団の仲間の皆さんである。どうせろくな訓練を受けたわけでもない、隊長が失敗すれば、というか不利な状況に陥ったとしても――何をしていいかわからないから何もできない。見ていることしかできないのだ。
「……え。あれ」
声を出したのは誰だったか。
「赤い、光……?」
ちらほらとそれに気付き始める。
「なあ、何か居ないか?」
横の仲間に話しかけたつもりのそいつの顔がこわばる。そう言えば、仲間はぼろぼろのフルプレートなど着ていたか……
「あ……ああ!? ス――スケルトンだ!」
彼らには知識がないからわからないが、スケルトン・ウォリアーは彼らよりも強い。特に戦術とか武技も知らない彼らには厳しすぎる相手である。単身で打ち取れるなら犯罪者などならずに冒険者をやっている。
「さて、何人生き残れるかしら……?」
リザがつぶやく。彼女の召喚したアンデッド……とはいえ、デス・ナイト以外は専門外のようなものではあるのだがレベルが低すぎるから問題はなかった。
「リザ。アレはいらないよね」
顔を出した玲愛はザナックへ向く。
「ひ……! なん――なんなんだ、てめえらは。お前らみたいなの、なんて見たこと……」
「うるさい。こちらを向け」
「……ッああああああ!」
そこにあったのは玲愛の瞳。そこにあったのはおぞましいまでの極彩色の『力』であった。”それ”は悼ましく、呪わしく……悲劇的なまでに煮詰まった憎悪の発露にして竜王すら問題にしない究極たる断崖。すべてを焼き尽くしてなお止まらない黄金瞳。
「ああ……目が! ああ――」
宇宙的なまでの恐怖。それを目の当たりにしてしまったザナックは当然、逃げた。彼の精神は宇宙を飛び出し、涅槃へと到達する。”それ”から逃れるため、肉体は死を選択した。残るのは、見開いた眼を虚ろに向けた絶対的恐怖の欠片すら残す存在そのもが悼ましい死体。
「つまらない男」
一瞥し、中へと戻った。
「じゃ、玲愛……いい子にしててね? 私たちはあっちへ行くから」
リザは山の奥へと赴く。未だ実験は完了していない。
「うん。……待ってる」
玲愛はいい子にして馬車の中で待っているのであった。
実は玲愛はDiesに戦闘シーンなんてあるわけなくて、KKKではにらめっこしかしていないと言う……